To heart 30年後〜屋根裏物語〜   作:Joseph Lee

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第13話~Yell~

――――2026年4月。

 

 朝の日差しが玄関いっぱいに差し込んでいた。

 

 浩之は黒いスーツを着て、ネクタイを整えていた。

 あかりは鏡の前で、着物の帯締めと奮闘していた。

 

「お母さぁん……」

 

 あかりが半泣きになりながら呟く。

 

「また結び方間違えたかも……」

 

 隣に立っていた年配の女性がため息をついた。

 

「あかり。なんで四十過ぎてもまだ一人できないの」

 

 忍は階段を降りながら、思わず吹き出した。

 

 忍の祖母は慣れた手つきで帯を結び直した。

 あかりは大人しく両腕を広げたまま立っていた。

 

「お母さんが上手すぎるんだよ……」

 

「言い訳しない」

 

 忍が玄関へ歩いてくる。

 

 新しい制服だった。

 

 マルチは、それを見つめた。

 

 背が伸びた。

 肩幅も広くなった。

 

 だが、目元だけは――

 

 マルチはほんの一瞬、止まった。

 

「どうした?」

 

 忍が訊く。

 マルチは静かに言った。

 

「……あの頃の浩之さんに、似てますね」

 

 浩之が咳払いした。

 あかりが笑った。

 忍は照れくさそうに頭を掻いた。

 

「行くぞ」

 

 浩之が先に外へ出た。

 

 

 

 マルチは、走り去っていく藤田家のファミリーバンを玄関から見送っていた。

 

 春風が吹いた。

 

 マルチは静かに扉を閉めた。

 

――――入学式。

 

 桜が舞う校庭。

 

 藤田家と佐藤家は並んで写真を撮っていた。

 

 浩之と雅史はぎこちなくスーツを整えた。

 あかりと志保は自然と子どもたちの間に立つ。

 

 忍とみさきは並んで立っていた。

 

 

 

 

 

 

 シャッター音が響いた。

 

 写真を確認していたあかりが顔を上げる。

 

 グラウンドの向こう側。

 

 見覚えのある後ろ姿が見えた。

 初めて見る人でも、思わず目を奪われるほど綺麗なウェーブの長髪。

 

「……あれ、琴音ちゃんじゃない?」

 

 浩之が目を細めた。

 

「……ほんとだ」

 

 隣には、背の高い男子生徒が並んで歩いていた。

 

 みさきがちらりとそちらを見る。

 

 入学式が終わったあと。

 

 子どもたちが教室へ向かう間、大人たちは校庭の端に集まっていた。

 

 浩之とあかり。

 雅史と志保。

 

 そして、姫川琴音。

 

「お久しぶりです、皆さん」

 

 琴音が静かに笑った。

 

 しばらく、笑い声と賑やかな声が続いた。

 

――――教室の廊下。

 

 みさきが忍の隣を歩きながら、小さく言った。

 

「さっきの背の高い男子」

 

「ん?」

 

「あの子のお母さん、うちの両親たちと知り合いっぽかった」

 

 忍が廊下の先を見る。

 

 窓際の席で、一人外を眺めている男子がいた。

 

 忍は少し考えてから近づいた。

 

「よう」

 

 男子が顔を上げる。

 

「藤田忍だ。よろしく」

 

「……姫川隼人」

 

 コツン。

 

 軽く拳がぶつかった。

 

 

 

 

 

 

 短い沈黙。

 

 それだけだった。

 

――――2027年春の朝。

 

 キッチン。

 

 あかりが冷蔵庫へ向かう。

 

 その瞬間。

 マルチが調理台へまな板と包丁を置いた。

 

 あかりが食材を持って振り返る。

 

 まな板は、もうそこにあった。

 

 あかりは立ち止まらなかった。

 マルチをちらりと見て、小さく笑う。

 

 マルチも静かに笑った。

 

 忍は食卓からそれを見て、一人小さく笑った。

 

――――ある午後。

 

 スーパーの中は、夕飯の買い物客で賑わっていた。

 

 忍はインスタントラーメン売り場の前にしゃがみ込んでいた。

 

 赤いパッケージが延々と並んでいる。

 

『業火麻辣炒め』

 

『2倍激辛』

 

『カプサイシンMAX』

 

 忍はしばらく見つめた。

 

「……なんでこんな辛いの好きこのんで食べるんだ」

 

 少し悩んでから振り返る。

 

 マルチは通路の向こう側で、誰かと向かい合っていた。

 

 青い短髪のメイドロボット。

 

 マルチより頭一つ大きい体格だった。

 

 二人はしばらく互いを見つめた。

 

 相手のロボットの目が、ほんの少し見開かれる。

 

 そして。

 

 ぺこり。

 

 

 

 

 

 

 丁寧なお辞儀だった。

 

 マルチも反射的に頭を下げる。

 

 少しだけ言葉を交わした。

 

 だが忍の位置からは聞こえなかった。

 

 しばらくして。

 青いロボットは買い物袋を持ったまま静かに立ち去った。

 

 マルチはその背中をしばらく見つめていた。

 

「知り合い?」

 

 忍の問いに、

 マルチは少し考えて答えた。

 

「……初対面だと思います」

 

 だが、ほんの一瞬だけ。

 マルチの瞳が揺れた。

 

 スーパーを出て歩いていた。

 

 街の大型モニターが切り替わる。

 

『来栖川エレクトロニクス、次世代大規模言語モデル搭載ヒューマノイド公開』

 

 画面の中では、人型ロボットが自然に会話していた。

 

『感情文脈解析機能強化、家庭市場へ本格再参入』

 

 マルチが足を止めた。

 

 画面のロボットは、昔のメイドロボットみたいにメイド服を着ているわけでもなく、

 人間に完全に似ているわけでもなかった。

 

 それでも。

 

 人の隣に立っていた。

 

 忍も画面を見上げる。

 

「……残ってたんだな」

 

 マルチは何も言わなかった。

 

 画面のロボットは人の隣に立っていて、

 人々はそれをあまりにも自然に受け入れていた。

 

 忍は空を見上げながら思った。

 

 早すぎたものたちがいた。

 

 怖がったものもいた。

 傷ついたものもいた。

 待たなければいけなかったものもいた。

 

 でも今なら。

 

 歩き出せる、この場所から。

 

 マルチはゆっくりと画面を見つめた。

 

 春風が二人の間を通り抜けていった。

 

――――2027年5月23日。

 

 藤田家のリビング。

 

 テーブルの上には料理が並んでいた。

 

 藤田浩之とあかり。

 佐藤雅史と志保、みさき。

 姫川琴音と隼人。

 

 そして、マルチ。

 

 忍は自分の誕生日の席を前にして、少し照れた顔をしていた。

 

 料理が回り、 笑い声が行き交う。

 

 みさきが琴音を見て訊いた。

 

「てかさ、琴音さんってうちの親たちとどんな関係なの?」

 

 琴音が平然と言った。

 

 

 

「藤田先輩に告白して、一回振られた間柄?」

 

 一瞬。

 

 食卓が崩壊した。

 

 浩之は水を吹きそうになり、

 あかりは顔を真っ赤にした。

 

「琴音ちゃん!!」

 

 志保が目を丸くした。

 

「え!?あたしそれ 初耳なんだけど!?」

 

 雅史は俯いたまま笑っていた。

 

 忍は固まっていた。

 

 隼人は何事もないように水を飲んでいた。

 

 みさきの目だけが輝いた。

 

「へぇ~?」

 

 琴音は昔を思い出すように、いたずらっぽく笑った。

 

 マルチがケーキを運んできた。

 

 十六本のろうそくが灯っていた。

 

 明かりが消える。

 

 拍手が響いた。

 

 忍は目を閉じたまま、しばらく動かなかった。

 

 何を願ったかは、誰もしらなかった。

 

――――お客さんたちが帰ったあと。

 

 リビングは静かだった。

 

 浩之とあかりは洗い物をしていた。

 忍はテーブルを片付けてから、ソファーに座っていた。

 

 マルチが隣に座る。

 

 しばらく沈黙が流れた。

 マルチが静かに言った。

 

「忍さん」

 

「ん?」

 

「生まれてきれくれて、ありがとうございます」

 

 忍は何も言えなかった。

 マルチが続ける。

 

「おかげで、私も今ここにいられました」

 

 冷却ファンの音が静かに流れる。

 

 忍は天井を見上げた。

 

 しばらくして。

 

「……それは、俺の台詞だよ」

 

 マルチは何も言わなかった。

 

 ただ静かに、

 隣にいてくれた。

 

――――翌朝。

 

 登校途中。

 

 忍とみさきが並んで歩いていた。

 

 春風が吹く。

 

 校門が近づいた頃。

 

 みさきが言った。

 

「ねえ、マルチさんって料理上手なの?」

 

 忍が吹き出した。

 

「母さんよりも上手い」

 

 みさきは校門へ入っていきながら、

 

 振り返らずに言った。

 

「おめでとう」

 

 春風が二人の間を通り抜けていった。

 

 




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