To heart 30年後〜屋根裏物語〜 作:Joseph Lee
ーーーー翌朝。
食卓には、いつものように朝食が並んでいた。
あかりはエプロン姿で茶碗を置き、浩之は新聞を広げたままコーヒーを飲んでいる。
みさきはいつものように自然に席についていて、忍はいつもより静かだった。
卵焼きを箸で切りながら、忍が何でもないふうに口を開く。
「父さん」
「なんだ」
新聞の向こうから、短い返事が返ってきた。
「2011年3月11日って……何してた?」
新聞を読む目が、ほんの一瞬止まった。
あかりも味噌汁の椀を置き、視線を上げる。
「急にどうしたの?」
忍はできるだけ平然とした顔をつくった。
「別に。昨日、学校でちょっと話が出ただけ」
みさきは口の中のごはんを飲み込み、慌てて話に乗った。
「そうです。特別授業で東日本大震災の話が出て。私たちが生まれた年の出来事だって」
口裏を合わせたのは丸わかりだったが、あかりは特に疑いもせずうなずいた。
「そうだったんだ」
浩之は新聞をたたみ、横へ置いた。
「母さんは家にいた。俺は会社だ」
短い言葉だった。
あかりが静かに続ける。
「すごく揺れたよ。立っていられないくらい」
「母さんは、その時……」
忍がためらうと、あかりは微笑んだ。
「忍ちゃんは、私のお腹の中にいたんだよ」
みさきの目が丸くなる。
「ほんとに?」
「ええ。あの時、八か月くらいだったから」
忍も箸を止めた。
あかりは少しだけ遠くを見る顔になる。
「停電もしたし、電話もなかなかつながらなくて……病院にもすぐ行けなかったの」
浩之がコーヒーカップを置いた。
「次の日、やっと行けた。行ってもすげえ行列だったけどな」
「検査が終わって帰る時、あなたがよく頑張ってくれたって話したの」
あかりは忍を見て、やわらかく笑った。
「だから、忍って名前にしたんだよ」
「耐える……我慢する……の忍?」
「ええ」
忍はしばらく言葉が出なかった。
みさきが感心した顔で言う。
「わあ……かっこいい」
浩之は無表情のまま、また新聞を開いた。
「名前の候補は他にもあったぞ」
「お父さん」
「俺が勝ったんだ」
あかりは笑いながら、新聞に顔をうずめた夫の脇腹を軽く小突いた。
食卓に短い笑い声が広がる。
忍は黙って、ごはんをひと口食べた。
なぜか、いつもより少し重たい味がした。
ーーーー数日後、放課後。
忍とみさきは、また電気街の路地へ来ていた。
見慣れてきたはんだの匂いとケーブルの山、ジャンクパーツの箱。その奥に、三軒目の店のカウンターが見える。
まばらな髭とは対照的に、髪だけはきっちり撫でつけた老人が椅子にもたれていた。
「来たか」
「おっちゃん、これ。必要なパーツのリスト」
忍がノートに書いてきたメモを差し出す。
老人は眼鏡を上げて目を通した。
「バッテリーパック、冷却ファン、汎用サーボはある」
いくつかの引き出しを開け、部品を次々と置く。
「だが、メモリブロック、フレーム補強材、旧式バスアダプターはない」
忍の顔が固まった。
「ないの?」
「ないなぁ」
老人は淡々と言った。
「そういう物はマーケットから真っ先に消える。壊れる前は誰も探さん。壊れてからでは遅い。」
みさきが小声でつぶやく。
「言い方むず……」
忍は焦った声で聞いた。
「じゃあ、どこで手に入る?」
老人は少し忍を見てから、一枚の紙切れを出した。
太い字で、店の名と住所が書かれている。
五月雨堂
「ご、ごがつ……あめ……どう?」
「さみだれどう、だ」
老人が即答した。
「そう読むの!?」
「常識だ」
「おっちゃん、俺まだ小六なんだけど」
みさきが横で吹き出した。
「ぷっ、ごがつって」
「お前も読めなかっただろ!」
「だからそもそも読んでないし」
老人はからから笑った。
「とにかく行ってみたまえ」
「店なんですか?」
「骨董品、アンティーク屋だ」
みさきが顔をしかめる。
「ロボットのパーツをアンティーク屋で?」
老人は鼻で笑った。
「今どき、そんなものが見つかる場所はそこしかない」
少しして、煙草の箱をいじりかけ、またしまった。
「店主にわしの紹介だと言いたまえ。安くはならんぞ」
「じゃあ、なんで言うの?」
「道は開くだろう」
ーーーー駅前の大通りを抜け、さらに一本奥の路地へ入ると景色が変わった。
ガラス張りのビルも、フランチャイズの看板も消えている。
低いアーケードの下に、色あせた看板が並んでいた。
褪せたネオンサイン。
欠けたタイルの歩道。
古い自販機。
今ではほとんど使われない公衆電話。
かつて最先端だった商店街が、2023年にもそのまま残っていた。
「なにここ……」
みさきがつぶやく。
「時間旅行?」
忍はむしろ目を輝かせた。
「めっちゃいいじゃん」
路地の奥、小さな木の看板。
「五月雨堂」
ガラス戸の向こうには、茶碗や真空管ラジオ、その隣には分解されたキーボードと古いノートPCが並んでいる。
「こんにちは」
少しして、奥からのんびりした声が返ってきた。
「いらっしゃい」
二人が入ると、店の中はさらに奇妙だった。
江戸時代の家具の上に、焼け付きの残る初期型液晶モニター。
陶器の横には、今では読み込む機械すら珍しいフロッピーディスクとMD。
違う時代の破片が雑然と混ざり合い、どの時代にも属さない時間だけが積もっているようだった。
みさきがささやく。
「片づいてない倉庫じゃない?」
「しっ」
カウンターの奥で男が立ち上がった。
楽なシャツ姿に、のんびりした顔。年は浩之より少し上に見える。
「いらっしゃい」
「電気街のおっちゃんに紹介されました」
言いづらそうな忍の代わりに、みさきが事情を話した。
男はくすっと笑う。
「ああ、あの人。また人に面倒ごと押しつけて。」
「えっと……こういうパーツ、探してて」
忍がメモを差し出す。
男は一覧に目を通し、眼鏡の奥から忍をじっと見た。
「直すの?」
「うん」
「直してどうするの?」
男はカウンターを指先で軽く叩いた。
「家庭用メイドロボットの生産ラインは、とっくに止まってる。外見だけでも綺麗に直して、マニアに売ればそこそこの値はつくよ」
忍は少し迷った。
屋根裏で初めて見た、陶器みたいに割れた傷。
そして、若い頃の両親の写真。
それから、首を横に振った。
「……売るつもりはないです」
男の指が止まった。
小さく笑って、メモを置く。
「なら、探す理由は十分だ」
壁一面の引き出し棚を開ける。
「金になる物を直すのは仕事」
古い箱を取り出しながら続けた。
「売らない物を直すのは愛情だ」
「……。」
「うちの店は、後者のほうを少し優遇してるね」
奥の引き出しから、小さな基板、金属補強材、古い規格のアダプタを出して並べた。
「これは残ってる」
忍が驚いて聞く。
「なんでこんなの持ってるんですか?」
男は笑った。
「古いだけじゃ、アンティークにはならない」
「え?」
「誰かが今でも探してるなら……それこそ、まじかるなアンティークだよ」
みさきが呆けている忍の肩をつついた。
「聞いてる?」
「うるさい」
男は電卓を叩き、金額を書いた。
忍が緊張した顔で財布を出すと、男が付け加える。
「学生割引」
「ほんとに?」
「その代わり、最後まで直しな」
忍は真面目に頭を下げた。
「はい」
ーーーー残りの部品は、ネットで探した。
中古売買サイト、海外部品ショップ、正体不明の在庫処分ページまで。
忍は生まれて初めて宅配注文をし、みさきは横でずっと小言を言っていた。
「ほんとに押したの?」
「押した」
「詐欺だったら?」
「その時は泣いてやる」
「なんで堂々としてんの」
数日後の午後。
藤田家の玄関チャイムが鳴った。
「はーい」
あかりが扉を開けると、小さな荷物が置かれていた。
宛名を見て、あかりが目をぱちくりさせる。
藤田忍 様
「まあ」
箱を持ち上げると、中で金属がからんと鳴った。
「忍ちゃん宛てのお届け物?」
少し感心したように笑う。
「今時の子って、こういうのも一人でやるんだね。」
それから首をかしげた。
「でも、何を買ったのかな。」
その日の夕方。
学校から帰った忍は、玄関の箱を見た瞬間に固まった。
「えっ!?」
あかりが振り向く。
「忍ちゃん、お荷物来てるよ。」
「あ……う、うん。」
「何を買ったの?」
忍は目を泳がせた。
「科学……関係。」
「金属の音がする科学?」
「最新式の科学。」
あかりは笑いをこらえながらうなずいた。
「そうなんだ?」
信じた顔ではなかった。
さらに数日後の夜。
屋根裏の床には、ドライバー、ケーブル、小さな部品箱が散らばっていた。
忍は下唇を噛み、真剣な顔でマルチの冷却ファンを交換していた。
みさきは説明書を持っている。
「次、なんて書いてある?」
「サーボモジュール再結合。」
「それどこ。」
「今探してる。」
一時間後。
新しい電源パック接続。
ファン交換完了。
関節一部復旧。
診断機の画面が更新された。
MAIN BATTERY : OK
COOLING FAN : OK
JOINT SERVO #07 : OK
MEMORY BLOCK : DAMAGED
MAIN FRAME : ERROR
みさきが口を開ける。
「うわ……ほんとに直ってる。」
忍は汗をぬぐって笑った。
「まだ半分だよ。」
マルチはまだ目を閉じたまま横たわっていた。
だが、昨日までとは違う。
胸の奥から、ごく小さな駆動音が聞こえていた。
初めて起動した日のぎこちない音ではない。
もっと滑らかで、耳障りではないモーター音が、身体の内側で静かに鳴っていた。
マルチの手首からつないだ診断機に、文字が浮かぶ。
CHKDISK: 5%...
ピー——
二人は、同時に固まった。
忍が小さくつぶやく。
「……次は。」