カースオブレッシング 作:なとり
ベルはふと顎を上げた。
目の前にそびえ立っているのは『
「不審者だと思ったから、飛びついてでも確保しようと思った。間違いはありませんね?」
「はい……」
ベルは視線を下げてヘイズを見た。なぜか彼女は正座している。ベルも同じ姿勢をとっている。
草原の上、巨大樹の下で仲良く正座。
行われているのは
「しかし、抵抗されたため、押し倒してしまった」
「はい……」
「すると、運悪く絡み合ってしまい、服の中どころか下着の中まで手が滑り込んでしまった」
「はい……あるんですね、そんなことが……」
「あははー……ふぅ」
ベルは聞かれたことに対して
そんな二人を見守っているのは真顔のメルーナ。
そして空前絶後の
「ふふー、人生は何があるかわかりませんねー。ベルったらおっちょこちょいなんですからー、もー」
「あ、あはは……すみません。僕、信じられないことが起こることがあるんです……あはは」
「あははー」
「あはは……」
ヘイズは朗らかな表情で笑っていた。薄紅色の瞳は死んでいるが、顔はちゃんと笑っている。彼女は美しくも可愛らしくもあれる
「いや、ないでしょ」
しかし、貼りつけていた笑顔は突如として消え去る。
ざぁっ、と心地良い風が青い草原を駆け抜けた。
ヘイズは光の消えた瞳でベルを映すと、抑揚のない声を発する。
「どうやったらこんなことになるんですか。別行動になったほんの少しのタイミングで、他派閥のエルフを押し倒して生乳をまさぐる。いやいやないですって。神々もびっくりのとんでもない奇跡ですよこれはー」
ド正論であった。
ベルは正座のまま固まることしかできない。
最近は当たりが優しくなったメルーナも、この時はとっても視線が冷たかった。フィルヴィスは言わずもがな。ゴミクズを見る顔だ。
「大変でしたねー、で流そうかなと思いましたが、無理です。いくらなんでも
「はい……」
「私はベルのお嫁さんでも恋人でもありませんが、決して浅い仲ではありませんからね。あまり
「はい……」
ヘイズは続けて述べた。
パーティというのは信頼関係が大切で、高頻度で生と死を行ったり来たりしている自分達は
ベルは深く深く
二度と同じことがないよう気をつけることを、深く強く心に誓った。
「……気をつけ、ます!」
「よろしい。では先に進みましょうか。ああ、そちらのお方はもう帰っていいですよー。お疲れ様でしたー」
ヘイズはウンウンと首を縦に振ると、「よいしょ」と杖を使って立ち上がった。わざとらしく腰をポコポコ叩きながら、被害者エルフに対して優しい声で帰宅を促す。
「ああ、さらばだ……って帰るわけがないだろう!
フィルヴィスはくるりと背を向けた後、硬直。
勢い良く振り返るなり、絶叫。濡れ羽色の髪を振り乱して【フレイヤ・ファミリア】を睨みつけた。
「帰れるわけがない! 私の問題は何も解決していない! これでは無意味に辱められただけ! 冗談ではないぞ貴様ら!?」
「落ち着け同胞。今のはヘイズの冗談だ」
「ああそうなのか……だったら今後はやめろ! 笑えない冗談は不愉快だ! 全く……これだから【フレイヤ・ファミリア】は……これだから……はぁ」
メルーナが小さな声でフォローを入れると、フィルヴィスはぎゅっと拳を握り締めた。巫女を思わせる白い
「まあ、ベルの件については心から謝罪しますねー。ごめんなさいでしたー」
「気の抜けた声での謝罪など、要らん! それにお前に謝られても意味がない!」
「うーんエルフはやっぱり石頭ー」
「貴様は私を煽っているのか!?」
フィルヴィスの声が盛大に裏返った。
完全に遊ばれている。メルーナは気の毒そうな視線を同胞に送った。
「すみませんすみません。ですが貴方にも問題はあると思いますよ? 不用心すぎます」
「……それは、その」
ヘイズの指摘に白いエルフは言い淀んだ。
不用心、というのはベルに痴漢される前のフィルヴィス・シャリアの行動である。
そもそも、なぜ逃げたりしたのか。
その理由は彼女の脇の甘さにあった。
「大金につられて怪しい依頼を引き受けた挙げ句、
「……」
フィルヴィスの口から歯軋りの音が鳴った。
ベルに痴漢される前まで、彼女は
内容は『物資の運搬』。24階層でブツを受け取り、19階層の指定
理由は金が必要だったからだ。なんでもダンジョン内でモンスターの群れから逃げ回っていたら、複数の派閥のパーティを巻き込んで大損害を与えてしまった。その賠償金として【ファミリア】の金庫から一〇〇〇万ヴァリスが消し飛んだらしい。
「まあ、お金が必要だったのは理解します。仲間達から
仲間達に囲まれてなじられまくり、必死になったそうだ。本来、ダンジョン内の出来事は自己責任で賠償を求める方が非常識──という考え方もあるが、主神ディオニュソスは支払った。派閥間の関係悪化を危惧したとのことだ。
「……わかってはいたんだが、つい焦ってしまって」
「まあ、起こってしまったことは仕方がない。それで? その箱の中身はなんだ。どうせロクなものではないのだろうが、確認だけはしておくべきだと思うが」
メルーナは淡々と言った。
原野の上に置かれている木箱に目をやり、ゆっくりと膝をつく。見た目は変哲もないただの箱だ。これをフィルヴィスは運ぶよう指示され、指定場所まで移動したが、そこで
いきなり複数のヒューマンが襲いかかってきたらしい。しかも第二級冒険者程度の手練が。即座に逃走に転じて事なきを得たものの、それで終わりとは考えづらい。追跡を最大限に警戒しながらリヴィラまで戻ってきて、その
「その男が、私をまじまじと見つめてきたから、何かあるのかと……」
「ベル。ですって。女の子をジロジロ見るのはやめましょーね。こうして良からぬ結果を生みます」
「はい……わかりました……はい」
ベルに小言を吐きつつ、ヘイズも小箱の前で腰を下げた。ベルも同じ姿勢になる。
さて、何が入っているのか。
一応、全員で周りを警戒してから、ヘイズは両手で箱を左右に開いた。
「……うあちゃー」
そしてご対面。
ベルが嫌な汗を流す中、ほとほと面倒そうにメルーナは顔をしかめた。
「こちらも
箱の中で脈打っていた。
どす黒い肉の塊が、ドクンドクンと。
形状は明らかに心臓。サイズは少し小さいものの、ベルとヘイズが回収してきたものと同じだ。
「ヘイズ、ベル。どうする? 一度
メルーナはヘイズの手に自分の手を添えると、そっと箱を閉じさせた。薄紫の瞳を細め、今後の動きについて言及する。
「……そうですねー。どんどん状況が混沌としてきましたし、それがいいでしょう。ベルはどうしたいですか?」
「僕も戻った方がいいと思います。フィルヴィスさんの身の危険のこともありますし、あまり無理はしたくないです」
あっさりと満場一致。
15階層で発生した闇派閥との戦闘のこともあるし、たしかに混沌としすぎている。フィルヴィスの方は闇派閥だと断定はできなかったとのことだが、そうでないとするとそれはそれでややこしい。仮に闇派閥でないとしたら、良からぬ企てをしている連中が他にいる。そういうことになってしまうからだ。
「では決定ということでー。本当はこの心臓を持った状態で、現地確認を先に済ませておきたかったんですけどねー。何か起こるかもしれないですし。まあ仕方ありません。状況が変わったということで、フレイヤ様に先に見てもらうということで」
「はい。それじゃ行きましょう。襲撃があるかもしれないですから、気を抜かずに」
歩いてきた道を戻り始める。
ここ最近は怪物以外の脅威はほとんどなかったが、ここに来て一気にゴチャゴチャとしてきた。こうなってくると些細なことでも気になってしまう。
たとえば、たまに発生するダンジョン内での
「また地震……最近多いですね」
「ですねー。まあ、ちょびっと揺れるだけなので、皆さんはあんまり気にしてないみたいですけど」
ほんの数秒、小さな振動を感じるだけ。
ダンジョンは騒がしいので揺れたり爆発したりは普通にある。しかし、最近の揺れ方はちょっと今までとは違うような。ベル達はそんな気がしていた。
◆
『あの二人は恋人同士なのか?』
地上に戻っている最中。
同胞から質問を受けたメルーナは、知らんと答えた。仲間の秘密を守るとかそういう意図はなかった。
純粋に知らないし、興味もない。メルーナが知っているのは実際に見てきたものだけだ。
今の
(かつては
ヘイズは今でこそ平和的で理性的に振舞っているが、昔は全く違っていた。
ひたすら叩き潰されるだけの日々の中で限界を超えて磨耗し、常に極限状態。そんな中での救いは
(懐かしいものだ)
最初の頃のベルは弱かった。飛び抜けて。
ヘイズは死ぬ寸前までベルを壊していたが、その一方で洗礼以外の時は優しくしていた。接し方は別人かと思うほどの落差で。憎しみが感じられるほど叩き壊しておいて、傷が残ってはいけないと薬を用意したり。傍から見ると気持ちが悪かったが、誰も何も言わなかった。興味がなかったからだ。
(今日は疲れた。集団行動は好かん)
また、ヘルンという少女は哀れだった。
みすぼらしかった。目は虚ろ、肌はボロボロ、色素の抜け落ちたような小汚い髪。美神の眷族として相応しいと思う者など、誰もいなかった。
そんな彼女にヘイズは世話を焼いていた。ヘルンは勇士ではなかったから、壊すようなことはせず、あれやこれやと面倒を見るだけ。
メルーナから見ると、どちらも気色が悪かった。歪だと感じていた。そして哀れでもあった。
(1階層……何事も無かったな。拍子抜けだ)
自分より下の人間がいる。
その事実をもってなけなしの尊厳を守る。ヘイズがしていたのはそういうことだ。みんな知っている。あれは純粋な慈悲などではなかったことを。だが、子供の人間関係に口を出すような暇人はいないし、そんな義理もない。誰も何も言わなかった。恐らくは女神さえも。
(……)
ベルにしろヘルンにしろ、ヘイズからすれば溜飲を下げるための相手だった。それが全てではなかっただろうが、利用していたのは事実だろう。
だから、ヘルンに才覚があるとわかった時、ヘイズは発狂したし
『もう吹っ切れたの?』
『今、なんて言いました?』
ヘルンから何気なく言われた言葉に発狂して、本気の殺意を向けた。ベルが止めに入って事なきを得たが、ベルは半殺しになった。というちょっとした事件があった。【フレイヤ・ファミリア】では半殺しは日常茶飯事。ベルはあまり心配されなかった。
(あの騒動の後か。ベルにスキルが発現して、ようやくランクアップを果たした)
メルーナがベルとまともな会話をするようになったのは、更に後。女神の護衛として同行した短い旅の中で、必要だったからコミュニケーションを取った。その時は一時的なものだと考えていたが、なんだかんだ今も続いている。
それから、ヘイズはしばらく
「【ファミリア】まで送ってあげるなんて、ベルは優しいですねー。エルフ好きですもんねー」
「いや、下心とかないですから……」
「ほうほう。完全になかったと言いきれますか? 生で胸を揉んだ相手ですよ? しかも美人のエルフですよ?」
「……」
ヘイズが何を考えているのか、メルーナにはわからん。哀れんでいた相手が自分よりも才覚があって、しかも欲しいものも持っている。
まあ、今ではヘイズも唯一無二の力を持っているから、嫉妬で暴走したりはしないだろうが。それでも昔を知っているだけに、今の感じはメルーナからすれば歪に見える。綺麗な信頼関係だけで成り立つような二人ではない。
「ダンマリですかー。ヘルンに告げ口しますねー。呪殺してもらいましょー」
「やめてくださいお願いします。ヘルンさんの藁人形は心にくるんです嫌なんです」
「ああ、藁人形ラビットですね……アルミラージの体毛が編み込んであるとかいう……」
「……聞きたくなかった」
ずっと前に抱いた感想は今も変わらず。
何も言わないのも変わらずだ。必要のないことはしない。時間の無駄だからだ。