メルトリア州の沖合で見つかった黒エルフ達の乗った小舟は他の地域、ベラファラス湾南岸やシルヴァン川南岸、遠い場所だとヴラウヴァルト州でも確認された。乗っていたのは明らかにその規模の小舟には過積載である数十名の黒エルフの集団。
「すぐに海軍を派遣して捜索しろ!全員を救助するのだ!」
通報を受け、報告を聞いたグスタフは命令をすぐに下し、海軍の巡洋艦までも派遣した大規模な沿岸捜索と保護を開始した。
「こっちだ!」
「居たぞ!」
「船を回せ!」
探照灯で海に浮かんでいた小舟を照らすと、オーク達が艦載の小型舟艇をおろして縄をつなげるために接近する。
「近づけすぎるな!」
「分かってるよ!」
大型艦は航行をする際に吸引作用と呼ばれる現象により、小型船を引き寄せてしまう事があり、それを警戒して巡洋艦の操舵手は慎重に舵取りを行う。
夜中であっても彼らは装備されたばかりの強力なアーク灯を照らし、艦載の汽船を降ろし、荒れる海を懸命に捜索した。
「あったかいスープだ」
「肉もいっぱいあるぞ。遠慮なく食べていけ」
「毛布をありったけ持って来い!」
そして救助した黒エルフ達を水兵達が甲板や船内を問わずに乗せて保護をした。
「あったかい…」
「ありがとうございます…」
冬の荒海に曝され、芯まで冷え切った彼女達は涙をこぼしながら支給されたスープを飲んでいた。一部低体温症になった者達には適切な診察を船医がおこなって命を繋ぎ止める。
この通知はオルクセンの沿岸部全域にすぐさま行き渡り、沿岸部に住む沿岸砲台指揮官に捜索命令が下されていた。
「黒エルフが海を渡ったらしい」
「そんな無茶な…」
「彼女達だって必死だったということだ」
目の前の冬の荒れている海を見てオーク族の兵士は驚いていたが、指揮官はすぐに人命救助のために沿岸部に部隊を派遣。
地元住民も積極的に協力をすると、海岸で壊れた小舟の傍で漂着していた黒エルフ達を保護をした。
「あぁ…」
「そんな…」
しかし冬の荒海は過酷であった。
大きく荒れる海は小舟などを簡単に飲み込んでしまい、転覆した船は一隻や二隻ではない。
ある場所では、波に曝されて低体温症で亡くなった黒エルフの子供が漂着をしており、それを発見したオーク族の牝が涙をボロボロとこぼして膝から崩れ落ち、その光景を見ていた。
すぐに駆けつけた新聞社や写真家がその光景を見て顔を青白くさせ、記者はこの真実を書き連ね、写真家は波に曝されて流れ着いた子供の写真を納めた。そしてその後に駆けつけた警察官が涙を流しながら静かに漂着をした黒エルフの子供を抱えて行く光景も撮影された。
「こんな…こんな事があるのかよ…」
「酷すぎる…まだ子供だってのに…」
その光景を警察が到着するまで呆然と見ていたとある記者は、記事を書くときのペンが震えていた。
最終的にこの際に保護をされた黒エルフは全員で六二八名。最初に船を出した頃は八〇〇人以上おり、全員がファルマリアやヴィンヤマルから出たそうだが、荒海の波に流されてそのまま見つからなかった者も多くいた。
「…」
国王官邸でその報告を受けたグスタフは静かに涙した。
「グスタフ…」
アンファウグリア旅団の教練中であったディネルースも緊急で呼び出され、事の始末を一通り聞いた。
あの虐殺の後も生き残っていてくれた同胞がいたことは嬉しかった。だが、多くの者が海の藻屑となった事は彼女も感情を複雑にさせた。
「保護をした黒エルフ達は全員が事情聴取を受けている。なぜ彼女達がこの時期に海を渡ってきたのかもいずれ分かるだろう」
彼はそう言い、彼女に新しくヴァルダーベルクに移民がやってくることを伝えると、次に顔に手をやる。
「こんな事になるとは…」
今回の事件、最初に黒エルフが発見された場所を使って『シェーンベルガー事件』と呼称された。
放逐後に生存をしていた黒エルフ達は必死の思いでエルフィンドから脱出をし、その中で死者も出る中で多くの者が流れ着いた。
「…」
特に波打ち際で低体温症で亡くなった黒エルフの子供を写した写真や銅版画は、エルフィンドによる黒エルフ放逐を象徴する写真として後年の教科書に残る一枚となった。
「どうすれば良かったのか…」
それは後悔であった。
優しい…いや、優しすぎる彼は、今回の事件で少なくない黒エルフが遺骸として見つかったことに、そして新聞に写された銅版画を前に涙をしてしまう。
「今回の捜索で我々は困難を極めた状況もありました」
その心象を理解しつつ、報告書をあげたマクシミリアン・ロイター海軍大将は今回の捜索で新たに見つかった問題点について報告をした。
「通報を受け、現場に到着するまでに時間がかかってしまいました。そのため、現在参謀本部や海軍局では新たに沿岸部の防衛や監視を行うための組織の検討を初めております」
後にオルクセン連邦沿岸警備隊の原型となる組織の考案がされたのはこの時であった。
この事件において海軍は後手に回ってしまった。陸軍国であるオルクセンにおいて、海軍というのは基本的に後回しされる存在である。
その為、急な出航に海軍は石炭の補給もままならずに巡洋艦は出航をした。これにより、巡洋艦は荒れる海で燃料切れの恐怖に怯えながら捜索をしていた。
陸主海従。
これがオルクセン軍の基本であり、この事件を受けて海軍や参謀本部は常に洋上の監視を行える海上警備組織の創設の考案に向かった。
「保護をした黒エルフは?」
「はっ、シュトレッケンにて全員を集めた後にこちらに移送する予定です」
「そうか…保護をした者達には十分な衣服と住居を提供してくれ」
「もちろんです」
内務大臣は頷いて答えると、保護した黒エルフ達はディネルースの時と同様に一度も降りる事なくヴァルダーベルクに到着をする。
保護をされ、事情聴取を終えた黒エルフの一人。アンネ・フランは同じ村の家族と共に汽車に揺られていた。
あの荒れた海をかろうじて無事に渡れた彼女は、ベラファラス湾の南岸でオルクセン海軍の巡洋艦に拾われたのだ。
「…」
呆然となって窓の外に広がる一杯の畑を見て彼女は祖国では考えられないほどの広大な畑だった。
「すごいね」
「うん…」
始めはオークの国と聞いて食われるのではないかと恐怖した彼女達であったが、先に到着をしたディネルース達と同様、無数の大厦高楼に驚愕をしながら駅に到着をする。
「あっ!来たぞ」
「はいはい、離れてください」
「そこ!近寄りすぎないで!」
アルブレヒト駅では多数の記者が駅に到着をした特別列車を前に取材をしようと躍起になっており、黒エルフ達を驚愕させていた。
オーク族の警察官がその巨体を使って記者達を抑え込みながら彼女達は次々と迎えの馬車に乗り込んで移動をする。
「すごい…」
人数が以前よりも少なかったため、重連の機関車で組んだ長い編成一本で到着をした彼女達は、そこで多数の種族が暮らすこの国にどこを見ても驚愕させる。
「人間族の教会まであるぞ」
「すごい…」
暖かいスープや糧食をもらった彼女達は体力を取り戻すと、そのまま首都近郊のヴァルダーベルクに到着をする。
そこで彼女達は先に暮らしていた同族達から熱烈な歓迎を受けた。
「アンネ!」
そんな中で彼女は見知った顔がいたのを見て思わず駆け寄った。
「姐さま!」
それは放逐の際に離れ離れにあった姐だった。二人は奇跡の再会に思わず強く抱きしめた。
「良かった。生きていてくれて…」
涙を流して彼女は数ヶ月ぶりの再会に喜ぶ姐に、アンネは言う。
「イヴリン達が匿ってくれたの」
「そう、彼女達が…」
ここまで生きて来れた事情を知り、姐は妹を匿ってくれた白エルフ族の人たちを思いだす。
私たちのいた村との交流があった面々で、アンネをエルフィンドからオルクセンに逃がしてくれた。
「イヴリン達、他にも黒エルフを助けていて…」
「そうなのね」
姐は心底嬉しそうに生きていた妹を渾身の力で抱きしめていると、彼女は妹があるものを持っていたことに気がついた。
「アンネ、それは?」
「日記帳。イヴリン達が匿ってくれた時のこととか色々書いていたの」
それは私が放逐前に買った日記帳だった。すっかり痛んでしまった革の外装とシワシワになった紙。
他の荷物を放っても持ち込んだその日記は、姉が渡したペンと共にこのヴァルダーベルクまで来ていた。
「私が生きてきたことを忘れないためにね」
そんなものを持ってきたアンネに、姉は中を読ませてくれと頼んだ。もちろん了承をすると、彼女は日記帳を姐に渡した。
始まりは氏族長の家の地下室で隠れていたある日の事。
「アンネ」
真夜中に外につながる地下室のドアが開けられ、そこからイヴリン達が顔を見せた。
昔から村同士での交流があり、顔馴染みだった彼女達は、確か出稼ぎに行くと言って村を出て行ったと覚えていた。
しかし地下室から顔を覗かせた彼女達はいつも通りを装っていたが、どこか緊張した面をしており、私たちを地下室から出した。
「どうしたの?」
「シッ」
質問をすると、彼女は口元に人差し指を立てて静かにさせると、私や匿われていた他の黒エルフを見て言った。
「このままじゃ危ないから、南に逃げよう」
彼女はそう言って私たちを南に逃すために馬車に乗ってと言ってきた。どうしてと私が聞くと、彼女は少し言いにくそうにしており、絞るように答えた。
「…ここにいたら、危ないから」
それは苦痛の声にも聞こえた。
彼女達からは底知れない嫌悪と憎悪が溢れており、私の知っているイヴリンなのかと驚くほどであった。
いつも明るくて、園芸を好みとしていた彼女は、よく見ると背中に銃を背負っていた。
それに驚愕をしつつも、私たちは村からこっそりと抜けて隠れるように止まっていた馬車に乗り込んだ。
「南に逃げたら、オルクセンっていう国がある。そこで黒エルフ達が街を作っているんだ」
イヴリンはそういうと私たちを幌馬車に乗せた。
私たちはそこで一番大事な荷物を持って他は捨ててしまうと言われ、咄嗟に日記帳を持って馬車に乗り込むと、そのまま仰向けになってと言われ、その通りにすると、私たちを覆うように馬車の床が張られる。
「この先で検問を通るから、ごめんだけど食事はしばらくできない」
「…分かった」
イヴリンに私たちは頷くと、そこですっぽりと荷車の床板を被せられて私たちは幌馬車に乗せられて村を後にした。