初恋の従兄弟がアメリカで行方不明になった   作:かりほのいおり

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次で締め!


彼女が欲しかったもの

 

 3

 

 目の前に置かれたパフェのグラスも綺麗に空っぽ、代わりにどこから取り出したのかもわからないチュッパチャプスを咥えている。

 千鶴さんは手慣れた動きで最後のページを捲り終えて、原稿を投げやりに机の上に置いて。

 彼女はあらかた予想通りだったといわんばかりに口を開いた。

 

「やっぱり、旭はまだ書いてないのね」

「……ま、ご覧の通りってことですねー」

 

 私が見逃さなかった日付を、彼女もまた都合よく見逃すはずがなかった。

 目が節穴でもなければ当たり前だ、最後に書いたというお札付きで持ってきた作品なんだから当然チェックされるに決まっている。

 

「千鶴さんはこうなることを予見していたんです? 自分が旭お兄ちゃんのことを好きじゃなくなるってわかってたから身を引いたんですか?」

「こうなるかもしれないとは思ってたけれど、後者はハズレ。前提条件として私はまだアイツのことが好きなの」

 

 ほんとままならないわね、背もたれにぐったりと体をもたれさせながら、もごもごと口を動かしている。

 

「本当なら本人に怒鳴りつけてやりたいわよ、というかなんで旭はここに来ないわけ? わざわざ代わりに従姉妹を寄越すって何? こんなの前に書けてるなら、さっさと自分で渡しにくればいいじゃない」

「……旭お兄ちゃんは自分で答えを見つけたいって言ってたんですけど」

「だーかーらー、エミは旭の言葉を真に受けるんじゃないわよ」

 

 と言われても、言葉を濁すしかない。

 旭お兄ちゃんが今この場にいない理由はまだ答えを見つけられていないというのもあったけれども、もう一つちゃんと別の都合があったが、それは勝手にバラしたら全部台無しだ。

 

「ねえ、エミちゃんからしたら旭はどう見えてるの?」

「そりゃもう、理想のお兄ちゃんですよ」

 

 自分と比べて全然頭が良かったし、選んだ大学もどこそこ出身ですと言えば一目置かれるだろう場所だったし、確か男だった頃は意外と運動神経も良かったはずだ。

 文武両道かつ、自分には出来ないことをできる。少なくとも私から見たらおとぎ話の王子様みたいなもんだった。

 

「……本当にもう、呆れた。恋は盲目というべきか、とっくに手遅れなんじゃない?」

「そんな勝手なこと言ってますけど、旭お兄ちゃんと付き合ってたのは千鶴さんじゃないですか」

 

「私と違って旭のことを良いように見過ぎなの。それじゃいつまで経っても隣に立てないよ、これは先輩からのアドバイス」

「そんなの求めてません」

「あ、そう」

 

「私が旭から離れた理由、知りたい?」

「当然知りたいですよ、でも千鶴さんは素直に教えてくれないんでしょう?」

「どうしよっかな〜、可愛くおねだりしてくれれば考えなくもないよ」

 

 旭お兄ちゃんは自分で答えを見つけ出そうと四苦八苦していたけれど、私は別にそんな拘りは無かった。

 そもそも他人の恋愛事情っていうのもあるけれど、最速で答えを知る手段があるならば、まずそれを試すべきだと思う。

 結局過程なんてどうでもよくて、結果が残ればいいというのは私たちの世代特有のものなのかもしれない。

 

 でも、他人事とはいえ、最速で答えを知る手段があるとはいえ、目の前の彼女に素直に頭を下げるのはどうしてもプライドが許せなかった。

 

「千鶴さんは……その理由が解消されれば、また旭お兄ちゃんとくっつく気なんですか?」

「あ、復縁しようとしてるなら旭のことを手伝うのをやめようと思ったり?」

「違いますよ、ただ私の行動の指針を改めて決めようと思っただけです」

「やっぱり状況によっては旭のこと裏切るつもりじゃん」

 

 旭かわいそー、とからからと笑っている千鶴さんから鼻を鳴らして視線を逸らしていると、「ま、安心しなよ」と彼女の方から声が飛んできた。

 

「私が好きな旭はさ、貴女の思い浮かべている旭と違うものなんだから。二つは両立しない、だから今のままなら私のものなの」

「……まるで今の旭お兄ちゃんは貴女のものみたいな言い方ですね」

「実際、そうでしょう? 旭はちゃーんと私に呪われたまんまなんだから、ね」

 

 正直、千鶴さんの言ってることの半分程度は分からない。

 彼女の思い浮かべている旭は、あの旭お兄ちゃんではないのか?

 私が昨日今日と見た旭お兄ちゃんは、今まで理想として浮かべていた旭お兄ちゃんではないというのだろうか。

 何も変わってないように見えたのに。

 

 本当に、何も変わってなかったのか?

 ぶるりと体を震わせる。寒い、ここはひどく寒い。

 効きすぎた冷房が体に毒のように蝕んでいく。

 

 身体が男から女に変わったとか、そういう面に逸らされて私がずっと目を背けていたことはなかったか。

 それを今ここで千鶴さんに突き付けられているんじゃないのか?

 

「だから、私はちゃんと言ったよね。恋は盲目って」

「……私にそれを直視しろって言ってるんですか」

「いえ、別に。勝手にすれば良いんじゃない? そんなの人の勝手だと思ってるものの、私の知ったことじゃない。でもいつかは気付くはずよ、その時にどうなるかはわからない、百年の恋も冷めるなんてこともあるかもしれないというなら、あらかじめ身構えておくのも良いと思うけどね」

 

 千鶴さんが何を言いたいのかはわかる、というかとっくに教えられているのだ。私は旭お兄ちゃんに夢を見過ぎだと。

 

「私が思ってるよりずっと、旭お兄ちゃんは弱いって言いたいんですよね」

「ようやく気づいたんだ、まあ従兄弟同士の関係だし仕方ないのかな」

 

 私が旭お兄ちゃんに抱いていたのは、憧れだ。

 あの人はきっと特別なんだという、推測だ。

 そう思っていたのは、きっと旭お兄ちゃんがカッコつけていたというのもあるのだろう。あの人が良いところだけを見せようとしていたという努力の甲斐もあったのだろう。

 

 性別が変わったから、ショックで連絡を断っていた。

 親戚の集まりにも、顔を出さなくなった。

 まあこの二つだけなら、そうなるのも納得できるかもしれない。何かがあったのだろうと心配していたけれども、そういう理由ならと納得したつもりだった。

 

「エミちゃんの理想の旭お兄ちゃんなら、今のあんな様になっていたと思う?」

 

 私の理想の旭お兄ちゃんだったら、どうしていただろうか?

 千鶴さんが部屋から出て行くところを何もせずにむざむざ見送っただろうか?

 きっと、そうはさせないと一歩踏み出せたんじゃないか?

 

 彼女が居なくなった後、一つ作品を書き上げて彼女に見せないなんて事をしただろうか?

 それを口実に何かを変えようと努力することもできたんじゃないか?

 

 一つ書き終えて続くものを何も書かないまま、あの部屋で停滞を続けるなんてことをしただろうか?

 見つかるかもわからない答えを探して、数年を無為にするか?

 

 偶然やってきた従姉妹を使って、元カノに自分の書いた原稿を渡すなんてことするだろうか?

 身内とは言え、年下の従姉妹を使ってまですることだろうか?

 

 千鶴さんがまだ可愛らしい赤ん坊を見るような目で、私のことをじっと見つめている。

 ようやく気づいた?と。

 

「まあ、それでも私は旭のことを好きなんだけどね。そういう弱いところを含めて私は旭のことが好き。でもエミちゃんは違う、旭の虚像を追ってるばかりで等身大のあの人のことを見てなかったんでしょう?」

 

 確かにそうかもしれない。

 私は旭お兄ちゃんのことをなんも知っていなかったのかもしれない。

 昨日、旭お兄ちゃんと駅で出会うまで、あの人のことをちゃんと見ようとしていなかった。

 

「だから、どうしたっていうんです?」

 

 視線は逸らさない、ここで引き下がるわけにはいかない。

 だって、それを知る為に私はここに来たのだから。

 旭お兄ちゃんのことをなんも知らないけれど、私の知らないあの人のことを見つけに私はここにきたのだから、この程度の攻撃が効くはずがない。

 

「飴、まだ持ってます?」

「……はい」

 

 差し出されたのはチュッパチャプスではなく、個包装の飴玉だった。それ以外はないのと目で投げかけるも、フルフルと首を横に振るばかり。

 仕方ないと飴玉を口に放り込んで、バリバリと噛み砕く。

 ちょっとのストレスの解消、私の知らないあの人でマウントをとってきた彼女と、なまっちょろい精神のお兄ちゃんをまとめて噛み砕く。

 呆気に取られる千鶴さんに対して、私は。

 

「きっと千鶴さんは私の知らない旭お兄ちゃんのことをたくさん知っているんでしょうね、弱くて情けないお兄ちゃんのことをずっと隣で見続けていたんでしょうね」

 

 従兄弟同士の関係でしかなかった私たちと違って、旭お兄ちゃんは千鶴さんに対しては弱いところも見せるところが出来たのだろう。

 そういう甘えを見せられる関係だった。私にはできなかったことを武器として振り翳してきたのはちょっとだけむかっとしたけれど、我慢してあげなくもない。

 

「私は、私の知らない旭お兄ちゃんのことを知る為にここに来たんですよ。今更その程度のことで怯むはずがないじゃないですか、知ってる立場だからって自惚れないでくださいよ」

 

 確かに旭お兄ちゃんは弱い、どうしようもなく弱いのかもしれない。

 けれども、私はちゃんと知っていたから。

 旭お兄ちゃんが何をやろうとしているのかを見た。

 今更と言えるかもしれない、私が来なければ何も始まらなかったのかもしれない。それでもきっと、旭お兄ちゃんの強いところであったから。

 

 だから、怯まない。

 それを胸に抱えていれば何も変わらない。

 私の好きな旭お兄ちゃんは、ずっと好きの対象のまんま。

 

「千鶴さんは、なんで旭お兄ちゃんから逃げたんですか」

 

 素直に答えが返ってくるとは思わなかった。お兄ちゃんの予想通りではあった、案の定、気まずい沈黙が訪れる。

 沈黙を破ったのはふふふという彼女の笑い声だった。

 

「逃げた……? 逃げた、ね。貴女は面白い言葉選びをするのね」

「面白いも何も、ただ単に事実を言っただけでしょう」

「まあ、確かにそうなんだけど……ふ」

 

 必死に笑いを抑えようとしているのか、彼女の肩が小刻みに揺れていた。そんなに面白いことを言ったつもりはなかったのに、どこがツボにハマったというのか全く見当もつかなかった。

 

「あーもう、本当に笑わせてくれるよね。だいぶ良い線を突いてるのは間違いないのに、それに全く気づかないんだから」

「何を言ってるのかわからないんですけど」

「旭がなんで、創作をしていたのか知っている?」

 

 会話不成立、けれども確かに千鶴さんの問いに私は答えを持っていなかった。

 旭お兄ちゃんはなぜ創作をしているのだろうか。

 確かに聞いたことがない、わざわざ聞く機会がなかった。ただ一人の消費者としてそれを気にかける必要もなかった。

 

「創作するのが、楽しいから?」

「楽しいなら、しばらく書いてないなんてことないでしょ。書くのには理由があったのよ」

 

 書くのに理由があった?

 そして今は書いてないってことは、その理由がなくなった?

 

「旭は逃げる為に書いていた、これが答え」

「逃げる為に、書く?」

 

 何から逃げる?

 どうしようもない現実とでもいうのだろうか。

 

「妄想とおんなじよ、現実から逃げる為に旭は書いていた」

「……だから、どうしたんです」

「そんな怒った顔しないでよ、別にそれが悪いってわけじゃないんだから」

 

 じゃあ、何故わざわざそこに言及したのかわからなかった。とっくに舐め終えたであろう飴の棒をナプキンで包み、千鶴さんは答えを明かした。

 

「言ったでしょう、旭の書く世界が好きって。たとえ現実逃避から生まれたものだとしても、私はそれが好きだった。それを産む為に必要な弱さだというのなら、それを含めて旭が好きだった」

 

 頷いて返す、私と千鶴さんの数少ない共通点。

 

「旭はとにかく逃げるわ。従来の癖なのかもしれないけど、そのおかげで生まれたものもあるっていうんだから皮肉なものよね」

 

 千鶴さんは今日、本人ではなく私がきたのも逃げの一環だと思っているのだろう。確かに一部だけ見ればそうなのかもしれない。

 今日の出来事を除いても、確かに旭お兄ちゃんは逃げ癖があるというのかもしれない。

 性別が変わった後の集まりからも逃げていた。

 創作活動が現実逃避だというのであれば、それも含まれるだろう。

 おばあちゃん家に来ていたのも、もしかしたら逃亡の一環だったのかもしれない。まあ、答えは本人に聞かなければわからないのだけれども。

 

「じゃあ千鶴さんはその逃げ癖がダメだったっていうんですか?」

「いえ、逆よ」

「逆?」

「私はね、逃げても良いと思ってるの。それで創作に逃げるのならプラスかマイナスで言えばプラスなんだから、勝手にすれば良いと思ってた」

 

 でも、旭は逃げる方向を間違えた。

 悲しそうに目を伏せて千鶴さんは呟いた。

 

「性別が変わったのはキッカケよ、遅まきながらそのことに気づいたから私は旭から離れることにしたの。本当に特別に、エミちゃんには教えてあげる。私が旭から離れた理由をね」

 

 エミちゃんは旭の逃げ場所になれないから。

 だって、どこまで行っても年下の従姉妹に過ぎないから。

 軽く言葉のナイフを突き刺して、彼女はこう言った。

 

「私がね、旭の逃げ場所になっちゃったんだって、あの日ようやく気付いたんだ。別に旭は性別が変わってもなんもダメージを受けてなかった。だって私が隣にいたから、旭はね、私がずっと隣にいてくれると信じていた」

 

 本当バカだよね。

 そりゃ嬉しいけどさ、それじゃあダメだよ旭。

 

「一番大きい逃げ場所に私がなっちゃったから、それじゃあ旭はダメになっちゃうって気づいたんだ。このままじゃ、何にもできなくなるってね。創作っていう逃げ場所もそのうち使わなくなるんじゃないかって予想がついた」

「……そんなの、ただの予測じゃないですか」

「でも、旭は実際なんも書いてないでしょ? 性別が変わったなんて美味しいネタが転がってきたのに、私から離れてなんも書こうとしない。失恋したっていう体験も、何にも生かそうとしない。旭が今、何に逃げているかわかる? きっと私がいた過去の思い出に浸っているんじゃないの?」

 

 咄嗟に否定できなかった。

 あの本に囲まれた部屋が脳裏をよぎったから。

 千鶴さんが帰ってくることを期待して残したあの部屋こそ、彼女の言葉の証明になってしまうような気がした。

 

「だから、可能性を残すことにしたの。私が旭から離れれば、あいつもそのうち逃げ先を無くして元通りに戻るんじゃないかって思ったから」

「……そんなの、そんなのって勝手すぎますよ。それって旭お兄ちゃんのことを考えてるんですか? あの人がどう思うかなんて考えないんですか?」

「考えてるわよ、当然。その上で私は、私のために行動したの」

 

 即答。なんの感情の揺らぎも見せないまま、淡々と答えが帰ってくる。

 私の感情が信仰に近いものかもしれないと思ったけれども、甘かった。自分の好きなものの為に、自分の好きな人と自分を犠牲にするなんて、私にはわからない。

 

 私と千鶴さんは近いようで、ずっと遠い場所にいるのだ。

 彼女は私よりずっと近い場所で旭お兄ちゃんのことを見ていたのに、そんな選択を選べてしまう。

 その事実が怖かった、恐ろしかった。

 でも、なんとなく旭お兄ちゃんがこの人に惹かれた理由もわかるような気がした。

 

「……千鶴さんって、台風みたいな人ですよね」

「旭からもそう言われた。美しいものに喩えなさいってーの、旭ペアで月とかね」

「それは……」

 

 無茶がありますよとは、到底言えなかった。そんなおとなしく綺麗なものではない、すっぽんならまだ考えなくもないけれど。

 ポケットに突っ込んだスマホが振動するのを感じて、ファミレスの入口の方へとチラッと目線だけを向けた。

 

「とにかく私は、今千鶴さんから聞いたことを忘れることにします。あとは旭お兄ちゃんにお任せです」

「まあ、あいつは今日来なかったし、もう会うかもわからないけどね」

「……ふぁいぶ、ふぉー、すりー」

 

 英語でカウンドダウンを始めた私を千鶴さんが怪訝な目で見つめている。すっかり背後から近寄る存在には気を抜いて、不意に肩をぽんと叩かれて、彼女は笑えるぐらいに飛び退いてみせた。

 

「久しぶり千鶴。結構髪切ったんだね、似合ってるよ」

 

 驚きのあまり目を見開き、口をパクパクとさせる千鶴さんを置いて旭お兄ちゃんは私の隣の席へ腰掛けた。

 

「ほんともうどれだけ待たせるんだか……ちゃんと完成した?」

「気合いでなんとか」

 

 炎天下の空の下を必死に走ってきたのか。顔も大分あからんで汗びっしりの様子だけれども、やり切ったばかりの満足げな表情であるのは見てとれた。

 ここまで時間を繋いだ甲斐もあったし、タイミングも100点満点。

 お願いの一つや二つ、増やしてもバチは当たらないような気がした。

 

「それじゃ久しぶりに、僕たち二人の話をしよっか」

 

 旭お兄ちゃんは、千鶴さんの方へ向き直ってそう言った。

 

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