ホーウェン・ロックバルト──人類最強の男。法と正義の番人。財団の抱える最高戦力にして人類の希望。様々な肩書きがあるが、彼個人はその全てを否定する。
過大評価だ、と。当人の口から出てくることであろう。
そんな男が今、財団極東支部の管理局長に就いている。それだけ世界情勢の中で極東の立場は重要視されていた。
新都「筺ヶ原」を見下ろす財団支部「
夜分遅くに訪問の旨の通達に胸を痛めながらも、菊一文字則宗は局長ホーウェンからの快い返事に胸を撫で下ろす。迎えの車両まで出してくれるというのだから手厚い歓迎だ。
もっともそれが意味するところを知らない菊一文字則宗ではない。
奉行所に到着した送迎車は、特殊装甲車両だった。
◆
走る牢屋のような居心地の悪さに、ユウコは息が詰まりそうだった。護送の名目である以上、新都挺身隊が1名は同伴。菊一文字則宗はニコニコ笑顔だ。エヌラスは仏頂面。チュンレイはこの世の終わりみたいな顔。いつもの軽口はどうしたのか、さすがのファングも口を閉ざしていた。
重い。──重苦しい空気。頼むから誰かなんか明るい話題を振ってほしい。
(声をかける相手を間違えたらなんか爆発しそうな雰囲気なんですけど!)
悩みに悩んで、恐る恐る声をかけた。
「あのぉ、菊さん。財団極東支部って~……」
「おや、ユウコさんは行ったことありませんか? 新都を見下ろす白い建物ですよ」
「それは知っているんですけども、あそこって公民館じゃ……?」
「う~ん、なんと言いますか。公開情報ですと財団は法人施設として経済発展や先進技術の提供等を理由に拠点を建造させてもらっているらしいじゃないですか」
世界的に有名な話だ。あらゆる地域でそうした援助活動を行っている。
「──ただ、その地下についてはご存知ですか?」
「地下なんてあるんですか? 避難シェルターとか……」
あとは地下駐車場か。ぱっと思いつくのはそのくらい。なるほどと頷く菊一文字則宗は親しみやすい笑顔を貼りつけたまま。
「収容施設ですよ、怪異の」
「……はい?」
さらりと恐ろしいことを言った。
収容施設? 怪異の? 化物の牢獄ってこと? ユウコが硬直しているのを見て、ファングが口を開く。
「これまで財団が極東に手を出さなかったのは付喪神の存在があったから。言ってしまえば現在の極東は怪異との共存共栄を成立させている奇跡の島国だ。良くも悪くも人類にとって最初の新世代国家であり、同時に人畜無害な怪異にとっても最初の希望と言える。
だから財団の対応は石橋を叩くよりも慎重に検討を重ねたものだった。どれだけ時間を掛けても協力関係を結びたかったんだよ」
そうでもなければ財団外交部が死に目に遭いながらも平伏して通い詰めたりしない。それはひとえに極東の信頼性の積み重ねのおかげだ。
「じゃあ財団の地下には怪異がウジャウジャいるってこと?」
「極東支部はどうだか知らないけども、海外の方じゃ割と有名な話。脱走事件で大勢犠牲者出して解体運動が起きたりしてるし」
「知らなかった……」
「ま、極東にはなんら関係のない話だからユウコさんが気にすることじゃないでしょ」
「──で? なんでお前はそんな話を知ってるんだ?」
エヌラスからの鋭い指摘に、ファングはだんまりを決め込む。
「これからユウコとコイツを連れて行くってことは、この2人が怪異認定された場合、地下の収容施設送りになるってことだろう?」
「チュンレイはまず間違いなく収監されるだろうけど──ユウコさんはどうかなー、どうなっかなー。相手はあのホーウェンだしなぁ。悪いようにはしないと思うけど」
「……知ってんのか? その口ぶりだと」
「別に」
再び車内に沈黙が流れる。気のせいか、さきほどよりも不穏な空気だ。
ユウコは話す相手を間違えたのかもしれないとちょっと泣きそうになる。
◆
財団極東支部に着いた五人は、武装した職員に迎えられた。万が一を想定した歓迎に、ユウコは自分が本当に人間ではなくなってしまった扱いなのだと気落ちする。
そんな背中を軽く叩いのは、エヌラスだった。
「なんかあったらお前抱えて逃げるから心配すんな」
「……そんなこと平気でやりそうな君の方が心配なんだけど」
「なんだよ、人が一応慰めてやってんのに」
「もうちょっと言葉選びなー?」
案内されるのは、上層階ではなく、地下。
エレベーターのランプは地下一階までしか無かったはずだが、それよりも更に下。何階層も下に降りていくような時間の長さに、しかし実際はそれほど時間は経っていなかった。
財団の地下施設に初めて踏み込んだユウコは緊張の面持ちで職員の後ろに続く。
病的なまでに白く清潔感のある廊下だった。一点の埃も汚れも存在を許されないような空間に、だが異様な威圧感を感じる。
やがてたどり着いたのは、局長室。分厚いアンティークな扉の先に、人類最強の男が待っている。そう考えるだけで緊張するが、職員は扉をノックした後にカードキーを通して電子ロックを解除。開いた扉に入るように促した。
まず目に入ったのはこざっぱりした内装。無駄を省いた仕事のための空間。向かい合うソファーにローテーブルが置かれているだけの簡素な部屋だった。
──そこに、人類最強の男は立っていた。
「ホーウェン局長、新都挺身隊一番隊隊長ならびに対象怪異をお連れしました」
「ご苦労だった。下がってくれ」
「はい。失礼します」
長い緋色の髪をうなじで縛り、垂らしている。背丈はやや高い、エヌラスと同じくらいか。だが身体をすっぽりと覆う形で白いローブを羽織っている。
整った美形、という印象だが、どこか人間味の感じられない面持ちだ。それは彼が職務に忠実なあまり自らの人間性すら捧げたからだろうか。
人間のお手本、のような印象すら見受けられる。
「自己紹介をさせてもらう。私は財団極東支部管理局長、ホーウェン・ロックバルト──」
ホーウェンは会釈してから顔ぶれを眺めて、息を呑む。
全員が疑問符を浮かべた。──ファングを除いて。
「──君は」
「
「…………ああ、そうか。わかった。はじめまして、ファングくん。君によく似た男を知っていたものだから、てっきり本人かと」
一通りの自己紹介を済ませてから、ソファーに座るように促される。
腰を下ろして、ホーウェンは本題に入った。
「報告は聞いている。昨晩の怪事件を引き起こした犯人と、その被害者の身柄の引き渡しについてだったか」
「はい、そうなんですよ。うちで対応してもよかったんですが、少々厄介な状態でして」
「順を追って解決しよう。まず、昨晩の犯人は」
「こちらのチャン・チュンレイ。吸血鬼です。所属は龍紋会「青幣」」
「わかった。こちらで対処しよう。次に被害者についてだが」
「こちらのユウコさんですね」
ホーウェンの目がユウコで止まる。
「昨晩の被害者、ということだが」
「残念ながら“感染”してます。そのうえで“覚醒”までしているようでして」
「由々しき事態だな。規定通りなら、彼女も収容対象だが──保留しよう。最後だ、彼は?」
「財団の追っている「ブラックヒューマノイド」ですよ」
「なるほど。彼がそうなのか」
エヌラスを射抜く視線に、真正面から睨み返していた。一触即発の空気に、しかし出てきた言葉は敵意がない意思表示。
「本部の意志ならともかく、私個人としては君に対して敵意はない。安心してほしい」
「……信用しろと?」
「君の方こそ。これまで財団にどれほどの損失を出したのか記憶にないのか。具体例を挙げるとキリがないが、被害総額だけならこの場で答えられる」
「好奇心ついでに聞いてやるよ、いくらだ」
「5000兆」
聞かなきゃよかった、と顔を引きつらせるエヌラスに対してホーウェンは肩をすくめてみせる。
「冗談だよ」
「驚かせんな……」
「人的被害、文化財焼失、建造物破壊、諸々総額153兆円だ」
「……冗談だよな?」
「気になるなら関連資料を提示するが?」
「勘弁してくれ」
「さて、場を和ませたところで話を戻そう」
和んでない。絶対に。多分本人は話を横に逸らせて空気を和らげたつもりなのだろうが、全然そんなことはなかった。
「容疑者チャン・チュンレイに関してはこちらで引き受けよう。ご苦労だった」
「よろしくお願いします」
「次にユウコくんだが、数日うちで検査する必要があるな」
「あのー、私明日仕事あるんですけどー……」
「職場にはこちらから連絡しておく。安心してほしい。エヌラスくんに関しては、こちらも協議の必要性があるな。しばらくこちらに滞在してもらうことは可能だろうか?」
「それは……」
エヌラスが横目で見るのは、ここまで終始言葉を挟まなかったファング。今は事務所に身を寄せている立場だが、果たしてどうなのか。
「問題ないか、ファング」
「別にいいでしょ、うちの職員じゃないんだしアンタ」
「菊一文字隊長。彼はどうして同行を?」
「民間の協力者ですよ。お手柄だったので褒めて上げて下さい」
「そうだったか。協力、感謝する」
「どういたしまして」
素っ気ない態度に言葉。軽口で嫌味のひとつふたつも出さないことに違和感を覚えつつも、エヌラスはホーウェンの指示に従う。
チャン・チュンレイは抵抗するが、武装した職員によって制圧されて収容施設に連行される。龍紋会の名を出されたところでホーウェンは眉一つ動かさなかった。
「あの、私の検査って……」
「怪異に襲われた被害者を我々は「感染者」と呼ぶ。怪異の持つ“色”に汚染された人間として。その深度によって今後の扱いが変わってくる。ただ君のようなケースは初めてだ。貴重な
「……もし言葉が通じなかった場合は?」
「処分という形で処置させてもらう、例外はない」
ただ当面、その方向での対応は必要ない。だから身の安全は保障されている。エヌラスに関してはまだ不透明な部分があるため、今後の話し合いで解決を図るつもりだ。
ユウコとエヌラスは客室に案内されて退室する。
残された菊一文字則宗とファングも用件は終わった。腰を上げて帰路につこうとした2人をホーウェンが呼び止める。
「すまない、菊一文字隊長。彼と少々、個人的な話がしたい。席を外してもらえるだろうか?」
「かまいませんよ。廊下でお待ちしてますんで。それじゃお先に」
菊一文字則宗が足取り軽く局長室を後にしてから、ホーウェンは執務机の録音ボタンを切った。それと監視カメラの録画も停止させる。
「──今、局長室の録画と録音を停止させた。これから君と話すのは記録に残らない会話ということになる」
「へぇ、そりゃすごい。気が利いたことで。それで? そこまでして俺と何の話を?」
「ファング・ブラッディ──君は、【蒼魔】か?」
「それを知ってどうするつもりだ?」
ファングの紫色の眼に潜むのは敵意と、警戒心。だがホーウェンはどこか安心したような吐息を含ませた。
「いいや、どうもしない。ただ忽然と「結社」から姿を消したと聞いた時から、元気にしているか心配していただけだ」
「こっちこそ。アンタは元気そうで何よりだ。まさか極東支部に飛ばされてたとはな」
「君が離反したあとの「結社」がどうなったか、知っているか?」
「知らん、興味もない。どうなろうが俺にはもう関係のない話だ」
「そうだろうな。今、結社は内部分裂によって各地で小規模な活動をしているだけだ。財団としては競争相手が減って助かっている」
「……それで?」
財団の朗報、その中に潜む脅威の正体を嗅ぎ取ったファングの問いにホーウェンは目を細める。
「だが、妙な動きがある。結社の活動が活発化している。それに魔術協会が絡んでいると本部は睨んでいるようだ」
「カレッジが絡むとは思えないが」
「学院派は関与を否定している。旧体制派の可能性が大きい」
「根拠は」
「グリモワ反応から検出される魔力の残滓だ」
「ならクロだな。カレッジは魔術という学問による知識の躍進を掲げている。言ってしまえば「お行儀がいい」魔術の研究を重ねているからな。それ以外は全部旧体制の生き残りだ。──それで? そんな話をしたからには当然ただの世間話で済ませるつもりはないんだろう?」
「お見通しか。そうだ。可能なら協力してほしい」
さて、どうするか──。正直なところ、古巣とあまり関わり合いになりたくない。
「報酬は」
「極東における君の身分だ。結社の最高幹部がひとり【蒼魔】ではなく、君を民間企業の便利屋ウルフェンリート所長として扱うことを約束する」
「…………悪くない。だがいいのか? アンタはともかく本部は黙ってないだろう」
「──極東支部における全権限は私にある。本部であろうとこの決定は覆せない。ここに私がいる限りな」
「……、考えとくよ」
ファングは局長室を後にしようとして、足を止めた。そういえば、と。
「ホーウェン。財団北米支部の消滅だが。あれは確かに俺がやったことだ」
「…………」
「財団が収容した
「──そうか」
「そんだけ。それじゃあな」