なんだかんだで、僕たちのクラスは最下位に落ちちゃったけど。
でもまぁ、それで何かが変わるのかと言われると、あんまり変わらない。
いつも通りに勉強して。
いつも通りに運動して。
そして、次は勝つために。
茅野の部屋で、僕と一之瀬さんと茅野は、メンタルトレースの練習をしていた。
「…………、よし、始めるよ。帆波ちゃん。渚」
「うん!」
「分かった」
茅野はそう言って、目を閉じて、潜り始める。
そうして目を開けた時、僕らの前にいるのは、茅野であって茅野じゃなかった。
「……………成功、のようね」
「あかりちゃ───じゃなかった、堀北さん」
「えぇ。何かしら、一之瀬さん」
よし。成功だね。
茅野は茅野の顔で堀北さんの笑い方をしていた。
メンタルトレースとメソッド演技は似通っているところがあるらしい。そして茅野は、
その応用が効くから、普通よりも少ない練習量で身につけることが出来た。
そして。
「────ふぅ。戻って来れた」
その経験から、楽に戻って来れるみたい。
僕の場合、潜るのも戻るのも結構あっさりできるんだけど。
「あかりちゃんたち、ヤバいね」
「ひどくない⁉︎」
「えっ、僕も⁉︎」
一之瀬さんは、真顔で酷いことを言い放った。
幾ら何でも酷くない⁉︎
「いや、うん。私もやってみようって、練習したんだけどさ」
メンタルトレースの存在を知って、一之瀬さんは本を読んだり、堀北先輩とか、卜部先輩とか、坂柳さんとかに色々聞いて、練習していたらしい。
ただ、どうしても身に付けられなかったらしい。
「普通はさ、自分の精神を別人のものに塗り替えるとか、普通無理なんだよね」
「あー、まー、うん。だよね」
「だよねって出来ちゃった側の渚くんが言うのちょっと変だよ?」
なんかちょっといつもよりも辛辣かも?
「堀北さんとも話したんだけどさ、才能というか適正みたいなやつあるよねコレってなったんだよね。
幸村くんとか葛城くんも、どれだけ練習しても出来なかったらしいよ。
金織先輩とか、橘先輩とかも出来ないんだってさ」
「金織先輩出来ないこととかなさそうなのにね」
茅野の言いたいこともよくわかる。
出来ないこととかなさそうな雰囲気の先輩なんだよね。あの人。
「でさぁ、出来る人間にはどんな特徴があるのかなぁって」
「あー、確かに」
「なんかあるのかな」
僕の知る限りだと、堀北先輩と、卜部先輩、坂柳さん、綾小路くん、椎名さん。
まぁ、みんな普通に天才ではあるけど。
女子率高いな。性差とか?
いや、カルマと浅野くんも出来ると思うから、なんか違う、かも。
………………なんで僕、この二人なら出来るって思ったんだろう。
「でさぁ、一応の結論として、命をあっさり賭けられるっていうか、死ぬことをほとんど恐れない人間なら、出来るんじゃないかなって」
「………………あー、なるほどね」
「精神を塗り替えるって、実質的な自殺みたいなものだしね」
そっか。
カルマとか、割とあっさり飛び降りれるし。
綾小路くんもそういうところあるし。
浅野くんも、多分必要とあらば自分の命を平然と賭けられるんだろうな。
「ま、その上で、相手の心理を読み取れるくらいには、観察眼と共感性は必須なんだろうね。
だから多分、龍園くんとかは出来ないと思う」
………………あー、確かに。
あれ、でも、じゃあ。
「なんで堀北さん出来ないんだろうね」
「うん。命を賭けるのに殆ど躊躇いがないし、観察眼に共感性も十分あるはずなのに」
「………………本人が言うには、その、自分が死ぬのは良いけど、自分の体を違う人が使うって言うのが、どうしても拒否感が出ちゃうんだって」
「あー、成程」
「まぁ、割と常識的な感性だしね」
「つまり、メンタルトレースには、大体三つくらいの要素がいるんだよ」
一つ。相手の心理を完全に読み取れる観察眼と共感性。
二つ。平然と実質的な自殺が出来る思い切りの良さ。
三つ。他者に身体を明渡せる非常識的な感性。
大体この三つが、メンタルトレースに必要な適性というか、才能らしい。
割と納得、かも。
「だから、まぁ、私なんかは出来ないよね。
観察眼と共感性は、十分にある。
でも、流石に平然と自殺は出来ない。
それに、他者に身体を明渡すとか、ちょっと怖いし」
「あー、でも私、全く知らない人とかは無理だよ?」
「全く知らない人をメンタルトレースはそもそも無理でしょ」
「それもそっか」
全く知らない人に明け渡すのは、ほとんどの人間は無理だけど。
でも、一つ目をこなせる時点で、その人は全く知らない人じゃないしね。
「…………これさぁ、複数人を同時にトレースしたら、どうなるんだろう?」
「いやぁ、多分やめといた方がいいんじゃない?」
「うん。自分を見失いやすくなると思う」
「…………だよねぇ」
(
実際に、雪村あかり、ひいては茅野カエデは、練習を重ねさえすれば、九重九十九と同じように、自分含めて同時四人展開も可能だろう。
「よし!じゃあ本命行こっか!」
そう。今回のメンタルトレースの本命。
茅野の知る限り、一番頭の良い人。
卜部藤乃先輩のトレースだ。
茅野は、静かに、一度目を閉じて、深呼吸する。
卜部藤乃という少女の過去は、よく聞いた。
それを思い出し、分析して、共感して。
トレースする。
「………………ふぅ。何とか戻って来れたわね」
……………あれ?
……………なんか、変?
「あ、あかりちゃん?」
「あら、一之瀬じゃない。どうかしたの?」
「あ、あかりちゃん!しっかりして!」
「ちょっ、何よ急に、揺らさないでっ!びっくりするじゃないっ!」
……………⁉︎
戻って来れてない‼︎なんで⁉︎
衝撃が来たら、普通は戻るのに‼︎
「茅野っ!しっかりして茅野っ‼︎」
「ちょ、なんで潮田もここにいるのよ」
………っ!完全に卜部先輩に呑まれてる!
……………仕方ない。
「……………ごめん、茅野」
「ちょ、何よ潮田。離しなさ───」
茅野の顔で、卜部先輩の抗議をする少女の後頭部を、がっつり掴んで。
いつかのように、貪るような、キスをした。
「渚く───⁉︎⁉︎⁉︎」
一之瀬帆波は咄嗟に目を覆いながらも、指の隙間からガン見していた。
舌入ってる!舌入ってる!
後頭部ガッチリロックしてる‼︎
やば!やっば‼︎可愛い顔してど肉食なの⁉︎
「………んっ、し、お………。や、めぇ」
ダメだ。まだ戻っていない。
失神しないギリギリのラインを攻めながら、茅野の意識を引き摺り出さないと。
波長を読み取りながら、上顎のあたりを攻め立てる。
あの日のリアクション的に、多分茅野はこの辺り弄られるのが好きだったし。
意識は卜部先輩でも、身体の性感は、その、茅野のものだし。
違和感を覚えさせて、引き剥がす。
「…………ん、ぐぅ、…………や、……………んぅ?」
少し揺れてきた。
よし、焦らそう。敢えて歯茎やら舌の裏を責めて、所々で上顎を弄って攻め立てる。
今の所、20hitか。
仕方ない。
「…………ぷはぁ……………ぁ、こ、こん、なぁ。
こん、なのが、
「休憩終わり。まだ行くよ」
「や、やめ、………んむぅ」
休憩を挟むことで、失神しないように。
失神して、卜部先輩の意識のままだったら、最悪に近いし。
何としても、引っ張り戻す。
「あ、あわ、あわわわわわわわわ」
一之瀬帆波は指の隙間からガン見している。
あまりにも、あまりにも濃厚で、情熱的で、技巧的なキス。
興奮のあまり鼻血が出ている。
「……………ん、んぅ…………」
…………押し返すような舌の動き。
茅野は、こういうことはしない。
まだ、卜部先輩の意識が強い。なら、そこだけを殺すつもりで。
反撃しようとする舌を翻弄して、イジメ倒して、蹂躙して、殺し尽くす。
胸を叩いて反撃してくるけど、指を絡めて捕まえて、少しの抵抗も許さない。
「……………ん、……………んんん。…………ぅぁ」
腰が抜けて、倒れそうになったみたい。
支えながらだと、うまく攻められないな。もう少し鍛えとけばよかった。
仕方ない。ベッド借りるよ。
「押、押、押し倒したぁぁぁ⁉︎⁉︎⁉︎」
一之瀬帆波は、目の前で繰り広げられるあまりにも倒錯的な光景に、絶叫した。
く、喰らい尽くすつもりなの⁉︎
最後まで美味しくいただくつもりなの⁉︎
私の目の前で⁉︎
「…………っ、はぁ…………はぁ……………。
だ、ダメよ、潮田…………。
まだ、告白も、してないのに、こういうの、は…………」
…………うん。戻って来てる。
あの人なら、全力で拒否してくる。
もう、一押し。
「…………むぅ、ぁ…………」
左手で、後頭部を捕まえつつ。
右手で、茅野の両手を、纏めて捕まえて、茅野の頭上で固定する。
最後の一押しだから、茅野の性感帯、つまり上顎の辺りを徹底的にイジメ倒す。
失神しそうになったら、数秒離して、もう一度。
大体三回繰り返したところで。
「…………んぁ、…………。
な、なぎ、さ?」
「…………ふぅ。おかえり。茅野」
ようやく、戻って来た。
一之瀬帆波は、雪村あかりの、僅かに乱れた私服の胸元に、白銀の糸が切れて落ちるところまで、ガッツリ見ていた。
鼻血が、カーペットに、ポタポタと。
「────一之瀬さん、大丈夫」
「ピぇぇぇぇぇ‼︎」
「わ、は、鼻血凄いよ?ほら、これ」
「あ、あ、あぁうんありがとう‼︎」
………………いや、うん。
分かっては、いる。
多分、その、人命救助的な、あれなんだろうな、とは。
でも、その。
親友が、ベッドに押し倒されて、蹂躙されるのを、見てしまうと。
可愛い顔していた男友達が、親友を押し倒して、蹂躙するのを見てしまうと。
(────むり!いまなぎさくんのかおみれない!くちびるみれない!)
心臓がばっくんばっくん本当にうるさい。
顔面が多分死ぬほど赤い。多分耳もやばいくらい赤い。
「…………ぅぅぅぅああああああああああ‼︎」
「ちょ、茅野?お、落ち着いて。失敗、いやまぁ変われてはいたから失敗ではないけどさ。
まぁ、その、失敗は、気にしなくていいからさ」
多分それが理由じゃない。
茅野はベッドの上で両足をばたつかせながら顔を両手で覆いながら頭を振り回していた。
凡そ、十五分後。
ようやく落ち着いた三人は、改めて、反省会をしていた。
「卜部先輩のトレースは、やらない方がいいね」
「う、うん。そ、そう、だ、ね」
そう。彼女をトレースするたびに、じっくりねっとり
………………メリットしかないのでは?
一瞬顔を出したそんな思考を、茅野カエデは全力で殺した。
「う、うん。さ、坂柳さんから、少し聞いたんだけど、あ、綾小路くんのトレースも、戻るの大変だったらしいよ?
他の人は、自力でも戻れたらしいけど」
「そっか。綾小路くんと卜部さんのトレースは、ケア要員なしでやらない方が良いね」
なんで冷静でいられるの?
茅野と一之瀬の思考は完全に一致していた。
「………………この感じ、多分堀北先輩も似たようなものな気がする」
「そ、そう、なん、だ」
「ふ、ふぅん?な、なんでそう考えたのかなぁって」
「綾小路くんと卜部先輩の共通点は、学年最強の生徒だってこと。
同じく学年最強で、二人よりも現時点では強い堀北先輩は、もっと危ないかもしれない」
「た、確かに、そう、かもね」
「う、うん。な、納得は、したかな」
本当になんで冷静なの?
茅野と一之瀬の思考は完全に一致していた。
「ま、まぁ、うん。よし。うん。落ち着いた。うん」
「……………その、なんか、ごめんね」
「うん大丈夫。二回目だし。うん」
「……………二回目⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
一之瀬帆波は驚愕した。
茅野カエデは目を逸らした。
潮田渚も目を逸らした。
「ま、まぁ、その。
どっちも、人命救助的な、あれだったから」
「う、うん。あれは、その、人工呼吸みたいなものだから」
「そ、そ、そ、そう、なんだ」
…………………良いなぁ。
一瞬顔を出したそんな思考を、一之瀬帆波は全力で殺した。
「……………まぁ、今日はもう、練習しない方が良いね」
「う、うん。そうだね」
「あー、今日のクラスパーティーどうする?」
一年Dクラスの、イヴのクラスパーティーからの、クリスマスのクラスパーティー。
「うん。参加するよ。……………その、だから、ちょっと仮眠とりたいなって」
本当に、疲れたので。
「分かった。じゃあ、その、おやすみ。茅野」
「その、おやすみ。あかりちゃん」
「うん。おやすみ…………」
渚と帆波ちゃんの背を見送って。
茅野カエデは、勢いよくベッドに飛び込んだ。
そのまま、眠りに落ちそうになって。
(……………なんか、渚の香りが、する………)
まぁ、渚に押し倒されたからだろう。
ほのかに香る、潮田渚の香りに、全身を包まれて。
いつもだったら跳び起きるところだが。
今日に関しては、疲れやら安心感やら色々が上回ったので。
時間まで、安らかに、眠っていた。
「部屋まで送るよ。一之瀬さん」
「う、うん!あ、ありがとうね!」
男の子なので、ちゃんと一之瀬帆波を部屋までエスコートして。
とても紳士的に、一歩も部屋に踏み込まず。
自室のドアの前で、一之瀬帆波は、男子寮に戻る潮田渚を見送った。
「………………うっわぁ」
部屋に戻った一之瀬帆波は、勢いよくベッドにダイブして。
先の光景を思い出して、赤くなった顔を隠していた。
「…………………………はぁ。マジでかぁ」
流石に自覚した。してしまった。
だって、あんな風に、情熱的で、濃厚なキスをされて。
押し倒された、雪村あかりを。
羨ましいと、そう思っていたのだから。
「…………………………私」
渚くんのこと、好きなのかぁ。
うわぁ。マジかぁ。マジでかぁ。
「…………………………完っ全に、横恋慕じゃん」
高鳴る心臓と、赤く染まる頬と、相反するように。
思考は、とても、冷静で。
罪悪感を、抱え込んでいた。
男子寮に戻りながら、僕は、考え込む。
「…………………綾小路くんのトレース、なんで僕は、あっさり戻って来れたんだろう?」
坂柳さんは、戻ってくるのが大変だった。
卜部先輩の危険性は、目の前で見せつけられた。
なら、どうして。
僕はあっさりと、戻って来れたのか。
エレベーターの中で、目を閉じて、集中する。
卜部先輩のことは、ある程度は知っているから。
彼女を理解して、共感して、追跡して。
塗り替える。
エレベーターの扉が、開く。
女子寮の玄関を通るところで、狐判稔と、すれ違った。
その歩き方を見た狐判稔は、それが、卜部藤乃の歩き方だと気付いて。
その腕をすぐさま掴んで、引き留めた。
「────えっと、潮田くん、ですよね。
その、それはダメです。早く戻って来てください。手伝います」
「大丈夫よ。稔。────僕なら、大丈夫みたいです」
「────………………えっ」
「ご心配ありがとうございます。狐判先輩。
失礼します」
狐判稔は、完全に、固まっていた。
ついさっき、潮田渚がしたことが、完全に理解できなかった。
堀北学。卜部藤乃。綾小路清隆。
この三人に塗り替えることは、メンタルトレースの使い手ならば、問題なく可能で。
それでも、ケア要員なしで、戻ってくるのは不可能で。
一人で、あそこまで、容易く、戻ってくるのは、不可能、のはずだ。
占藤メメも。九重九十九も。坂柳有栖も。
稔の知る実力者達は、誰も彼も、それは出来なかったのに。
「─────………………嘘でしょ」
狐判稔は。
潮田渚の異常性に。
心から、恐れを抱いた。
歩きながら、もう一度深呼吸する。
卜部藤乃先輩のことを、思考して、理解して、共感して。
塗り替える。
潮田渚は卜部藤乃のまま、潮田渚の部屋に平然と戻った。
部屋の鍵を開けて、入って。
一度目を閉じて、深呼吸する。
「────うん。戻って来れた」
何でかは知らないけど、僕は、
「これは、結構な武器になるね」
潮田渚は、いつものように、笑っていた。
メンタルトレースとは、一度自身の精神を殺し、分析して理解して共感した他者の精神に塗り替えるもの。
そして、他者から戻ってくるには、その塗り替えた他者を、一度殺さなければならない。
だからこそ、殆どの生徒は、単独では、あの三人から戻って来れないのだ。
だって、彼らは、無意識のうちに。
この三人を単独で殺すことを、不可能だと思っているから。
自身だけで、彼らを殺すイメージが、作れないから。
茅野は勝手に現存する演技法をほぼ全て身に付けてることにしました。
なので、同時四人展開も練習すれば出来ますし、命懸けなら七変化の術もいけます。
メンタルトレースについての当作の設定を詰めているうちに、実は渚の適性がとんでもないなってことになりました。
一度自分を殺して他者に塗り替えてその他者を殺して自分を取り戻すという過程が必要なんですが、各学年ラスボスの場合、この塗り替えた他者を殺す、というところで、殆どの生徒は失敗します。
渚は暗殺の天才なので別です。