暗い路地裏の空気は、いつも泥と生ゴミが混ざったような嫌な臭いがする。
売れない魔石の欠片をいくつか換金し、雀の涙ほどの硬貨を握りしめて宿へと戻る途中だった。外套のフードを深く被り、足早にスラムの境界線を通り抜けようとした私の足が、ふと止まる。
ゴミ溜めの脇、崩れかけたレンガの壁に寄りかかるようにして、一人の少女が倒れていた。
最初は、もう息を引き取っている骸かと思った。
ぼろきれのような衣服からは、肉が削げ落ちて骨の形が浮き出た細い手足が覗いている。肌は土汚れで黒ずみ、髪はゴワゴワに固まっていた。
だが、通り過ぎようとした瞬間、少女の胸がかすかに、本当にかすかに上下したのが見えた。
「……あ」
小さく声が漏れる。
関わるべきではない。この街では、行き倒れなど珍しくもない。私自身、日々の食い扶持を稼ぐだけで精一杯の、しがない治癒術士の端くれに過ぎないのだから。
しかし、少女の開いたままの瞳が、濁った茶色の光を宿してじっとこちらを見上げた。何かを求めるでもなく、ただ世界を映しているだけの虚ろな瞳。
気がつけば、私は少女の前に膝をついていた。
「おい、大丈夫か」
声をかけても返事はない。ただ、浅い呼吸がひゅーひゅーと喉の奥で鳴っているだけだ。
そっと触れた手首は、驚くほど細く、そして冷たかった。凍えて死にかけているのではない。体内の気力が完全に底をつき、内臓の機能が停止しかけている。おまけに、剥き出しの足首にはひどい擦り傷があり、そこから血が滲んで黒く変色していた。
このまま放っておけば、明日の朝を待たずに冷たくなるのは確実だった。
「……はぁ。仕方ないな」
私は自分の無力さを呪いながら、少女の傷口にそっと手のひらをかざした。
深呼吸をして、体内の奥底にある微かな熱源を意識する。それを指先へと集め、じわりと押し出すようにして、私の持つ唯一の力を解放した。
手のひらが淡い緑色の光を帯びる。
私の治癒の力は、お世辞にも強力とは言えない。劇的な奇跡を起こすような聖者の力ではなく、対象が持つ本来の回復力をほんの少しだけ底上げする程度の、地味で不完全なものだ。
「ん……っ!?」
光が少女の足首の傷に吸い込まれた瞬間、彼女の身体がびくりと跳ね上がった。
虚ろだった瞳が大きく見開かれ、視線が泳ぐ。
私の力には、一つ奇妙な特徴があった。傷が塞がる際、対象の体内に奇妙な熱と、神経を直接なぞられるような強い疼きが発生するのだ。それはまるで、脳の芯がとろけるような、強烈な心地よさを伴う刺激だった。
「あ、うあ……っ」
少女の小さな唇から、掠れた甘い悲鳴が漏れる。
ガリガリに痩せた身体が、内側から湧き上がる熱に耐えるようにして弓なりに反った。汚れにまみれた細い指先が、私の外套の裾をぎゅっと掴む。
彼女の肌が、一瞬にして内側からぽうっと赤みを帯びた。傷口の皮膚がじわじわと収縮し、熱を帯びながら塞がっていく。その感覚が余りにも鮮烈だったのだろう、少女は視線を激しく彷徨わせ、はぁはぁと熱い息を吐き出し始めた。
「……くっ」
同時に、私の頭を激しい立ちくらみが襲った。
たった一箇所の擦り傷を半分ほど塞いだだけで、全身の血が抜けていくような強烈な疲労感が押し寄せる。膝がガクガクと震え、そのまま地面に崩れ落ちそうになった。
何度も繰り返せば、こちらの命が危うい。それが分かっているから、私はすぐに手のひらを離し、光を消した。
「はぁ、はぁ……。すまない、今の私ではこれが限界だ」
肩で息をしながら、私は少女の様子を窺った。
足首の傷は、完全には治っていない。だが、最悪の炎症は抑えられ、ほんの少しだけ血色が戻っている。
少女は地面に横たわったまま、いまだに身体を細かく震わせていた。脳を揺らすような熱の余韻がまだ残っているのか、その瞳は潤み、焦点が定まらないまま私の顔を見つめている。
「な、に……これ……。からだ、が……あつい……」
蚊の鳴くような声だった。
「少し特殊な術でね。傷が治る時に、ちょっと変な感覚があるんだ。驚かせて悪かった」
私は気恥ずかしさを隠すように、そっけなく言った。
彼女はまだ混乱しているようで、自分の足首と私を交互に見つめている。その表情には、警戒心よりも先に、生まれて初めて経験した奇妙な感覚への戸惑いが見て取れた。
少しだけ良い人だと思ってくれたのか、あるいは単に変な魔法を使う男だと思われたのか。好意というには程遠い、ただの困惑の眼差しだ。
「歩けるか?」
問いかけると、少女は小さく首を横に振った。傷は和らいだものの、根本的な体力不足はどうにもなっていない。
私はため息をひとつ吐き、残った力を振り絞って、その痩せ細った身体を横抱きに抱え上げた。驚くほど軽かった。
「私の部屋へ来るといい。大したものは出せないが、雨風はしのげる」
少女は小さく「……ん」とだけ呟き、私の胸にそっと頭を預けた。衣服の隙間から伝わる彼女の肌は、先ほどよりも確実に、生命の温かさを取り戻していた。
私の宿舎は、スラムのすぐ近くにあるうらぶれた集合住宅の二階にあった。
きしむ階段を上り、鍵の建付けが悪い木の扉を開ける。部屋の中には、小さな木製のベッドと、ガタつく机、それからいくつかの薬草を干した束が吊るされているだけの一部屋だ。
少女をゆっくりとベッドに横たわらせると、彼女は疲れ果てたように、すぐに深い眠りに落ちてしまった。泥のついた足をそのまま寝かせるのは気が引けたが、今の彼女には何よりも休息が必要だろう。
私は机の椅子に腰掛け、しばらくの間、じっと少女の寝顔を眺めていた。
呼吸は先ほどよりもずっと穏やかになり、規則正しく胸が上下している。だが、削げ落ちた頬や、浮き出た鎖骨を見るたびに、胸が痛む。一回限りの微々たる治癒では、彼女の衰弱しきった身体を根本から救うことはできない。何日もかけて、少しずつ快方へ向かわせるしかないのだ。
「……それにしても、疲れたな」
体内の力を絞り出した反動で、全身が鉛のように重い。私は机に突っ伏したまま、いつの間にか意識を手放していた。
翌朝、窓から差し込む薄暗い光で目が覚めた。
身体の節々が痛むのを堪えながら身を起こすと、ベッドの上の少女が、すでに目を覚ましてこちらをじっと見つめていた。その瞳には、昨夜の虚ろさはなく、野良猫のような強い警戒心が宿っている。
「あ……起きたか」
私が声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせ、ぼろきれの毛布を胸元まで引き上げた。
「……ここ、どこ」
「私の部屋だ。昨夜、路地裏で倒れていたお前を連れてきた。覚えているか?」
少女は小さく頷いた。それから、自分の足首へ視線を落とす。
泥を拭ってやると、そこには昨夜私が施した治癒の跡が残っていた。完全に塞がってはいないが、赤黒い腫れは引き、新しい皮膚が薄く覆い始めている。
「お前、なにか……した」
「ただの治癒術だ。言っただろう、少し変わった術だと」
「……へんな、かんじ、した。頭が、おかしくなるかと、思った」
彼女は自分の足首を細い指先でそっと触りながら、頬を微かに赤らめた。昨夜の、脳を揺らすような熱と疼きの余韻を思い出しているのだろう。だが、そこに特別な好意の色はない。ただ、奇妙な術を使う不審な男に対する、正体不明の戸惑いがあるだけだ。
「怖がらせて悪かったな。だが、お前の傷はまだ治りきっていないし、身体も衰弱している。しばらくは、ここにいるといい」
私はそう言って、昨日買っておいた硬い黒パンをちぎり、ぬるま湯でふやかしたものを木皿に盛って彼女の前に置いた。
少女は皿と私の顔を何度も見比べた後、獣のような勢いでパンを口に運び始めた。喉を詰まらせそうになりながら食べる姿を見て、私は少しだけ安心する。
「……リリィ」
食べ終えた彼女が、ぽつりと呟いた。
「名前だ。あたし、リリィ」
「そうか、リリィ。私はここで治癒術士の真似事をしている。よろしくな」
リリィはそれ以上何も言わず、ただ小さく頷いた。彼女の私に対する印象は、まだ「行き倒れを拾ってくれた、少し変わった魔法を使う人」という程度のものでしかなかった。
それから数日、私たちの奇妙な共同生活が始まった。
私は昼間、街へ出て僅かな稼ぎを得るために働き、夕方になると部屋に戻ってリリィの様子を見る。彼女は最初の内、部屋の隅でじっと縮こまっていたが、日が経つにつれて、少しずつ部屋の中を動くようになった。
三日目の夜、リリィの体力が少し戻ってきたのを見計らい、私は再び治癒を試みることにした。
「リリィ、足の傷をもう一度見せてくれ」
ベッドの端に座るリリィの前に跪き、そっとその細い足首を手にとる。
彼女の身体が緊張で硬くなるのが伝わってきた。拒絶はされないが、彼女の息がわずかに荒くなる。
「また、あの……あつくなるやつ、やるの?」
「ああ。一度では治せないからな。少し我慢してくれ」
私は再び、手のひらに意識を集中させた。
淡い緑色の光が灯り、リリィの皮膚に触れる。
「あ……っ!」
途端に、リリィの口から短い悲鳴のような吐息が漏れた。
初日よりも体力が回復している分、感覚がより鮮明に伝わっているのだろう。リリィは両手でベッドのシーツをきつく握り締め、小さな身体を激しく震わせた。
「ん、んん……っ、あつ、い……そこ、変な感覚が、響く……っ」
傷口が塞がる際の心地よい疼きが、彼女の脳を直撃する。リリィの瞳はたちまち潤み、視線が定まらなくなった。とろけるような快感に耐えるように、彼女は頭を左右に振り、小さな歯を唇に立てて声を堪えようとする。だが、内側から突き上げるような熱い余韻には抗えず、はぁはぁと熱い息が部屋の静寂に響いた。
「……く、ここまで、か」
私の視界が急激に暗くなる。凄まじい疲労感が全身の筋肉を弛緩させ、私はその場にへたり込みそうになった。
光を消し、手を離す。
リリィはベッドの上で、上気した顔のまま息を荒げていた。胸が大きく上下し、その肌は汗ばんで微かな色香を放っている。彼女は潤んだ瞳で私を見下ろし、何かを言いたげに唇を戦慄かせていたが、やがて視線を逸らした。
「おにーさんの魔法……本当に、おかしいよ……」
その声には、まだ好意と言えるほどの温かさはなかった。しかし、数日前までの冷徹な警戒心は消え失せ、確実に私たちの間に、奇妙な繋がりと日常の空気が生まれつつあった。
それからの一週間、私たちは同じ部屋で静かな時間を共有した。
私の仕事は相変わらず地味なもので、近所の職人の打ち身を診たり、市場の商人が荷馬車でこすった傷に気休めの薬草を処方したりして、日銭を稼ぐ毎日だった。戻ると、リリィはいつも窓際の小さな椅子に腰掛け、外の景色を眺めていた。
部屋での会話は、決して多くはない。
「今日はスープに干し肉を入れた。少しは味がするはずだ」
「……うん。おにーさん、ありがとう」
スープの湯気の向こうで、彼女が小さく微笑む。
最初は骨と皮ばかりだったリリィの顔にも、毎日の食事のおかげで、徐々に年相応のふっくらとした柔らかさが戻りつつあった。髪の汚れを湯で落としてやると、驚くほど綺麗な、栗色の瑞々しい髪が肩を覆った。スラムの泥に隠れていた彼女の本来の素顔は、ハッとするほど整っている。
それでも、彼女が私に向ける視線は、あくまで「命の恩人」に対する一歩引いた敬意と、少しの懐き具合に留まっていた。当然だ。数日一緒に過ごし、ご飯を食べたからといって、すぐに男女の深い情愛が生まれるわけではない。私たちは少しずつ、お互いの距離を測りながら日常を重ねていた。
十日ほどが過ぎた夜。リリィの足首の傷は、いよいよ最後の仕上げが必要な段階に来ていた。
皮膚はほとんど繋がっているが、芯の部分にまだ硬いしこりのような名残があり、時折痛むのだという。
「リリィ、今日でその足を完全に治してしまおう」
「……うん。おねがい、します」
彼女は素直にベッドへ腰掛け、細い足を差し出した。
木床に膝をつき、その足首を両手で包み込む。衣服の裾から覗くふくらはぎは、最初の頃のような痛々しさはなく、白く滑らかな弾力を取り戻しつつあった。
「いくぞ」
私は目を閉じ、体内の奥深くから、残された気力をかき集めた。これが最後の一回だと思えば、自ずと手のひらに集まる熱も、いつもより濃く、明確なものになっていく。
じんわりと、淡い緑の光が彼女の白い肌を染めた。
「――っ、はあぁっ!」
光が触れた瞬間、リリィの背中が大きくのけ反った。
これまでの比ではない鮮烈な衝撃が、彼女の身体を駆け巡ったのだろう。リリィはシーツを掴んでいた手を離し、たまらず私の肩にすがりついてきた。
「ん、んんぅ……っ! あつい、あついよ、おにーさん……!」
耳元で、彼女の遮るもののない甘い喘ぎが響く。
傷の芯がじわじわと融解し、正常な肉へと再構築されていく過程で、脳の奥底を直接愛撫されるような、抗えない快感の波が彼女を襲っていた。リリィの身体は細かく震え、私にすがりつく腕にぎゅっと力がこもる。
「頭が、とろけちゃう……変な、なにかが、ずっと、お腹のほうまで……っ、あ、うあ……っ」
彼女の吐き出す息は驚くほど熱く、私の首筋を濡らした。上気した顔は朱に染まり、潤んだ瞳からは一筋の涙がこぼれ落ちている。それは苦痛ではなく、神経の髄まで染み渡る特別な余韻に翻弄されている証拠だった。彼女の小さな胸が私の胸に何度も押し付けられ、激しい鼓動がダイレクトに伝わってくる。内心、私の心臓も破裂しそうなほど脈打っていたが、必死に平静を装い、力を送り続けた。
「……これで、おわりだ……っ」
最後の手応えと共に、私は光を遮断した。
同時に、凄まじい虚脱感が私を襲う。視界が激しく揺れ、冷や汗が全身から噴き出した。指一本動かすのも億劫なほどの疲労の泥に、身体が沈んでいく。
手のひらを離すと、リリィは力なくベッドに倒れ込み、はぁはぁと肩で荒い息を繰り返していた。
その足首は、もうどこを探しても傷跡ひとつなく、完璧に美しい少女の肌へと戻っている。
「……なお、った……?」
しばらくして、熱い息を整えたリリィが、まだ微かに震える声で呟いた。自分の足を不思議そうに摩り、それから、激しい疲労で床に座り込んだままの私を、じっと見つめてくる。
その瞳の中にある光は、出会った頃の警戒心でも、数日前の困惑でもなかった。
何度も特別な熱を共有し、日々を共にしたことで、彼女の心の中に、消えることのない深い信頼と、名前のつかない甘い情熱の芽が、確かに、そしてじっくりと根を張り始めているのが分かった。
傷が完全に癒えた翌朝、リリィはいつもより少し早く起きて、狭いキッチンの前に立っていた。
ガタつく椅子から起き上がった私に気づくと、彼女は栗色の髪を揺らしながら、はにかむように微笑んだ。手元には、おぼつかない手つきで切り分けられた黒パンと、昨日私が買っておいた干し肉のスープが用意されている。
「おにーさん、おはよう。……あの、いつもやってもらってばかりだから、これくらいは、と思って」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
席につき、差し出された温かいスープを口に運ぶ。まだ少し塩気が薄かったが、じっくりと火が通されていて、冷え込んだ朝の身体に心地よく染み渡った。
リリィは私の正面に座り、スープを飲む私の様子をじっと窺っている。その視線は、数日前までのどこか怯えたようなものではなく、私の反応を純粋に楽しみにしているような、温かい身内へのそれへと変わっていた。
「……どう、かな?」
「美味しいよ。よくできてる」
そう答えると、彼女の顔がぱっと華やかに綻んだ。スラムのゴミ溜めにいた頃の面影はもうどこにもない。白い肌には健康的な赤みが差し、私を見つめる瞳は澄んだ輝きを放っている。
食事が終わると、リリィは皿を片付けながら、ふと自分の足首に目をやった。
もう傷跡一つなく、滑らかな曲線を描く彼女の足。それを愛おしむように細い指先でなぞった後、彼女は小さく胸元で両手を握り締めた。
「あたし、もうどこも痛くない。おにーさんが、何度も何度も、あの不思議な魔法で治してくれたから」
「術士として当然のことをしただけさ。体力が戻ってよかった」
私がいつも通りのトーンで返すと、リリィは少しだけ唇を尖らせ、それからベッドの端へ歩いていって腰掛けた。そして、上目遣いに私をじっと見つめてくる。
「ねえ……おにーさん。本当に、もうあたしの身体、どこも悪いところはないの?」
「ああ。歩くのも走るのも、もう問題ないはずだ」
「でも……なんだか、まだここが、ときどき変な感じがするの」
リリィはそう言って、自分の小さな胸の真ん中、薄い衣服の上から心臓のあたりにそっと手を当てた。
「おにーさんの魔法が終わったあとも、ずっと奥のほうがぽかぽかして……おにーさんの顔を見ると、またあの、頭がとろけそうな熱いのが、戻ってきそうになるの。これって、まだ治りきってないのかな?」
彼女の言葉に、私は一瞬言葉に詰まった。
リリィの瞳はどこまでも真剣で、そして潤んでいる。それは術による一時的な感覚の残滓ではない。何度も特別な熱を共有し、この狭い部屋で同じ時間を過ごすうちに、彼女の心の中に澱みなく積み重なった、私への深い執着と、まだ名前を知らない恋情の表れだった。
「それは……魔法のせいじゃないと思う。ただの、気のせいだ」
内心の動揺を隠すようにそっけなく答えると、リリィは小さく笑い、ベッドの上で少しだけ身を乗り出した。
「気のせいじゃないよ。あたし、おにーさんの傍にいると、すごく安心するの。……でも、それだけじゃなくて、もっと……」
彼女はそこまで言うと、恥ずかしそうに視線を落とし、栗色の髪で顔を隠した。しかし、その指先はベッドのシーツをきゅっと掴み、私の出方を待つようにかすかに震えている。
劇的な変化ではない。しかし、スラムの片隅で凍えかけていた孤独な少女と、しがない治癒術士の距離は、この何気ない日常の積み重ねの中で、確実に、そしてもう戻れないところまで深く、寄り添い始めていた。
「……おにーさん、聞いてる?」
髪の隙間から覗くリリィの耳が、心なしか赤くなっている。私はただ、手に持った空の木皿を見つめたまま、気の利いた言葉を探すことしかできなかった。
「ああ、聞いてるよ。……お前が元気になって、本当によかった」
ようやく口から出たのは、そんなありきたりな言葉だった。
それでも、リリィは嬉しそうに顔を上げると、ベッドから立ち上がって私のすぐ傍まで歩み寄ってきた。衣服の裾から伸びる細い足は、もうどこを歩いても崩れることのない確かさで床を踏みしめている。
「あたしを拾って、ご飯をくれて、あんなに一生懸命……身体を張って治してくれたの、おにーさんだけだもん。だから、気のせいなんかじゃないよ」
彼女は私の着古した外套の袖を、遠慮がちに、でも決して離さないというように小さな指でそっと掴んだ。
「これからも、ここにいていい……? おにーさんのために、あたし、もっといろんなことできるようになりたいな」
見上げてくる潤んだ瞳には、出会った頃の凍てついた色は微塵もなかった。
ただの傷を癒やすだけの地味な術。そこから始まった奇妙な関係は、この狭く薄暗い部屋の中で、誰にも邪魔されない確かな温もりへと形を変えていた。私を頼る彼女の体温が、袖を通じてじんわりと伝わってくる。その心地よさに、私はただ、静かに頷くことしかできなかった。
窓の外から、街の遠い喧騒がかすかに聞こえてくる。部屋の中は、すっかり夜の帳が下りていた。
ベッドの端に腰掛けたリリィは、小さく息を吐きながら、自分の胸元に手を当てていた。その肌は、昼間よりもずっと濃い朱色に染まっている。
「おにーさん……やっぱり、まだここが、すごく熱いよ……」
潤んだ瞳が、暗がりの中でじっと私を捉える。彼女の言う「熱」が、もう傷のせいではないことは分かっていた。何度も重ねた治癒の記憶が、彼女の身体に深く刻み込まれ、私の手が触れる瞬間を本能的に求めてしまっているのだ。
私はため息をひとつ吐き、彼女の隣に腰を下ろした。
「……少し、見せてみろ」
そっと手を伸ばし、彼女の薄い衣服の襟元に指をかける。リリィは拒むどころか、待っていたとばかりに小さく身体を震わせ、自ら鎖骨のあたりを広く押し出してきた。
かつては骨が浮き出ていたそこには、今や若々しく滑らかな、白い肌のふくらみが戻っている。私の指先がその柔らかな皮膚に触れた瞬間、リリィの口から「ひゃんっ……!」と、これまでになく甘く高い悲鳴が上がった。
「あ、うあ……っ。おにーさんの手が、触れただけで、あたまの奥が、じんわりする……っ」
まだ力を解放してもいないのに、彼女の身体は敏感に反応していた。
私はゆっくりと体内の熱を呼び起こし、手のひらから淡い緑の光を滲ませる。その光が彼女の胸元を包み込むと、リリィはたまらず私の肩に両腕を回し、しがみついてきた。
「んんぅ――っ! これ、これだよ……あつい、お腹の奥が、きゅーってなって、変な、なにかが、溢れそう……っ!」
治癒の力が、彼女の健康な肉体を内側から優しく、そして濃厚に刺激していく。
傷がない場所に施す術は、細胞の隅々にまで過剰なまでの活力と、とろけるような快感を送り込む。リリィの小さな身体は完全に熱に浮かされ、私の胸に何度もその柔らかな胸元を擦り付けてきた。衣服越しに伝わる彼女の果実のような弾力と、はぁはぁという熱い吐息が、私の理性を激しく揺さぶる。
「おにーさん、おにーさん……もっと、もっと変にして……あたし、おにーさんのこれがないと、もう……っ」
彼女の指が、私の背中の服をきつく引き絞る。
上気した顔、どこまでも淫らに潤んだ瞳、そして私の首筋に何度も押し付けられる、熱く濡れた唇。彼女の純粋な執着と、術がもたらす極上の疼きが混ざり合い、部屋の空気は一気に濃密な色香で満たされていく。
「……く、これ以上は……」
全身を襲う凄まじい疲労感に耐えながら、私は光を消し、そっと彼女の身体をベッドに横たわらせた。
リリィは乱れた衣服の間から、汗ばんだ白い肌を大胆に覗かせたまま、はぁはぁと肩で息を刻んでいる。その瞳は完全に熱に濡れ、私を見上げる表情には、ただの恩義を遥かに超えた、濃密で深い独占欲がはっきりと宿っていた。
これ以上の行為はなくても、私たちの距離は、もう言葉にする必要がないほど熱く、深く結ばれていた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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