工房が爆発した。
轟音。
煙。
石壁の亀裂。
吹き飛ぶ扉。
跳ねる試験管。
傾く棚。
そして、工房の中心に立つカリオストロの怒声。
「だから、出力を落とせって何度言わせりゃ分かるんだ!」
煙の向こうで、ガレヲンは静かに頷いた。
「理解。(前回も聞いた)」
「聞いただけで終わってんじゃねぇか!」
「改善。(今回は爆発範囲、三割減)」
「爆発してる時点で駄目なんだよ!」
作業台の上には、土と鉱石でできた壺があった。
名は、自動洗濯土壺。
衣服を入れる。
水を注ぐ。
蓋を閉める。
しばし待つ。
すると汚れが落ちる。
非常に便利である。
ただし、洗い上がった衣服は、土器のように硬くなった。
加えて、最後の乾燥工程で工房の壁が一枚吹き飛んだ。
ガレヲンは、硬くなった布を持ち上げる。
「成功。(汚れ、消失)」
「衣服としても消失しかけてんだよ!」
「疑問。(形状は残存)」
「着られねぇ服は服じゃねぇ!」
「学習。(柔軟性、重要)」
「ようやくか!」
カリオストロは荒々しく息を吐き、焦げた作業台に手をついた。
その手元には、びっしりと書き込まれたメモがある。
出力制御。
安全機構。
対象指定。
人間基準。
使用環境。
副作用。
ガレヲンが持ち込んだ発明品のたびに、カリオストロは怒りながら書き足していった。
最初は「二度と持ってくるな」と言っていた。
次に「持ってくるなら先に連絡しろ」と言った。
その次は「置いていくな」と言った。
今では、工房の一角に「ガレヲン危険物」と書かれた棚がある。
そこには、自動給茶土人形、睡眠補助石、疲労回復壺、携帯用暖炉石、自動整地箱、そして今回の自動洗濯土壺が並んでいた。
人の子の受容速度は、実に興味深い。
「友。(検証役、健在)」
「だから友じゃねぇ……いや、もういい」
カリオストロは途中で否定を諦めた。
これも変化である。
以前は即座に怒鳴っていた。
今は、怒鳴る前に一拍置く。
友に近づいている。
おそらく。
「歓喜。(友好度、上昇)」
「勝手に数値化すんな」
そう言いながらも、カリオストロは壺の核を外し始めた。
検証は続く。
文句も続く。
怒声も続く。
だが、手は止まらない。
ガレヲンは、その様子を見るのが好きだった。
人の子は短命である。
脆い。
焦る。
怒る。
けれど、伸びる。
目の前の未知に、手を伸ばす。
自らの小ささを知りながら、それでも届かぬものへ爪を立てる。
その姿が、ガレヲンには愛おしかった。
季節は巡った。
島の風は変わり、山の雪は溶け、鉱脈の奥では新たな結晶が育った。
工房の扉は何度も吹き飛んだ。
壁も何度も壊れた。
棚の配置は、そのたびにカリオストロによって厳密に戻された。
ガレヲンが修復しようとすると、必ず怒られた。
「勝手に直すな!」
「疑問。(損傷は不便)」
「その傷にも意味があんだよ!」
「理解。(傷、記録)」
「分かったなら触るな!」
「努力。(なるべく)」
「なるべくだと!?」
呼び鈴代わりに渡した石板も、何度か使われた。
ただし、呼び出し理由は必ずしも重大ではない。
ある時は、土人形が勝手に茶を淹れようとしていた。
ある時は、睡眠補助石が棚の中で微弱に発光し、工房にいた弟子が全員眠りかけていた。
ある時は、自動整地箱が机の上を平坦にしようとして、資料の山をなめらかな紙の層へ変えかけた。
「呼出。(何用か)」
「お前の置いてったもんが暴走してんだよ!」
「成長。(自律性、向上)」
「向上じゃねぇ、暴走だ!」
「修正。(過成長)」
「言い方の問題じゃねぇ!」
カリオストロは怒る。
ガレヲンは頷く。
土人形はぺこりと頭を下げる。
その繰り返しだった。
そして、時々。
カリオストロは徹夜をした。
いや、徹夜という言葉では足りない。
何日も眠らず、術式と向き合い続ける。
目の下に影を作り、それでも笑う。
未知に近づくことが、何より楽しいのだろう。
だが、身体は命である。
命には休息が必要だ。
ある夜、ガレヲンは工房の隅で、黙って作業を続けるカリオストロを見ていた。
紙の上の式が、一か所だけ歪んでいる。
いつものカリオストロなら、間違えない場所だった。
ガレヲンは、静かに口を開いた。
「寝ろ。今のお前は計算を間違える」
羽ペンが止まった。
カリオストロが、ゆっくり振り向く。
「……お前、普通に喋れるよな?」
ガレヲンも止まった。
発話形式が崩れていた。
「失態。(普通語、漏出)」
「漏出じゃねぇよ。わざとだろ」
「秘匿。(天然記念物扱いを希望)」
「扱わねぇよ!」
「残念。(希少性、未評価)」
「評価してほしいのかしてほしくねぇのか、どっちだ!」
カリオストロはそう怒鳴った後、式を見下ろした。
歪んだ箇所に気づく。
舌打ち。
「……ちっ」
「休息。(推奨)」
「分かってる」
「睡眠補助石。(使用可)」
「三日寝るやつは出すな」
「改善済。(今回は二日)」
「まだ長ぇ!」
それでも、カリオストロは羽ペンを置いた。
椅子にもたれる。
目を閉じる。
「少しだけだ」
「肯定。(少しだけ)」
少しだけ。
人の子の言う少しは、実に曖昧である。
カリオストロは、そのまま眠った。
ガレヲンは、灯りを少しだけ落とした。
工房の床を整え、椅子が倒れぬよう重心を支える。
それ以上はしない。
眠る命を、邪魔してはならない。
「安堵。(友、休息)」
だが、穏やかな時間だけが続くわけではなかった。
カリオストロの名は、広がりすぎた。
錬金術の開祖。
不老不死へ手を伸ばす者。
身体を取り換え、死を遠ざけ、理を組み替える者。
賞賛。
憧憬。
羨望。
そして、恐怖。
人の子は、理解できないものを恐れる。
恐れはやがて、焦燥を生む。
焦燥は、判断を急がせる。
地脈はそれを伝えていた。
遠くで、いくつもの足音が慌ただしく動く。
石の床の上に、封印陣が刻まれる。
金属の柱が立てられる。
恐れを理屈で覆い、正義の名で縛り、危険を排除しようとする声が重なる。
あれは危険だ。
あの知識は人の領分を越えている。
不老不死など許されない。
いずれ、誰の手にも負えなくなる。
封じるべきだ。
ガレヲンは、山の上で空を見ていた。
「焦燥。(人の子ら、恐れに急く)」
苦手な気配だった。
焦る命は、足元を見ない。
足元を見ない命は、崩れやすい。
けれど、まだ動かない。
カリオストロもまた、その気配に気づいていた。
ある夜。
工房の屋根の上で、カリオストロは空を見上げていた。
珍しく、手には器具も紙もない。
ガレヲンは隣に座った。
人型の身体で、膝を抱えるように。
空はよく晴れていた。
雲海の向こうに、いくつかの島影が見える。
「俺を封じようって奴らがいるらしい」
カリオストロが、軽い調子で言った。
まるで明日の天気の話でもするように。
ガレヲンは頷く。
「既知。(その気配、地が伝えている)」
「便利だな、お前」
「肯定。(地はよく喋る)」
「普通は喋らねぇよ」
「疑問。(聞いていないだけでは)」
「……お前と話してると、常識が揺らぐな」
「揺動。(常識もまた土に似る)」
「似ねぇ」
カリオストロは笑った。
小さく。
いつもの不敵な笑みより、少しだけ静かな笑みだった。
「止めねぇのか?」
問いが落ちる。
軽く聞いたようで、軽くはなかった。
ガレヲンは、カリオストロを見た。
「質問。(汝は止めてほしいのか)」
カリオストロは、すぐには答えなかった。
風が吹く。
工房の煙突から、細い煙が流れる。
遠くで、石が小さく鳴る。
それから、カリオストロは鼻で笑った。
「はっ。誰に言ってんだ。俺はカリオストロ様だぞ」
いつもの声。
いつもの自信。
けれど、その奥にあるものは、強がりだけではなかった。
これは本心だ。
彼女は、己の歩みを誰かに預けるつもりがない。
「封じられようが、砕かれようが、戻るに決まってる」
「肯定。(汝ならば、戻る)」
「分かってんじゃねぇか」
「喪失。(検証役、不在となる可能性)」
「そこかよ」
「重要。(非常に)」
カリオストロは呆れたように笑った。
その笑い声は、風に混ざって、少し遠くへ流れていく。
「ま、安心しろ。俺を閉じ込めたつもりでいりゃいい。必ず出てくる。そんで、世界一可愛い俺様をもう一度見せつけてやる」
「世界一」
「ああ、世界一だ」
「評価。(自信、過剰)」
「事実だ」
「理解。(汝らしい)」
カリオストロはガレヲンを横目で見た。
「お前は?」
「疑問。(何が)」
「俺がいなくなったら、どうすんだよ」
ガレヲンは少し考えた。
発明品の検証役がいなくなる。
怒鳴る声がなくなる。
工房の爆発音も遠くなる。
普通語が漏れた時に、すぐ見抜く者もいなくなる。
それは、少し。
「寂寞。(友、遠し)」
カリオストロは、きょとんとした。
それから、顔をそむける。
「……だから友じゃねぇっての」
「否定、弱化。(観測済)」
「うるせぇ」
その声は、いつもより少しだけ小さかった。
封印の日。
空は鈍く曇っていた。
石で作られた地下の祭壇。
金属の柱。
幾重にも刻まれた錬金術式。
恐怖と理屈で組み上げられた巨大な封印陣。
そこに、カリオストロはいた。
経緯は、長く語るまでもない。
罠。
裏切り。
多数の術者。
組み上げられた陣。
名声と恐怖が膨れ上がり、ついに誰かが「封じる」という答えに飛びついた。
人の子らは怯えていた。
その知識に。
その不死性に。
その先へ進む足音に。
ガレヲンは、遠くから見ていた。
地脈の向こう。
石の奥。
土のさらに深い場所から。
見ているだけ。
術者たちの声が重なる。
封印陣が光る。
鎖のような術式が、カリオストロの周囲に絡みつく。
カリオストロは、笑っていた。
怒りながら。
不敵に。
「俺を封じたつもりでいろ」
声が響く。
「必ず出てくる」
封印陣が強く光る。
術者たちが顔を強張らせる。
それでも、陣は止まらない。
「その時は、まとめてぶっ飛ばしてやる」
最後まで、カリオストロだった。
ガレヲンは、動かなかった。
爪を立てれば、地を割れる。
尾を振れば、柱を砕ける。
土の理を通せば、封印陣の外縁を崩すこともできるかもしれない。
助けられるかもしれない。
今なら。
今ならまだ。
けれど、それは何かを奪う。
カリオストロが選んだ歩み。
戻ると言い切った意志。
封じられてなお、自分を失わないと笑った魂。
それを、ガレヲンの力で塗り替えていいのか。
違う。
空の命は、自ら歩む。
カリオストロもまた、その命のひとつ。
たとえ長く、異質で、普通の人の子とは違っていても。
歩みは、彼女自身のものだ。
「静観。(我、汝の道を奪わない)」
封印陣が、閉じていく。
カリオストロの気配が、遠くなる。
声が薄れる。
存在が石の奥へ沈んでいく。
ガレヲンは、それでも完全には何もしなかったわけではない。
封印陣の外縁。
地脈の流れ。
眠りを抱える器。
そこに、ほんの少しだけ触れる。
壊さない。
崩さない。
書き換えない。
ただ、整える。
封印が魂を削りすぎないように。
長き眠りの中で、自我が摩耗しないように。
目覚める時、彼女が彼女であるように。
「保護。(眠りが壊れぬよう、土を整える)」
土が静かに鳴った。
術者たちは気づかない。
カリオストロも、おそらく気づかない。
それでいい。
「祝福。(再び目覚める時、汝が汝であるように)」
封印が閉じた。
音が消えた。
地下の祭壇に、重い静寂が落ちる。
カリオストロの気配は、遠く、深く、土の奥へ沈んだ。
眠り。
永き封印。
千年にも届くかもしれない、数え切れぬ年月の向こう。
それでも。
「肯定。(汝は戻る)」
ガレヲンは、そう呟いた。
工房は静かだった。
爆発音がない。
怒鳴り声がない。
羽ペンの走る音もない。
棚の位置を直せと怒る声もない。
焦げ跡を消すなと叫ぶ声もない。
ただ、風が窓を鳴らしている。
ガレヲンは、工房の扉を開けた。
蝶番が軋む。
中には、発明品が残っていた。
自動給茶土人形。
睡眠補助石。
疲労回復壺。
携帯用暖炉石。
自動整地箱。
自動洗濯土壺。
そして、作業台の上にはメモがある。
乱暴な文字。
勢いのある線。
書き殴ったようでいて、内容は正確だった。
――出力過多。
――安全機構なし。
――対象指定が甘い。
――人間用の基準を覚えろ。
――勝手に工房を直すな。
――焦げ跡を消すな。
――でも構造は面白い。
――次はここを直せ。
次。
その文字を、ガレヲンは長く見つめた。
次。
カリオストロは、次を前提に書いていた。
封じられると知っていても。
遠くなると分かっていても。
戻るつもりで、次を書いた。
「喪失。(検証役、不在)」
声は静かだった。
いつもと同じ言葉。
けれど、工房の中で響くと、少しだけ重かった。
土人形が、作業台の上でぺこりと頭を下げた。
ガレヲンはそれを見た。
「待機。(友の帰還まで)」
土人形は、もう一度ぺこりと頭を下げる。
ガレヲンは、修正版の自動給茶土人形を机の上に置いた。
今度は茶を淹れられる。
湯呑みは岩にならない。
工房も壊れない。
味は、まだ改善の余地がある。
その指摘をする者は、今はいない。
ガレヲンは、作業台の端に小さな石板を置いた。
呼び鈴の石板と対になるもの。
いつか、眠りから戻った友が、この工房へ帰るなら。
地脈が、それを伝える。
ガレヲンは工房を出る。
扉を閉める前に、一度だけ振り返った。
誰もいない。
だが、空っぽではない。
メモがある。
焦げ跡がある。
怒声の名残がある。
次、という文字がある。
「再会。(いずれ)」
扉が閉じた。
空は、変わらず広かった。
雲は流れ、島は浮かび、人の子らは今日も忙しなく生きている。
その日からしばらく、発明品を正確に怒ってくれる者はいなかった。
土人形は、静かな工房で待ち続ける。
ガレヲンは、山を下りる。
歩幅は変わらない。
大地は穏やかに彼女を支える。
それでも、胸の奥に残った小さな空洞だけは、すぐには埋まらなかった。
「寂寞。(友、遠し)」
風が吹く。
草が揺れる。
土の奥で、封印の眠りが静かに続いている。
ガレヲンは足を止めず、空へ向かって歩いた。
友は戻る。
そう言った。
ならば、待つ。
長い時を生きる竜にとって、待つことは難しくない。
けれど。
「不便。(検証役、不在、想定以上)」
その言葉だけが、少しだけ、いつもより寂しく響いた。