To heart 30年後〜屋根裏物語〜 作:Joseph Lee
ーーーー夕暮れどき。
藤田家の廊下の突き当たり、天井の折りたたみハシゴは半分ほど下ろされたままになっていた。
忍は階下をちらりとのぞき、小さな声で言った。
「母さん、夕飯の支度してる」
みさきがうなずく。
「おばさんにバレたら終わりだよ」
「だから早く上がれって」
「なんで毎回、私まで共犯なの」
「昨日から一緒にいたじゃん」
「それはそうだけど、なんかムカつく」
ぶつぶつ言いながら、二人はハシゴをのぼっていった。
屋根裏の空気にも、もう少し慣れてきていた。
埃の匂い。古い木の匂い。小さな換気窓から差し込む赤い夕陽。
そして、布の下で静かに横たわるマルチ。
忍はマルチにかけられていた布を払い、紙袋を開けて手のひらほどの灰色の機械を取り出した。
小さな画面といくつかのボタン、汎用ケーブルのついた診断機だった。
「ついに……」
みさきは腕を組んだまま、一歩後ろへ下がった。
「これって本当に使い物になるの?」
「使えるようにすればいい」
「その自信どっから来るの?」
「YouTube」
「またYouTubeだよ」
忍はマルチの前に膝をつき、身体を調べ始めた。
うなじ。腰の後ろ。腕の内側。
「ポート、どこだ……」
「お腹にUSB差すとこみたいなのあるんじゃない?」
「それじゃカッコつかないだろ」
「それ、ポートの位置と関係ある?」
しばらくして、忍はマルチの右手をそっと持ち上げた。
手首の関節を見ていた、その時。
カチッ。
手が、丸ごと外れた。
「うわあっ!?」
みさきが飛び上がる。
「ちょっと! さらに壊したらどうすんの!」
「ち、違う! もともと外れるんだよ! たぶん!」
手首の内側には、無数の細かなピンが整然と並んだ多極端子が収まっていた。
忍の目が輝く。
「見つけた」
「……ガチでびっくりしたんだけど」
ケーブルをつなぐと、診断機の画面が点滅した。
ピッ。
二人は同時に息をのんだ。
画面に英語の文字が表示される。
DEVICE DETECTED
MODEL : HMX-12
UNIT NAME : MULTI
CLASS : ENGINEERING SAMPLE
みさきが眉をひそめた。
「なんて書いてあんの?」
「ちょっと待って」
忍はスマホを取り出し、カメラ翻訳アプリを起動した。
レンズを診断機へ向けると、不安定に揺れるAR表示の上から英文が日本語へ置き換わっていく。
装置確認済み
モデル:HMX-12
機体名:マルチ
分類:エンジニアリング・サンプル
「エンジニアリング・サンプル?」
「試験用……試作品って意味じゃないか?」
「そんなのがなんで、あんたんちの屋根裏にあるの」
「俺も知らねぇよ」
忍は次の画面へ進めた。
SYSTEM STATUS
MAIN BATTERY : FAIL
CAPACITOR BANK : DEGRADED
JOINT SERVO #03 #07 : ERROR
COOLING FAN : LOW RPM
MEMORY BLOCK : DAMAGED
SKIN FRAME : CRACK DETECTED
再び翻訳アプリをかざす。
主バッテリー:故障
キャパシタ群:劣化
関節サーボ #03 #07:異常
冷却ファン:低速回転
メモリ領域:損傷
外装フレーム:亀裂検出
みさきが顔をしかめた。
「うわ……ボロボロじゃん」
「うるさい」
「いや、間違ってないでしょ」
忍は唇を噛んだ。
「バッテリー……ファン……関節……メモリまで……」
「直せるの?」
今度ばかりは、忍もすぐに答えられなかった。
屋根裏に、しばし静寂が落ちる。
マルチは相変わらず目を閉じたまま横たわっていた。
埃をかぶったその顔は、人間みたいに穏やかだった。
みさきが小さな声で言う。
「ねえ」
「なに」
「無理なら……しょうがないんじゃない?」
忍はマルチを見つめたまま答えた。
「新しいの買えばいいって話か」
「新しいマルチなんて、もういないでしょ」
短い沈黙が流れた。
みさきはそれ以上、何も言えなかった。
忍は再びメニューを開いた。
DATA MENU
USER REGISTRY
MEMORY LOG
DAMAGE HISTORY
MAINTENANCE HISTORY
「損傷記録から見る」
「なんで?」
「いちばん重要そうだから」
「見たところで、わかるの?」
「少なくとも原因はわかるだろ」
クリック。
画面が一度明滅し、新しいログが表示された。
DAMAGE HISTORY
2011-03-11
MAIN FRAME IMPACT DAMAGE
LEFT ARM LOAD LIMIT
EXTERNAL SHOCK
翻訳アプリがゆっくり文字を変えていく。
損傷記録
2011年3月11日
本体骨格 衝撃損傷
左腕 負荷限界
外部衝撃
二人は、同時に固まった。
「2011年……3月11日」
忍は呆然と画面を見つめた。
今朝、父が読んでいた新聞の一面にも載っていた日付だった。
ちょうど十二年前。あの大震災が国を揺るがした日だった。
そして、自分がまだ母の腹の中にいた、生まれる二か月前の日でもあった。
みさきがぽつりと言う。
「ねえ……じゃあ、おばさんもその時この家にいたってこと?」
忍は答えられなかった。
ゆっくりと次のメニューを押す。
USER REGISTRY
PRIMARY USER :
FUJITA ...
SECONDARY USER :
KAMIGI...
CHILD CARE MODE :
ACTIVE (ARCHIVED)
翻訳表示が重なる。
主ユーザー:
FUJITA...
副ユーザー:
KAMIGI...
育児モード:
有効(保存済み)
みさきが先に口を開いた。
「藤田って……あんたんちじゃん」
「KAMIGIって……神岸?」
「おばさんの結婚前の名字でしょ」
二人は同時にマルチを振り向いた。
忍が呆けた声でつぶやく。
「育児モード……?」
みさきはゆっくりマルチを見る。
「……って、まさか」
「え?」
「これが、あんたを育てた、とか?」
「そんなわけあるか」
そう言ったものの、忍の声には確信がなかった。
診断機の画面が静かに消えた。
節電モードに入ったのだ。
階下からあかりの声が聞こえる。
「忍ちゃん? みさきちゃん? ごはんできたから降りておいで〜〜」
二人は同時にびくっとした。
忍は慌ててケーブルを抜き、マルチの手を元どおりにはめ込む。
カチッ。
診断機を紙袋へ突っ込み、立ち上がった。
「とりあえず降りるぞ」
「ねえ、これってとんでもない秘密じゃない?」
「だから何も言うなって」
「なんで毎回、私まで共犯なの!」
「しーっ!」
ハシゴを降りる直前、忍は一度だけ振り返った。
赤い夕陽の中で、マルチは変わらず静かに横たわっていた。
何ひとつ語らぬまま。