──財団北米支部消滅事件。米大陸新都壊滅事故。或いは、観測史上初となる「邪神災害」。いずれにせよ、それに【蒼魔】が関与していたことは財団側の調査で明らかとなっている。
死者約30万人、負傷者140万人、行方不明者200万──感染者は人ではない扱いとなるためだ。しかしのちに全員の死亡が確認されている。
ただならぬ死に方をして。尋常ならざる複雑怪奇な遺体は、人の手によるものでは到底有り得ない死に方をしていた。
財団は、それを【蒼魔】による虐殺事件として記録した。しかし、その真相を知るものは当事者を除いて誰ひとり存在しない。
あの日、あの夜、あの場所で。
果たして、いったい何が起きていたと言うのか。
【蒼魔】がそれほどまでの殺人を犯した理由はいまだ明らかになっていない。
◆
──財団極東支部で迎える朝は、便利屋の夜と違って寝つけなかった。
あまり疲れていなかったこともあるが、これから自分に待ち受けていることを考えるだけで心配と不安で眠気がどこかへ飛んでいってしまう。
フワフワのマットレスにシーツをかぶって寝ようにも寝れないまま、カーテンから朝日が差し込む。結局一晩中天井を眺めていた。
「はぁ……ハァ〜〜〜……」
憂鬱だ、激しく。こんなにも気分が落ち込むのは久しぶりかもしれない。だがくよくよしたって何にもならない。それこそ一銭の得にもならない。俗に人は言う。無駄と。
「──ぅいよっしょっとー!!」
シーツを跳ね飛ばし、マットレスのスプリングを軋ませて体を起こす。二度寝の誘惑が来るよりも先にスリッパを履いて立ち上がる。
まだ悪い方向に転がると話が決まったわけではない。職場への連絡は財団からしてくれるそうだから、まだきっとおそらくたぶんだけども職場へ復帰できるはずだ。望み薄だとしてもまだ決まったわけではない!
朝からシャワー浴びて顔洗って歯を磨いて(念入りに)、軽くストレッチして財布とスマホを持って準備を整えていると客室の扉がノックされる。
恐る恐る扉を開けると、そこには特殊部隊の制服を着た女性が立っていた。
本来の規定であれば彼らは素顔を晒すことはない。しかし、白い髪のボブカットの女性は興味津々と言った様子でユウコのことを頭からつま先まで観察していた。
「へぇ〜……ふぅーん……ぱっと見普通だね」
「……あのぉ、どちら様です?」
「え? あぁごめん。アタシは対怪異特殊作戦部隊「FF2プロトコル」部隊の副隊長、ナンバーネーム「フォックステイル」。4番目の隊員だよ。よろしく」
ハキハキとした話し方に、ユウコが頷く。
「えふつープロトコル部隊って……なんです?」
「怪異専門のぶっ殺し部隊」
満面の笑みで言っていい言葉ではない。青ざめる相手にフォックステイルは慌てて訂正した。
「あー誤解しないで! ごめんね変なこと言って! アタシは君のこと迎えに来ただけだから! それに今は作戦行動外の自由時間だから! 別に君のこと殺しに来たわけじゃないから安心して!」
「いきなりそんなこと言われたら誰だってこわいですけど!?」
ユウコは思わず半泣きで言い返してしまう。しかし、フォックステイルは素直に自分のミスを認めると笑いながら手を掴んでさっさと歩き出してしまった。
「元気そーで何より。さー、検査のお時間だから早く行こー!」
◆
健康診断のようなものだと事前にホーウェンから聞かされていたが、実際のところ不安でいっぱいだった。
「はーい、それじゃ着替えてねー」
患者服に着替えたユウコが通されるのは、検査室。
身長測定に始まり、体重。視力検査。血圧測定。レントゲン検査。
「少々お待ちくださいねー」
「はい……」
まるっきり健康診断。
フォックステイルも定期診断を受診するために同行しているが──。
──馬鹿野郎がオメェはよぉ!! 毎回M2服用しろって言ってんだろうがこのアマァ!! 死にてぇのかぁっ!!!
──毎回問題ないんだからいいでしょうがクソジジィ!!!
──オメェの真似するバカが出てくるからやめろって言ってんだろうが!!! 頭使えねーのかサルゥ!!! 脳みそ取っ替えてやろうか!
──すいませーん! このもうろくジジィチェンジで!!! 話になんないんですけど!!
……なんか到底診療所で聞こえてはならない言葉と怒鳴り声が響いていた。
本当に大丈夫かこの財団。一抹の不安がよぎるものの、看護師らしき女性たちは気にしていない。
「ユウコさーん、お待たせしました。こちらへどうぞー」
「あ、はーい」
まだなんか激しく言い争っているが、ユウコは検査の続きにその場を離れる。
脈拍測定。血液検査。それで検査は終わりだが、看護師の話では検査結果が出るまで時間を要するため、その間に身体測定も予定していると聞かされた。
素朴な疑問が浮かぶ。なぜそんなことを? 思ったままに質問すると、人間に友好的な怪異は極端に少ないらしく、計測できる機会など滅多にないそうだ。だから今回を機にデータを取らせてもらっている、とのこと。
「私みたいな感染者の方って他にいないんですか?」
「極東では君が初めてじゃないかな。海外の方にはいるけれど……あまり協力的とは言えない」
「てっきり私は人体実験でもされるものかとばかり」
「あっはっは、やらないやらない、そんなこと。そんな前時代的な」
身体測定をするにあたり、ユウコはさらに着替えさせられた。財団の武装職員に支給されるトレーニングウェアだ。
やる必要がないのにフォックステイルも何故かいる。
「なんで?」
「いーじゃんいーじゃん。アタシ動いてないと落ち着かないタイプでさ」
胸を締め付けるスポブラに、スパッツ。その上からドルフィンパンツやジャケットの着用は任意だ。スタイル丸出し、肌に張りつく形の服装をユウコはあまり好まなかった。
「その胸って怪異になってからおっきくなったとか?」
「自前ですが!?」
「えマジで!? やだすごーい! 極東の女の子ってみんなそんな胸大きいの!?」
「個人差があります!」
だが剣姫も言われてみればスイカのようなサイズだし、自分も似たようなものだ。いやだがしかし、比較対象が悪いだけである。
フォックステイルはと言うと、スレンダーなモデルスタイル。それでも出るとこはやはり主張がある。
だから嫌なんだ、と思いつつ身体測定が開始された。
◆
──ユウコ達が検査している一方で、エヌラスはホーウェンに呼び出されていた。そこにはやはり対怪異特殊作戦部隊「FF2プロトコル」部隊の姿がある。
同伴者は「アンダーシックス」。6番目の隊員だ。
その装備に好奇心がそそられつつも、エヌラスは会議室に案内される。
そこではすでにホーウェンが待っていた。
二人を残してアンダーシックスが退室する。
「……随分と無防備なんだな。世界中敵に回してる魔術師と二人きりなんて」
「財団の記録では、君が殺人を犯した記録だけは無いと断言できる。あくまでも怪異のせん滅活動による余波の被害だ。かけたまえ」
促されるままに、椅子に腰を下ろして向かい合う。
「局長室じゃなくていいのか?」
「あそこは常に映像記録が残る。こちらであれば話もしやすい」
昨夜は挺身隊からの要請ということもあり、あのような形での対応となったと謝罪された。
「別に謝罪はいらないんだが。今回の用件は?」
「魔術協会についての話だ。君の知る限りで構わない。情報提供に協力してほしい」
「……理由を聞かせてもらってもいいか」
「旧体制の魔術協会と財団はあまり良好な関係を結べていると言えなかった。彼らとの共同開発で唯一の成果と言えるものは「M2」ドラッグの製造だ。新体制、学院派となってからはますます門が閉ざされてしまっている」
「知ってどうする」
「──「結社」の残党を束ねつつある存在が旧体制派の魔術師である可能性がある。手がかりが欲しい」
ホーウェンの言葉に、エヌラスは天井を仰ぎ見る。
「……あいつは。ユウコは今後どうなる。元の生活に戻れるのか?」
「無理だろうな」
断言された。──無理だと。人間としての生活には戻れないと。それはホーウェンの意思ではなく、財団の決定事項だ。
怪異による汚染、感染者となってしまった以上は財団の管轄下で生きることを余儀なくされる。
「彼女の職場へも通達した。非常に残念なことだが、解雇だそうだ」
「──胸糞悪ィ」
「極東の内部事情を考慮すれば致し方ないとわかってはいるが、同感だ」
意外な言葉にエヌラスも驚いていた。てっきりホーウェンはそうした人情を持ち合わせていないものだとばかり。
極東企業の思惑も理解できる。怪異となった職員を雇用する危険性は計り知れない。
「教えてもいいが、条件がある」
「彼女の今後についてだが、本人次第だ。それは私の一存では決めかねる。──ユウコくんとは懇意な仲なのか?」
「……いや、別に。つい昨日今日知り合ったばかりの相手だが」
赤の他人だ。自分が気にするほどではない。だが──昨日まで普通の人生を送っていた、普通の女の子が怪事件に巻き込まれて生き残ってしまったのを目の当たりにして立ち去れるほどエヌラスは薄情ではない。
それが自分の弱みだとわかってはいるが、これを捨て去れないから未熟者と言われるのだ。
もしそうだとしてもこれを捨てて同じ怪物になるつもりはない。
「ユウコの両親には説明したのか?」
「当然だ。事件の被害者である彼女の安全性が確認されたら面会も許可する予定だ。こればかりは書類での手続きが必要になる。理解してもらえると助かる」
「……俺の扱いはどうなる」
ホーウェンは悩む素振りを見せた。
「財団が君を怪異「ブラッド」としてではなく魔術師と認識を改める必要があるが、そこは問題ない。ただ魔術師を拘束したとなれば協会も黙ってはいないだろう、懸念材料はそこだ」
「なら心配しなくていい。俺は協会から追われている魔術師だ」
「? 魔術協会の認可がなければ魔術師と認められないのでは……?」
「あ~……ちょっと事情があるんだ。とにかく協会側の体裁なら気にしなくていい」
「了解した。で、あれば──こちらの提案も問題なく通りそうだな」
◆
無事に身体測定を終えたユウコが身体を伸ばす。こんなにも伸び伸びと身体を動かしたのは学生時代以来だ。
健康診断の診察結果を持ってきた職員がにこやかな笑顔と共に内容を読み上げる。
「ユウコさん、検査結果が出ました。深度「赤」で感染反応「陽性」でしたねー」
「ですよねー、知ってましたけど。でもその深度ってなんですか?」
「どれくらい怪異に侵蝕されているかっていう目安ですね。上から3番目くらいの侵蝕率です」
「笑顔で言う事じゃないですよね?」
「自我を保ってるのが本当に不思議なくらいで、調査部の人たちがテンション上がってます」
変態の巣窟か? 一汗流したユウコとフォックステイルがシャワーを浴びてさっぱりしたところで水分補給。
身体測定の結果、今のユウコの身体機能は成人男性の3倍から4倍程度を基礎値にしている。肺活量、握力、脚力、瞬発力、持久力、その他。
まったく自覚はないが、一緒に測定を受けていたフォックステイルを遥かに上回る結果だった。それでも優秀な成績に変わりないが。
深度「赤」──危険指数「赤」と同等の怪異。吸血鬼という特性上、吸血行為に及んだ場合は現在の数値より上昇するものと見ていい。それは遥かに人類の脅威と成り得る身体機能だった。
「あ、それとユウコさん。ホーウェン局長がお呼びです。貴方の今後について、重要な話があるそうですよ」
「わかりました。すぐ行きます」
「アタシも一緒に行っていい?」
「フォックステイル副隊長は待機命令が出てるので駄目だと思います」
「ぶー」
不満たらたらなフォックステイルは、それでもユウコを局長室まで案内した。
室内にはホーウェン、エヌラス。そして──何故かファングもいた。
「あれ、ファングくんまで。どしたの?」
「ありがたいことにお電話いただいたので。話があるとかで」
「全員揃ったところで、財団極東支部局長として君たちの今後について話そう」
それはつまり、ユウコにとっての運命の選択。
怪異となってしまった自分の今後の人生。
「まずエヌラスくんだが。魔術師ということもあり、こちらで身柄を預かるのは困難だ。そこで民間企業である便利屋所長ファング」
「うーっす」
「君のもとで彼と雇用契約を結んでくれないか。間接的に彼に今後こちらの手伝いをしてもらう形にしたい。これは既に彼と同意を得た上でのことだ。当然こちらから可能な限り情報提供と報酬も用意する」
「おっけー」
軽いなコイツ。他人の人生を何だと思ってるんだ。
「さて──それで、ユウコくんだが。君にはふたつの道が用意されている」
「はい」
「君は現在、極東唯一の感染者だ。こちらとしても君を手放すことはしたくない。よって、君の身柄を財団預かりとするか、それとも便利屋となるかの二択だ」
ファングを盗み見る。それは別に問題ないのか、ひらひらと手を振っている。
「どちらでも、お好きなよーに。自分の人生の手綱なんて他人に任せるもんじゃないでしょ」
「…………あの、元の生活には戻れないんですか? 感染者であることを隠して」
「それは出来ない」
ホーウェンは断言した。いつ自分の中にある怪異の因子が暴走するかもわからない状態で野放しにはできない。歩く時限爆弾のようなものだ。それだけは認可できない。
「もし財団に属するというのなら、こちらの特殊部隊に君を編成する手筈が整っている。万年人手不足だ、君のように優れた能力を持つ人材は手放したくない」
「でもそれ、便利屋に所属しても変わらないんですよね……」
「指揮系統が異なるだけだな。だが、少なくとも我々よりは自由が約束される」
どうあっても、自分は元の生活には戻れないようだ。
ならば選ぶべき道は自ずと決まっている。
「私は──」
ユウコの選択に、ホーウェンはただ静かに頷いた。
他者の意思を尊重する。
人生の選択を迫られた時、その意志は、その人自身の後悔のないものでなければならない。
「財団極東支部管理局長として、君の選択が。君の人生をより豊かに羽ばたかせることを祈ろう」