Fate/hollow adaptation――異戒の華は冬木に咲く​   作:りー037

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【第三章:終末のスイッチは、霧の都(ロンドン)に微睡む】

【記録:1998年3月某日 15時00分 / 場所:日本・冬木市 新都から深山町への道程】

 

 

極東の島国特有の、湿度を孕んだ重たい空気が肌に纏わりつく。

 

ロード・エルメロイⅡ世――かつてウェイバー・ベルベットと呼ばれた男は、タクシーの窓から流れる冬木の景色を、酷く重苦しい眼差しで見つめていた。

 

彼にとって、この街は自身の青春の墓標であり、同時に魔術師としての人生を決定づけた「王(イスカンダル)」との誓いの地である。本来ならば、軽々しく足を踏み入れるべき場所ではない。

 

だが、現在の彼は、あの頃のような未熟な少年ではない。時計塔の一角を担うロードとしての重圧と、幾多の死線を潜り抜けてきた経験が、彼の両肩に重くのしかかっていた。

 

「……お客さん、本当にこの辺りでいいんですかい? この先は、その……最近、気味の悪い噂が絶えなくてね。幽霊屋敷だの、化け物が出るだの……」

 

 

初老の運転手が、バックミラー越しに不安げな視線を向けてくる。

 

エルメロイⅡ世は、胃の腑から込み上げてくる鈍い痛みを葉巻の煙で誤魔化しながら、短く答えた。

 

「構わない。ここで降ろしてくれ」

 

 

代金を支払い、未舗装の坂道に降り立つ。

 

深山町の外れ。木々に囲まれた異洋館、間桐邸へのアプローチ。

 

一歩、坂を登るごとに、エルメロイⅡ世の卓越した魔術的感性が、周囲の空気に混じる「異常」を感知し始めていた。

 

(……酷い有様だ。霊脈が乱れているどころの話ではない。空間の位相そのものが、極端に「虚」の方向へ偏っている)

 

 

革靴が枯れ葉を踏み砕く音が、やけに大きく響く。

 

彼は、歩みを進めながら、自身の体内にある魔術回路を「完全に閉じた」。

 

魔術師にとって、未知の領域、ましてや色位(ブランド)の魔術師が殺戮された現場へ向かう際に魔術回路を閉じることなど、丸腰で戦場を歩くような自殺行為に等しい。

 

だが、エルメロイⅡ世の推測が正しければ、防御のための魔力展開や、索敵のための結界構築こそが、「怪物」を呼び覚ますトリガーとなる。

 

 

(色位の卿も、典位の魔術師たちも、己の魔術に絶対の自信を持っていた。だからこそ、未知の怪異に対して『魔術による制圧』を試み……そして、狩られた。あの生き残った弟子たちの証言から導き出される答えは一つ。『敵意』と『魔力行使』そのものを、迎撃対象として設定している防衛機構である可能性だ)

 

 

エルメロイⅡ世は、冷や汗が背筋を伝い落ちるのを感じながら、決して歩みを止めなかった。

 

魔術師としての矜持を捨て、ただの一人の人間として、無力な「対話者」として歩み寄ること。それが、この理不尽な死地に赴くための唯一の生存戦略であった。

 

 

 

 

 

 

 

【記録:1998年3月某日 15時30分 / 場所:冬木市 間桐邸跡地】

 

 

錆びついた鉄門は、半ばからひしゃげるように破壊されていた。

 

エルメロイⅡ世が敷地内に足を踏み入れた瞬間、強烈な鉄の匂いと、腐敗臭が鼻腔を殴りつけた。

 

(……これは)

 

 

庭の石畳は、爆撃を受けたかのようにクレーター状に陥没し、周囲の木々は超高温の炎で炭化している。

 

そして、至る所にこびりついた、赤黒い染み。

 

それは、数日前に派遣された時計塔の精鋭たちが、文字通り「ひき肉」にされた痕跡であった。肉片や骨は既に野犬や鳥に食い荒らされたのか見当たらないが、染み付いた死の気配は、どれほど鈍感な人間でも発狂しかねないほどの濃度で滞留している。

 

 

 

 

 

「……こんにちは。また、だれか来たの?」

 

 

 

 

 

背後から、声がした。

 

エルメロイⅡ世の心臓が、早鐘のように跳ね上がる。

 

振り返る。そこには、色褪せたワンピースを着た十歳に満たない少女――間桐桜が、虚ろな瞳でこちらを見上げていた。

 

「……君は、間桐の魔術師……かい?」

 

 

エルメロイⅡ世は、極力声を低くし、ゆっくりと両手を上げて「敵意がないこと」を示した。

 

 

彼女の足元を見る。

 

太陽は西に傾きかけているというのに、彼女の足元に伸びる影は、物理法則を無視して真円に近く、そして異常なほどに黒く、深かった。底なしの沼のように。

 

「おじさんは、魔術師? また、わたしを殺しに来たの?」

 

 

桜の声には、感情の起伏がない。

 

しかし、その言葉が発せられた瞬間だった。

 

 

 

 

ドクンッ、と。

 

桜の足元の影が脈動し、庭全体を覆い尽くすほどの漆黒へと瞬時に膨張した。

 

 

空気が凍りつく。

 

物理的な重力波を伴った、圧倒的な「死の気配」が、影の中から浮上してくる。

 

エルメロイⅡ世は、息を呑み、本能的に後退りしそうになる両脚を、強靭な意志の力で床に縫い留めた。

 

 

(動くな。魔術を使うな。怯えるな。ここで少しでも『防衛』の意志を見せれば、私はコンマ一秒で肉片に変えられる……!)

 

 

 

影から現れたのは、巨大な純白の肉体。

 

顔を覆う翼。右腕の退魔の剣。頭上の黄金の法輪。

 

 

八握剣異戒神将・魔虚羅。

 

 

 

 

 

「……ッ!!」

 

 

エルメロイⅡ世の視界が、恐怖で白濁する。

 

彼がかつて共に戦った王、イスカンダル。あるいは、絶対的な力を見せつけた英雄王ギルガメッシュ。

 

彼ら英霊が放つ威圧感とは、根本的に種類が違った。

 

英霊には、人間としての歴史があり、感情があり、理がある。

 

だが、目の前に立つこの存在には、それらが一切ない。ただ「あらゆる事象に適応し、破壊する」という自然現象そのものが受肉したような、冷徹なる絶対性。

 

 

(これが……バーサーカー……? 馬鹿な。あり得ない。魔力供給のパスが存在しない。マスターとの令呪の繋がりもない。それなのに、現界を維持しているだと? これは、サーヴァントではない……『英霊』が受肉した産物……!)

 

 

魔虚羅の顔のない視線が、エルメロイⅡ世を貫く。

 

肌が粟立ち、内臓がせり上がるような極限の恐怖。魔虚羅の右腕が僅かにピクリと動いた。

 

だが、エルメロイⅡ世は両手を上げたまま、目を逸らさずに口を開いた。

 

「待ってくれ。私に戦う意志はない。魔術回路も完全に閉じている」

 

 

彼は、魔虚羅にではなく、その足元に立つ少女――桜に向けて、静かに、しかしはっきりとした日本語で語りかけた。

 

「私は、君たちを害しに来たわけではない。ただ、対話をしに来た」

 

「……たいわ?」

 

「そうだ。……君は、このままここに居続けるつもりかい?」

 

 

桜は、コトンと首を傾げた。魔虚羅は、エルメロイⅡ世から一切の魔力行使や敵意を感じ取れなかったためか、振り上げかけた右腕を下ろし、無言のまま待機状態へと移行した。

 

 

エルメロイⅡ世は、滝のような冷や汗を流しながらも、表面上は冷静な教育者としての顔を崩さなかった。

 

「ここは、もう君を守れる場所じゃない。数日前、君の……サーヴァントが倒した魔術師たちは、私の組織の者たちだ」

 

「うん。神様が、悪い人たちをやっつけてくれたの」

 

「ああ。だが、このままでは終わらない。私の組織は、君たちの存在を許さない。何度でも、もっと強力な手段で、君たちを排除しに来るだろう」

 

 

桜の瞳に、僅かな暗い光が宿る。

 

「……じゃあ、全部やっつけるよ。わたしの神様は、誰にも負けないもん」

 

「そうだろうね。この怪物の前では、どんな大魔術も無意味だ。……だが、それは君が望むことなのか? 毎日毎日、血の臭いを嗅ぎ、死体の中で生きていく。君が望むのは、そんな血塗られた静寂なのか?」

 

 

エルメロイⅡ世の言葉に、桜は息を呑む。

 

彼女の深層心理。

 

蟲地獄から救い出してくれた神様と共に、ただ静かに、誰にも邪魔されずに平穏に暮らしたい。それが、狂信に染まった彼女の唯一の願いであった。絶え間ない戦闘と殺戮は、彼女の望む平穏とは程遠い。

 

「私は、時計塔の……魔術協会の代表としてここに来た。だが、彼らの命令に従うつもりはない。私は、私の個人的な責任において、君と取引をしたい」

 

 

エルメロイⅡ世は、ゆっくりと片膝をつき、目線を桜と同じ高さに合わせた。

 

巨大な魔虚羅の足元で、無防備に膝をつく。それは、絶対的な服従と非敵対の証明であった。

 

「取引……?」

 

「そうだ。私が、君たちを魔術協会の目から隠してやる。書類を改竄し、調査を打ち切り、この冬木の地から魔術協会の干渉を完全に排除する。君と、君の神様が、誰にも邪魔されずに生きていける環境を作ってやろう」

 

「…………どうして、そんなことしてくれるの?」

 

「……私の、自己満足だよ。それに、これは私にとっても必要なことだ」

 

 

エルメロイⅡ世の瞳には、嘘偽りのない悲哀と、深い後悔が宿っていた。

 

桜は、その瞳をじっと見つめ返した。これまで彼女が出会ってきた大人たち――遠坂の父、間桐臓硯、雁夜、そして数日前にやってきた傲慢な魔術師たち。

 

その誰とも違う。彼から向けられているのは、魔術師としての打算ではなく、一人の人間としての、不器用なほどの「善意」と「責任感」であった。

 

 

桜は、ゆっくりと魔虚羅の純白の脚に抱き着いた。

 

魔虚羅は動かない。ただ、桜の影と同化し、彼女を守るように佇んでいる。

 

「……ほんとうに、だれも、こなくなる?」

 

「約束しよう。我が名、ロード・エルメロイⅡ世にかけて、君たちの存在は、私が永遠に隠し通す」

 

 

静寂が降りた。

 

風が吹き抜け、枯れ葉が舞う。

 

やがて、桜は小さく頷いた。

 

 

「……わかった。おじさんのこと、信じてあげる」

 

 

その言葉と同時だった。

 

背後にそびえ立っていた絶対的な絶望の象徴、魔虚羅の巨体が、ズブズブと音を立てて桜の足元の影の中へと沈み込んでいく。

 

 

 

 

ほんの数秒後。

 

そこには、小さな少女の姿と、元のサイズに戻った何の変哲もない影だけが残されていた。

 

異常な魔力配分も、空間の歪みも、全てが嘘のように消え去っている。

 

エルメロイⅡ世は、その場に手をつき、肺の底に溜まっていた息を全て吐き出した。

 

全身の衣服が、冷や汗でぐっしょりと濡れている。

 

生き延びた。針の穴を通すような確率の、綱渡りの交渉。

 

力でねじ伏せようとすれば、待っているのは破滅だけだろう。それを、たった一つの「対話」と「自己犠牲の誓い」によって鎮めたのだ。

 

 

「……さて、と。これからが、本当の地獄だな」

 

 

彼は、重い体を起こしながら、自虐的に唇を歪めた。

 

あの存在を時計塔から隠し通す。それは、魔術協会の最高機関に対して、一生涯にわたって極大の「嘘」をつき続けることを意味する。

 

彼の胃痛は、これから先、死ぬまで治ることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

【記録:1998年3月某日 10時00分 / 場所:英国・ロンドン 時計塔 上層部会議室】

 

 

数日後。

 

ロンドンの時計塔、その最奥に位置する上層部専用の円形会議室は、ひどく冷たく、重苦しい静寂に支配されていた。

 

円卓を囲むのは、魔術協会の最高意思決定に関わる特権階級の老魔術師たち。彼らの突き刺さるような視線の中心に、極東の死地から帰還したばかりの若きロード、エルメロイⅡ世が立っていた。

 

彼の顔には、隠しきれない深い疲労と憔悴の色が濃く刻まれている。

 

トレードマークの葉巻から立ち昇る紫煙だけが、この息詰まるような空間で唯一、緩やかに動くものであった。

 

 

「……では、ロード・エルメロイ。君の報告をまとめると、こうなるのだな」

 

 

議長を務める老魔術師が、テーブルの上で両手を組みながら、値踏みするような低い声で確認を求めた。

 

「極東の冬木において、間桐の家系は完全に途絶えていた。屋敷は荒れ果て、魔術刻印も研究成果も全て消失。生存者は一人もいなかった、と」

 

「ええ。その通りです」

 

 

エルメロイⅡ世は、胃の腑を握り潰されるような鈍痛を表情の裏側に隠し、一切の動揺を見せずに淡々と嘘を重ねた。

 

「馬鹿なッ! ならば数日前に派遣された精鋭たちを壊滅させた『理外の怪物』とは、一体何だったというのだ! 生き残った弟子たちは、確かにバーサーカーと……」

 

 

円卓の一角から、亡くなった色位の魔術師と同派閥に属する男が、怒りのあまり立ち上がって唾を飛ばした。

 

無理もない。彼らにとって、最高位に近い魔術師が辺境の地で犬死になど、絶対に認めたくない事実なのだ。

 

「幻覚ですよ」

 

 

エルメロイⅡ世は、その怒鳴り声を、氷のように冷ややかな声で叩き切った。

 

「第四次聖杯戦争によって蓄積された、大聖杯の膨大な魔力残滓。それが、間桐の地下に張り巡らされていた蟲の魔術回路の暴走と結びつき、一時的に生み出された『魔力的な幻影(ファントム)』に過ぎません。極度の緊張状態にあった調査部隊はそれに過剰反応し、互いの魔術を誤射した。……その同士討ちの果ての自滅こそが、現地の痕跡から導き出される唯一の論理的な真実です」

 

「な……ふざけるな! 同士討ちだと!? 色位の魔術師が、幻覚に怯えて自滅したと、本気で言っているのか!」

 

「認めたくないのは分かりますがね。実際に、現地にはサーヴァントが現界しているような強大な魔力反応も、怪物を構成するはずの実数としての痕跡も、一切存在しなかった」

 

 

エルメロイⅡ世は、ふう、と長く煙を吐き出し、立ち上がった男を真っ直ぐに見据えた。

 

「何より、私のような三流の魔術師が無傷で生還できたことが、その最大の証明でしょう。……それとも、私がその英霊を一人で物理的に殴り倒してきたとでも言いたいのですか?」

 

 

皮肉と自嘲を込めたエルメロイⅡ世の言葉に、反発していた魔術師はぐっと言葉を詰まらせ、顔を真っ赤にして黙り込んだ。

 

確かに、魔術的階位の低い彼が、色位を瞬殺する怪物を退けられるはずがない。彼が無傷で帰還しているという「事実」が、幻覚説の最大の裏付けになってしまっている。

 

(……だが、時計塔の狸どもが、私の言葉一つで納得するはずがないことは分かっている)

 

 

エルメロイⅡ世の背筋を、冷たい汗が幾筋も流れ落ちていた。

 

「……エルメロイ卿の報告は、一理ある。だが、それだけでは不十分だ」

 

 

長い沈黙を破り、議長の老魔術師が重々しく口を開いた。その瞳の奥には、老獪な政治家特有の狡猾な光が宿っていた。

 

「実はな、卿が冬木に向けて発った直後……我々法政科は、卿の安全確認と、事態の客観的検証のために、極秘裏に『観測に特化した別部隊』を冬木に派遣していたのだよ」

 

 

会議室がざわめいた。

 

それは、エルメロイⅡ世の調査に対する明らかな「不信任」であり、裏付け調査――すなわち、彼が嘘実でないかを見張るための罠であった。

 

「その別部隊からの報告が、今朝方届いた」

 

 

議長が、手元の羊皮紙を無造作にテーブルの中央へ放り投げる。

 

エルメロイⅡ世は、表情の筋肉を完全に固定したまま、じっと議長の次の言葉を待った。胃酸が逆流しそうなほどの緊張感が彼を襲う。

 

 

「……結果は、『完全なる空虚』だ」

 

 

議長の言葉に、反発していた魔術師たちが息を呑む。

 

「屋敷の庭は炭化していたが、魔力反応はゼロ。生存者もゼロ。霊脈の暴走も既に完全に沈静化しており、もはやあそこには一片の神秘すら残っていなかった。……エルメロイ卿の報告通り、幻影は消え去り、何事もなかったかのように、もぬけの殻だったということだ」

 

 

「そ、そんな馬鹿な……!」

 

 

「事実だ。我々自身の観測部隊が、あの地には『何も残っていない』と証明したのだ」

 

 

議長の断言に、会議室は再び重い沈黙に包まれた。

 

色位の魔術師の死因は、魔術的な事故による同士討ち。もはや現地に危険はなく、調査すべき遺産も存在しない。時計塔の最高機関が、自らの調査によってその結論を「事実」として確定させた瞬間であった。

 

「……ふむ。これ以上の調査は無意味であり、無駄なリソースを割くべきではないな」

 

「ええ。冬木は、ただの辺境の地に戻りました」

 

 

 

エルメロイⅡ世は、静かに同調した。

 

机の下で、震えそうになる手を固く握り締めながら。

 

(……綱渡りにも程がある)

 

 

彼は内心で、自分自身の狂気じみた行動に戦慄していた。

 

冬木にもぬけの殻の光景を作り出すため、彼が何をしたか。

 

時計塔の観測部隊が到着するよりも早く――彼は、あの「歩く厄災」である間桐桜と、彼女の影に潜む理外の怪物を、冬木から完全に消し去ったのだ。

 

身分を偽造し、強固な認識阻害の魔術を幾重にも掛け、あらゆる手続きの裏をかいて、一人の少女を極秘裏に航空機に乗せた。

 

 

時計塔が冬木を調査した時、そこに怪物がいないのは当然だ。

 

何故なら今、その「一国を滅ぼしかねない怪物」は、他でもないこのエルメロイⅡ世自身が、時計塔のお膝元であるロンドンに密輸し、自らの保護下に隠し持っているのだから。

 

 

最も危険な兵器を、最も危険な敵の本拠地に隠す。

 

その狂気の隠蔽工作があったからこそ、時計塔の裏付け調査は空振りに終わり、彼の「幻覚説」という極上の嘘は、完璧な真実へとすり替わったのである。

 

「……よかろう。エルメロイ卿の報告を受理する。この件は魔力暴走による事故として処理し、冬木への以後の干渉を完全に凍結する」

 

 

議長の口からその宣言が発せられた瞬間。

 

エルメロイⅡ世の肩から、目に見えない巨大な重しが、ようやく一つ取り払われた。

 

(……勝った。これで、あの地への追手は絶たれた)

 

 

だが、安堵は一瞬のこと。

 

これからは、魔術協会の監視の目をすり抜けながら、自らの手元に引き寄せた「絶望のスイッチ(桜)」を、絶対に刺激することなく抱え続けなければならない。

 

彼の胃痛は、これから先、死ぬまで治ることはないだろう。

 

時計塔の誰も知らない。このロンドンの分厚い霧の奥底で、かつて魔術師部隊を蹂躙した純白の巨人が、少女の影の中で静かに微睡んでいることなど。

 

 

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