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その昔、『ブライトエンド』というタイトルのゲームがあった。
兵器と魔法が存在する世界で、英雄達の凱歌をその目に焼き付けろという謳い文句と共に発表されたスマートフォン向けRPGである。
その時代では珍しいファンタジー戦記要素を基にして作り上げられたそのゲームは、よくある様なファンタジーの世界観の時代を進化させ、現代兵器などを組み合わせた政治的な世界観を舞台とし、主人公がその類稀な才能を見込まれて軍に入隊する所から物語は始まる。
まず前提として、フォルトゥナ大陸という中規模程度の大陸には、三つの主要国家が存在する。
まず一つは、フォルトゥナ大陸の極東に位置する軍事国家ヒストリア。長い歴史と優れた技術力を持ち、主人公と各ヒロイン達が所属しているのも、このヒストリアに当たる。
次いで二つは、ヒストリア共和国の反対に位置する宗教国家ボイステラス。ヒストリア共和国の同盟国であり、ゲームにおいてはストーリーの第一章中盤に訪れ、不幸にも戦火を撒かれてしまう不遇な国である。
次いで三つは、フォルトゥナ大陸の最北端に位置する武装要塞国家ヴェルト。フォルトゥナ大陸の3分の1を支配する超大国であり、ストーリーにおける絶対的な敵として描かれている。
ファンタジーという前提をぶち壊すかの様な現実的な政治描写、命のやり取りが特徴のこのゲームは、そのストーリーと魅力的なキャラクターで多大な人気を獲得し、瞬く間に人気コンテンツとしての地位を獲得した。
……とは言っても、それは泡沫の夢と表現してしまえる様な、実に一瞬の事ではあった。
時代、と言うよりは時期が悪かったと言うべきか、『ブライトエンド』はその後に出された多くのゲームの波に飲み込まれ、2年という月日を経てサービス終了に追い込まれてしまった。
それかりに長い間の繁栄を終えたその物語は、しかし確かに多くの人々の心に刻み込まれた。間違いなく、何の文句も無く、『ブライトエンド』というゲームはプレイヤーの記憶に残り続けていたのだ。
―――さて。ここからが、本題である。
昔、ある男が居た。その男は所謂『転生者』という類の存在であり、『ブライトエンド』をやり込んでいた前世を持つ人間であった。
男は物心ついた時、この世界が『ブライトエンド』である事を理解した時、歓喜に震えた。
きっと、誰もが最初はそうなのだろう。自分が金を注ぎ込み、思考を割き、愛を捧げ、やり続けていたゲームの世界で生まれ変わる事が出来たのだから。
転生者というのは、最近の世間においては何らかの『チート』を持っていたり、気が付いたら宿っていたりするものであるが、しかし残念な事に、男はチートというものを持ちえなかった。
特別に身体能力が高い訳でも、膨大な魔力を持っている訳でもない。
稀代の謀略家という訳でもなければ、鬼才の持ち主という訳でもない。
彼にあったのは、とても小さく、吹けば崩れる程に脆い覚悟だけだった。
彼は『ブライトエンド』を愛し、そのキャラクター達にも深い愛情を注いでいた。
特殊な過去と才能を持った
最初に出会うヒロインの一人である人間の少女レイヴェイには、戦場でも変わらぬ活発さで誰かの心を開く様に感心した。
多くの
当然、救われない者も居た。そういうゲームだから。或いは、そういう物語だから。そう思えば、なんてこともない程度の者たちだった。
だが、いざこの世界で生き始めると―――それがあまりに酷で、人としてあまりにも廃った思考であったと思ったのだ。
物語では、多くの人間が死んだ。無辜の民が蹂躙され、故郷を焼かれ、家族を撃たれ、恋人を奪われ、子供を殺された。
それを、ただのモブだからと思考の一割にも満たさず無視した己は―――人としてあまりにも無情ではないか?
今、この世界で生きている。戦争があり、魔獣が在り、竜種が在る世界に生きている己もまた、かつての己が有象無象と断定した者たちと同じ人間である。
彼等にも、生きる理由があった。生きていたい望みがあった。それが尽く蹂躙されるのを、自分には関係ないと見捨てる事は、果たして正しい事なのか?
何故、己がこの世界に生まれ変わったのかを考えてみると、自意識過剰にも程がありはするものの、しかし男はそういう思考に辿り着いた。
―――皆の生きている姿を見たい。救われなかった彼等を俺が救いたい!
その為に、男は徴兵に喜んで応じた。自分を兄の様に慕ってくれる幼馴染と共に。
……事が上手く運んだのは、その瞬間だけだった。
今にして思えば、思い上がりも甚だしいのだ―――本当の戦争も、人殺しも、人殺しの為の訓練も経験してこなかった人間が、たかだか一前世の経験を元にした覚悟程度で、心がそれに耐えられる訳もないのだと。
◆
フォルトゥナ大陸極東地域、軍事国家ヒストリア第16区。ヒストリア陸軍特務狙撃部隊専用兵舎のある一室にて。
カーテンを閉め、外界から差し込む光の一切を遮断している薄暗い部屋の時計では、時間は午前の7時を指しているが、この暗さでは時計の針すらまともには見れないだろう。
まるで深淵の中にでも落っこちたかの様な錯覚を覚えさせるその部屋の隅では、闇に溶け込む何かが眠っていた。
ベッドには暫く使用された形跡が無く、小綺麗に整えられたままであるのがその証明だろう。
木材の床はかなりの年数が経っているのか色褪せており、所々には乾いた血痕が残ってしまったいる。誰かと争った形跡こそないが、その血痕を見れば、その何かが自傷したのだろうと察せられる。
敵も居ない部屋の中だと言うのに、その何かは布で身体を覆った狙撃銃を抱え、ポンチョで身を温めながら座り込んで浅い眠りに着いていた。つまりは、正体不明の怪物とかではなく、正真正銘、このヒストリア陸軍に所属する人間であった。
しん……と静寂に包まれた空間の中ですら、寝息は耳を立てれば辛うじて聞き取れるかどうか。もはや死体だと疑われようと文句は言えない様な、睡眠と言うよりは仮死状態に等しい眠り具合である。
とは言え、これが現実として決して有り得ない様なものてあるかと言えば、はいそうですと簡単に首を頷くのは、少しばかり躊躇わざるを得ない。
陸軍は文字通り、陸上における様々な活動で国防を果たす者達である。作戦内容によっては、厳しい環境下での行動は当然。その上、敵が待ち伏せしている可能性や、獰猛な獣が潜伏している場合もある。
大抵、彼等は寝床という寝床を持たない。サバイバルではあるものの、厳しい環境下での作戦遂行では睡眠を取らない事は多々あり、小休憩の仮眠においては、この男の様に武器を身近に置く、或いは抱えて座った状態での睡眠が主である。
しかしだからと言って、それを日常でやる人間が居るのかと言えば、流石にこればかりは否だろう。
戦場という危険地帯であるからこそ、その様な睡眠を取らねばならないのだ。わざわざ平和な自室で、その様な行動を取るなど無駄も良い所だ。
だが、この男にはそうせざるを得ない。最初からこうだった訳ではないが……少なくとも今は、こんな睡眠しか取れない状態だった。
常在戦場―――決して良い言葉ではないが、この言葉こそ、今のこの男を表すに相応しい。
こんこん、と短く鳴ったノックに、男は異常な速さで覚醒した。
布を剥ぎ取り、ストックを肩に押し付けて照準を扉へ睨み付ける様に向け、引き金へと指を掛ける。僅か数秒の間に取られたその行動に対して、
「起きてる?」
扉の向こうに居る何者かは、軽い調子でそんな言葉を投げ掛けてくる。
男にとって聞き慣れたその声を聞いて、男は気を失いかける様か勢いで脱力した。
急速の覚醒と警戒によって跳ね上がった心拍が、鉄の様に冷めた身体を駆け抜ける熱を起こしたのが影響したのだろう。男は安堵か疲労か定かではない類のため息を吐き出して、短く「あぁ」とだけ返した。
軽い音と共に開かれた扉の向こうからは、頭に獣耳を生やした金髪の少女―――所謂、獣人と称される種族―――が、男の様相に驚きもせず部屋に入ってきた。
「おはよう。一応聞くけど、よく眠れた?」
「あぁ」
「……皮肉に答える気もないくらいには最悪、と。まぁ、それはいつもの事か。とりあえず、おはよう」
「…おはよう」
銃身を下げ、再び布を被せて背に背負いながら、男は挨拶を交わした。どうやら、挨拶を交わし合う程度の精神は残っている様だ。
「何か用か」
「特に無いけど」
「……」
またか、と男は無言で背を向け、壁に背を預けて気を休み始める。
ヒストリアを始めとした国々が、ヴェルトと戦争を始めてから既に一世紀半が経過しようとしている。
戦線は膠着状態が続き、人間同士の争いによって狩りが減少してしまったからか、野獣だけでなく魔物までもが増加しつつある今の時代において、彼等は今日という休日を迎えている。
と言うのも、この男と少女は普通の軍人ではない。彼等はヒストリア陸軍でも曰く付き、或いは腫れ物扱いされている特務潜伏狙撃部隊に所属しているエリートである。
正式名称を、ヒストリア共和国陸軍第3期特務潜伏狙撃部隊。『サイト』の通称で知られるその部隊は、ヒストリア陸軍が誇る最強の狙撃手集団として内部・外部問わず広く知られている。
要人暗殺や破壊工作、そして裏切り者の粛清を主な任務とし、敵味方問わず多くの人間を冷酷に排除する軍の汚れ役。
そんな仕事であるからか、いつしか気に入らなければ背中から撃ってくる等といった根も葉もない噂が出る様になり、多くの兵から忌み嫌われ、遂には軍の上層部からすら嫌煙される羽目になった、そんな部隊だ。
この兵舎も、サイト専用だなんて大層な名目を掲げてこそいるが、要は監視であり隔離だ。この兵舎内であれば基本的に自由に過ごせるが、彼らは任務以外で外出する事は基本的に許可されていない。
もし彼等が外出する時があるならば、それは決まって任務を遂行する為だ。私的な理由で出るなど、ここ数年許された試しが無い程である。
フォルトゥナ大陸の3分の1を支配する大国ヴェルトとヒストリア共和国を中心とした連合の戦争でも、彼等は何度も駆り出された。だが、膠着状態が続き、お互いに決定的な戦果も戦略も出せない現状においては、彼等にはこれといった仕事が無かった。
もうかれこれ数ヶ月はこの状態だ。平和なのは良い事なのだろうが、いざやる事が無ければ、ただ惰眠を貪るのみである。
そんな現状を打破する様に、男を兄の様に慕い、軍にまで着いてきて今となっては男の右腕としての地位を得た獣人の少女―――もとい、コードネーム『ザミエル』、本名「アビゲイル=セラフィーノ」―――愛称はアビー―――は、こうして毎日の様に男の部屋に入り浸っているのだ。
「暇してる時はあたしが来る。村に居た時からそうだったでしょ」
「……そうだったな」
自分のベッドで寛いでいる事は気にせず、男は考え込む様な間を置いて答えた。
はっきり言って、男の記憶は曖昧だった。消えかけているとすら言ってもいい。
両親がどんな顔をしていたか、村でどう遊んでいたか、アビーとどの様な日を過ごしていたのか……そんな幼少期の記憶は、どれも朧気で明確に覚えているものなど、一つとして無かったのだ。
「てか、いつまで床に座ってるのよ。隣、来なさいよ」
「……」
「はぁ……ねぇ、毎度毎度あたしが言わないといけない訳? もう数ヶ月も同じやり取りしてるのよ?」
「……そのまま、同じ言葉を返そう。俺たちは同じやり取りを数ヶ月続けている。いい加減に分かってくれ…」
もう、深い眠りにはつきたくないんだ。
消え入る様な声を吐き出して、男はそれ以降喋らなかった。
最初には、溜息があった。その後には、舌打ちが鳴った。それから暫くすると、また溜息があった。
「いつまで、そうやって目を逸らすつもりなのよっ……この」
ベッドから降り、男の胸ぐらに手を伸ばして―――そこから先の言葉は、出てこなかった。
枕を尻引き代わりにする様に、アビーは男の隣へと並んだ。
会話は無い。ぺらぺらと、何事も無かったかのように、アビーが自前の本の頁を捲る音が響くだけの空間で、時は過ぎ去って……また、代わり映えのない光景を収めて、今日が終わろうとしていく。
5年前、二人はヒストリア陸軍に入隊した。訓練期間を終え、初陣を経験し、生き残り、様々な作戦に参加した。
結果は男の心が折れて、終わった。
原作のキャラクター達が死んだ、という訳ではなく―――単に、人殺しという重荷に耐えきれなかったという、それだけの極めて単純で、それでいてありふれた事実である。