高育のボードゲーム部部長、3年Aクラスの占藤メメは、3年トップのチェスプレイヤーだ。
彼女はこの三年間、堀北学を除き敗北したことはない。
そんな彼女は、今、追い詰められていた。
(何⁉︎何なの、この子!本当に一年生⁉︎まるで、まるで堀北くんみたいな……!)
途中までは、そう、途中までは、問題なかった。何なら優勢ですらあった。
教科書通り、定石通りの安全策を取り続けてきたので、所々に奇策を織り交ぜ、混沌を広げ、着々と駒をとっていたところ。
ミスとも言えないミスを犯した、占藤の隙を、彼は見逃さなかった。
そこから一気に攻勢に出て、今、逆に追い詰められている。
「チェックです、占藤先輩」
(……っ!………駄目ね。これは、完全な詰み)
「投了よ。浅野くん」
まさか、堀北学を除き、自分に土を付けるのが、一年生だとは思わなかった。
「うわー、嘘でしょ。メメ先輩が負ける?何コイツ、化け物?」
2年Bクラス、九重九十九。この高育において、派閥争いにもクラス間競争にも興味を持たない、非常に珍しい生徒。アナログデジタル問わずゲーム全般が好きであり、IT関連にも造詣が深い。
少なくとも、ゲームにおいて、学年トップの実力を誇る。
「う、うん。あのメメ先輩が負けるなんて……」
2年Cクラス、狐判稔。弱気な性格の影響で、実力の全てを出せず、常に下位に甘んじている、才能の面では、テーブルゲーム部最強の少女。
「いやはや!これは予想外じゃ、これほどの実力者が入学してくるとは!」
2年Cクラス、桃井緋音。特徴的な口調の、お調子者な少女。その口調は漫画の影響らしい。文学部と兼部しており、二年トップクラスの身体能力の持ち主。
「なるほど、腕をあげたわね、浅野」
2年Bクラス、卜部藤乃。低身長がコンプレックスの、学年トップクラスの頭脳の持ち主。元椚ヶ丘中学校生徒会書記でもある。
「アッハハハハハ!メメ先輩、だっさーい!一年生にぃ、負けるなんてぇ」
2年Dクラス、花咲ほむら。常に人を煽らなければ気が済まない、小柄で可愛らしい見た目に相反するような性格の悪さの少女。2年生の中でも、最も可愛いと評判の生徒。人気配信者でもあるらしい。
女子のみで構成された高育テーブルゲーム部。
上級生からある情報を得るために、知り合いのいるこの部活に乗り込んだ浅野は、見事に賭け試合に勝利した。
「お見事ね。これが報酬の一年生時の過去問よ」
「ありがとうございます。占藤先輩」
「……にしても、早すぎないかしら?まだ入学5日目よ?」
「こういうのは、早ければ早いほど良いですから」
「そう。……ねぇ、うちに入るつもりはない?」
「お誘い、ありがとうございます。申し訳ありませんが、別のところから、既にお誘いをいただいていますので」
「……ま、堀北くんが君を逃すわけないよね」
「言われてるよぉ、藤乃ちゃぁん。堀北先輩とぉ、おんなじ生徒会にいたのにぃ、誘われることもなかったぁ、ふ・じ・のちゃぁーん?」
煽れるチャンスがあったら煽る。それがほむらの信念である。そんな信念捨ててしまえ。
藤乃のアイアンクローを喰らうほむら。低身長とは思えないくらい痛そうである。
「はぁ、こいつはホントに。
生徒会に入るなら、南雲雅には気を付けなさい。浅野。今は堀北先輩が押さえつけてるから大人しいけど、何かの拍子にまたやらかしかねないわ」
「……卜部先輩がそう言うほどとは、とてつもなく危険なようですね。その南雲雅は」
「……まぁね。少なくとも、あいつがいる限り、生徒会に入るつもりは無いわ」
「いっだだだだだ、は、入るつもりがないじゃなくてぇ、誘われなかったぁ、だけじゃなぁい?あがががががが、いっだぁぁぁい!ちょっ、強すぎ」
テーブルゲーム部とは思えないバイオレンスな空間からは目を逸らして、浅野は改めて、メメたちに礼を言う。
「ありがとうございました。占藤先輩。とても有意義な時間でした。……部活には入れませんが、個人的に遊びにきても良いでしょうか?」
「えぇ。いつでもいらっしゃい。歓迎するわ」
「次は私とやろーよ、浅野」
「楽しみにしてます、九重先輩」
「う、うん。気、気が変わったら、いつでも入部して良いからね……?」
「前向きに検討しますよ、狐判先輩」
「うむ、あれじゃな、遠回しなお断りの言葉というやつじゃな!」
「そんなぁ」
「ははははは。………本当に、楽しそうな部活ですね」
「ま、たまの息抜きぐらいには役に立つと思うわ。頑張りなさい、浅野」
「いっででででででで、浅野くぅん、助けてぇ」
「えぇ、卜部先輩、紹介ありがとうございました」
最後に一度、こちらに向けて礼をして、浅野は部室を後にした。
「……凄い子ね。もうあそこまで知っているなんて」
「まぁ、浅野ですから」
あの浅野理事長の息子である。さもありなん、といったところだろう。
「こ、今年はAクラスが落ちることは無さそうですね」
「いっだだだだ、いやぁ、そう、とも、限らないんじゃ、なぁい!ふー、抜けたぁ」
何とかアイアンクローから抜け出したほむらは、稔の分析を否定する。
「なぜそう考えるのかしら?」
「かぁんたんですよぉ、メメせんぱぁい。さっきの試合、浅野くんは決め手となった一手以外は、定石通りの動きでした。決め手を打つ時も、極限までリスクを減らすように動いてた」
「ん、そうじゃったか?」
「うん。ほむらの言う通り、教科書通りの安全策を取り続けて、勝ち筋が見えた瞬間、派手に攻勢に出てた。悪くないゲーム運びだね」
「えぇ。腕そのものは上がったけど、打ち方の癖は変わってないわ」
「そぉんな浅野くんがぁ、どんな打ち方をしてくるのか、どれくらい強いのかも分からない相手にぃ、五十万ポイントも賭けてゲームを挑んできたんだよぉ〜。リスクを取ってでもぉ、この4月中にポイントを増やしてぇ、少しでもリードを広げたいって、ことじゃなぁい?」
あごを人差し指と親指で挟みながら、緋音は思考をまとめ、言語化する。
「なるほどのぅ。あの浅野が、多少の無茶をしてでも、可能な限りリードを広げておきたいと考えるほどの相手が、他のクラスにいるというわけか」
「ふぅ〜〜ん?浅野クラスが後最低一人はいるってこと?同じ学年じゃなくて良かった〜」
「あんたそういうのには興味ないじゃない」
「あー違う違う。安全圏からバッチバチのゲームが見れるんだよ?めっちゃ楽しそうじゃん」
「……せ、性格の悪いことを……私には真似できないや……」
「はぁ、少しは真面目に取り組みなさい」
なるほど。
ほむらはアホっぽく見せているが、その実、2年生の中でも高い実力を持っている。彼女の見識は、基本的に当たるものだ。
そう考えると、
(最強の元、優秀な生徒たちによる蹂躙劇な、私たちの代。予想外の大穴と、その奴隷による、下剋上からの君臨の藤乃たちの代。そして、優秀な生徒たちの複数クラスでの殴り合いな、浅野くんたちの代)
「確かに、面白いことになりそうね」
過去最高のAクラスの一員である、占藤メメは、後輩たちの競争に思いを馳せた。
この高育において、カラオケボックスは、防音性抜群の密室であり、密談にはもってこいの施設である。
指定されていた部屋に入ると、既に他の二人は待っていた。
「すまない。少し遅れた」
「いや、構わん」
「えぇ。ですが、学秀くんが時間に遅れるなんて、らしくないですね」
ついさっき貰い受け、コピーしたプリントを机の上に置きながら一応の弁明をする。
「これを手に入れるのに手間取ってね。過去最高のAクラスという評判は、伊達ではなかったよ」
「………これは、過去問か?」
「なるほど、2、3年の先輩から巻き上げてきたんですね」
思わず苦笑する浅野。少々過激な思考すぎるのでは?
「ははっ、2年生の方は、同じ中学校の先輩から貰ってね。3年生の方で手間取ってしまった。あれほどの実力者と一局指せたことは得難い経験だったけどね」
「へぇ、あなたがそう褒めるほどの実力者が、この学校にいるとは。是非手合わせ願いたいものです」
「あぁ、今度紹介しよう」
「ふふふふっ、楽しみです」
「あー。うん。趣味の話をしてるところ悪いんだが、浅野、何故過去問を?」
「あぁ、この学校の出題傾向を見るために必要だと思ったから、多少のリスクを負ってでも取りに行ったら、思わぬ副産物だった」
「……えぇ、そのようですね。一言一句違わず、全く同じ問題です」
「………なるほどな。抜き打ちで行われたとされる小テスト、一学期中間テストは、全く同じ問題が、2年連続で出ている」
葛城は眉間に皺を寄せ、有栖は楽しそうな笑みを浮かべる。
「なるほど、赤点で退学が考えられる以上、そうならないための救済策、というわけか」
「えぇ。そしてこの小テスト、最終3問だけ、難易度が異次元です。普通の高校生では解けないでしょう。────私は解けますが」
「あぁ、………僕も解けるが」
「俺は無理だ。つまり、これは過去問の存在を示唆するための小テスト、ということだろう」
五英傑での話し合いを思い出す理解の早さ。有栖は既に知っていたが、やはり葛城も相当にやるようだ。
「なるほど、浅野の考えは分かった。………満点を取ることを考えられていない小テストで、クラス全員で満点を取る。………間違いなく、大幅な加点となるだろう」
「あぁ。これを知ったのは偶然だが、これを活かさない手はない」
「えぇ。これに関しては賛成です。───さらに差を広げる為に、もう一手、打ちましょう」
この五日間で、坂柳有栖はそれなり以上に危険だと知った葛城は身構え、有栖と似たことを考え付いてはいた浅野は、顔を顰めた。
「……有栖、君の一手は、問題を変えた過去問を他のクラスに配ることで、平均点を下げさせることか?」
「えぇ。まず、小テストの過去問はそのまま配ります。それと全く同じ問題が来れば、殆どの生徒は中間も過去問と全く同じ問題が来ると考えるでしょう。………しかし、中間の過去問は、内容が違っていたらどうなるでしょう?」
全く、悪辣なことを考える。
「丸暗記で乗り切ろうとするクラスほど、退学者を出すだろうな」
「……確かに、有効な手だと認めよう。だが坂柳、それは道理に適っていない」
「………そういうところはつまらないですね、葛城くん。あなたは、どうですか、学秀くん?」
浅野は、顎に手を添えて考え込む。
……有栖は、こう考え込む時の学秀に、浅野學峯と同じような気配を感じる。
そして、顔を上げた浅野は、告げる。
「やろう」
「浅野っ!」
「ふふふっ、ええ、えぇ!そう言うと思っていましたよ!学秀くん」
顔を顰め、声を荒げる葛城に反するように、満面の笑みを浮かべる坂柳。
坂柳の狙いはDクラスだ。生徒個人の実力が最も低いのはあのクラスだ。まずはあのクラスを徹底的に叩きのめす。そうして、綾小路清隆に見捨てさせるのだ。こんなクラスに用はないと。
そうして、堀北鈴音から奪い取ってやるのだ。
その後、あの堀北鈴音をそこらの男にでも襲わせて、穢させて、壊し尽くして、私と綾小路くんが結ばれる瞬間を、見せつけてやる。
「ただし、やり方は変える」
「どういうつもりだ?」
「……何を、変えるというのですか?」
浅野は、嘗て害する努力を怠った為にした敗北を思い起こしながらも、間違えていた父の教えに反した行動をとった。
「基本的な内容は変えない。ただ、真嶋先生と交渉して、数学の最終問題だけを、過去問と変えてもらう」
「──それに何の意味があると」
「他クラスの成績優秀者が満点を取るのを防げる、可能性が生まれる」
「だから、それに何の意味があるのかと言っているんです!」
「落ち着け、坂柳」
ふー、と深呼吸した有栖は、ブスッとむくれながら言い捨てる。
「私は、……確かに個人的な感情もありますが、クラスのためになる戦術を話したつもりです。………学秀くんのそれは、クラスのためになりません。むしろ逆です」
「………あぁ。俺も同じ意見だ、浅野。他クラスが満点を取る可能性を減らせるのは、良いだろう。だが、俺たちのクラスが満点を取る可能性も減るぞ」
教師が、テストに出す問題を予め生徒に教えるわけがない。
過去問という形で出してきているのが特殊なのだ。
「確かにその通りだ。それまでは地図通りに進めば良かったのに、最後の最後だけは、自分で地図を引かなくてはならない。……はっきり言って仕舞えば、無駄でしかない」
「そこまで分かっていながら何故」
「プライドの話だ。葛城」
「プライド?」
「あぁ。自分だけが知っているやり方で勝ったとしても、僕は納得できない」
あの時、二学期期末テストの、あの問題。
解き方は分かっていた。それでも、時間は足りなかった。
何故、赤羽たちは解けたのか。それだけがどうしても気になって、教わりに行ったことがある。
分かったのは、自分が初歩的な見落としをしていたという、事実。
「僕は、勝てたかもしれない勝負に、自分の力で挑んで負けた。………この敗北を、屈辱を雪ぐなら、僕は僕の力で、今度こそ勝たなければならない」
過去問の内容を変える。なるほど、確かにそれなら、確実に勝てるだろう。
だが、そんな勝利に意味はない。
少なくとも、浅野学秀にとっては。
「有栖。君はどうだ?こんなやり方で勝って、君は納得できるのか。…………胸を張って、綾小路に会えるのか?」
「っ………それは………」
もし仮に、坂柳有栖が、堀北鈴音に宣戦布告されていなければ、平然と答えただろう。
会える、と。
だが、今は、違う。
自覚した、させられた。自分の抱いている感情は、恋なのだと。
ずるをして勝って、隣にいる権利を、得られたとしても。彼は、有栖を見ない。
だって、彼の隣には、本気で彼に向き合おうとしている人が、既にいるから。
もし、彼を振り返らせたいのならば、有栖は本気で、真正面から、堀北鈴音と、もう一人に、勝たなくてはならない。
そんなこと、分かっていたのに。
(私は、目先の勝利に、目が眩んでいた……?)
愕然とする。自分は、自分という存在は、こんなにも感情に振り回されるのかと。
握り締めた手の甲に、雫が落ちる。泣いている?まさか、自分が?
「お、おい浅野、言い過ぎじゃないか?」
生粋の兄でもある葛城にとって、自分よりも幼そうな少女が泣くところなんて見て仕舞えば、当然、心配するし、泣かせた相手を責めもする。それが例え、坂柳有栖であっても。
それでも浅野は、葛城の静止を振り切って、有栖に向き直る。
有栖の前で跪き、その手を取る。彼女を慰めるように。……これから、彼女を傷付けるのに。
知っている。幼馴染だから。
有栖は、一目見ただけのあの少年に、ずっと。
世界全てに絶望していたであろうあの少年に、ずっと。
世界には、希望だってたくさんあることを、教えたかった。
だが、少年はもう、希望を知った。愛を知った。恋を知った。………哀しみを、怒りを、喜びを知った。
有栖の知らないところで、有栖の知っていた少年は、有栖の知らない少年になっていた。
そんなこと、堀北鈴音に会う前から、分かっていたのに。
父の伝手で、E組での彼を撮った写真を見た時、彼は、確かに、心から。
笑っていたのだから。
「………勝とう、有栖」
嘗て、有栖の知っていた少年は、今、有栖の知らない少年として、目の前にいる。
「僕は、負けた。何もかも届かずに」
自分の、最も大きな傷を、晒して。
「………君も、負けた。何も出来ずに」
坂柳有栖を傷付けて。
「悔しくて、苦しくて、悲しくて、泣いてしまいたいなら」
嘗て、自分がそうしたように。
「それを糧に、立て」
今、自分がそうしてるように。
「そして………」
そう、そして。
「今度こそ、勝つ。でしょう?」
天才とは、99%の努力と、1%の閃きである。
かの発明王トーマス・エジソンは、そう言った。
ならば、真の天才とは、きっと、999%の努力と、1%の閃きなのだ。
最後の最後、必ず勝つための、たった1%を追い求めるものなのだ。
ならばもう、有栖に近道は必要ない。何度負けようとも、最後の1%を手に入れるまで、進み続けるのみ。
そう、何せ。
真の天才は、無敵なのだ。