スラムの子、コツコツ金稼ぎ 作:雨雲ばいう
暗黒街の奥、暗い暗い王都の地下。
そこには、なんとも言い難い香りの巨大な生ゴミの山があった。
史上類をみない人口が集まる王都では、衛生などあってないようなものである。
残飯や野菜カスはこうして暗黒街におしやり、知らん顔をするのが世の常だった。
その生ゴミの山にうごめく人影がひとつ。
アスクレイだ。
暗闇に沈む残飯の海を、ランプだけを頼りに歩いていく。
まだ食べられそうなパンの残りをみつけては、口にしていた。
それは禁忌であった。
暗黒街において、生ゴミの山を統べるのは人ではない。
野犬である。
牙は人の肉を楽々と食いちぎり、恐ろしい病を伝染する。
数を頼んで、大の大人すらも食い殺してしまう。
暗黒街において、その存在は恐怖とともに語られていた。
なにしろ暗黒街に暮らす者の五人に一人が野犬で命を落としている。
ゆえに、その領地たる生ゴミの山を荒らすなど、もってのほかなのだ。
だが、アスクレイはその禁忌を犯した。
そして、暗黙のルールを守れなかった者に暗黒街は冷たい。
暗がりに潜み、ランランと目を輝かせる影。
野犬どもだ。
ろくに栄養もとってこなかったアスクレイの背丈は小さい。
それこそ、首に噛みつかれれば一瞬で骨を折られてしまうだろう。
野犬どもにとっては労せずして巨大な肉のかたまりが手に入るという訳である。
野犬は群れをなしてじっと好機を狙っていた。
けっして訪れることのない、好機を。
アスクレイが、ゆっくりと後ろに目をやる。
そして、瞬いた。
「キャン!」
数頭の野犬の頭が、吹き飛んだ。
一瞬で殺された哀れな獣には、なにが起きたか知る暇もなかったに違いない。
まるで巨大な獣に一口で食われたかのように、首に牙の跡が残っている。
びゅっ、びゅっと血を吹いて、頭を失った野犬はゆっくりと崩れ落ちた。
生き残った残りの幸運な野犬たちは、ふと己の小さな心臓が震えることに気づく。
なにかが、なにかが違う。
この幼い子どもは、なにか深いところで野犬たちと違っていた。
アスクレイの深く赤い瞳に恐怖する。
ゴミ山に群がる野犬など歯牙にもかけない、尊大で偉大な神話の息吹。
それが、野犬たちの首筋をなでていった。
グチュリ、と野犬たちの頭がつぶれる。
生ゴミの山を統べる王たち、その命はまるで道の雑草のように踏みつぶされた。
◆◆◆◆◆
グゥ。
胃が鳴る。
目まいがして、アスクレイは思わずうずくまった。
目にしたものを食らう、謎の力。
人狩りを殺した晩、ガラスビンの血からアスクレイはそれを手に入れた。
だが、だからといってアスクレイの暮らしが良くなったわけではない。
むしろ、ひどくなった。
「食べもの……」
アスクレイは生ゴミの山に顔をつっこむ。
飢えがおさまらないのだ。
この竜の目で食ったものは己の飢えを鎮めてはくれない。
ひどく激しくなった食欲をなぐさめるには、口でものを食べなければならない。
だが、そのためには稼ぎがまったく足りなかった。
こうしてゴミ山を漁る羽目に追いこまれるほど。
しかも、さらに辛いことに魔術で食ったものはけた違いにマズい。
目にしたとたん、怖気が背筋に走り、激痛にもだえ苦しみたくなるほどだ。
これが竜の魔術を手に入れたかわりにアスクレイが負った苦痛だった。
黄ばんだパンの食べかすをながめながら、考える。
これまでのようにドブさらいを続けても、とうてい食欲に稼ぎが追いつかない。
そう遠くないうちに、飢え死にしてしまう。
せっかく人狩りから生き残ったのに、そんな末路は嫌だった。
今、アスクレイは竜の魔術という新たな力を手に入れたのだ。
ならば、新たな道がどこかに転がっているに違いない。
ドブさらいよりもずっと実入りのよい稼業が、あるに違いない。
◆◆◆◆◆
あくる朝。
アスクレイは久しぶりに暗黒街を後にした。
路地を歩き、暗黒街から遠ざかるにつれて街はだんだん日の光に輝いていく。
目を細めたアスクレイは、そのまま王都の雑踏に踏み入った。
暗黒街のすぐそばだというのに、道ゆく人々はみな清潔できれいな姿をしている。
時折、爽やかな香水の香りもしていた。
今、アスクレイの生きる王国は栄華の絶頂にある。
始まりは、魔術機械なるものの誕生だ。
かつて魔術は長年の修練を積んだ才ある者にのみ許された技術だった。
その恩恵は貴族に独占され、人々は魔術なしに貧しく暮らす。
しかし、魔術機械は違った。
術式をあらかじめ書きこむことで、魔術師なしに独りでに働く機械。
それは、これまで職人の手に頼っていた王国の工業に革命をもたらした。
たしかに質は熟練の職人の腕に敵わないものの、機械は休まず働き続ける。
生産能力がケタ違いに上がった。
人々の暮らしは豊かになり、王国の人口も右肩上がりだ。
さらに魔術機械で生産した商品は、貿易によって巨万の富をもたらした。
魔術機械から始まった工業革命は、いまだ王国が先頭を独走している。
王国は今や、覇権国家となっていた。
レンガ造りの家々がいくつも積み重なり、石畳の美しい道が上下左右に街をつなぐ。
蒸気を吹く魔術鉄道がガタガタと音を鳴らしながら橋の上を走っている。
その下で、パンの袋を片手に婦人がショーウインドウの帽子をながめていた。
暗黒街では考えられない、穏やかな日常だった。
しかし、そうした恩恵にあずかれない者も山のようにいる。
それこそ、アスクレイのような。
アスクレイはこうした光景を目にすると、なんとも言えない思いに囚われた。
憧れと悲しみが入り乱れて、胸がキュッとなるのだ。
この道を歩く人々は、豊かな家に生まれた幸運な者たちばかりだ。
今日を生きるために恥を忍んで残飯を漁ったこともない。
路頭にうずくまりながら凍えるような寒さに苦しんだこともないだろう。
己の幸福を恵まれているとは思いもしていないに違いなかった。
暗黒街で貧困にあえぐ労働者たちに気づきもせずに。
いや、とアスクレイは静かに目を閉じた。
今のアスクレイに、そんなことを考えている暇はない。
ここでアスクレイ一人が不条理を嘆いたとて、どうにもならないのだ。
アスクレイは、アスクレイ一人の命を守るのでギリギリなのだから。
咲き誇る穏やかな幸福に囲まれて、アスクレイは静かに街を歩いていく。
◆◆◆◆◆
さて、先述した魔術機械はいくら優れた術式があろうと鉱石なしには働かない。
いくつかの鉱石を炉にくべなければ魔術機械は小石ひとつ転がせないのだ。
では、その鉱石はどこからとってくるのか。
アスクレイは頭上に目をやる。
答えはそこにあった。
山よりも大きな竜の牙。
王都は、とある巨竜の亡骸、そのちょうど鼻先にある。
かつてこの世は竜たちが統べていた。
しかし、西からこの地を訪れた聖教の聖人たちは、それをことごとく滅ぼした。
もっとも偉大でもっとも巨大だった竜の王は、殺されて海に流された。
それから長い年月をかけて、崩れた肉は大地となり、血は川となって流れた。
巨竜はひとつの島となったのだ。
つまり、王国は竜の亡骸の上に築かれている。
そして、魔術機械の炉にくべる鉱石、これもまた巨竜の亡骸のうちにあった。
その肉のうちは未だ息づく神秘によって恐るべき魔獣がひしめいている。
勇敢にも巨竜の亡骸に飛びこみ、その鋭い勘で王国のために鉱石を狙う英雄。
人々は尊敬をこめて、その者たちをスカベンジャーと賛じた。