To heart 30年後〜屋根裏物語〜   作:Joseph Lee

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第7話 ~父の工具箱~

ーーーー翌日の夕方。

 

食卓には、焼きたてのハンバーグの匂いが広がっていた。

あかりがフライパンを置きながら言った。

 

「はい、できたよ」

 

皿がひとつずつ並べられていく。

 

忍の分。

みさきの分。

あかりの分。

 

そして最後に、浩之の前へ置かれたのは、ほかより少し大きなハンバーグだった。

みさきが目を丸くする。

 

「わあ。おじさんのだけ大きい」

 

浩之は平然とフォークを取った。

 

「当たり前だ。家で一人だけ男の大人だからな」

 

あかりがくすっと笑う。

 

「小さい頃から、おじさんのはいつも少し大きく焼いてたよ」

 

「なんでですか?」

 

「よく食べたし、一番背も高かったから」

 

浩之は何も言わず、水を飲んだ。

耳の先だけ、ほんの少し赤くなっていた。

 

みさきが忍の脇をつつく。

 

「あんたも将来、あのサイズ食べるの?」

 

「しらねぇよ」

 

食事が始まった。

だが、いつもより食卓は少し静かだった。

あかりは黙ってご飯をよそい、浩之は食べながらニュースを見ていた。

忍は何度も口を開きかけてはやめた。

 

みさきも、なんとなく水ばかり飲んでいた。

 

その時、浩之が何気なく言った。

 

「二人で秘密基地でも作ってんのか」

 

忍の箸が止まった。

 

みさきはむせそうになる。

 

「な、なにがですか?」

 

「最近、飯食ったらすぐ上に駆け上がってくだろ」

 

「それは……宿題」

 

「二人で?」

 

「グループ課題」

 

「小学校も進んだもんだな」

 

浩之はハンバーグを一口大に切って、口へ運んだ。

あかりは何も言わず、箸で味噌汁を軽くかき回していた。

 

しばらくして。

浩之が忍の皿をちらりと見て言った。

 

「食わないのか」

 

「食ってるし」

 

「手だけ忙しい」

 

「……」

 

「気が他所に向いてると、飯をちゃんと噛まない癖、まだ直ってないな」

 

忍は急に顔が熱くなった。

みさきが笑いをこらえる。

 

「おじさん、なんでも知ってるんですね」

 

浩之は大したことでもないように言った。

 

「父親だからな」

 

短い一言だった。

忍はなんとなくうつむいて、ご飯を口に運んだ。

 

食事が終わりかけた頃。

あかりが静かに言う。

 

「忍ちゃん」

 

「なに」

 

「最近、屋根裏によく上がってるでしょ?」

 

箸先が止まった。

 

「……たまに」

 

「ほこり多いんだから、マスクして上がってね」

 

「うん」

 

声は穏やかだったが、食卓の空気だけが少し固まった。

浩之は遠くを見るような目で、水を飲んでいた。

 

食後。

 

忍とみさきが屋根裏へ上がろうとした、その時だった。

ハシゴの下から浩之の声がした。

 

「止まれ」

 

二人は同時に固まる。

忍が振り向いて眉をひそめた。

 

「父さん、風呂入ったんじゃなかったの?」

 

 

 

浩之は、黒い鉄製の工具箱を持って立っていた。

角は擦れていて、持ち手だけ妙につやがあった。

 

「珍しく母さんが先に入るって言うからな。持ってけ」

 

忍はぽかんと見つめた。

 

「……なんで?」

 

「おまえのドライバーじゃ、ネジをなめる」

 

みさきが小さく感心する。

 

「わあ。ツンデレおじさん」

 

「聞こえてるぞ」

 

浩之は工具箱をハシゴ脇へ、どすっと置いた。

 

「終わったら書斎まで持ってこい」

 

「……怒らないの?」

 

「なにを」

 

「勝手に人の物、バラしたから……」

 

浩之は一度だけ忍を見た。

 

「人の物なんかじゃない」

 

少し沈黙。

 

「うちの……いや、そもそも物扱いするな」

 

みさきは目を見開いたまま、両手を口元へ持っていった。

浩之はそのまま背を向ける。

 

「ファン軸うるさかったら、ベアリングから見ろ」

 

そう言って書斎へ戻っていった。

 

屋根裏。

 

工具箱を開けた瞬間、忍とみさきは同時に息を呑んだ。

中は区切りごとに、寸分の狂いもなく整理されていた。

 

ドライバー。

ラチェット。

精密ビット。

マルチメーター。

はんだごて。

トルクレンチ。

 

どれもよく手入れされ、静かに光っている。

みさきがささやいた。

 

「これ、武器庫じゃない?」

 

忍はそっとドライバーを一本取った。

ずっしり、手に吸いつくようになじむ。

 

「……重い」

 

ネジへ当てて回すと、一度も滑らず、ぴたりとかみ合った。

 

「うわ……」

 

みさきが目を輝かせる。

 

「そんなにいいやつ?」

 

「めちゃくちゃ」

 

忍は得意げに顎を上げ、つぶやいた。

 

「筆、弘法を選ばず」

 

「普通逆でしょう?それ、おじさんが言ったの?」

 

「いや」

 

忍は咳払いした。

 

「今、俺が言った」

 

みさきが吹き出す。

 

二人はマルチの背面パネルを開け、配線を整理し直した。

電源ラインを固定し直し、緩んだコネクタを押し込む。

浩之に言われたファンのベアリングも確認した。

本当に、わずかに軸がずれていた。

 

忍は黙って調整する。

 

ブウゥン――

 

ファンの音が、一段静かになった。

みさきが感心する。

 

「ほんとだ」

 

「……」

 

「もしかして、おじさんってすごい人なんじゃない?」

 

忍は答えなかった。

だが、口元だけほんの少し上がっていた。

 

その時。

 

みさきが手を伸ばした拍子に、ドライバーを落とした。

 

ガンッ!

 

工具がマルチの肩へ当たり、金属音が響く。

 

「きゃあっ!」

 

「気をつけろよ!」

 

「ご、ごめん! ごめん!」

 

二人は慌てて工具を拾い上げた。

 

しばらくして。

 

マルチの胸の奥で鳴っていた駆動音が、一度すっと整った。

 

ブウゥン――

 

診断機に新しい表示が出る。

 

POWER LINE : STABLE

AUX SYSTEM : ONLINE

 

忍とみさきは同時に画面を見た。

 

「いけた」

 

「私が落としたからじゃないよね?」

 

「絶対違う」

 

しばらくして。

 

作業を終えた二人は、工具箱を閉じた。

忍が小さく言う。

 

「……父さん、マルチのこと好きだったのかな」

 

みさきは横で、少し真面目な顔で忍を見た。

答えてくれる者はいなかった。

 

ーーーー書斎。

 

浩之は、灯りもつけない部屋で椅子に座っていた。

 

窓の外の街灯だけが、机の端を照らしている。

やがて彼は、机の脇に置かれた工具箱を開いた。

中の一区画が空いていた。

 

しばらく使うことはないと思っていた、マルチの外装分解用の特殊ドライバーの場所だった。

 

その一本は今、忍の手に握られ、屋根裏へ持っていかれている。

浩之は、その空いた場所をしばらく見つめていた。

 

「……また使うことになるとはな」

 

引き出しから煙草を取り出しかけ、無言で戻す。

 

そして静かに蓋を閉じた。

 

ーーーー寝室前の廊下。

 

あかりは、寝間着姿で壁にもたれていた。

いつからそこにいたのか、わからない。

 

「ずっと、あのままにしておくつもりなの?」

 

浩之はすぐには答えなかった。

 

「止めるなら、とっくに止めてる」

 

「……」

 

 

 

あかりはうつむいた。

 

唇が小さく震えていた。

 

「あなたは……あの時、他に方法があったと思う?」

 

浩之は長く黙っていた。

やがて低く言う。

 

「今でも、わからない」

 

あかりは目を閉じた。

 

二人のあいだに、古い沈黙が降りていた。

 

ーーーー屋根裏。

 

マルチは、まだ目を閉じたまま横たわっていた。

けれど胸の奥の駆動音だけは、昨日より少しだけ安定していた。

 

 

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