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ヒストリア陸軍の内部において、サイトの隊長を務める男の噂はその大半が悪しきものであり、良い噂など片手の指が埋まるまでも無い程である。
5年前の兵士募集を期に集った、ヒストリア陸軍第101期訓練兵隊。歴代の訓練兵隊の中で最も多くの英雄、将校が輩出された事から、『純金世代』と呼ばれている者達だ。
男もまたその一人であり、狙撃手として様々な戦場で戦績を残し、弱冠19歳という若さで特務潜伏狙撃部隊の隊長に任命されたのは、兵士としては間違いなく名誉である。
だが、その代償はあまりに大きかった。とは言っても、それはあくまで彼個人のものであり、傍から見てみれば、ソレ自体は兵士達にとってはさして珍しくもない、ありふれたものであった。
当時は少年と呼べる初々しさを残していたが、それも戦場に挑む度にすり減っていった。特別な理由がある訳でもなく、ただただ純粋に―――その男は、人を殺すという行為の重さに、呆気なく押し潰されただけだ。
「―――は」
今から4年前の事だ。第101期訓練兵隊は、一年という驚異の短さで実戦を経験する羽目になった。
今は特務潜伏狙撃部隊の兵舎となっている区画―――ヒストリア陸軍第16区にて、ヴェルトの襲撃があったのだ。
16区はヒストリアでも西の方に位置しており、丁度外壁に近い場所だったのが災いした。ヒストリアの魔法障壁に、数人程度が入り込める程度の穴を空けて、ヴェルトは少数精鋭で兵を送り込んだ。
幸いだったのは、教官がそれを察知した事だろう。警報によって何らかの異常を察知した教官は即座に本部へと報告し、対処に尽力した。
教官を隊長とし、一時的に編隊された訓練兵達は陣形を取り、僅かな動きで死が決まる様な戦線へと赴く羽目になった。後に、『英雄の初陣場』などという大層な名で知られる小さな大戦である。
―――そこが、彼の初めての処刑場であった。
「はっ―――は」
呼吸が乱れている。心臓の鼓動が加速し続け、緊張と恐怖が自分を追い詰めているのを、強制的に叩き付けられている様な気分だった。
16区の訓練場は広い。かつての先輩達が掘ったであろう塹壕には、煤けた薬莢が幾つも転がり落ちている。
今こうして、男が身体を強ばらせている間にも、前線の同期達が銃撃戦に必死になっているからだ。普段の訓練で使われる様な旧式ではなく、実戦で兵達に配備されている新しめの小銃は、火花と共に鈍い音で吠え続けている。
鳴り続く銃声と怒号。それに呑み込まれ、もはや正気などあってない様なものだった。
ガタガタと震えて揺れる腕では照準など定まらず、恐怖に身体を竦めるだけの兵士に、どれ程の価値があろうか。今この場から逃げ出さずにいる事だけが、唯一彼の褒められる所だろう。
「ぇ―――ねぇ、ねぇってば!!!」
「っ!?」
突如、背後から掛けられた怒号に恐慌が先走り、震える手で握り締めた狙撃銃を即座に向ける。
衝撃が銃口を走って身体を僅かに叩き、狙撃銃は呆気なく手から投げ出された。蹴り飛ばされたのだと理解するのには、それなりの時間が必要だった。
硬直した身体が、少しずつ動いた。恐怖に染まった瞳に映るのは―――薄汚れた、幼馴染だった。
「あ……」
強い後悔と罪悪感に蝕まれ、漏れ出たのはそんな小さな声だった。
自分が何をしたのか。さっきまで恐怖に叩きのめせされて蹲っていたとは思えぬ程に簡単に、それを理解出来た。
「ご、ごめ」
「大丈夫。謝らなくていいから」
「おれ、は」
「分かってる……わかってるから」
その手が、優しく包まれた。
だが、見逃せなかった。
自分の手を包んでくれた彼女の手もまた、震えていた。何とかして自分を落ち着かせまいと、恐怖を和らげようと必死になってくれている他ならぬ彼女も、この戦場に怯えを抱いていた。
「戦わないと…生きられない。生きる為に、戦わないと。今はそれだけを考えて。それ以外の事は考えてなくていいから」
「いきる…」
「そう。あたし達は、絶対に生き残るの。だから……だから、おねがい。あたしも、あたしも……がんばる、から」
少しずつ、声が震えていく。その度に、自分の恐怖が別の何かに塗り替えられていく様な気がした。
憤怒でも、憎悪でもない。どこか曖昧で、はっきりとした言語化が出来ない何か―――使命感の様な何かが、己の胸の内を覆い尽くしていった。
動け、とソレが叫んでいた。
守れ、とソレが動いていた。
戦え、とソレが構えていた。
殺せ、とソレが生きていた。
「いきる……いきる、そうだ。生きなきゃ、生き残らなきゃ……おれは、生きて、みんなを」
狙撃銃を拾い、スコープから目の前の地獄を直視する。
目では追えない速度で飛び交う銃弾。稀に顔を出す敵兵。壁の奥から微かに見える銃口とつま先と体。聞こえる筈のない敵の吐息でさえ、このスコープから見ればそれが幻聴であると気付く事もなく、まるで傍に居るかの様に鮮明に音が構築されていった。
引き金に指を掛け、その刹那を待つ。
たった数分の時間が、まるで永遠の様だった。いつその瞬間が訪れるのか分からない恐怖は、もはや彼の胸の内からさっぱり消え去っていた。
生き残らなきゃ、なんて言葉が漏れこそしたが、彼の頭には自分が生き残るべきかどうかなんてくだらない問答は、最初からありはしなかった。
―――壁から頭を覗かせる人間の顔を見た時、ソレは産声をあげた。
炸裂した火薬と共に噴き上げた火花が散った。引き金という合図の元、鉄の猟犬は頭蓋を噛み砕く様に直線を駆け抜けていく。
まず最初に赤があった。その後に絶望があり、絶望からは恐怖が感じ取れた。
ありありと、見せ付けられるかの如く、彼の瞳にはその光景が付き纏っていた。
初めての殺しが、間接的だったと思えたなら、どれだけ良かった事だろう。狙いを定めて、引き金を引いた。だが、その弾丸が自分のものであったかどうかなど、その場の彼には判断のしようもなかったのに。
もしかしたら、他の誰かの弾が当たっただけなのかもしれない。そんな妄想に逃げられたら、きっと幾分かはマシになっていだろうに。
だが、そうはならなかった。
彼の心がそれを許さなかった。
お前はお前の意思で確かに人を殺したのだ―――そう、自分自身に突き付けられた。
「―――」
程なくして、その戦闘は終結した。
訓練兵隊の尽力の末、軍本部からの援軍が到着し、敵部隊は壊滅した。負傷者こそ多かったものの、幸いな事に死者は生まれなかった。
結果から言えば、彼等の大勝利だった。誰も死なずして、初陣で勝利を手にした事は軍人として確かな名誉の筈だ。
実際、多くのものが歓喜に浸った。
自分達は精鋭達に勝った、生き残ったのだ! 名誉あるヒストリア軍人として名を馳せられた! 勲章だって夢じゃない!
生き残った祝いだと、教官が振舞った肉や酒は彼等にとって、人生で最も美味なものだったと断言出来る―――内、二人を除けば。
「……」
「…味、しない」
「……そう、だな」
彼とアビー、ただ二人だけが静寂の最中に立っていた。
人を殺した後に食べる肉も、勝利の美酒も、味なんて感じない。その瞳の中に刻み込まれた鮮血が、未だにチラついて離れそうにない。
覚悟をしていたつもりだった。人を殺す覚悟は、とうに出来ているつもりだった。
だが、実際にそれを成してみれば、それに遭ってみれば、なんとも呆気ない覚悟だったと痛感する。銃弾の中で恐怖に竦んだ己は、たかが1人の人間を殺すだけに躊躇いと絶望ばかりだったのだ。
自分を憎む余裕すらない。そんな資格すら無かったのだと、殴られた様だった。
「……これから、おれたちはもっと人を殺す」
「…………うん」
「耐えられるか…? こんな、地獄で、まだまだ、おれたちは……ひとを」
「……分かり切ってたこと、でしょ…だって、軍人なんだから」
「…………違う。おれは、わかってなかった。人を殺す意味も、その重さも、ぜんぶ……知らないままだった。見ようとしなかったんだ」
血に溢れた景色が脳裏に焼き付いている。
今こうして、戦場から離れているというのに、未だその景色は憎しみをぶつけるかの様に、彼の瞳の中で存在し続けていた。
その手が血に染まっている。その手が死で汚れている。これからを考えるだけで、心にぴきりと罅が入っていった。
ここで壊れてしまえばよかった。壊れて、崩して、死んでしまえば、ずっとずっと楽だった。
だが、それを許さなかったのは―――他ならぬ、彼の呆気ない覚悟だった。
「にげたい……けど、にげたらみんなはどうなる…? おれは見殺しなんてしたくない……いやだ、おれはまだ生きていたいっ…でも、でもそれじゃあ、だれが」
「ねぇ、ちょっと……」
「おれだけが全部知ってるんだ……そうだ、おれじゃないと、おれが戦わないと救えない人がいる…しぬ、しにたくない、だから戦わないといけなくて、殺さないといけないから……だから、いきていたい…………」
思考が景色と混ざって、意識が曖昧になっていく。
自分が何をしたいのか、自分でどうしたいのか。目的と行動の全てがぐちゃぐちゃになって、溶けて、混ざって、また
死にたくない。でも彼らを見守りたい。
殺されたくない。けど彼らを救いたい。
生きていたい。だから彼らと戦いたい。
どちらも本音で、そこに誤魔化しだとか、逃避だとかは存在しなかった。彼にとって、そこにあるもの全部が本望であったが、それを知る由などないし、誰も知ろうとはしなかった。
「……………………………………いきるために、ころさなきゃ」
「――――――」
罅が広がるのは、誰よりも早かった。
彼女はそれをただ……怖がる様に、見るだけだった。
◆
「っ!」
引き金に指が掛かるのは、驚く程に一瞬だった。
滑る様に緩やかに銃を構え、意識が消え掛けた自分の前に立つ敵に対して殺意を向ければ、
「ひゃっ!?」
と、敵から漏れるとは思えない程に華奢な声がした。それと同時に、その銃口が蹴り上げられ、銃が手元から離れた事に対しては、男はこれといった反応を示さなかった。
いや、正確には示せなかったのだろう。
茶色の髪を短く纏めた小柄な少女———もとい、『ブライトエンド』の最初のヒロイン、レイヴェイ・ハロースター。
そして、この『
男が前世において魅せられた二人が、其処に居たのだ。
「あ……」
「レイヴェイ。彼に不用意に近付くなと、何度も言っているだろう」
「ご、ごめんなさいっ! でも隊長さん、それだと言葉が少ないですよ!」
見慣れたやり取りだ。『隊長』と呼ばれるウェイルは、その仏頂面と言葉足らずな性格から誤解が多い事で有名だ。
キャラクターとの絆を深める事で解放されるエピソードにおいても、選択肢のどれもがだいたい言葉足らずで、基本的にキャラからの第一印象がやりにくい人か、なんだアイツの二つに一つという、ソーシャルゲームの主人公にしては珍しい属性の持ち主だった。
そんな彼を支える様に、レイヴェイは実に対照的で明るい人物だった。戦場であっても活発さを忘れず、周囲を鼓舞するサポーター的な役割を持っていた彼女がウェイルの言葉を補足するのは、多くのプレイヤーにとって見慣れた光景であり、それでいて忘れられない日常でもあった。
「……すみません」
「いえいえ、元を言えば近付いちゃったワタシが悪いのでっ! お怪我はありませんか? 隊長さん、結構強く蹴っちゃいましたし…」
「問題ありません。隊長殿、対処に感謝致します」
「いや、レイヴェイの言う通り、少し手荒な事をした。感謝される謂れはない」
「どうしてそうも言葉を間違えちゃうんですか!」
「……それで、何故、サイトの兵舎まで?」
その望ましく、眩しい光景に微笑ましさすら抱けなくなった自分を嗤いながら、男は尋ねる。
16区自体は特別珍しい場所ではない。これといった盛んなものがある訳でもなく、首都である1区や軍の要である3区の様に重要な何かがある訳でもない。
16区は、国だけでなく区画にも様々な歴史を持つヒストリアの中では、極めて平凡でこれといった特徴がない区画である。
だが———このサイトの存在だけは別だ。
極めて冷酷な粛清部隊とすら揶揄されるサイトは、16区にある基地の敷地内でも離れた場所に兵舎を持つ。
それこそサイトが忌避されている証明であり、仮にサイトに要件があったとしても、兵士も将校も決して兵舎には近寄ろうとしない。それ程までに、サイトという部隊は忌み嫌われているのだ。
そんな場所に足を運ぶとは、いったい何の用向きだろうか? そう疑問に思うのは、至極当然であった。
「実は、サイトの皆さんに協力をお願いしたくて……」
「…俺たちに、支援要請ですか」
「あぁ。最近、アドステラ河に不審な人影が多数目撃されているという情報があった。空軍から偵察機を飛ばした所、小規模だが兵と基地が出来つつあるとの事だ」
「……補給線、という訳ですか」
「俺もそう踏んでいる」
アドステラ河は、ヒストリアの西部地域にある大きな河だ。まるでその河自体が、国と国を隔てる境であると主張しているとまで揶揄される程の広さを誇る、ヒストリアの国家指定財産である。
もはやジャングルとすら言える密林地帯の中で、綺麗な水の状態を保ち続けているアドステラ河は、小規模の兵とキャンプ地点を確保したとしても何ら問題はない場所———敵にとっては何としても確保したい地点だろう。
小規模なら密林で偵察をある程度は凌げる上、水にも困らない場所だ。敵が侵略を考えているのなら、補給線を設置するなら間違いなくそこだろう。
「十中八九ヴェルトの兵だろう。近々、俺達アークス大隊はその不穏分子を排除する為、アドステラ河に攻撃を仕掛ける。とは言え、密林地帯となれば進軍は容易ではない」
「そこでサイトの出番という訳ですか」
「はい。サイトの皆さんであれば、密林地帯でも正確な狙撃が出来るだろうって、ヴァイク中将が」
「……」
またアイツか。男は困った様に顔を歪めた。
ハルニア=ヴァイク中将。ヒストリア陸軍第3区本部基地に勤務し、防衛部隊の指揮官を務める女性であり、男とアビーの同期———つまりは『純金世代』の一人だ。
現状、『純金世代』の中でも壊れる前の男を知る同期の一人であり、それ故に何かとサイトを買っているのが彼女だ。
その所為もあって、『純金世代』であっても軍内部ではあまり良い噂が立たないが……アレは女傑と呼ばれる類の人間だ。そういう噂話など、気にも留めないだろう。
「えっと、その……こんな風に頼み込みに来ておいてなんですが、その…」
「この作戦は本来、アークス大隊のみで進行されるものだった。それにヴァイク中将がサイトを入れてはどうか、と検討している最中だ。先んじて同意を得ておく事で、協力を確実なものにしたいんだろう。だが、拒否権はある話だ。無理に頷く必要はない」
「…そうですか」
5年前にヒストリア陸軍に入隊し、それから1年の訓練を迎えた直後に『英雄の初陣場』での戦闘を経験して以降、彼の心は少しずつ、それでいて確実に戦場の狂気に蝕まれていた。
『英雄の初陣場』で初めて射殺した時の光景が、瞳を閉じれば即座に頭の中で暴れ出すのだ。
呆気ない死に対して、絶望と恐怖を抱いて斃れた敵の顔面を、彼はスコープ越しに直視した。以降の戦場でも狙撃手としての立場を確立させた彼は、何度も何度もソレを脳に焼き付けた。
頭の中が血に塗れていく状態に、遂に心は折れた。今では銃を手放せず、ベッドで眠る事すら拒む有様だ。
現についさっき、その銃口が味方へと……それも、彼が愛していた筈の原作の
「……受けるにせよ、拒むにせよ、俺の独断では決められません。アビーと他の隊員と話し合った後、なるべく早く答えを出します」
「そうか」
「まだ作戦までは期間がありますから、全然大丈夫ですよっ!」
それなりの休暇は、そろそろ終わりを迎えようとしている様だ。
……また、戦場へと足を運ばなければ。他ならぬ彼等を守る為に、男は何度でもその瞳にあの日を焼き付けるのだ。