普通の少年が、少しだけ前を向いて進んでいく話(嘘)

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第1話

 

 

俺はある農村に生まれた。その村は、貧しくもなく豊かでもなかった。いわゆる普通の場所だった。そんなところで生まれた俺もまた普通。でもそれに不満がある訳ではなかった。

 

朝起きたら子供としてできる程度の手伝いをして、そこから遊びに出掛ける。その程度の余裕はあったからだ。そして、俺にはそのくらいの余裕があれば十分だった。

 

普通で良い。豪華絢爛な生活なんていらない。ただ今のまま、普通のまま、静かに。実際幼い頃の俺はそれを言語化できた訳ではなかったが、心のどこかではその生活で満足していた。

 

友達と遊ぶのもまた楽しい。

 

村で唯一の同年代のファンドール=カカ。どこか影のある、でも笑うと花のような印象を受ける少年。そんな彼と遊ぶのは、いつだって楽しかった。

 

 

「おーい!待てよカカ〜!」

 

「あはは!遅いよ***ム!置いてっちゃうよ〜!」

 

「うっせー!すぐに追いついてやるからな!」

 

 

雄大な何も無い丘を、カカと一緒に駆け回る。間違いなく楽しいひと時。でもそれが、どこか過去の記憶にすげ変わっていったのは果たして何歳の時か。もう覚えていない。

 

ただ、ひとつわかるのは、人間は同じ生物であって同じ存在ではないと言うことだ。それを理解したのは、生まれてから随分と時の経った、齢12の頃。

 

ある時、カカは言った。

 

 

「ぼく、街へ奉公に出ようと思うんだ。***ムも応援してくれるよね?」

 

 

なんと呼ばれたか、それすら覚えていないが、その時の俺は、「なんでそんな事を言うんだ!」と言い返した気がようなする。そうしたらカカは落ち込むように「ごめん」と言い、去っていってしまった。

 

思えば、ここが人生の岐路だったのかもしれない。あるいは一緒に行くとでも言っていれば、何か違ったのかもしれない。でもそうはならなかった。

 

その日、カカが奉公へ出ると言った日、俺達の関係は簡単に崩れ去った。もちろん、俺は普通を望んでいた。いつも通りを欲していた。でもカカは、もっと先の、未来のことを見ていたのだ。

 

だから、そこで一旦、俺達の道は別れることになる。そして俺の賛同を得られなかったカカは、気づいた時には村を離れていて。

 

俺宛に残された手紙にはよくわからない国がどうだが、現状をもっと良くしたいだとか、随分高尚な事が書き連ねられていた。そんなもの、当時成人もしていなかった俺に理解できるわけもないのに。

 

当然荒れた。でもどうしようもなかった。怒りをぶつける先なんて、もうそこにはなかったのだから。

 

それから、俺の日常は退屈なものになった。他に同年代の誰かなんていないような小さな村だから、やることもなく。自然と他の大人の仕事を手伝うように。

 

それを村の大人は偉い偉いだなんて持て囃すけど、冗談ではなかった。偉いからなんだと言うのか。それで退屈なんて紛れない。満足なんてやってこない。

 

俺は、その時この上ない空虚を抱いた。

 

 

「あーあ、やってらんねー。つまんねーの」

 

 

村民達の仕事の手伝いの合間。休憩時に俺はいつもカカと一緒に駆け回っていた雄大な丘の上で石を蹴った。ブサイクな形の石が、コロコロと。蹴る度に予測不可能な起動を描きながら丘で踊る。

 

 

「こんな退屈ならいっそ世界滅びでもしねーかなー。ほっぽーの魔王って奴がなんか暴れてるらしいしさ〜」

 

 

北方の魔王。ジェイザル=アーバフ。

 

***ムがいる中央諸国の遥か遠くで暴れる魔の者達の王。故に魔王。それは実際にその脅威を体感している北方の人間達からすれば憤慨ものの発言なのかもしれない。

 

でもそれが、所詮平和な中央諸国で生きる子供の一般的な考えだった。そう、俺はなんらおかしくなかった。至って普通の子供だったのだ。

 

あの時普通というのは普通では無いのだと理解するまでは。

 

それは、15の頃だったか。

 

もはや、その頃にもなると退屈を退屈だと俺は思わなくなっていた。それが普通だと判断するようになっていたのだ。要するに、それが一種の満足の形なのだと。

 

それでいいと、俺は思っていたのだ。

 

だがそう、普通というのは普通ではない。まさに、幼い頃の俺が些細なことで友を失ったように。

 

だから、それは当たり前のように訪れた。

 

村での仕事の合間の休憩時間。いつものように、あの丘で静かに時を過ごしていた頃。視界の中にはいつもの緑とその先にある雄大な山脈があった。

 

変わらぬ光景。変わらぬ日常。それが崩れたのは、丘の下の村の方で、煙があがっているのに気がついた時。

 

 

「なんだ?なんで煙が?」

 

 

疑問に思い、立ち上がる。

 

そしてふと嫌な予感を感じて、俺は走り出した。

 

丘の草花が、そんな俺の足を絡め取る。強かに打つ。それでもと、俺は走り続けた。必死に浮かぶ嫌な考えを押し殺して。

 

そうして息も絶え絶えに走り続けると、やがて俺の目に村の現状が映るようになっていた。

 

村は、炎上していた。かつて先祖がこの地に何とか建てただろう家屋は焼けただれ、そこに住んでいた村人達はおぞましい何かに追い立てられながら絶望の表情を浮かべ。

 

まさにこの世の地獄のような光景だった。しかし現実であるのもまたどうしようもない事実で。では俺はその現実を前に何かできることがあるのか?それは、多分ない。それが非情ながらも、確かな答えだった。

 

ただ目の前の光景を見るしかない。それが現実。そこに入り込んでも無為に死ぬだけ。ならば黙って見ていた方が幾分か利口だろう。そうであるはずだ。普通とはそのようなものはずだ。

 

だが、これはあまりにも。

 

と、そう思っていた時、ふと、俺の耳にある音が入りこんできた。規則的な乾いた音。聞き覚えがある音だ。国の役人や商人などが使役しているもの。馬の足音に近い。

 

そんな、俺の予感はあっていたようで、目の前にある地獄のような光景に、突如鋼色の軍団がなだれ込んできた。

 

馬の手網を握り、鋼色の装備を身に纏いながら。それは噂に聞く、洗礼騎士のような軍団だった。

 

そんな彼らが、村の中を荒らす蛮族たちをどんどんと駆逐していく 。俺の常識ではありえない外見をしたその襲撃者達を、洗礼騎士と思しきものたちは軽々と駆逐していく。

 

やがて地獄のような場所だったその村も、洗礼騎士によって治められていった。それでも、俺がふとあたりを見回すと、地面には悲痛の表情で横たわる村人の姿があった。

 

それに思わず、俺は声をあげる。

 

 

「ひっ⋯⋯!?」

 

 

その横たわる村人と目があったような気がして、俺は罪悪感とも恐怖とも言えないような感情を抱いた。だが俺がそうしている間にも、事態は収束していく。

 

やがて洗礼騎士達がおぞましい襲撃者達をあらかた片付け終えると、不意に俺の姿を見つけたのか、その騎士団の一員が声を掛けてきた。

 

 

「少年。大丈夫か?遅れてすまない。怪我はないか?」

 

「あ、は、はい。ありがとう⋯⋯ございます」

 

「立てないのか。無理もない。肩をかそう。そして出来れば、君の両親を探そう。もしかしたらまだどこかにいるかもしれない」

 

 

鋼を纏った洗礼騎士は、親切にそう言って俺の方へと手を差し出した。それを俺は何とか手に取って。

 

しかし、同時に理解していた。その洗礼騎士の言葉が、慰めでしかない事を。それでも、俺は洗礼騎士の手を借りながらも村中を練り歩いた。母か父か。せめてどちらかでも見つけられるように。

 

しかし、どれだけ騎士の力を借りて焼け落ちた村を練り歩いても、生きた両親の姿は見つけられなかった。唯一見つけられたのは、服を切り裂かれ、辱められた両親の姿だけ。

 

 

「あ、ああ⋯⋯⋯」

 

 

わかっていた。焼け落ちた村で、自分の両親だけ生きているなどという都合の良いことが無いことなど、初めから。でもいざ目の前にしてみると、もう何も言葉が出なかった。

 

そんな俺に、そばの騎士がそっと寄り添ってくれた。それだけが、せめてもの救いだった。ただそれが、逆にもう元には戻れないのだと、雄弁に語っているような気がした。

 

 

「さあ、この村はもうだめだ。気の毒だが、君の今後は私達が保証しよう。なに。理不尽に見舞われたものを見捨てるほど私達は情を捨てていない」

 

「ありがとうございます。でも俺、今後どうしたら⋯⋯」

 

「それは私には分からない。ただ理不尽を前にした時、どうするかは君次第だ⋯⋯それを前に膝を折るのか。あるいは立ち向かうのか」

 

「たち⋯⋯むかう」

 

 

その騎士は、無言で俺に向かって手を差し出した。それはきっと、与えてくれていたのだろう。何も無い俺に、選択肢を。

 

ただ、その時の俺の頭には、そんな考えなどどこにも無かった。あったのは、ただひたすら立ち向かうという言葉だけ。単にあるがままを望むのではなく、自ら道を切り開く。

 

それはある種、天啓に見えた。さながら、暗闇の中に差し込んだ僅かな希望のように。だから俺はそれを、呆然としながらも、確かに手に取った。それがどれほど。重いものかも知らずに。

 

それが俺の始まりで、終わりだった。

 

 

「ようこそ。王国洗礼騎士団へ。歓迎しよう。それにあたって、君に洗礼名を授けようか。これを持って私は君の仮の保護者となろう⋯⋯君の洗礼名は、グロリア。栄光を冠する名前だ」

 

 

頭に騎士の鋼の手甲が添えられる。そして、名付けが行われた。俺の洗礼名は、グロリア。栄光。いずれ栄光を取り戻さんとする名前。俺には、あまりにも過ぎた名前だった。

 

そうして、俺はその騎士に身元を引き取られ、暮らしていく事になる。差し出された手は、鋼に覆われていても、確かに、暖かった。

 

そこから、俺はその騎士に手を引かれながら焼け落ちた村を出ていく。聞いたところによると、村の住人で生き残ったのは俺とあと数人だけらしい。それを幸運と喜んでいいのかは、わからなかったが。

 

ともかく、そのようにして時間は過ぎていく。洗礼騎士に引き取られた俺は、自身もまた洗礼騎士となった。

 

そしてそれは、奇しくも奉公へ出ると言って村を出ていったカカがなろうとしていたものと一緒のもの。だから、洗礼騎士になれば、彼と会うのも、また自然だった。

 

 

「***ム?もしかして***ムなのか?」

 

 

懐かしい、声が聞こえたような気がした。その感覚に、ある騎士団の施設を歩いていた俺はふと振り返った。

 

 

「⋯⋯もしかしてお前⋯⋯カカ⋯⋯か?」

 

「そうだよ!カカだよ!無事だったんだね!良かった!僕あの村が魔族に襲われたと聞いて気が気じゃなくて!」

 

「魔族。そう、あれは魔族だったな。それよりもカカ、久しぶりだな。元気にしてたか?」

 

「え、う、うん。いや、そうじゃなくて。***ムは大丈夫なの?だってご両親は⋯⋯⋯」

 

 

随分と懐かしい名前を呼ばれた。***ム。うん。確かに俺はそんな名前だったような気がする。でもそれは。

 

 

「過去の名前だよ」

 

「え?」

 

「***ムは過去の名前だ。今はグロリアと名乗ってる。次からはそう呼ばないでくれ。あんまり、過去のことは思い出したくないんだ」

 

「あ、ご、ごめん」

 

「じゃあな。会えて嬉しかったぜ。また会ったら飯でも食いに行こう」

 

 

そう言って、俺はカカと別れを告げる。懐かしい顔ではあったが、今の俺は特にそれに固執していなかった。見据えているのは、ただひたすら、未来。理不尽を超えた先にある、希望。

 

あまりにも呆気ない俺のその対応に、背後のカカは困惑の声をあげていたが、その時の俺は、それが全てだった。そんなもの、あるはずもないのに。

 

だって***ムは⋯⋯⋯。

 

 

 

 

 

それから、また僅かな年月が過ぎた。

 

グロリアも、それと同時に成長して、歳も17。

 

15で成人だから、いい加減グロリアも一人の自立した大人へとなっていた。それに伴い、知識の含蓄(がんちく)も増えていく。

 

洗礼騎士として活動する傍らで、グロリアは世界の情勢について大きく学んだ。北方諸国。中央諸国。南方諸国。その情勢。

 

中でも北方諸国については、洗礼騎士ならば必ず学ばなければならないものだったので、その分野に関してはただの農民だったグロリアも大きな知見を得た。

 

それによると、今北方諸国では『魔族』という存在が暴れているそうだ。なんでもその魔族は非常に凶暴で、身体能力に秀で、紫色の異形の皮膚を持つとか。

 

そしてその魔族の中でも一層凶悪なのが『魔王』。魔の者達を束ねる、一騎当千の蛮族王。その力は既に北方諸国の領土の三割を掌握し、既に山脈さえなければ中央諸国に迫るほどだという。

 

すぐにでも対処しなければならない異物だ。どこから湧いて出たのかも知らないが、グロリアが今後生きていくためには必ず排除しなければならない標的。こんなとんでもない存在が世にのさばる限り安心して眠ることもできない。

 

だから、狩る。とはいえ正直、では狩ったあとどうするのかという話だが、そんなものは後から考えれば良い。今までだって流されて生きてきたのだから、きっと流されるまま進めばなるようになる。

 

そのはずだ。そうあって欲しい。グロリアはそう思う。

 

それが叶わない願いだとしても。

 

⋯⋯きっともう、グロリアの結末は割れている。それでも、抱いた希望が嘘だなんて思いたくないから。

 

そう考えつつも、結末は結局のところ読み切れていて、だからこそ一日は終わり、やがて結末となる審判の時へと続く一日が始まる。

 

その日、洗礼騎士になって二年ほどの月日が経ったグロリアに召集令が届いた。随分上からの招集で、まだまだ下っ端のグロリアにはなんの及びもつかないものだった。

 

とはいえまさか呼ばれて行かない訳にも行かず、グロリアは騎士団の総括本部へと赴いた。

 

古アルテイラ王朝の建築様式で建てられた立派な建物。そこには無数の人間が屯しており、召集令に応じて来たペーペーの新人のグロリアを訝しみの視線で見るものが多くいた。

 

それでもグロリアに卑しいところは無いので、その視線の中でもちょっとビクつきながらもそこそこに歩く。そして受付にたどり着き、要件をその受付に伝えると、目が飛び出るような階級の騎士長の元へと案内された。

 

 

「うむ。良い顔つきだ。ところで君は近年の魔族による市町村の被害がどの程度か知っているかね?」

 

「はい。正確には存じ上げませんが毎年あの北方と中央諸国を隔てる山脈を超えてくる魔族が数百に登るとも言われているので、村などは特に酷い被害にあっているものかと考えられます」

 

「うん、素晴らしい推察だ。君は北方に近い確か農村の出身だったね?色々苦労もあるだろう。まずは座りたまえ」

 

「ありがとううございます」

 

 

六畳半程の広めの部屋。その中央に佇む執務机に座る、初老の男性。軍服を来たその姿形は、非常に威厳に満ちている。そんな人物に促されて、グロリアは部屋の中央にある椅子に座った。

 

そして、そこから話が展開され始める。

 

 

「さて、何故君を呼んだか、わかるかね?」

 

「はい、いえ、申し訳ありません。なにぶん召集令と聞いて急いできたもので」

 

「なるほど。結構。では結論から話そうか。どうも最近の北方の魔王の躍進は目に余る。そこで君には、征伐部隊の一員として従事して貰いたい。作戦名はそうさな。さながら勇士戦略奇襲作戦。勇者作戦とでも言っておこうか」

 

 

勇者作戦。なんとも奇妙な響きの作戦名だ。勇者という言葉はどこまでも神話のような非現実を感じさせるのに、作戦という言葉で一気に現実に戻される。

 

なんとも、言い難い作戦。しかしこれは、実質死にに行ってこいと言っているようなものなのではないだろうか?そこの所は、どうなのか。

 

 

「仮にその作戦が魔王への奇襲作戦だとして、魔王の元にたどり着けたとして、帰還する為の策はあるのですか?」

 

「⋯⋯あると思うか?」

 

「ないでしょうね」

 

「では作戦に参加する意思は?」

 

「ありますよ」

 

「結構だ。よろしい。では作戦の説明に入る。しっかりと聞くように。まあわかるまで何度でも説明してやるがね」

 

 

ちょっとした問答を経て、グロリアは勇者作戦への参入を決める。あの光景は今でも忘れられない。紫色の悪魔のような肌色をした魔族が、村人達を弄び、犯している姿。

 

村民達の絶望の表情。亡骸が何かを訴えかけるような目線をグロリアへと投げかけてくるあの感覚。あれを思えば、今更死地に飛び込むことなど屁でもない。

 

無論今後の人生を諦めるつもりはないが。今後の人生を始めるためには魔王を消すのは急務だ。そう、だからこれは死にに行く訳じゃない。自分のために、行くのだ。

 

そう、全ては、自分のために。

 

そこだけは、間違いない。

 

そうして、グロリアは作戦への参加を決意する。対面する騎士長から作戦の概要を聞き、それに従事するための覚悟を整え始めた。

 

そしてしばらく、作戦の概要を聞き終えて、グロリアはこの作戦に洗礼騎士数百名が参加を志願したことを知った。主に参加を志願したのは、魔族被害の現状を憂う騎士達だ。

 

ほぼ決死隊のようなものだが、洗礼騎士は非常に精強。あるいは虚ろをつけば万夫不当の魔王だろうと倒せるかもしれない。だからこそのこの志願者数。

 

そして、その志願者達は二人一組の少数行動で勇者作戦を遂行する事になっている。だからグロリアにも伴が着くわけだ。それが誰かと言うと、これまた意外であり、ある意味当たり前の人物だったが。

 

 

「カカか。元気してたか?お前も勇者作戦に?またなんで?」

 

「うん。昔のグロリアには悪いと思ってるけど、やっぱり僕が奉公に出たのは魔王の脅威をどうにかしたいからだったんだ。それこそ、僕の故郷がああならないようにするために。結果的にそれは無理だったけど。でもそれなら、せめて弔い合戦位はしたいなって」

 

「へー、意外と情があるんだな。俺は置いてったのに」

 

「そ、それはその⋯⋯⋯ごめん」

 

 

毒を吐くグロリアに、久しぶりに会ったカカが切実に謝ってくる。どうやら過去のことは本気で反省しているようだった。

 

 

「冗談だよ冗談。それじゃあ勇者作戦。お互い頑張ろうな」

 

「⋯⋯うん!」

 

 

屈託のない花のような笑顔を浮かべるカカ。そんな彼と、グロリアは握手を結んだ。その姿は、どこまでも相変わらずで。

 

でも見ている場所はいつも違くて。しかし、それでも。今だけは、この作戦に従事している間だけは、初めて、同じ方向を向けているような気がした。

 

それから、グロリア達は、勇士戦略奇襲作戦。通称勇者作戦の準備を着々と整えていく。

 

装備は、北方やその前に佇む山脈の環境のせいもあり、嵩張っていったが、幸いこの作戦は騎士団が主導しているものだったので、資金調達には困らなかった。

 

そうして、準備は順調に、確実に敷かれていく。しばらくすると、グロリア達は、準備を終える頃になって、ふと、騎士団本部にお呼ばれすることになった。

 

というのも、作戦の前の激励と見送りは様式美だからだ。

 

 

「注目!」

 

 

騎士団本部のある部屋で、団の高官の声が響く。グロリア達の周りには、多数の騎士団員達がいた。

 

 

「各員!勇者一行に!敬礼!そして彼らが不在の間!この国を守ることをここに宣誓せよ!」

 

 

騎士団の高官、長が声を張り上げる。それに負けじと、その長のそばにいた団員がその号令に答える。

 

 

「はっ!!勇者一行様方に代わり!この国を死守することをここに誓います!総員!敬礼!」

 

 

団員の合図を初めとして、控えていた騎士団員達が一斉に体を動作させる。一矢乱れぬ動きで、騎士団員達はグロリア達に最高峰の敬礼を捧げた。

 

それに、勇者一行と呼ばれたカカとグロリアは、静かにお辞儀をしてその場を去っていく。見送るものと見送られるもの。それはもしかしたら今生の別れを示しているのかもしれない。

 

だが勇者とは、それを前にしても臆せず進むものの事を言うのだろう。ならば作戦名の通り、グロリア達は進むだけ。その先に何があろうとも。

 

そうして、グロリア達は旅路への準備を完全に終えた。

 

あとは旅立つだけ。

 

迷いは、無かった。

 

 

「じゃあ、行くか。勇者は、俺たちひとりじゃない。こんな心強い事はそうねえぜ?」

 

「そうだね。でも選ばれたからには、僕が、僕達がこの作戦を成功させる⋯⋯つもりでやるよ」

 

「おいおい、そこはつまりじゃなくて成功させる、だけでいいんだよ。お前も男なら自分を信じろ。今こうして征伐部隊に入れているだけでも、洗礼騎士になったのは、間違いじゃなかった。だろ?」

 

「そうだね!⋯⋯この作戦。僕達で必ず成功させよう」

 

 

グロリアのそばで決意を固めるカカ。そう言うカカの目は、不思議と、誰よりも未来を見据えているような気がした。それを一瞬羨ましい、と思ったのは何故なのか。その時のグロリアにはわからなかった。

 

そのようにして、旅は始まっていく。出発地点は。とある国の首都オイト。見据える先は、遥か山脈の向こう側の北方諸国。きっと、旅は過酷なものになるだろう。勇者としての、旅は。

 

それがどれほどのものか、わからずとも。そうやって、グロリア達は、まず一歩を、北方に向かって踏み出した。

 

 

「行こう!魔王討伐へ!」

 

「ああ!」

 

 

その旅路は、輝かしくも厳しいもの。遠く昔に失ったものを、取り戻す旅。故にその終点には、大いなる希望が待っているだろう。

 

だから、これは勇者が未来へと進む物語。そして勇者では無い誰かが、希望を見つけるお話。

 

 

 

 

 

⋯⋯グロリア達が旅立ってから一ヶ月が過ぎた。旅は順調だった。国の首都オイトから出発して、十数日。それで国の大半を踏破しきり、現在は北方と中央を隔てる山脈を登っているところ。

 

危険な獣なども道中散見されたが、それらを切り捨て、グロリア達は進んでいた。

 

 

「はぁっ、はぁっ⋯⋯まさかこの山脈を登ることになるなんてな。夢にも思わなかったぜ。まるで別世界に進んでるみたいだ」

 

「そうだねっ。僕も考えてなかったよ。でもやらなくちゃ行けない。必ず成功させる。僕自身がそういったんだから」

 

「そうだなっ!それでこそだ!」

 

 

登るごとに冷たい空気を辺りに蔓延させる山を、気合いで踏みしめては登っていく。空気が薄いからか、グロリア達の意識は若干朦朧としてくるが、それでも耐えて進み続けた。

 

そしてその日の夜、グロリア達は山の一角の洞窟で、ひっそりと野営の陣を築く。一ヶ月も旅をしていると、そういう行為にも慣れてきた。

 

 

「あちっ、一気に火力強めすぎたかも」

 

「ばーか。焚き火はじっくりやるのがコツなんだよ。ほら、貸してみろ。こうやってトングで薪同士の距離を離してやれば⋯⋯ほらこの通りだ」

 

「おー、やっぱりグロリアはすごいなぁ。僕不器用だから。なんか毎回上手くできないんだよねえ」

 

「知ってるよそんくらい。ま、そのうちひとりでも安心してできるようになれよ。俺だって暇じゃない」

 

「うん!」

 

 

己の不出来に頭を悩ませるカカを背後に、グロリアは薪の調整を終えると、すぐ次の旅路の為にその身体を地面に横たえる。疲労の回復は、急務だった。

 

そんな中で、まず初めに火の番をすることになったカカが、背を向けて眠りにつこうとするグロリアにそっと語りかける。

 

 

「グロリアはさ、多分、僕のこと恨んでるよね。ああいう事態を起こさない為に洗礼騎士になったのに、故郷すら守れず。僕だけは無事で。多分僕だったらふざけるな!って言っちゃうな」

 

 

洞窟の中で、焚き火の光が、ゆらゆらと影を生み出す。その影は、カカの声にそっと目を見開いたグロリアの目によく映った。

 

 

「グロリアは、優しいよね。こんな僕に何も言わずに。また昔みたいに接してくれる。だからさ。思うんだ。僕が奉公に出た意味なんて、ないんじゃないかって。友達を捨ててまで、なった意味なんて」

 

「⋯⋯⋯少なくとも、俺はお前を恨んでないよ。お前の人生はお前の人生だ。お前は未来を見てた。俺は今しか見てなかった。たとえその選択が正しくなくても、俺はお前が間違ってたとは思わねえよ」

 

「そ⋯⋯っか。そうだね。ありがとう。少しだけ心のモヤモヤが取れた気がする。でも、やっぱり僕が洗礼騎士になった意味はなかったと思うんだ。今まで何の役にも立てなかった」

 

 

それは、後悔なのか。グロリアには分からない。今言えることはただ。

 

 

「でもこれからは違うだろ。俺達は勇者だ」

 

「そう、僕たちは勇者だ。グロリアと、僕で勇者一行。魔王を倒すものたち。だからきっと、僕が洗礼騎士になった意味があるとしたら、これからなんだと思う。でも僕ひとりじゃ魔王を倒すなんて出来ないかもしれない。だから」

 

「俺の力が必要だって?今更置いてったトモダチの力を借りんのか?」

 

「ダメかな?やっぱり、都合がいいかな?でも僕は、やっぱり君が、一番頼りになると思うから。だから奉公に出る時応援されなかったのも結構ショックだったんだよ?」

 

「はっ、じゃあお互い様か。いいぜ。手を貸してやるよ」

 

「ありがとう!」

 

 

焚き火の音が、パチパチ、と響き渡る。同時に、カカの感謝の言葉も聞こえた。その声は喜色に満ちていて、きっとその裏では満面の笑みを浮かべているのだろう。

 

昔と、まるで変わらない。そしてそれは、もうグロリアには無いものだ。ああ、なんで気づかなかったんだろう。あの時普通を失った時から、グロリアは、***厶はもう⋯⋯⋯。

 

あれ?***厶って、なんだっけ?

 

 

 

 

⋯⋯⋯⋯⋯。

 

 

 

 

⋯⋯⋯⋯⋯。

 

 

 

 

それからの旅は、過酷なものだった。野営が明けてから、再び登山を開始し、山の薄い空気を肌で感じ取りながら必死に登る。

 

標高も数百数千と積み重なっていくと、そもそも危険というものが山以外無くなってくるようになった。だがその山がとにかく危険。その空気の薄さは、少し気を緩めれば意識を持っていかれる。

 

急な斜面は、滑落すれば死は免れられない。グロリア達は、北方につく前に早速死を意識した。だがそれでも進み続け、何とか山頂までたどり着く。しかしそれで終わりではなかった。

 

グロリア達の目的は登山ではなく北方諸国への侵入。しかもそこに潜入しての魔王に対する奇襲作戦の実行。山での危険など序の口だった。

 

山頂からは、北方の景色がよく見える。戦火に包まれているだろう北方諸国はしかし、山脈の上から見ると至って平和に見えた。それほど雄大な自然が広がっていたのだ。

 

だがそこには確かに、おぞましい悪意が今も蠢いている。見えないだけで、とても非人道的な事がそこで繰り広げられているのだろう。故郷の村がそうされたように。

 

 

「行こう。魔王を倒しに」

 

「ああ、必ず倒そう」

 

 

山頂では、吐く息は白く。吸う空気はトゲトゲしく。それはまさに、今後の試練の多さをグロリア達に伝えるには十分なものだった。

 

それから、グロリア達は山脈をくだり、北方諸国へと入っていく。山頂からは平和に見えた北方諸国も、いざ近づいてみると、酷く荒れていた。

 

焼け落ちた村々。その中に放置された無数の白骨死体。その光景は、あまりにも常軌を逸していた。徹底した破壊。まるで生物としての尊厳を無視しているかのような、無秩序なそれ。

 

それだけでも、魔王というのがどういう存在かはおおよそ理解できた。少なくとも、分かり合える相手ではない。歴史上を見れば、肌の色程度人種としての区分以外では気にする必要がないように思える。

 

だがこれはあまりにも、許してはならないものだ。

 

 

「ヴァ?───?────!」

 

 

ふと、声が聞こえた。それに、グロリア達は目を動かす。廃墟と化したその村落から視線を外し、その声の主の方へと。すると、その人物の姿がグロリア達の目に入った。

 

紫色の肌。骨格から違う別種の顔。僅かながら確かに異形を訴える漆黒の眼差し。どう見ても、魔族だった。

 

加えて剣を持ち、こちらに向かって何かを叫んでいる。応戦しない理由は、残念ながらなかった。

 

 

「行くぞカカ」

 

「うん。グロリア」

 

 

声掛けを合図として、互いに剣を抜く。

 

それによって目線の先にいる魔族は、より一層剣を深く構えた。もはや、和解の道は無いだろう。故に、まずはグロリアが、先頭を切って魔族へとその剣の先端を向けた。

 

 

「ウラァァアアア!」

 

 

剣を手に走り寄るグロリアに、魔族は威嚇の遠吠えをあげる。だがそれでグロリアが止まることはなく、むしろ剣を握る手には更なる力が込められた。

 

そして体を不規則に揺らし、攻撃の出処を相手からはわからないようにしながら、グロリアは魔族の元へと近づく。

 

やがて十数歩分はあった距離を詰め、グロリアは剣を振り上げる。相手を幻惑する動きをそのままに。そして、グロリアは、その手に何かを断ち切る感触を覚えた。

 

 

「ウギャアアアアア──!?⋯⋯あ」

 

 

グロリアの役目はそれでおしまい。武器を持っている手を断った。ならばあとは、首を断つだけ。それを理解している背後のカカが、油断なく、確実に剣を振り切る音が、グロリアの後ろ側で響いた。

 

これで戦いは終わり。呆気ないものだ。魔族と言えども、一応は同じ命あるものということか。

 

そこでひとまずの戦闘を終了させたグロリアは、剣から血を振り払い鞘に収める。それが終われば、グロリアは背後に振り返ってカカと北方での初戦闘の終わりを確認しあった。

 

 

「案外呆気なかったな。魔族は身体能力が高いと言っても限度はあるか。でもこんな北方の僻地でも魔族がいるもんなんだな」

 

「うん、そうだね。北方諸国はかなりまずい状況みたいだ。やっぱり魔王を早く倒さないと」

 

「だな」

 

 

状況の逼迫を感じ取ったグロリア達は、お互いその認識を共有しながら再び歩き出す。それから北方諸国の内部へと入っていくと、最初に遭遇した魔族と同じような輩に会うことが増えていった。

 

魔族の支配が、北方のあらゆる所に行き届いているという証だ。非常にまずい。早く魔王を討たなければならない。

 

しかしそんな焦燥を募らせど、旅程が縮むことはない。

 

むしろ、その焦りによって窮地に陥ることも多くなっていった。

 

 

「ぐ⋯⋯!?」

 

「グロリア!」

 

「気にするな!やれ!」

 

 

とある平原の只中で、グロリアは決して浅くない傷を負う。それにカカが心配の声をあげるも、今は戦闘の真っ最中。気にするべきはそこではなかった。

 

グロリアとカカ。両者ともにお互いを気にすることができるほどの余裕はない。だからそこでは、二人共が、ただひたすらに剣を握り、振るい続けた。

 

その執念もあってか、グロリアとカカを囲んでいた魔族の軍団は徐々にその指揮を崩壊させていく。やがてバラバラになったその軍団を決死の攻撃で削りきると、グロリアはその場で倒れ込んだ。

 

 

「くそっ⋯⋯体が⋯⋯動かねえ」

 

 

グロリアは、もう限界だった。最後まで手放すまいとしていた剣も、意識が掠れてきた事で自然と手放す。唯一最後に見えた光景は、そんなグロリアに、酷く動揺して手を伸ばすカカの姿だった。

 

そして、グロリアの意識は一旦そこで消え失せる。そこからしばらく、グロリアの意識は暗闇の上に揺蕩った。

 

何も考えれない。ただ虚無だけがある。しかしある意味それは、何よりも心地よかった。何も考えなくても良い。それはグロリアにとって、ある種の救いなのかもしれない。

 

しかしそんなグロリアを咎めるように、ふとその暗闇の中に何か温かみのある音が侵入してくるようになった。

 

パチパチ。パチパチ。と。不規則に、連なるように広がってくる音。それは眠るグロリアの意識を刺激し、目を覚まさせた。

 

 

「ん⋯⋯⋯んんん」

 

 

どこか、酷くかったるい。体に鉛でも括り付けているかのようだ。そんな感覚を感じながら、グロリアは目を擦る。

 

 

「あっ!グロリア!起きたんだ!でも安静にしてないと!」

 

「ん?ああ」

 

 

視界の外から聞こえてきた言葉に、生返事で答える。意識は回復してきたが、状況があまり理解できなかった。そこで辺りを見回すと、周囲は随分暗いのが伺える。

 

唯一それを照らすのは、火の粉を弾かせる焚き火か。そしてその焚き火の前に、グロリアの顔を覗き込む誰かが入る。いや、ああ。

 

 

「お前カカか。俺はどうなった?」

 

「う、うん。幸い死ぬほどの怪我じゃなかったけど、もう随分旅をしてきたから資源も少なくて⋯⋯その」

 

「回復は難しい⋯⋯ってところか」

 

「うん、そうなるかな」

 

 

落ち込み気味のカカの顔を見ながら、グロリアは考える。資源は少なく、回復の見積もりはない。そういう者が出てきた時どうするか。通常の行動ならまだ判断はつく。

 

だが非常時は?それはその非常時の時付いている任務の重要度から考えるべきだ。そう考えていると、ふと、そこに風が吹いた。それに後押しされて、グロリアは咄嗟に今まで考えていた悩みを口にする。

 

 

「⋯⋯なあ、カカ。変な事を聞くが、過去に拘るのは悪いことか?」

 

「それは、どうだろう。一概に悪いとは言えないかな。でも、もし過去に固執して、今の現実を直視できないなら、その過去は捨てるべきだと思う。どうやったって、人間は過去に戻れないんだから」

 

「⋯⋯そうか。ならカカ。俺をここに置いてけ。俺はもう過去の人間だ。未来に生きることはできねえ。そんな奴を前にした時、どうするか?お前ならわかるよな?」

 

 

匂いがする。獣の匂いだ。

 

風に乗って、やって来る。

 

 

「それは⋯⋯!わかるよ!でもまだ未来が無いと決まった訳じゃ!北方諸国だってまだどこか残ってるかも⋯⋯!」

 

「カカ。何度も言わせるな。俺の状況は俺が一番わかってる」

 

「⋯⋯⋯⋯⋯」

 

 

場に、重い沈黙が走る。もう、時間は残されていなかった。だからこそ、グロリアはきつい言い方をする。

 

そのかいはあったのか、カカはそこから僅かな沈黙を経て、荷物を纏めだした。そう、それでいい。グロリアは思う。カカはいつだって未来を見てきた。そういう奴だ。

 

だからこそあとを託せる。

 

 

「本当に⋯⋯⋯」

 

「あ?」

 

「本当にグロリアは、***厶はそれでいいんだね?僕なんかに、あとの全てを任せて、いいんだね?」

 

「ああ、何度も言わすな。是非もねえ。当然のことだ。お前はただ前を見て、まっすぐ進め。そうすりゃきっと魔王を討ち滅ぼせる。期待してるぜ?じゃあな。親友」

 

「うん⋯⋯さようなら。僕の親友」

 

 

荷物を纏め終わったカカが、何かを断ち切るように顔を背け、森林の暗闇の中へと消えていく。きっとカカなら、魔王を倒してくれるだろう。

 

それにもし、仮に倒せなくても、未来へ進んだというその一歩は、きっと正しい。だから願わくば、かの勇者に祝福を。そしてグロリアの、***厶のこの行為が、勇者の一助とならんことを。

 

 

「今日は死ぬにはいい日だ」

 

 

暗闇の中、ひとりでに輝く焚き火のそばで、***厶は立ち上がる。なんとも、爽快な気分だった。何かを得たからだろうか。そういえばそう、俺は***厶という名前なのだった。

 

 

「出てこいよ三下共。全員切り裂いて俺の墓場の養分にしてやるぜ。安心しな。ひとりも仲間はずれは作らせねえからよ」

 

 

焚き火からは逸れた暗い森林。その奥に向かって言葉を投げ掛ける。通じるとは思っていない。所詮相手は人ともつかぬヒトモドキ。いわば獣なのだから。

 

 

「ズイブン威勢ガイイナ。面白イ。ヨキ戦士ヨオヌシハ」

 

「おお、話せるやついんのかよ?じゃあ最後に名乗っといてやろうか?」

 

「オヌシ程ノ戦士ノ名前。キケルナラキイテオコウ」

 

 

森の影から、紫色の異形が姿を現す。ぬる⋯⋯⋯っと、まるで初めからそこにいたかのように何人もの異形が暗闇から現れた。まさに絶望的状況。だが***厶に恐怖はなかった。

 

 

「俺はラーディクス=エイバム。未だに過去を忘れられない!大バカ野郎だよッッ!!」

 

 

名乗りと共に、そばに置いてあった剣を手に持ち振り上げる。その剣閃は、これまでのどんな一撃よりも、綺麗な軌跡をそこに残した。

 

 

「善キ哉。ツヨキヒトヨ」

 

 

異形の言葉が、耳に残る。視界が、空に舞う。俺は、ラーディクス=エイバムは、最後に何か残せただろうか?

 

「現実を直視できず過去に固執するようなら、それを捨てるべき」それがカカの、お前の答えだとして、俺はそれに、応えられただろうか?最後に、今を、未来を見ることができただろうか?

 

分からない。けれど少なくとも、エイバムは、カカの行くその先に、未来を見た。今までは見えなかったものが、なんとなく見えた気がした。

 

不思議な話だ。これから死にゆくエイバムにはもう何も見ることもできないのに。それでも確かに、エイバムは未来を見た。

 

それはきっと、普通という名前の過去に執着していた人間が、初めて見た現実。それはかくも、残酷で、けれど希望に満ちていた。


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