愛唯の良くない噂は日に日に増して拡散され、友達が2人しかいないボクの耳にすら入ってくるほど有名な話になった。
クラス内……それどころか学年中でホットな話題になっているのだろう。愛唯は新入生の中じゃその類稀な容姿から有名人だ。愛唯を知らない大多数の生徒からすれば、有名人の評判にケチがつく噂話は好むというもの。
噂の内容は詳しくは言いたくない。一つ言えるのは時間と共に詩鳥から聞いた話を起点に尾ひれ羽ひれが付いて、友達であるボクからすれば荒唐無稽な出鱈目すら吹聴される状況だ。勿論殆どの生徒は半信半疑で、全てが事実と考えているわけじゃない。それでも愛唯と関係性の薄い生徒の多くは薄っすらと淡月愛唯という少女を誤解してしまっているんじゃないかと思う。
それに───愛唯自身がその話に一切触れないことも余計に誤解を加速させている。否定も肯定も、相槌すら打たない。違うなら違うって反駁すれば良いのに。話題自体に関心が無いのか……それとも、最早どうでもいいとか考えているのか。
そして2日経った今。気付けば愛唯の周囲にいたクラスメイトたちは大きな潮流に流されるように愛唯の下から離れて行き、愛唯はクラスで孤立気味になっていた。
ボクはそんな愛唯と、クラスメイト達とは異なる理由で距離を置いている。
いや……正確には、距離を置いてしまっている。
認めるまでも無くボクは噓つきである。愛唯とは友達だけどそれは建前だ。愛唯のことを世間一般的な意味合いで友達として認識したことはない……そう思っていたのだ。
でも愛唯は多分、ボクを友達だと思っている。
無論、そういう人は中学時代にも沢山いた。ボクが騙して向こうが勝手に友情を抱く。言い方は良くないけど、そういうのには慣れている。
でも愛唯は……愛唯は違う。ボクが噓をついていることを知っている。知った上でボクを友人として見做して接してきた。無理矢理契約を盛り込んでまで。
それが不思議だった。
きっとそんな疑問がボクの思考回路にノイズを植え付けていた。
噓つき相手に友情を覚える? いやいや……有り得ないでしょ。
もし中学時代の友人にボクの嘘がバレたとして、きっと相手はボクを糾弾するか、或いは距離を置くか。大半がその二択を取っただろうと思う。
……思えば、ボクは今まで有栖川聖を友達だと認識してきた相手に、大きな噓がバレたことがない。
噓を噓と見抜き、あまつさえ噓つきと断じてきたのは愛唯が初めてだった。
きっとこの思考のバグの温床は、そんなボクの経験不足によるものなんだろう。
───今のボクは背後の存在が堪らなく恐ろしく見える。
昨日までそんなに思ってなかった。
家に帰った後、色々と考えて、結果的に分からないことがもっと分からなくなった。未知も不安も全部、恐怖に転化したのだと理解したのは今日の朝、愛唯の顔を見た時だった。
ボクは授業中も恐れてる。
振り向いた瞬間、自分の大罪と無手で相対して、これまでの悪徳を直視させられてしまいそうで。
ボクという存在の価値が、意義が、歴史が、須らく崩される。何処までも矮小で噓つき。そんな奴の世に残した足跡は嘘塗れで哀れだと。憐憫に値すると。それが偽証することも儘ならぬ、有栖川聖、唯一の存在証明なのだと。
どれだけ主観で美しく飾り立てようと、ボクが嘘は好ましい行為だと主張しようと、それこそが詭弁で欺瞞で───美しくない。ただの社会の澱だと突き付けられてしまう気がして。
それが正論であるとボク自身も認めてしまう気がして。
「聖」
「……え? ん? なに?」
ボクを呼ぶ声。
返事を返す前に辛うじてその主が詩鳥だと気付き、ボクは意識的に柔和な表情を作りながら顔を上げる。
今は昼休みだった。考えている間にもボクはお昼ご飯に手も付けず、ただ思考に没頭していたらしい。
背後を振り返らないままに確認してみる。
身動ぎの音一つしない辺り、愛唯は既に教室外へと出て行ってしまったようだった。
「大丈夫? なんか上の空だったみたいだけど」
「うん……ちょっとした悩み事があってね」
「悩みごとか」
そのたった三文字だけで内容を察したように、詩鳥は複雑そうな顔をして頬を掻く。
「ちょっと話せないかな。話があるんだ」
「話……分かった」
何の話かを事前に聞くまでもない。
詩鳥の視線もまた、ボクの後方へと向かっていた。
長話になるからと、詩鳥はボクを伴って体育館へと足を向けた。
「どの部も昼練とかしないんだよね~ウチの学校。だから昼休み中は体育館使い放題。施錠もされてないしね」
「へぇ……熱心なバスケ部員である詩鳥的にはそれが不満だと?」
「え、良く分かったね?」
「詩鳥のことは何となく分かるからね」
「ええ!? そんな私って分かりやすいかな?」
詩鳥は少し羞恥に焦ったような顔をして、自分の表情を確かめるようにぺたぺた触る。
まあ、何となく分かるなんて当然嘘である。
単純な推測だった。
まだ入学したばっかりの新入生が昼休みの体育館の利用状況を知ってるのは少し変だからね。それに詩鳥は「どの部も昼練はしない」と言い切った。自分の所属するバスケ部以外もだ。それは詩鳥自身が昼休みに何度も体育館を利用している事実に他ならない。
「まあボクは人の心が読める方だから、詩鳥が分かりやすいって訳じゃないよ」
「人の心が読める方って……いやはや、聖ってば面白いこと言うんだから」
適当に言っただけなんだけどな。何なら嘘が分かるとか嘯く(しかも割とマジっぽい)美少女がボクの真後ろに座ってるし。
詩鳥は優し気に目を窓の外へと向ける。
「でもさ、もし人の心が読めたら大変だよね。」
頭の後ろで手を組みながら、詩鳥は雑談の姿勢を崩さず話を続けた。
「大変かな? そりゃデメリットもあるんだろうけども……人の心が読めるってことはその人の底を知るってことだよ。強みも弱みも行動原理も全て知れるわけだし、人を思い通りに動かすことだって出来るかもしれない」
対してデメリットといえば……敢えて言うなら知ること自体だろうか。
知るという行為が、こと人間関係において無条件に良いことじゃないのはボクにも分かる。
「どうかなー。私は知る必要が無いことは知らなくて良いと思う」
「そりゃボクもそうだけど、色々と人の秘密を知ったら面倒も多いだろうし」
「そうじゃなくてね」
ボクの言葉を遮り、ボクの前を先行する詩鳥は軽く振り返った。翠色の瞳が陽の光を吸い込んで、僅かに眼が見開かれる。
「私だったら嫌だなぁって。だって相手の抱えている悩みも秘密を全て知りながら、それを表に出しちゃいけないわけでしょ? それって何だか常に相手を騙してるみたいな感覚になりそうだから、私だったら勘弁だな~って」
……そういう意見もあるのか。
ボクはそんなこといつも通りだから気づけなかった。
「だから聖に私は同情するかな、うん、そんな能力持っていたら普通に生活するのも苦労する気がするからさ」
「……一応言っておくけど、ボクは人の心を読めないからね?」
「え、嘘だったの! 友達の私を騙したんだ! 酷い! コロッケパン奢って!」
「冗談に託けてタカろうとしない。それにボクの財布事情は常時緊縮財政なんだ」
「えー。じゃあ一緒にバイトでもする?」
「サボるなバスケ部」
すっかり普段のテンションに落ちついた詩鳥は、僕の返答に楽し気な笑みを浮かべた。
昼休みの体育館に入ると、詩鳥の言葉通り人影一人存在していなかった。この高校はあまり運動部に力を入れておらず、去年は大会で成績を残している部活も無いと聞く。全国大会とは縁も無かったボクの出身中学ですら野球部とかバレー部とかは昼練をしてた記憶があるし、本気で大会で優勝しようとか考えていないとこう緩くなるんだろうと思わざるを得ない光景だ。
「聖、こんなところまで着いてきてくれてありがとう」
「昨日の今日だから何てことないよ」
詩鳥は体育館の戸を閉めると、ボクに向き合う。
照明すら付いていない館内は若干薄暗く、二階部分に設置された天窓から射してくる陽光が仄かに室内の明度を保っている。
「それで、ボクの予想が合ってればこの前の話の続きだよね」
「分かってたんだ」
「そりゃあ……ああも露骨な感じだとね」
「私やっぱり分かりやすいのかなー? まあいいや。分かってて来てくれたのなら、私が何を言いたいか分かるよね?」
「まあね。ボクに愛唯と話してほしいんでしょ」
「んーそこまで踏み込むかは微妙だったんだけど……私は聖の考えを聞きたいだけなんだよね」
「考え……考えか……」
「ずっと静観し続けるつもりじゃないんだよね?」
「まあ……」
柔和な眼差しながらも曖昧模糊は許さぬと言いたげな口ぶりに、思わず黙ってしまう。
静観。
確かにボクは静観していた。
場を観察して、愛唯を観察して、変化が無いからと態度を決めずにいたのはその通り。
「このまま見ていても好転しないと思うよ?」
「それはそうだけども、ボクだって難しい立場なのは詩鳥にだって分かるよね」
「そう?」
「友人は愛唯だけ。学校内に他の友人も知り合いもボクには居ない。そんなボクが声高らかに愛唯の風評を否定しても、大して効果は無いと思うんだ。ボクが愛唯に肩入れするのは周囲から見たら当たり前のことだし」
「友人である聖が味方するだけでも、淡月さんは救われると思うよ」
「それじゃ意味がないよ」
「意味が無いなんてことはないと思うんだけど……」
その言葉にボクは明確に言い返す。
「いいや、ボクが思うに意味は無いよ。寧ろ悪手と考える。今の愛唯には明確な味方がいないからこそ、誰も本人に言及していないし責め立ててもいない。やり過ぎれば弱い者虐めみたいになっちゃうからね。でも誰かが愛唯のヒーローになったらどうだろう。少なくとも1人じゃなくなる。勢力が出来たと思われれば、叩いても大丈夫そうと無意識に判断される。……その後の顛末は言うまでも無く想像つくんじゃないかな?」
詩鳥の目を見返す。
これ自体は建前だけど事実でもある。現状が続く限りは愛唯に変な危害が向くことはないだろう。
その論理自体は詩鳥も理解するところで、次ぐ言葉はすぐには出てこなかった。
それでも余白を埋めるように、その口を開く。
「……そうかもね。聖の言葉はもっともかもしれない。私もそう思う。でも何と言うか……そういう理屈とか予測とかじゃなくて……感情的なところで納得できてないっていうか。聖はそれでいいの? 今のまま手をこまねいて納得なの?」
「愛唯があんな感じだとね。知ってるかもしれないけどもボクと愛唯はこの学校で初めて会った友人だ。この前はボクが愛唯の唯一信用できる相手って言ってたけどアレは少し誤解も孕んでる。相対的に一番ってだけで、絶対的な関係値はそう高くないよ」
「ならちょっぴし狡い聞き方をしちゃうけど……聖には声を掛けたい、助けたいって気持ちはあったりしないの? 仮にもし聖が同じ状況に陥っていたら、私なら声を上げちゃうし、聖にだって似た想いはあるんじゃないの……?」
戸惑い気味ながらも率直な質問をしてきた詩鳥にボクはこう答える。
「あるし、忸怩たる思いはずっと感じてる」
「だったら話してあげてよ。相対的だろうと絶対的だろうと、友達なら話くらいしなよ。それが当然だと思うし……。それに理屈を理由に対話することすら放棄したらさ……上手くは言えないんだけど……報われないって思うんだよね……」
それ以上言葉が途切れる。
報われない……か。
それは誰にとって、どうして。
などと理解をしようとしたその時。
不意に、全身が氷塊みたいに凍てつく。
触られた。
そう感じた。
冷たい。
ひたすらに冷たい。
冷えた鉄が全身に巻き付いたかのような悪寒。
身体の柔らかい場所を鷲掴みにされた圧迫感。
皮膚がかじかんで切れそうだった。
血の球が滲んで、中身が出そうになった。
その言葉には、首筋から刃で切り落とすような───そんな鋭利な殺傷力を忍ばせている。
その凶器の正体はなんだろうと探ってみる。
答えは簡単だった。とてもとても簡単。
友誼でも───。
外面でもなく───。
これは罪悪感だ───。
乾いた唇をこっそりと舐めとって、ゆっくりと言う。
「ボクには荷が重いと思うんだけど……分かった。やれるだけやってみる」
ボクの言葉を静かに聞き入れると、詩鳥は瞼を伏せて口を震わせた。
「……ごめん。人任せで。でも、聖には後悔する選択肢だけはしてほしくないと思ったんだ。友達として、クラスメイトとして、私は二人のことを信じてるよ」
─── ─── ───
嘘をつくのは得意科目ではあるけども、自分に嘘をつきすぎるのも考えものである。
放課後間近まで授業そっちのけで懊悩する時間を過ごして、ボクは決断をした。
いい加減に自分の尻を自分自身で蹴り飛ばすべきだ。詩鳥に言われたからって理由も多少はあるけども、それは理由の2割くらいで、残りはボク自身の判断で。
認めなきゃならない。
ボクにとって淡月愛唯は、ただの友人と言うには質量を持ちすぎている。このまま関係の自然解消を受け入れてしまえば、罪悪感に苛まれるだろうと予想できてしまうほどには。
今までにない感情である。
有栖川聖には考えられぬ真摯さとも言える。
「愛唯と向き合うか……」
しかし中々にそれは難題だ。
何せボクにとって、友達とは騙す相手とトートロジーだった。欺瞞で以て親近感を抱かせ、交友関係を築き上げたボクの人生。嘘が危うくなればそれとなく人間関係を損切りしてきた。
それ以外の方法をボクは知らないし、今更、誠実さを武器に出来るほど器用な人間でもないし。
つまるところ、何をすべきかといえば……。
うん、そうか。
そうだ。
そうに違いない。
簡単なことだ。
ちゃんと友達になろう。
意外なことに、ボクは愛唯を友達……という定義が正しいかは分からないけども、捨て置くには惜しいと思えるくらいには評価しているようだった。中学時代は無かった感情だ。
愛唯のことは、ボクからしても捨てがたい関係性なのは良く理解した。ただ今から元の関係性に戻るのはかなり難しい。
なら策を練る必要がある。
元の木阿弥が無理なら、より進むしか選択肢はない。元よりボクはハッタリで学校社会を渡って来た人間だ。
準備をして、後は出たとこ勝負。
これしかないだろう。
方針も決めた。噓つきは噓つきらしく向き合ってやる。
決めたからには事前に動かねば。
嘘をつくにも前提情報は必要なのだ。
ボクはスマホを握り締め、滅多に起動しないSNSアプリを開いた。
「愛唯、放課後に話がしたいんだけど時間はある?」
迎えた決行日の朝。
早めの登校を終えたボクは、愛唯が教室にやって来るなりその言葉を投げ掛けた。愛唯は目を丸めて驚いたようだった。ボクが愛唯より早く登校しているのもそうだし、今まで沈黙を貫いていたのに話しかけてきたのもそうだろう。
ただすぐに取り繕おうと、氷のように冷たい表情でボクを見遣った。少し前まで振りまいていた笑顔はない。
「何の用かな」
「ボクと愛唯の関係性、整理した方が良いと思うんだ」
「……いいよ。放課後、あの喫茶店で待ってて」
間を空けて、愛唯は話し合いを承諾してくれた。
でもそれは天秤にボクの提案を乗せて、話し合いを持った方が得であると判断したからといった風な、無機質な肯定にも見えた。
その後は微妙な空気感を維持したまま放課後になった。
背後の気配を探る。最近の愛唯は休み時間は読書に励んでいて、放課後も続けるようだった。
……そんなにボクと一緒に行動したくないか。
教室で前後の席にも関わらず喫茶店を待ち合わせ場所に指定したのも、ボクの見当違いじゃなければボクと共に行動したくないから。別件がある可能性も考えたけど、最近の愛唯の様子からそれも無いだろうと判断した。日直も違うしね。
ボクはスクールバッグを持って無言で立ち上がる。
先に行って席を確保しておこう。
学校を出て駅とは反対方面を歩く。
あの喫茶店───というのは少し前にデートと嘯いて連れていかれた店の事だろう。ボクが愛唯と入った喫茶店なんてそれくらいしかないし、込み入った話をするならそこが最適だ。
喫茶店に到着すると一番奥にある二人席を選んで座る。今日はゴールデンウィーク手前の4月下旬ながら初夏並みの気温だった。汗がじんわりと滲んでいるのに気づいてアイスカフェオレを頼んだ。
アイスカフェラテを飲みながら本を開いて、愛唯が来たのはそれから30分後のことだった。
「お待たせ」
「別に構わないよ」
対面に座ると、手慣れた様子で注文をする愛唯。ブラックコーヒーのアイスを頼んでいた。ボクへの当てつけかと一瞬顔を顰めそうになったが、そういうみみっちい仕返しをする人間性ではないだろうと思い直す。愛唯が仕返しするならもっと直接的に、相手が触れられて嫌な場所を抉る。
「早速だけど本題だね。関係性を整理するって言うけど、具体的に何を話すつもりなのかな?」
長話をするつもりがないとばかりに、愛唯は指を組んでボクの返答を待つ姿勢に入る。
この場を設けようと考えた時点で、ボクは授業中も色々と思案する羽目になった。
何を話すべきか。何をしたいのか。そもそもボクはどうなるのがベストと思うのか。
結論も見えない五里霧中で考えあぐねて───決めた。
「まずは欺瞞を正すところからじゃないかな」
「欺瞞……というと?」
「ボクと愛唯の間には二つ欺瞞がある。一つ目は友人関係であること。恐れずに言えば、契約上の友人なんてものになってしまったからこそ捻れてしまった」
契約を結ぶ前から愛唯とは仲が良い方だった。
ターニングポイントはあの契約。
自然状態で仲が良くとも、契約によって縛られ、関係を強制されればまた変わってくる。ボクはそうだった。契約という鎖で結ばれていることを自覚すると、事実がどうあれそれ即ち、関係性がまやかしであるという証拠のように思えてしまう。契約上の友人であって、本当の友人ではない。契約締結以降、ボクは愛唯との関係性をそう捉えてしまった。
「確かにね。私も迂闊……ううん、こうなるとは知らなかったんだ。いいよ、どうせ契約書を持ってきてるんでしょ。その部分は訂正しちゃってよ」
「友達をもう辞めたい、そういうことかな」
「だって聖ちゃん、私を友達だと思ってないでしょ?」
正答だ。ボクは目の前の女子生徒を友達と認識したことはない。候補であるとは思っていたけども。
でも、そこは大して重要な話じゃない。
重要なのは、愛唯の今の発言。
「どうして愛唯は、ボクが友達と思ってないって断言できるの?」
「それって重要な話? 見てれば分かると思うけどなあ?」
「ボクはそう思わない。そして、今の発言。二つ目の欺瞞にも繫がる言葉だとボクは思う……いや。これに関しては欺瞞というより詭弁という方が正しいかもしれないけど。ボクとしてはこの詭弁の話をしたい」
「詭弁」
愛唯が繰り返し呟き、ボクに剣呑な瞳を向ける。
そうだよ。詭弁だ。
「愛唯……君は相手の嘘が分かる超能力があるとか言っていたよね。でもそれ、実は過少申告だったんじゃないかな」
「過少申告ってどういう意味かな~私は噓が分かるってそれだけだよ?」
「いいや違う。ヒントは愛唯の言動からも転がっていたんだ」
例えば前回この喫茶店に来た時、ボクがブラックコーヒーを好きだと言うとそれを嘘と断じた。その後に愛唯は確かにこう言った。『ブラックコーヒーも別に好きでも何でもないよね』と。アレが違和感の最初だった。噓か真実か見分けるだけの能力であれば、好きじゃない=嫌いと解釈する余地の方が大きい。なのに好きでも嫌いでもないとまで解釈を広げるのは、あまりにも出来過ぎている。
新入生合宿中もやたらめったらとボクの心情を読むかのような言動が多かった。
これも大きな疑惑である。
ただ、それ以上の決定打が存在する。
祈から逃げるべく昼食を屋上で食べた日、愛唯はこう言った。
『お父さんが作るのは……流石に無理だよね。自分じゃ料理しないの?』
───この発言は明らかにおかしい。
だってボクは一度だって家の事情……ボクが父子家庭であることを愛唯に話したことはない。
無意識に話したという線も無い。家庭環境については昔、色々と不愉快な弄りを受けてからは基本的に聞かれても答えないからはぐらかすようにしている。ボクの同中が一人もいないこの高校で、会って一カ月も経ってない愛唯が知れる話じゃないんだ。
これが偶然、或いは思い違いと言うならそれでも良いけどさ。
でも前に愛唯は言っていた。
嘘をつかないと。
愛唯が嘘をついていないと仮定すると、『他人の嘘が分かる』というのは部分的に真実で、しかし全てを語っていない。
「───愛唯には心が読める能力がある。心が読めるから相手がつく嘘の真偽も判断がつく。そう演繹法的に考えれば納得が出来る。違うかな?」
このボクの考えも読んでいるのだろう。
愛唯は少し驚いた表情になって、紡ぐ言葉を勘案するかのように目を伏せた。
数秒して、いつものような感じで軽く頷くと。
「うん、大正解~! 証拠と言える証拠は無いけどねえ~でも私の能力を見破った一人目として認めるね! 大いに認めてあげる! 言い当てたのは聖ちゃんが最初だよ! 凄いね、良く分かったね」
「一カ月もいれば分かることだってある」
「中学の人達は三年間分からなかったよ?」
「それはボクが特別だからだね」
ボクがそう胸を張れば、愛唯はおかしな表情になった。
───ここからが本番だ。気を引き締めていこう。
「特別って……友達でも何でもない、ただのクラスメイトの聖ちゃんが?」
「友達じゃなければ分からない、なんて道理はないだろう?」
「あのね聖ちゃん、嘘を吐くのは私も怒らないよ。でも特別だなんて嘯くのは良くないんじゃないかな。聖ちゃんは私を友達だと思っていない……いつも受動的で話しかけるのは決まって私からだったよね。それで特別扱いされてるだなんて思い上がりだと思わない?」
まだ気づいていないのか。これでも結構ヒントは出しているつもりだったんだけど。
「ヒントってなに?」
当然のように心を読んできた愛唯を制して、ボクはアイスカフェラテを一口。乾いた口内が湿潤で満たされる。
「あのさ、なんで心を読むだなんて奇想天外な発想にボクは至ったと思う?」
「理由はさっき言ってくれたでしょ?」
「でも愛唯は証拠がないとも言った。その通りだ。証拠なんてない。でもボクはその推論に絶対的な自信を持っている。変だとは思わないかな? 幾ら違和感があったとしても、これは砂漠から一粒の金砂を取り出すくらいには希薄な論理構成だ。どうしてだと思う?」
「どうしてって……」
そこで改めて愛唯はボクを観察するように目を細めて、指を机に立てる。
……どうだろう。今までの話を総合的に加味すれば、気付けるものだと思うけども。
心が読める少女、淡月愛唯。
そしてゼロにも等しい状況証拠から無理矢理正解を見出したように見せかけたクラスメイト、有栖川聖。
「───まさか、聖ちゃんも私と同じような能力を」
「気付くの、遅かったね」
導き出した結論にボクは肯定する。
自分で出した結論だったとしても、あまりにも突飛も無い話に愛唯は口を小さく開けたまま呆気に取られる。仕方も無いことだろう。
ボクは矢継ぎ早に話しかける。
「愛唯とは同じ能力があるからさ、いつバレるかとこれでもドキドキしていたんだけどなあ」
「でも聖ちゃんって一度もそんな素振りは……!」
「愛唯はもう知ってるでしょ。ボクは噓つきだよ? 他人を騙すのと自分を騙すのに違いはないよ」
それにこんな能力、無い風に振舞った方が心身共に健康的だ。
他人の知りたくもない悪意、善意、関心、無関心。
その全てを意図せず知れてしまう。
知ってしまえば束縛が増える。あの子はこんなことを考えていたから止めておこう。この子はボクを嫌いだから近づかないでおこう。そんな考えに囚われ、自縄自縛になって世界が窮屈に縮む。
だからこそ知らない振りをする。
知ってしまえば楽じゃないから。
「そんな、そんなバカげた話───あるわけないわ!」
「別に信じなくともいいけどさ、愛唯として信じた方が合点がいくんじゃない?」
「私以外にありえない! だって15年生きてきた! それで一度たりとも見たことがないんだよ……!?」
愛唯は慌てふためきながら両手を震わせる。
「ボクだって同じだよ。愛唯が心を読めるだなんて、最初は可能性に気付いても信じなかった。だってボク以外に見たことが無いんだからさ。でもこうなった以上認めようよ」
「な、なにを……?」
「ボクたちが世界でたった二人の読心の能力を持つ存在だってことをだよ」
だから愛唯、君は一人っきりなんかじゃない。
「じゃ、じゃあ私の考えている事が分かる……とでも言うの?」
琥珀色の瞳がゆらりと揺れる。
ボクの発言の真偽を確かめる意図以上に、自身の思考の余白を埋めるべく出た発言に見えた。それは一定数合っているだろう。
「何を考えているか? そうだね、まず混乱してる。次点で恐怖かな。ボクが何故こんなことを言い出すのか、何を次に言い出すのか見当が付かないって感じだ」
間髪入れずに返答したことで愛唯の口が開いたまま固まる。流石に処理落ちもやむなしか。
でもここは手を止める場面じゃない。
ボクは更なる事実を告げるように指を立てる。
「もう一つ踏み込むなら───裏切られたって思ってるよね。契約を結んだのに一向に友達だと認めないボクに対してずっと不服で、屋上の一件でそれが弾けた。一応聞くけど、外してるかな?」
「合ってる……合ってるけどね……」
「ボクの能力が嘘って思うなら証明するよ」
びくりと肩を震わせる愛唯に、容赦せずボクは口火を切る。
「愛唯は綾辻学園って小中高一貫の学校に通っていたよね。中学でも他人の嘘を暴いて糾弾して、それで疎まれて独りぼっちだった。嘘を白日の下に晒したのは自分の矜持のため。でも他人からすれば不都合なことを全て表沙汰にしてしまう愛唯の存在は不都合だ。居場所の無かった愛唯は高校を外部進学に舵を切った」
「やめてよ──!!」
受け入れがたい事実を目の当たりにし、空気が大きく振動した。
その後、愛唯は押し黙るような沈黙を作った。湿り気を帯びた空気が流れる。
ボクは口を閉ざして愛唯の次の言葉を待つ。
次第に愛唯の震えは収まり、冷静さを取り戻すと、ボクが言っていることを漸く咀嚼できたように睨む。
「───だとしたら! 理解しているのだとしたら! なんで、なんで今更そんな事を言うの!! 友達だって思ったことない癖にっ!! 切り捨てたのはそっちの癖に!」
理解し終えた愛唯の感情は驚愕から怒気へと転じ、眉が吊り上げてボクを責め立てる。
あくまでボクは冷静なスタンスを崩さない。
「言っただろう。関係性を整理するべきだって。そのためにはどうしてもこの話は必要だとボクは思った」
「それは回答になってないよ!! もしかして私を馬鹿にするため!? ああ、それなら聖ちゃんが私と話したいなんて言ってきたのも納得!」
「そんなことは考えてない。少し冷静になって愛唯」
「私は冷静だよ?」
「他の人が見てる」
さっきから大声でボクを非難していたことで、喫茶店内の客が少々迷惑そうにボクたちを見ていた。店員たちもこちらを注視していて、ひそひそと小さく会話を交わす様子から、公共の福祉の下でボクたちを注意するかどうするか考えているようだった。
愛唯もその状況に漸く気付くと、不服そうな眼光でボクを睥睨しつつも口を閉ざす。
「ボクは、愛唯と友達になりたいんだ」
「……それを今更信じろって?」
「それは信じてもらうしかないし、信じてもらう方法は愛唯にはあるじゃないか」
ボクの言葉には嘘はない。心の底で考えていることを読み取れる愛唯はそれは承知している。
ボクは愛唯ともう一回、友人になりたい。
「聖ちゃんは何を考えているのかな」
探るような視線を受けて、ボクは再度それに答えて目を向ける。
「ボクは愛唯のことが気になってる。だから友達になりたい。駄目かな」
「もう遅いかな。私は聖ちゃんのことを信じられないよ。関係性を戻そうだなんて……それに気になってるなんて欺瞞に決まってる」
「これが欺瞞じゃないのは愛唯が一番分かってるはずだよ。ボクはもう一度、前の関係を取り戻したい───」
───いや、少し違う。
途中で言葉を霧散させる。
「作り直したいんだ。また新しく」
取り戻すというのは少し違う。
一回自然に破綻した関係性。これを修復するよりも、ボクとしては壊しきった後にもう一度、関係性を築くのがベターだと考える。
「作り直す……」
改めて思考を落ち着かせるためか、愛唯はブラックコーヒーに手を伸ばす。溶けて崩れた氷塊がグラスを打ち、小気味の良い音を立てた。
その素振りを傍目に、紙面を取り出す。
「ボクたちの間には契約がある」
「それは……もしかして」
「でももう必要ない」
愛唯はボクが何をしようとしているのか理解しているようだった。
であれば、話は早い。
「今、第三条を以ってボクたちの契約を無効とする」
躊躇うことなく契約書を引き千切る。
元はルーズリーフでしかない一枚用紙は簡単に紙くずになった。
第三条、本契約は当事者双方の合意を以って成立する。
その一項があるから、例え片方の意志だけでも契約は無効にできる。
つまり、今この瞬間、ボクたちは友人ではなくなった。
ただのクラスメイト。
ただの人間同士。
「これで正式に言おうと思える。ボクは本気で愛唯と友達になってみたい。どうかな愛唯」
「聖、ちゃん……」
「ボクは本気だ。これを言うのは一回きり。断られたら諦めてただのクラスメイトに戻るって誓うよ」
「聖ちゃんは嘘つきで卑怯だよね……」
「噓つきだけど、これでも真摯なつもりなんだ」
「確かに聖ちゃんのそれは本心だろうね。だからこそ卑怯だと思うな。一度きりなんて」
「ボクは友情を偽った。二度目は無いとも思ってる。これはボクなりの贖罪だよ」
正面からボクは直視して、強張った愛唯から視線を外さない。
不安げに愛唯のトパーズのような虹彩が揺らめいて、ボクの表情を窺う。
……淡月愛唯は弱い、か。
多分、祈の言っていた通りだ。
愛唯の心は本来強くない。
だからこそボクが言っていることを嘘じゃないかと疑っている。
ボクの心を読んだ上で、更に疑っている。
だからこそボクは笑みが自然と浮き出る。
なんというか、いじらしくて、こんな人間が親友であればボクの高校生も華やぐことだろう。
ピアノの音が無言の隙間を埋める。穏やかな湖畔を彷彿とさせるクラッシックだった。良いスピーカーを使っているのだろう。一音一音に粒感があって、実際のホールで行儀よく席に座り生で旋律を聞いてるかのような気分にさせる。
聖ちゃんはやがて溜息をついた。
見せつけるように大袈裟で、少しらしくない所作。
「私さ、昔失敗したことがあるんだ」
話にそぐわぬ唐突な言葉。
でも今の愛唯が無関係な話を切り出すとは思えない。
ボクは頷いて話の先を促す。
「中学の最初まで仲良い子がいてさ……本当に仲が良かったんだ。小学校低学年からの仲だった。それにちゃんとやれてたんだよ。ただ当時の私は聖ちゃんみたいに……それ以上に噓つきだった」
「どんな嘘をついてたの?」
「同じだよ。相手の本心を分かってて隠す、関係維持のためのつまらない嘘」
吐き捨てるように静かに口を戦慄かせる。
「でもある時、ふとしたことで嘘がバレちゃった。ずっとついていた嘘が露見して、その子からは絶交って言われちゃったんだ。親友だと思ってたのに、騙してたんだって言われたんだ。きっと反骨精神なんだろうね。今じゃ嘘なんてつきたくないし、嘘は良くないと思ってる」
「なら、最初にボクを喫茶店に誘って噓つきであるのを暴いたのは……」
「その件は今の話とは少し関係無いかな。ただ、相手の本心を分かってるのに、私が知らない振りをするのは欺瞞な気がしてるだけ」
それは少し前に詩鳥が言っていた言葉でもあった。
「相手の考えが全部分かっちゃうのに、それを隠し通すのは、騙しているに等しい非道徳なんだ。少なくとも私にとってはね。だから友達とか恋人とか、そういう関係になりたい相手には全部白状する。私は貴方の隠している醜悪な傷も情けない弱点も全部知ってしまうけど、それでも了解できるかなって。これでも精一杯の私なりの誠意なんだよ」
それは……。
なんとも……馬鹿正直で暮らしづらい生き方だ。
でもボクはその言葉を聞いて改めて思った。
不器用で、可愛くて、面倒くさい。
この淡月愛唯という同級生と───もっと仲良くなってみたい。
嘘でしか人間関係を構築してこなかったボクに───新たな可能性を見せて欲しい。
静かに息をつく。
ここまで愛唯が赤裸々に語ってくれたんだ。
ボクも覚悟を示さないと嘘になる。
「ボクは───愛唯と友達になりたい。そして友達としてボクはもう一つ誓おう。愛唯には今後二度と嘘はつかない。」
「……そこまで言われると弱っちゃうな」
愛唯は所在無さげに耳を掻いた。そこにボクへの反骨心や敵愾心は見出せない。嘘つきのボクが二度と愛唯に嘘を付かないと言葉にする重みは、目の前の不器用な少女にはこれ程までになく伝わっているみたいだ。
しきりにボクと机を繰り返し遣って、髪の隙間から愛唯の確かめるような表情が現れる。
その距離は顔を上げる度に僅かに近づいて。
「分かった。もう一回友達になろっか聖ちゃん」
「……ありがとう」
「その代わりに条件、一ついいかな?」
愛唯のぱちりと開かれた睫毛が、白雪の頬に影を落とす。
「なんだろう」
「あのね、聖ちゃんだけじゃなくて私も悪いと思ってるの。何も言わず聖ちゃんを遠ざけちゃったこと。聖ちゃんを独占しようとしたこと」
そこで区切って、愛唯はボクの瞳に焦点を合わせる。
「だから………………私ね、聖ちゃんの心だけは読まない。二度と読むなんてしない」
「……良いけど、それってボクの条件じゃなくて愛唯の条件になってると思うんだけど」
「意外にそうでもないよ?」
ボクの疑念に対して愛唯は顔を歪ませ、喜怒哀楽どれとも言えない表情のまま、それでも敢えて判別を付けるならば───恐らく歓喜を堪えるような眼でボクを見詰めた。
「だって聖ちゃんはずっと私の友達なんだもん」
───だから私を騙し通してね?
愛唯は唇を戦慄かせると、可愛い笑みを浮かべながら笑って頷いた。
一旦ここまでとさせてください。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。