初恋の従兄弟がアメリカで行方不明になった 作:かりほのいおり
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答えを知ったら、何がどう変わるんだろうか。
それは旭お兄ちゃんにとって良いことなのだろうか?
もしかすると私にとっては悪いことなんじゃないだろうか?
全部うまくいってお兄ちゃんが復縁することになったらそれこそ本末転倒だろう。
そう分かっていながらも、私は何も止めようとしなかった。
千鶴さんだったか、お兄ちゃんの元カノの名前は。
彼女がお兄ちゃんを好きになった理由はなんだったのだろうか?
直接聞いたことはあったのかなんて尋ねてみたけれど、お兄ちゃんはなんともいえない表情をするばかりで具体的な答えを持ってはいなさそうだった。
また、別方向から攻めようと『そうではなくなった』という問いに移ってみたところで、お兄ちゃんはまだ答えを持ち合わせていないのだから前までどういう形だったのか、そしてそれが今となっては元通りに戻ったのかを知らなきゃいけない。
当然、私にはわからない。
性別は変われど、旭お兄ちゃんはなんも変わっていないように見えた。
だから相変わらず好きだと思う。もちろん容姿が可愛らしいっていう不純な理由はあったけれども、元々好きになった理由も外見ではなく中身であったから、そこまで影響がなかったとしか言いようがない。
ほぼ信仰に近い形なのかもしれないけれど、それでも構わないと私は思っている。
話を戻して、千鶴さんといた時のお兄ちゃんのことを私はほとんど知らない。
彼女と出会った頃も、付き合っていた時期も、私とお兄ちゃんの関わりが薄い時期であったから、もしかしたら今と違う一面が覗いていたのかもしれない。
もしそうだとすれば、千鶴さんのことを少しだけ羨ましいなと思ってしまう。
ああ、私は負けてたんだなと気付いてしまうから。自分が辿り着けなかった場所まで行けたってことはそういうことだろうし、そこまで踏み込んで引き返すことが信じられなかった。
もったいない、と感じてしまう。
だから、私は千鶴さんと話をしてみたいと思ったのだ。
私がいなかった時期に、旭お兄ちゃんと深く関わっていた人と会って、あの人のことをどう思っていたのかを知りたくて。
それはきっと悪いことではなく、良いことに繋がっているような気がしたのだ。
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拝啓、旭お兄ちゃんへ。
私を集合場所であるファミレスへ先行して向かわせたのは、理由を鑑みれば仕方のないことだとわかっています。
しかしながら、この状況を見ればその選択が間違いだったということにすぐに気づくでしょう。
私と彼女を繋いでいるのは原稿用紙、千鶴さんは額に青筋を立ててクエスト目標を全力で強奪しようとしていた。
「離し、なさいよ……!」
「私と少しだけ話してくれれば、離しますよ……!」
ギリギリと引き絞られる旭お兄ちゃんの原稿。
私の握力は現状のところ問題なく、手から無様に引っこ抜けるなんてことはないから、ただ体重を掛けて動かないように体ごと持ってかれないように耐えるだけではあるのだけれども。
どうしてこうなったのかを思い返す。
集合時間より早く、一足先についてしまって小休止。
ドリンクバーの目の前で何を淹れようか指を指してゆらゆらと彷徨わせていた。
そういえば昨日旭お兄ちゃんが入れた紅茶の香りが良かったな、どこかのフレーバーティーだか知らないけれど、忘れないように後で教えてもらおう。
できるだけ、安いやつならお小遣いで買えるしいいのだけれども。
そんなことを考えながら、それまでの思案と全然関係ないオレンジジュースのボタンを押して。
店内に軽く鳴り響いたドアチャイムの方に顔を向ければ、ウルフカットの如何にも出来る女というタイプの人が入ってくるところだった。
っぽいけれど、確信には至らない。
写真立てで見た時はもっと髪も長かったし、雰囲気も微笑んでいたせいか、今よりだいぶ和らいで見えていたから、今のあの人とは少し離れて見えた。
なんというか今の彼女は、話しかけたら他人に噛みつきますよみたいな剣呑なオーラを纏っている。家先にも猛犬注意のシールがきっと貼られているに違いない。
その調子で店員にも対応してるから、ほら、店員さんの笑顔をも引きつっているよ。
可哀想に、まあ給料分の仕事をしたまへよ。
そう心の中でつぶやいていると、その店員が切れたナイフを背後に引き連れて、予想通りに私のテーブルへと向かってきた。
ほらきた。
背筋をピンと伸ばして、推定千鶴さんのレーザービームが如き視線をがちんと受け止める。
こういうところで気圧されて、視線を逸らしたら負けなのだ。
舐められたら負け。
女同士の争いだからというわけではなく、これは旭お兄ちゃんを交えた聖戦であるからにして。
どかっと音を立てて、千鶴さんは私の向かいの席に腰掛けた。
『私、不機嫌ですよ』みたいな失礼な雰囲気だけど相手にしない、萎縮もしない、ただ無視だけしてニコニコと笑顔を浮かべている。
多分、きっと、今はちゃんと笑えているはず。
「……旭の原稿はどこ?」
「ちゃんと持ってきてますよ、ほらここに」
挨拶も抜き、名乗りもなし。
美人だから許されるとかそういうラインの話ではないような気がした、それが通じるのは男だけだ。
旭お兄ちゃんなら、まあ笑って許すような気がしたけれど、私はそうじゃない。
が、それを表に出すことはしない。
旭お兄ちゃんの元カノだから。哀れな負け犬……負け犬なのだろうか?
とにかく去ったものには情けをかけているのが人としての優しさだろう。
そこまでは、そういうラインの話だった。
柄悪いな、雰囲気悪いな、とは思っていたけれど。まだ、旭お兄ちゃんの選んだ相手なのだから、少しはちゃんと話が通じると思っていたのだ。
不機嫌なら不機嫌なりに対応してくれるんじゃないかと信じていた。
だから、それは私の甘さのツケだった。
無防備に机の上に持ち出した原稿を見た瞬間、千鶴さんの目が光ったような気がした。
にゅっと彼女の手が伸びてきて、私が持つ原稿用紙の上側を両手で掴んだかと思えば、そのままスタスタと立ち去ろうとする。
幸運の一つ。
あまりの驚きに私がぎゅっと体を硬直させてしまったこと、だから原稿用紙だけ引っこ抜かれるなんて無様な負け方をすることはなかった。
私を信頼して送り出してくれたお兄ちゃんのためにも、ここであっさり負けたら素直に報告できるはずがない。
ハッと意識を取り戻す。
そうだ、ここで逃すわけにはいかないのだと。気が付けば元のテーブルから離れて、私と千鶴さんが原稿によって繋がれたまんま、通路に出ていた。
慌てて足の踏ん張りを入れて、拮抗状態に持ち込んで。
そこから状況は今に至る。
助けてお兄ちゃん、こいつはまともじゃないよ。
内心で泣き言を呟いたところで私はここで孤立無援の一人きり、他は遠巻きに好奇の目をぶつけてくる客と「お客様の邪魔になりますから……」と隣で慌てふためくばかりで役に立たない店員、どちらのなんの役にも立たない。
「いい加減に……してよっ!!」
グッと一段、彼女から引く力が強くなった。
次の瞬間、ビリッと何かが破けるような音がした。
それは、ダメだろう。
お兄ちゃんのものを傷付けるのは、他の何を置いておいても許せなかったから。
咄嗟に原稿用紙から手を離したのと、やってしまったみたいな表情の千鶴さんが勢いそのままにもんどり打って倒れるのはほぼ同時だった。
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「幸いなことに、原稿用紙に大した損傷はありませんでした」
結局私の手から失われた原稿一通り目を通して問題ないことを確認して、ようやく顔を上げるなり、その言い草。
お兄ちゃんの元カノ、千鶴さんは顰めっ面でさもあんたが悪いんでしょ、みたいな風にしゃあしゃあと言っているけれど、8歳ぐらい年下の幼気な女子高生から人のモノを強奪未遂かましといて何を言っているんだという感じだ。
頭にコブができたと眼を潤ませる彼女を私がついていたテーブルに押し込んで、私は対面に腰掛けていた。
とりあえず破れてないか確認してください、終わったら話をしましょうと要求だけを突き付けて、結局その言葉が効いたのかわからないけれども、とにかく千鶴さんは今のところは席から立とうとしなかった。
そのまま原稿を鞄の中に放り込み頬杖ついて、こっちに言葉を投げつけてくる。
「で、あんたは旭のなんなの?」
「えっと……エミです、旭お兄ちゃんから聞いてませんか? 従兄弟同士の関係で、子供の時からの付き合いで」
「それは聞いてるけど、聞いてないマウントはやめてよね、大事なのはそれが本当かってこと」
「本当かって、私が嘘つく必要がないじゃないですか」
目もとがピクピクするが、笑みは絶やさない。
千鶴さんが訝しげにこっちの顔を覗き込んでくるが必死に我慢、一通り見つめて満足したのかハンッと鼻を鳴らした。
「そう、じゃあやっぱり、あんたは旭の対象外なんだね」
「対象外の意味がわからないんですけど」
「ちゃーんとわかってるでしょ、自分が旭の恋愛対象外に含まれてるってこと」
もう温み切ったオレンジジュースをストローも使わずに一気に口の中に流し込んで、千鶴さんに向き直る。
「そうですけど、何か問題でも」
原液を水で割った安っぽい、うっすい爽やかな酸味が、まだ口の中に残っていた。
そんなことをわざわざ貴女に言われなくても、ちゃんと私だってわかってるつもりなのだ。
どこまで行っても今の所、私は旭お兄ちゃんの妹分にしか見られてないってことに、歳の離れた妹ぐらいとしか思われてないってことぐらい、ちゃんとわかっているつもりなのだ。
「じゃ、それを踏まえた上で従姉妹様は何をしにここにきたの?」
「私の知らない旭お兄ちゃんのことを聞きにってのが半分、お兄ちゃんのお願いが半分、何か問題でも?」
「別に、なーんも。聞いたところでその立場は何も変わらないと思うけどね」
それを決めるのは私だ、あなたのいうことじゃないだろう。
「恵まれた権利を自ら投げ捨てた貴女と違って、そうでもしないと私には前提条件にすら到達できないんですよ」
「あら可哀想、憐れんであげましょうか」
「どうぞご勝手に、最後に勝てば全部チャラにできるからお気になさらず。全部笑って流せる過去の思い出として消化しますもの」
おほほ、うふふ、と両者の間に笑みが飛び交う。やっぱり旭お兄ちゃんがこの場に居なくてよかった、こんな泥臭い喧嘩見せたら幻滅されてしまうところだった。
私含めて、千鶴さんの良いところだけの思い出を抱えて生きてほしいという我儘。好きな人には良い思い出だけを背負って欲しいという願いがあったから。
まあ、その千鶴さんに旭お兄ちゃんは捨てられたんだけども。
あの人の背中にはバッサリ大きな刀疵がついてるんだけども。
兎にも角にも、時間を作らなければいけない。
最悪の初対面から少しでも関係を改善するべく、私は口火を切った。
「千鶴さんって、旭お兄ちゃんのどういうところが好きになったんです?」
「あら、人に尋ねるなら自分から答えるべきじゃない?」
「そうですね、私は――「私が旭を好きになった理由は顔よ」」
思わず口をつぐんだところで、千鶴さんはタブレットを操作して適当に何かを注文していた。
「ちなみに嘘よ、それだったら私は旭の性別が変わったから好きじゃなくなったってことに繋がっちゃうじゃない」
「なんでわざわざそんなフェイントを入れてくるんですかねえ……」
肩がわなわなと震えるけれども、必死に我慢。
落ち着け、手を出したら負けだぞ私。
男は服部、女は愛嬌、それが大事ってユニコーンでも歌っていたし、そもそも拳で語ったら人として終わりだ。
「てっきり、エミ……ちゃん? 呼び捨てでいい? そう、じゃあ呼び捨てて呼ばせてもらうけどエミは旭のことを、ただ年上の憧れの従兄弟だから好きなんじゃないかって私は勝手に思ってるから」
「だとしたら、どうなんですか?」
「それだったら別に、旭じゃなくてもいいんじゃないって言いたいの。きっとエミは旭が別の誰であろうと、憧れの年上の従兄弟として好きになったんじゃないの?」
「だから、わかりやすい言い訳を準備してあげたの」と千鶴さんは言った。
そういう逃げ道があれば楽でしょう、と。
そう彼女が語っているうちに、テーブルの横に猫型の配膳ロボットがやってきた。
載っているのはちっちゃいパフェ、千鶴さんはそれを受け取って猫の頭を撫でたかと思うと、少し気恥ずかしそうに受け取り完了ボタンを押した。
どうやら、ただボタンの位置を間違えただけらしい。
それを見ながら、私はじっとしていた。
別に彼女の言葉に内心をほじくり返されてびっくりしていたとか、そういうわけじゃない。
だって、それは私がとっくに通り過ぎた道だから。
「千鶴さんの言うとおり、私は旭お兄ちゃんのことを、少し離れた年上の従兄弟という関係を、もしかしたら恋愛感情だと誤解してるのかもしれません」
ちゃんと反撃の為の銃弾は込められている。
丹念に丹念に磨き上げられて、ずっと胸の奥底に秘めていた。
「でも、私は旭お兄ちゃんが書いた世界をもっと知りたいと思ってます。この感情だけは、従兄弟同士という関係を抜きにして語れるモノだと胸を張って言えるから」
「じゃあ、旭の成果物に恋をしてるんだ」
「違いますよ、千鶴さん。私はあの人を知りたいんです。こういう世界を作れる人を知りたい、知った上で、今より前に進みたいと思ってるんです」
もう旭お兄ちゃんというより、旭お姉ちゃんではあるけれども、この感情が変わってないことは今の問答で再確認できた。
私は、旭お兄ちゃんの事が好きだ。
今も昔も、ずっと変わらずに。
「私は、ちゃんと教えましたよ」
さあ、攻守交代だ。
無表情でパフェを突っついてる千鶴さんに問いかける。
「千鶴さんが、旭お兄ちゃんを好きになった理由を教えてくださいよ」
「……私もね、旭が見る世界が好き」
千鶴さんはスプーンを置いて、ポツリと言葉を漏らした。
「ドジだし、おっちょこちょいだし、人にすぐに影響を受けて意味不明なことを宣ってたりするし、料理しろって言ったらゆで卵を料理だと言い張ろうとするし、何かあればすぐに逃げ出そうとするけれども……私はね、旭が作る物語が好き」
「……ゆで卵は料理ですよ」
「ゆで卵は料理とは言わないわ、目玉焼きもそう、ハムエッグも当然そう、素麺を茹でるのもそう、せめてカルボナーラぐらい手を加えてから料理と言い張りなさい」
言葉の途中で茶々を挟むことになったけれども、どうしても看過出来ない発言だった。
抵抗虚しく料理できない女とレッテルを無事貼られたまま、千鶴さんの話は進んでいく。
「それをね、少しでも他人に共有しようと努力する彼の姿はずっとずっと好きなの、自分が見ているものが偽物じゃないって叫んでさ、一人でずっとのたうち回って、足掻く姿も好きなの」
フツーに性格悪いな、と思ったけれどもにっこりと笑みを返す。わかりますよその気持ち、みたいなお面を付ける。
全くわからないけれども、まあ書いたものを好きという気持ちは多分一緒だろうから。
「そのバカっぽい笑い方、やめなさい」
すぐさま笑みを引っ込めて、パフェがまだある程度残ってるのを見て再度飲み物を入れようと席を立つ。
オレンジのボタンを再度押しつつ、千鶴さんが旭お兄ちゃんを好きになった理由は、意外とすぐわかったなと一つため息をついた
じゃあ、何も書かなくなったから千鶴さんは旭お兄ちゃんから離れたのだろうか。
それは違うだろう、確かに書くことは止まったが、それは彼女が離れた後の出来事だ。
その前に、何かが変わったはずなのだ。
変わってないように見える旭お兄ちゃんは、今もどこか変わってるというのだろうか。
溢れそうになったグラスを見て、慌ててボタンから手を離す。
あとどれぐらい、私は時間が稼げるだろうか。
きっと、間に合いますように。
そう祈りながら千鶴さんの待つ席に戻って行く。