初恋の従兄弟がアメリカで行方不明になった   作:かりほのいおり

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家出の夏

 1

 

 もし本当に、家出をするなら冬にしよう。

 極めて模範的な学生として学生生活を送って居たから、不良娘とは縁が遠く、家出の経験なんて一度もなかったし友人に経験者なんてものもいなかったから、それがどういうものか知る機会は一度なかった。

 

 ベッドで横になって天井をぼんやり眺めて居たのが、昨日の23時ぐらいのことだった。

 晩御飯の冷凍ドリアと適当に電子レンジで温めた冷凍ブロッコリーが胃に溜まって、特に何もやる気力がなかった。

 ブロッコリーの一食分の適正量がわからないのが、きっと一番悪い。

 

 食事に無頓着だったから適当に冷凍庫の余り物を目分量で使った。答えを教えてくれる人はこの家には今はもうない。といっても、明日にはみんな帰ってくるのだけれども。

 一人で晩御飯を食べ始めて今日で三日目。両親は一週間前から二人で水入らずの旅行中、そこから少しの間、甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれた我が弟は数日前から部活の夏合宿中。

 

 弟は私と違ってちゃんと料理ができる、私にできるのは電子レンジを使うことぐらい。

 まあ世の中、冷凍食品なんて便利なものがあるのだから、別にそれでも生きていくのに困るなんてことはないのだけれども。

 

 そんな役立たずの私がひとりぼっちで寂しく家に残っていたのは、受験生という身分だったから。

 もう目の前に迫った大学受験に備えて、予備校の夏期講習もあるから自宅に縛られてどこにも行けやしない。

 

 別に私が望んでいきたいわけではなかったけれども、なんとなく大学受験を目指した私が、周りが夏期講習を受けるという話を聞いて、なんとなくその流れに乗るのも無理もないことだった。

 勉強なんて全く楽しいと感じないけれども、なんとなくの流れに乗るのは嫌いじゃない。

 

 効きすぎたエアコンを止めれば、耳鳴りが襲ってくる。明日からこの家も少しの喧しさを取り戻すのだろう。今の場所は、がらんとしすぎて、どうにも落ち着かない。

 

 今更ながら寂しいな、と思った。

 この胸にぽっかり空いた穴を埋めるために、みんなは彼氏や彼女を作ったりするのだろう。

 高校生活の中で結局、彼氏が出来るなんてことはなかった。この夏休みの間も、その先も、勉強に追われてそんな余裕もなくなるのだから、そんな存在が現れる余地はないだろう。

 

 今付き合ったところで、その相手と一生付き合うわけじゃないと冷ややかな目で見ていたけれども、どうにも彼女達は自分より先を進んでいたに違いなかった。

 それに比べて私はこの三年間何をしていたというのか、助けてくれーと叫びたくなる気持ちはグッと抑え込む。

 ここだよ、ここに居るんだよと私が助けを求めたら、誰かここに助けに来てくれないだろうか。そしてどっかに連れ出してくれれば、きっと何かが始まるんじゃないか、根拠のない妄想だけが取り留めもなく続いていく。

 

 夢の中で私の手を引いて前を歩いてくれるのは、決まって旭お兄ちゃんだった。

 最後に、あの正月に会った時から姿が変わることはない。一生情報のアップデートがされないから、ずっと時が止まったまんま。

 今はこんな感じじゃないだろうか、とか、勝手な補正をかける事も無く、ただ一人昔に取り残されている。

 

 結局、この三年間ずっと旭お兄ちゃんは私の中で行方不明のまんまだ。

 正月にお婆ちゃん家に親戚一同が集まった時も、旭お兄ちゃんのことが話題に上がることはなかった。

 お爺ちゃんと同じく、半分タブー扱いされてるから、私も迂闊に踏み込めなかった。

 

 叔父さん、つまりは旭お兄ちゃんのお父さんは昔と変わった様子はない。ただ朴訥とお酒を飲むばかりで、お酒の量が減ったわけでも増えたわけでもなさそうだったから、精神的には問題がないのだろうと予想が付いた。

 

 なおさら訳がわからないのだけれども、そうして平然と過ごせるのならば、やっぱり旭お兄ちゃんはどこかで安穏と暮らしているような気がして、少しだけホッとしたのも事実で。

 

 だから尚更ムカついた、早く既読をつけろよバカヤロー。姉ちゃん、俺も既読ついてないよという弟の慰める言葉も黙殺されたのも今は昔。

 念のためスマホを取り出して、旭お兄ちゃんとのトーク画面を開けば、やっぱり既読はついていない。

 

 ほんとにもう、人の気持ちも知らないで。

 発作的に助けてよと打ち込んで、深く考えないまま送信ボタンを押した。そのまま充電コードを差して、頭の上に放り投げる。

 

 人の気持ちを勝手に掻き乱して、何も言わずに居なくなって、居なくなるなら居なくなるでちゃんと決着をつけてから消えてくれればいいのに、そうしてくれなかったから未練が尾を引いて残っている。

 

 だから、私が彼氏を作れないのは、どう考えても旭お兄ちゃんが悪い。

 そう結論づけて、私は目を閉じた。

 

 

 

 明かりがつきっぱなし、エアコンも切りっぱなしというダブルパンチから浅い眠りも途中で覚め、枕元にそれらをひとまとめにしたボタンが欲しいなと思いながらまた眠りに付く。

 

 今度こそちゃんと眠れると思ったのに、うとうとしてる途中で、こんな時間に設定してないはずのアラームが鳴って、寝ぼけ眼で拒否ボタンを押した。

 

 何時だと思ってるんだ、という思考が解けて溶けて、次にアラームが鳴ったと思えば、もう朝の6時である。

 いつものようにアラームの設定画面から二度目の通知時刻を解除して上にスワイプ、昨日から開きっぱなしのトーク画面を見て、おもわずギョッとする。

 

『助けてよ』

 こんな文、私が送ったっけ? 送ったな、確かに。明らかに冷静ではないし今から無かったことにしたいんだけれども、今更送信取り消ししたところでどうにも間に合わなそうだった。

 だって、既読がついてるから。

 

 というか、既読だけじゃなく返事も届いてるし、なんなら通話のキャンセル履歴まで残っている。

 記憶にございませんと言いたいけれど、うっすら拒否ボタンを押した記憶があるようなないような、冷静に考えればアラームを解除するのに拒否なんてボタンはない。

 あるのは解除のスワイプと停止のボタンだけ。

 

 千載一遇のチャンスになんてことをしてるんだ、私は。『大丈夫?』という返事を見ながら、思わず頭を抱え込む。

 全然大丈夫なんだけど、全然大丈夫ではなかった。どう収拾をつければいいんだ、取り敢えず通話ボタンを押してみる?

 流石に、もう大概めちゃくちゃとはいえ、そこまで踏み込む勇気はなかった。そのためにはちょっとだけの時間と助走が足りない。

 かといって『やっぱり大丈夫です』なんて送る気もなくて、パッと脳裏にいい考えが閃いた。

 

『今、家出をしてるんです。でも何処にも行く場所がなくて』

 

 2

 

 直接顔を合わせなければいくらでも嘘をつくことが出来る。こんな夏真っ盛りにこんな快適な家をほっぽり出して家出をするなんて、一ミリも考えたことはなかった。

 そんな石頭であるから、もしも私が家出を想定したら、なんて想定もそんなのあり得ないだろと否定から入ってしまうし、あまりに馬鹿馬鹿しすぎて、自分で自分の発言を信じていないのだから面と向かってそんな建前を並べたところでどうにも白々しい嘘になるに違いなかった。

 

 そもそも何処にも行く場所がないなんてこともない、家出をするなら友達の家でも転がり込むなり、溜め込んだお小遣いで映画館に引き篭もるなり、図書館で今まで食わず嫌いをしていた作家の本でも読み漁るなり、行きたい場所はいくらでもあった。

 

 まあそんな行く先の候補も、到底家出する人の考えではないような気がするけれども。

 とにかく、言葉だけなら旭お兄ちゃんにバレる必要はなかった。

 

 鞄に仕舞い込んだのは今まで溜め込んでいたお小遣いとスマホと、モバイルバッテリー。着替えを入れるか少し悩んで、取り敢えず入れないことにした。

 

 相変わらず燦々と輝く太陽にアイスクリームみたいに溶かされそうになりながら、駅へと辿り着く。予備校がある方面とは逆の、旭お兄ちゃんのいる街へ。

 

 今日も夏期講習の予定だったけれど、旭お兄ちゃんと天秤に掛けたらあっさりとどっちに向かうべきかは決まった。

 多分、一日だけだから許してね母さん。

 出来れば一日程度の欠席で親に連絡が来る様な学校ではありません様に。ここら辺、どういう仕組みになってるのか、学校生活では皆勤賞を続けていた私にはどうにもわからない。

 

 電車に揺られて、乗り換えを続けて辿り着いた先は知らない駅名。二度の乗り換えを挟んで一時間半ぐらいの旅路だった。

 

 事前に調べたところ、駅の近くに旭お兄ちゃんが通っていた大学がある様だった。

 今の自分には天地がひっくり返ってもいけない様なそんな場所。あの人は大学を卒業してからずっとこの街に住んでいるのかも知れない、きっとそんな気がする。

 

 トイレの鏡の前で身嗜みを確認。

 ちゃんといつも通りに可愛い、はず。できる限るのオシャレ、レースのついたブラウスにお気に入りのスカートをわざわざ引っ張り出してきたのだから、当然といえば当然である。

 

 軽く頬を叩いて、改札を出る。

 大学がすぐ近くにある学生街らしく、土日だというのに若者の姿がたくさん見えた。集合場所はすぐに目についた大きな銀色の球。

 スマホを取り出して、着きましたと送ればすぐに既読が付いた。

 目印は、多分言わなくていいだろうという判断。

 会うのはだいぶ久しぶり、それだも旭お兄ちゃんならきっと気づいてくれるだろうという予想というか、願望というか。

 まあ気付かれなくても、見違えるほど可愛くなっていたから気付かなかったなんて、歯の浮く様なセリフを言ってくれれば120点だけれども。

 あの人、絶対そこまで気が回らないだろうしなぁと思いながらキョロキョロと周りを見渡す。

 見た感じ、まだあの人は着いていなさそう。

 

 ふと、思わず視線を止めてしまった。

 なんか、周囲の耳目を一身に集めるものすごい美人がいた。

 彼女が頭を振るたびに黒い綺麗な長髪が左右に揺れる、いかにもと言った感じのお淑やかそうな文系美人。格好にはほとんど気を使ってないのか、雑にデニムに冴えない黄色?のシャツを羽織っていた。

 半袖から伸びる腕は、おそらくほとんど家に引きこもってるのか、目に毒なほど白い。

 

 押せばあっさり飲み込まれそうなぐらい弱気な性格に見えるのは、猫背で度の強い眼鏡を付けているからだろう。

 ついでに言えば落ち着きがない、オドオドとしながら誰かを探している様子なのもあって、思わず助けてあげたいなという気持ちにこっちが駆られてしまう。

 

 その気持ちになっていたのは私だけではなかった様で、気がつけば彼女は推定男子大学生に話しかけられていた。

 顔の色が面白い様に赤くなったり青くなったり。あれだけの美人で男慣れしてないとかあるんだ、そういうこともあるもんだなと思いつつ、私は彼女の背中に近づいた。

 

「あの、大丈夫ですか? 困ってることがあれば手伝いますけど」

 

 彼女が何をしたいのかはわからないけれども、目の前の男たちから離れたければきっとこの話に乗ってくれるだろうという我ながら冴えたアイデア。二人の視線を浴びながら胸を張って堂々と立っていた。

 立ち直るのが早かったのは文系美人の方だった。キョトンとした顔から一瞬で眩しい笑顔がパッと咲く。

 

「エミちゃん!」

 

 誰だよ、エミちゃんって。

 あ、私か。伏見 エミって私の名前だったわ。

 じゃあ私の名前を知ってるこの人は誰?

 

「すいません、初対面で馴れ馴れしく私の名前を呼ばないでくれませんか?」

 

 ピタッと笑みを凍り付かせて動きを止めた彼女を横に、付き合ってられんとばかりに大学生らしい人はどこかへ去って行った。

 ミッションコンプリート、私は彼女を置いて再び鉄球の前に戻る。

 

 ヨヨヨと涙目で文系美人が隣をついてきているが無視、冷静になるために1から順番に2を掛けていく。

 1 2 4 8 16 32 64

 128 256 512

 1024 2048……

 

 一旦深呼吸。

 まず第一に私は彼女に見覚えはない。

 第二に私がここにやってくるのを知っているのは旭お兄ちゃんだけ。

 第三に旭お兄ちゃんは今の所この場にいない。

 ここから導き出される答えは。

 

 ちらっと隣に視線を向けると、じっとこっちの顔を見つめていたのか文系美人はへらりと笑みを返してきた。

 このぎこちない笑い方が、なんともグッと刺さる。何人もの男がこの毒牙にかかったに違いない。

 

「ぎぃえええええぇぇぇ……」

 

 蛙を踏み潰した様な音が鳴り響き、文系美人が驚いた顔をしている。何処からこの音がしているのか、周りを見渡しても音の発信源がわからない。試しに自分の口を塞いでみると、ピタリと音が止んだ。

 これは失敬と周りの訝しげな目線にペコペコと頭を下げてやり過ごす。

 

 どうしても認めたくないが認めるしかないんだろう。震える膝を叩き、喝を入れる。

 だって旭お兄ちゃんももう25歳ぐらいだし、当然それがいてもおかしくないのだ。

 

 つまりは、恋人。

 この文系美人は九分九厘、旭お兄ちゃんの彼女だろう。どういう経緯かは知らないけれど、お兄ちゃんの代わりに私を迎えにきたに違いない。きっとそうだ。

 これで全部辻褄が合ってしまう。

 悲しいが、これが現実だ。

 涙を飲んで乗り越えよう。

 

 文系美人に向き直り、私は告げる。

 

「……旭お兄ちゃんによろしく伝えてください」

「え、ちょっと、どういう話の流れでそうなったの?」

「わからないんですか? 旭お兄ちゃんの彼女なのに」

 

 周囲に該当する人物を探しているのか左右を一度見て、私のこと?と自身を呼び指してるのを頷いて返す。

 お前以外いないだろ、隣のおっさんがどうやってお兄ちゃんの彼女になるんだよ。

 

「結局旭お兄ちゃんは私に会ってくれないんですよね。何も言わずに居なくなって、久しぶりに連絡がついたかと思えば、代わりの人を寄越してきて、あの人が何を考えてるのか私にはわからない」

 

 旭お兄ちゃんに失望した、というのはきっと正しくない。

 彼にとって、私が結局その程度の立ち位置でしかなかったということに今更気付いて、それがどうしても悲しかった。

 

「でも、ちょっとだけ安心しました。旭お兄ちゃんにも隣にいてくれる人がいるって分かったから、きっと今でもひとりぼっちなんじゃないかって思ってたから、それなら寂しくていつか死んじゃうんじゃないかと思ってたんですよ?」

 

 私にとっては良い状況ではないけれども、旭お兄ちゃんが最悪の状況ではないということは私にとっての救いだった。

 それなら、頑張れる。

 だって自分の恋は三年前に一度終わってるのだから。もしかしたら残っていたのかもしれないと、陽炎を追ってここまでやってきたけれど、現実を再確認したに過ぎない。

 

「……きっとエミちゃんは何か勘違いしてると思うんだ」

 

 彼女の漏らした言葉に思わず首を傾げる、私が何を勘違いしているというのだろうか?

 

「そもそも僕は君のいう旭お兄ちゃんの彼女じゃないしね」

「……じゃあ何だって言うんですか」

 

 っていうかこいつ、ボクっ娘かよ。あまりに属性過多すぎるだろ、こいつ何人男を喰ったんだろと私の失礼な想像を知らないまま、彼女は下手くそな笑みのまま、ポケットを漁っている。

 取り出したのは財布、そこから引き出された運転免許証。

 

 戸山 旭、とそこに名前が記されている。

 不思議なことに写真は目前にいる文系美人のものだが、同姓同名だろうか?

 不思議なことに誕生日まで一緒だ。

 

「……おお」

「要するに僕が旭なんだ、っていきなり何をするの!?」

 

 無造作に腕を伸ばして胸に触れていた。すぐに跳ね除けられたけど、物凄く柔らかかった。

 ぐにって、ぐにって偽物には出せない様な感触で。

 

「……旭お兄ちゃんはアメリカで行方不明になったんですね」

「それはお爺ちゃんだからね、いやお爺ちゃんも行方不明ではないんだけどさ」

「訂正します、旭お兄ちゃんはタイで行方不明になったんですね……」

「僕は性転換手術を受けたわけじゃないからね!?」

 

 だばーっと涙がどうにも止まらない。

 今なら1L分の涙が出る、そんな気がした。

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