君の神様になりたい   作:香椎

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 二〇三〇年九月十二日。

 満月だった今日は、それを眺める暇もないほどに忙しないものだった。

 ツクヨミにて、月人がかぐやを迎えに月からやって来る。私は精一杯、足掻くつもりだった。色んな人に頭を下げて協力を仰いだ。真実と芦花に、ブラックオニキスの三人。ヤチヨは……無理だったけれど。それでも、かぐやのために特別なステージを用意してもらった。

 

 私は恵まれている。

 きっと誰もが荒唐無稽だと笑い飛ばす話を信じてくれて、こうして集まってくれた。それだけで、一人で戦うよりずっと心強い。

 そんな私を見てお兄ちゃんは変わったな、なんて言ったけれど。かぐやを助けるためなら、私は何にだってなれる。

 

『超新星のかぐやの卒業ライブ!その目にしかと焼き付けろ!』

 

 忠犬オタ公の叫びと共に、この特設会場は熱狂の渦に包まれる。いよいよかぐやの卒業ライブが始まった。

 

「みんなでお見送りしてハッピーに卒業させて!」

 

 マイクはかぐやへとパスされて、その呼び声に応えるよう更なる熱狂が生み出された。かぐやのマイクパフォーマンスが終わると同時に、空に咲いた無数の花から月人たちが降って現れる。

 

 ──来た。

 

 各々、臨戦態勢を取る。

 観客はみな、ライブの余興だと思っている。それでいい。忠犬オタ公の言ったように、私たちの戦いよりも今はかぐやを目に焼き付けていてほしい。

 でもね。これが最後になるかもしれない、なんて言わないから。みんな、覚悟を持ってこの場に臨んでいるのだ。全力で抵抗してやる。

 

 私は、リアルですぐ隣にいるかぐやに「また一緒に買い出しに行こう」なんて普段と変わらないテンションで言って、戦場へと駆け出した。

 

 けれど、気概だけでどうにかなるほど月人との戦闘は甘いものじゃなかった。どれだけ倒そうと、どれだけ打ちのめそうと。何度も何度も復活しては、湯水のごとく湧いて、私たちの前に立ちはだかった。

 

 真実と芦花はやられた。ブラックオニキスの面々はチートを使ってまで抵抗してくれたのに、お兄ちゃんは私を先へと行かせてくれたのに。私は月人に取り囲まれて、かぐやに手が届かないまま、かぐやの歌が終わった。

 

「かぐや……」

 

 首を垂れて傅く月人を「はるばるようこそ」なんて迎えて。かぐやは全てを受け入れている。私だけが、受け入れられなくて……彼女を掴もうと伸ばした手は空回る。

 

 ねぇ、かぐや。あなたはいつからそんな顔で笑うようになったの。

 

 その横顔が、ヤチヨが時折見せる表情とそっくりで──彼女なら、と。私は最後の希望に縋るようにヤチヨの姿を探した。

 ヤチヨなら、ヤチヨなら何とか出来るかもしれない。断られてしまったけど、今なら私たちの想いを汲んでくれるかもしれない。

 そんな甘い幻想を抱いて見回すと、いつのまにかすぐ隣に彼女は来ていた。

 

 いつからいたのか、なんて正直どうでも良かった。彼女の登場に驚くように跪く月人も、もっとどうでもいい。

 

「ヤチ、ヨ……」

 

 絞り出した声は微かに震えている。そんな私にヤチヨは優しく微笑んで、一歩前に出た。すると、私を取り囲っていた月人は道を開ける。そうして切り開いた道を、ヤチヨは静かに進んでいく。その先を辿れば、かぐやがいた。

 

「ヤチヨ……」

 

 かぐやは驚いたように彼女の名を呼んで、すぐにまたあの笑顔を浮かべた。

 

「……ありがとう。私のために最高の舞台を用意してくれて。おかげで、最後に最高の思い出ができたんだ」

「……そっか」

 

 二人の会話が、波紋のように静かに広がっていく。

 月人はまだ道を開いたまま。けれど、私はその場から一歩も動けなかった。かぐやの言葉が、私の足を止めていた。

 

 初めから勝ち目なんてなかったよ。でも、それでも別れを認められなくて、子どものように駄々を捏ねていただけ。いつもわがままばっかだったかぐやと、それを宥めていた私。いつもと違う役割だったから、私は最後までわがままを通せなかった。かぐやの言葉を聞いちゃったから、私にはもう戦う理由がなくなってしまった。

 

 かぐやは迎えの光る雲の上へと乗っていく。その様子を私も、みんなも眺めるだけ。

 ただ、一人。そばにいたヤチヨだけが、私にギリギリ聞こえるくらいの声量で、小さく呟いた。

 

「ごめんね、かぐや」

「え?」

「私は、私が思うよりわがままだったみたい」

「何、を……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「助けて、カナタ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その名をちゃんと口にしたのはいつぶりだろう。

 

 夢か現かわからない境界線に立って、私は未だに状況を理解し切れていない。

 だから私は、今の今まで動けなかった。みんなが必死に戦っている中、私は恐れて傍観しているだけだった。

 

 だって、わかんないよ。どうすればいいのか、わからないの。

 

 あれが夢だって言うのなら、私の選択が間違いだったと言うのなら。私は、どう動けばいいのかわからない。

 

 夢の中で、彩葉は言っていた。『きっとカナタの存在が、この輪廻を壊してくれる』って。

 

 それでも、私は怖かった。

 あの日から、私は自分の選択をずっと悔いていた。自分の選んだ答えが誰かを傷つけて、また失うのが怖かった。

 

 もし、もう一度会えたとして。

 もし、もう一度言葉を交わせたとして。

 

 私は上手く笑えるかな。

 

 私が選んだ答えで、私は彼を失った。飽和した想いだけが、千年前に取り残されている。

 

 また失ったらって考えるだけで、指先が震える。それを隠すことすらできない。

 ならいっそこのまま、会わないほうがいいんじゃないかって思うの。

 

 でも、でもね。

 それ以上に怖いこともあるんだって気づかされたんだ。

 

『伝えたい……ずっと、伝えたかったことがあるんだ』

 

 私、待ったよ。

 千年間も、待ったんだから。

 たった一つの言葉くらい言わせてよ。

 

 ──ねぇ、カナタ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え……」

 

 思わず声が漏れた。

 その声が誰のものだったのかなんて、考える余裕はなかった。きっと、この場にいた誰もが同じ感情を抱いていたから。

 

 私を取り囲っていた月人の一人。その腕が、宙を舞う。次の瞬間には胴体が真っ二つに裂け、草原の上を転がっていた。

 

 あり得ない。

 私たちは動けなかった。状況を知る者も、戦う力を残している者も、誰一人としてあの一撃を放てる状態じゃなかった。

 唯一可能性があるとすれば、それはヤチヨだけ。でも、彼女はずっとかぐやの隣にいた。

 

 ──ヤチヨは、なんて言った?

 

 確か、助けて、と。

 その言葉の意味を理解するより早く、風が私の横を駆け抜けた。

 遅れて振り返る。そこにいたのは、斬り伏せられた月人と、一人の男だった。

 いつからそこにいたのか。どこから現れたのか。敵なのか、味方なのか。

 浮かんだ疑問は、次の瞬間には消え失せていた。

 

「凄い……」

 

 誰かが呟いた。

 彼が刀を振るう。それだけで、月人が音もなく崩れ落ちた。一振りで幾人もの月人を葬り、行手を阻む悉くを薙ぎ払う。絶え間ない攻撃の応酬に、月人も反撃を試みるも彼は止まらない。自身が傷つくことを恐れず、血に染まりながらもひたすらに前を向いて、刀を振り続けていた。

 

「強ぇ……」

 

 その一部始終を眺めていた帝アキラが感嘆の声を漏らす。雷も乃衣も、開いた口が塞がっていない様子だった。彼らはプロゲーマーだ。ブラックオニキスとして、数多のプレイヤーの頂点に立っている。そんな彼らでさえ、目の前の光景を理解できていない。

 彼は、チートを使っているわけじゃない。特殊な力で圧倒しているわけじゃない。ただ、刀を振るっているだけ。それだけなのに、月人が次々と倒れていく。

 

 皆の視線が、自然と彼へ集まっていく。

 

 さながら映画のワンシーンのようだった。けれど、そこにいたのは誰もが思い描く英雄とは程遠い姿をしていて、服は裂け、肌には何層にも傷が重なって、浴びた血が赤黒く染み付いている。

 それでも、彼は立っていた。絶望しかなかった戦場で、風に戦ぐ帆のように。

 誰もが期待していた。もしかしたら、この人なら、この状況を打破してくれるかもしれないと。

 

 そうして、どれほどの時間が経ったのか。ほんの数分だったのかもしれないし、もっと長かったのかもしれない。けれど、私には一瞬にしか感じられなかった。

 気がつけば、月人は一人残らず地に伏していた。かぐやの傍に居た月人も、例外ではない。それを認識した瞬間、私は走り出していた。

 

「かぐやっ!」

「彩葉……」

 

 戸惑うかぐやを力いっぱい抱きしめる。なんでもいい。今度こそ、離さない。そう決めたから。

 

「いろ、は……っ!」

 

 困惑していたかぐやも、ようやく状況が見えてきたのか、私の背中へと手を回して抱きしめ返してくれた。温度の感じない世界で、伝わった温もりが夢でないと証明してくれている。

 

「……ほんとに、来てくれたんだ」

 

 啜り泣く私たちの傍で、ヤチヨの声が耳朶を打つ。そっと見やれば、ヤチヨはどこか懐かしい景色を見ているように、頬を綻ばせていた。

 そうだ。ヤチヨに聞かなきゃならないことがある。問いかけようと口を開いた、その瞬間。

 

「彩葉……!」

 

 かぐやの声に、咄嗟に身構える。喜べるほど事態は収束したわけではなかった。

 視線の先では、バラバラになったはずの月人が再び立ち上がっている。

 

「まだ終わってない……っ!」

 

 月人は残機が無限にあるように、何度倒しても起き上がる。このままでは堂々巡りだ。

 全員が身構える。私はかぐやを守るように背中に隠して、武器を構えた。

 

「え……?」

 

 けれど、月人は襲ってこなかった。これ以上戦意はないというように、誰も彼もが頭を垂れていた。

 

「どういうこと……?」

 

 首を傾げる私の横を、今度はヤチヨが通り過ぎていく。一歩ずつ踏み込む度に、その表情は柔らかくなっていって。彼の前に着く頃には、すっかりと口許を緩ませていた。

 

「……ずっと、会いたかった」

 

 凛とした、涼しげな声だった。

 けれど、その一言に込められたものが、ただの再会を喜ぶ感情じゃないことくらい、私にもわかった。

 ヤチヨは彼が現れた瞬間からずっと、彼だけを見ていた。私たちも月人も、今この場にある全てのものが、彼女の瞳の中には映っていなかった。

 

 彼がゆっくりとヤチヨの方を向く。

 その瞳は、先ほどまで月人を斬り伏せていたとは思えないほど穏やかだった。陽だまりのように柔らかく、温かな眼差しがヤチヨを真っ直ぐと捉える。

 

「君は……誰?」

「──っ!」

 

 彼の言葉に、ヤチヨの顔がくしゃりと歪んだ。

 

「あ……え、と……なん、で……?」

 

 彼女の瞳から彩が消えていく。

 伸ばしかけた手は行き場を失い彷徨って、やがて力なく落ちていった。その指先は微かに震えていて、寒さに悴んでいるように見えた。

 

「ヤチヨ……」

 

 その姿があまりにも痛々しくて、私は堪らず彼女の名を呼ぶ。そんなことヤチヨは望んでいないだろうに、私は見ていられなかった。

 

「ヤチヨ……って言うのか?」

 

 私の言葉を拾ったのは、ヤチヨでなく彼だった。

 

「すまない……僕は、僕の名前すら覚えていないんだ。……どこかで会ったかな?」

「っ……!」

 

 その一言で、ヤチヨの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

 初めて見た。ヤチヨが泣いている姿なんて。いつも、にこにこと笑っているのに。

 私はそれを止めようとして、伸ばした手をすぐに引っ込める。私じゃきっと、ヤチヨの涙を止めることはできない。こんな顔をさせた理由を知っているのは、きっと彼だけだから。

 私にはこの状況を、見守ることしかできない。

 

「……ごめん、泣かせたいわけじゃ……」

「……あはは。大丈夫、大丈夫だよ。ちょっと目にゴミが入っただけ……うん、大丈夫」

 

 誰がどう見たって強がりだ。けれど、彼女は何かを噛み締めて、唇を固く結んだあと。全てを飲み込んで、いつもと同じ笑顔を貼り付けた。

 

「……月見ヤチヨです。はじめまして、だね……」

 

 細められた目は、もう雫を落とすことはない。

 ヤチヨはきっと今、大事なことを諦めてしまった。自分の気持ちを押し殺して、仕方ないと無理やりにでも納得した。

 私にはわかる。だって、その顔には見覚えがあったから。

 

「……ああ、もう、行かないと……」

 

 彼の言葉が、静かな世界に響く。

 それだけ言って、彼は私たちに背を向けた。

 どこへ行くつもりなのかはわからない。ただ、ここから離れようとしていることだけはわかった。

 ヤチヨを置いて。何も知らないまま、何もなかったみたいに。

 

 許せなかった。ヤチヨの感情をぐちゃぐちゃに乱すだけ乱して、逃げるように何処かへ消えようとする彼を。

 あなたがヤチヨの何なのか、私にはわからない。でも、ヤチヨはこんなにも苦しそうなんだ。それを置いていくなんて……やっぱり、許せない。

 

 だから、私は彼を呼び止めようと一歩前に踏み出した。その瞬間だった。

 

「どこに行こうってんだ、ばかたれ!」

 

 小さな存在の叫びが、静かな世界に響く。

 

「っ、FUSHI!」

 

 ヤチヨは一瞬驚いたように目を張って、けれどすぐに咎めるような声色でその名を呼んだ。

 ずっとヤチヨのそばにいたウミウシのFUSHIは、彼女の言葉に耳を貸すことなく、彼の元へと這っていく。

 

「また一人にさせる気かよ!許さないからな!」

「待って、FUSHI!大丈夫!大丈夫だから!」

 

 ヤチヨは必死にFUSHIを呼び止める。けれど、小さな身体は止まらない。FUSHIはそのまま彼の前へと辿り着き、まっすぐに彼を見上げた。

 そんなFUSHIを見て彼の足が止まった。何かを探すように、彼はじっとその姿を見つめる。

 

「君、は…………っ!」

 

 彼が息を呑む。

 その反応は、初めて見るものに向けるものではなかった。まるで、ずっと探していた何かに触れたのに、それが何なのかわからない。自分でも理解できない何かに、無理やり引きずられているような、そんな表情だった。

 彼は頭を抑え、苦しげに呻く。

 

「……かぐや」

「へ?わたし?」

 

 場違いなほどに素っ頓狂な声が、背後のかぐやから発せられる。いや、確かに名前を呼ばれたんだけども。

 かぐやと呼ぶ彼の視線の先にはFUSHIがいて、そんな彼を悲しげに見つめるヤチヨに、私は状況が縺れに縺れているのだと悟る。

 

「かぐ、や……かぐや。そうだ、かぐや……!僕は、かぐやを……」

 

 理由もわからないまま、胸の奥に残された何かを探るように、彼はFUSHIを見ながら戯言のようにその名を繰り返し呼んだ。

 

「ちげーよ!どこ見てんだ!」

「っ……」

 

 そんな彼の頭を、FUSHIが勢いよく引っ叩いた。

 

「えぇ……」

 

 思わず引いてしまった。見れば、みんな同じような反応だった。

 

「わからない、とは言わせねーぞ。ずっと待ってたんだからな」

 

 尚も、自分を見つめてくる彼の肩に飛び乗ったFUSHIが全身を使ってヤチヨの方を向かせる。

 再び、ヤチヨと彼の視線が交差する。今の彼の瞳には、先ほどまでの穏やかさはない。けれど、確かな熱が帯びていた。

 

「……かぐや、なのか?」

「っ……!」

 

 その場にいる全員が目を見開いた。私も、かぐやとヤチヨを交互に見る。かぐやは未だ状況が掴めず困惑気味だった。というか、私たちだってよくわかっていない。

 けれど、ヤチヨは違った。ヤチヨは唇を噛み締め、何かを堪えるように俯いている。その横顔を見れば、きっと彼女だけは理解していた。

 

「まさか、かぐや……ああ、僕は……僕は、なんてことを……っ」

 

 まるで、自分自身を責め続けるように。彼は何度も言葉を詰まらせ、その顔には深い後悔が滲んでいた。

 その姿があまりにも弱々しくて、さっきまでのヤチヨの姿と重なった。

 そして、耐えきれなくなったように彼は再び背を向ける。

 

「……あ」

 

 どこかへ行ってしまう。

 そう思った瞬間、私は考えるより先に一歩踏み出していた。

 

「待って!」

 

 その腕を強く掴んで、私は彼の顔を見つめる。

 その顔は、さっきまで月人を斬り伏せていた男のものではなかった。迷子になった子どもみたいに、不安そうで、寂しそうな顔だった。

 ああ、やっぱり……二人とも、似たような顔してさ。

 

「彩葉……」

 

 ヤチヨが心配そうに私の名を呼ぶ。大丈夫、とは言わないけど、代わりの言葉を彼に向けて吐き出した。

 

「わからないこと、たくさんあるし……なにも、わからないよ。でも、これだけは言わせて」

 

 きっとここにいる誰もが自分自身を偽っている。知られたくないことをひた隠しにして、なんてことない顔で今日も生きている。それでも良かった。知らなければ、私はきっとそれでいいと思っていた。

 けれど、彼女の想いに触れてしまったから。その涙を見てしまったから。私は後悔をしたくない。だから、言うんだ。

 

 

「かぐやを助けてくれてありがとう」

 

 

 それだけは、私の偽りない本心だ。

 

 

 

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