ベレリアント半島から帰る部隊もあれば残置する部隊もあり、戦争が終わったことで各所で大移動が行われている中で、ある場所でも白エルフによる大移動が行われていた。
「こっちだ」
「落とすなよ」
多くの白エルフ族が馬車に荷物をまとめて乗り込んでおり、次々と白エルフ達が出ていく。
「姉様…」
「気をつけて」
川沿いでは到着をした列車に荷物を乗せてオーク族の機関士が乗り込んだ機関車を動かしていく。そして今まで暮らしていた家から離れていくのを呆然と彼女達は見ていた。
六月の上旬から、ヴァルダーベルクや他で救出された黒エルフ達から確認されたことで、故郷への帰還を望む黒エルフ達に対し南部入植地に移住を行った白エルフ族に対して引き揚げ命令が下った。占領軍総司令部がディアネン政府に要請をしたことで発布されたこの政令は、入植を行った白エルフ族達の強制退去が命じられていた。
「…」
南部入植地は戦前、黒エルフ族放逐によって行われた政策で、占領軍総司令部でもその放逐を行ったとされる面々への追求が行われていた。
最終的には五万名ほどの入植者達が引き揚げを命じられ、入植した家々を失った。
こうした政府からの退去命令によって引き揚げを命じられた者の中にはこの行為に対して怒り、落胆する者もおり、後のエルフィンド独立派の中核となった。
そしてヴァルダーベルクの中で帰郷を志望した黒エルフ族がその後に空き家となった家々に帰ることとなる。主に東方下流域にいた黒エルフ族の住人が帰還を志望しており、また農奴などで北部に連れ去られていた黒エルフ達もこの地域に帰還を果たしていた。
「帰ってきたんだ…」
北部に引き揚げ用の列車が出発したのと入れ替わるようにシルヴァン川を蒸気船を使って降りた黒エルフ族の面々。あらかじめ、帰郷のために荷造りを完了させており、また開戦初頭にアンファウグリア旅団による快進撃の影響でほぼ無傷で彼女達は故郷の村に帰ってきたのだ。
「…変わらないんだな」
「はい」
そして氏族長クルヴィアン・マルヴィシアは自分の故郷の村を前に軽くため息を吐く。
自分たちが放逐をされた後、この場所には白エルフ…と言っても、キアステンの息のかかった者たちが製材所を管理していたという。
帰郷をした彼女たちは、そこでかつて自分の家であった場所などに入っていく。
「…」
そして自分の家に帰ったクルヴィアンは、そこで使い古された机に触れる。それはこの村がどんどん発展をしていく最中で、村の者たちが作ってくれた机であった。この街には家具製作を行うための工場があったが、今はステン商会の傘下の工場である。
もっとも、ステン商会は私たちのために格安で家具製造の工場を売ってくれた。そりゃあそうだ、その商会はキアステンが作ったのだから私たちに優しいはずだ。
「ヘンナは、まだ帰ってこないんだったか」
「はい。一度キアステンにヴァルダーベルクを案内してから帰りたいと」
「そうか…」
かつて、ヴァルダーベルクで町長を勤めていた彼女は、軽くため息を吐いてから椅子に深く座り直す。
懐かしい感覚、覚えている感覚だ。変わらないこの椅子の感覚は、クルヴィアンの考えを巡らせるのに良かった。
「まずは製材所の再開だ。オルクセンは線路を代わりに敷いてくれたから、筏師の出番はなくなってしまうな…」
「その所、キアステンはあらかじめ『観光地』としてレジャー施設にする案も出ていますよ」
「なるほど、観光客相手か…」
まだ彼女たちはキアステンと再会をしていないが、アンファウグリア旅団から郵便で届いていたのを読んでいた。とにかく彼女が無事であったと言う事実が何よりも彼女たちを喜ばせていた。
「よし、キアの意見ならすぐに実行してみよう」
「分かりました」
彼女はそう言い、疑うこともなく新しい産業を興す。
今までキアステンが行っていたことは、この村を発展させてきた行為であり、彼女は他の同族から言われようともキアステンだけは守ろうとしていた。
遠くでは風車が風を受けて水を川に流し、川沿いに敷設された汽車が音を立てて走っていく。
「…変わったな」
「変わらない部分も多いですよ」
そこで彼女は家具以外の一切の備品がなくなってしまった部屋を見る。ここにあった私物などは、全て入植をした白エルフが穢らわしいとして捨ててしまったのだろう。中には海外に出かけたキアステンが持ち帰った土産物も含まれていた。
「そうだな…」
しかしゼロからのやり直しは彼女達は経験済みであった。
「まあ、我々はキアステンに恥じぬように準備を進めていこう」
「分かりました」
クルヴィアンの意見に副氏族長は頷くと、彼女達は帰ってきた家の清掃や整理整頓を始めた。
終戦から二ヶ月ほどが経過し、キアステンは馬に乗ってある場所を訪れていた。
「しかし面倒だな…オルクセンの戸籍制度は」
嫌そうな顔をする彼女。ティリオンやノアトゥンなどを視察して現場を見てきた彼女であったが、ティリオンに進駐をしていたヘンナやグスタフと別れた。エルフィンド国民の全員は先の降伏により、オルクセン式の国籍を登録する必要があった。
その際、キアステンは出生地からの居住地の変更を行うために出生届の出された場所に行く必要があったのだ。
ティリオンでグスタフから武装解除された際に得た兵器の輸送を受注しており、その運搬作業やら何やらで大忙しになる時にこの仕事である。
「…」
馬に跨っていた彼女は、ティリオン近郊の小規模な街に到着をする。
ティリオンにいて、尚且つグスタフと何度か私的な世間話もするようになったことで、彼女は彼経由で届いた色々としなければならない行政手続きに頭を抱えそうになった。
「失礼します」
街道の所々でキアステンはオルクセン軍の検問を通過し、正当な理由があることや、グスタフの名前入りの書類に驚愕をされながら検問を通過する。
「ご苦労様です」
キアステンも馬に乗って会釈をしてからその場所に到着をする。ここまでの道中でキアステンはオルクセン軍の兵士たちに羨望や欲情された目で見られたことがあったが、拳銃を見える位置に持っていたことや、グスタフのサイン入りの書簡を見て誰もが一歩進んだことをしようとはしてこなかった。こう言う時、権力というものは素晴らしいと思わせてくれる。
「…」
街の中央に大きく聳える白銀樹は一部が破損しており、オルクセン軍の砲撃で破壊されたのだと分かる。
場所はネニング平原にあり、まだ戦後の混乱が回復しきっていなかった。そんな中で彼女は街の者にその場所を聞いてから厩に金を払って馬を預ける。
使用したのはティアーラ通貨。まだオルクセンによる併合を考えられた占領をされているとはいえ、まだここらへんでは信用されていなかったのでこの通貨が使えた。紙幣よりも硬貨の方が信用されており、ティアーラ硬貨を白エルフは喜んで受け取っていた。
「失礼、住民票の書き換えに来ました」
「わ、分かりました」
そして町役場で白エルフの職員がその戸籍表を見て目を見開いて驚愕をしてキアステンを見た。まあ久しく帰ってきていなかった上に、そもそもこの街には農奴解放後からロザリンド会戦までのわずかな帰還しかいなかったのだ。誰も覚えていなくて当然だろう。
町役場で待っている間、彼女はそこで自分の中の記憶と変わった街の景色に少しだけ懐かしさを感じる。
あのモーリアで別れて以来、この街の白エルフとは会ったことが無かった。元々、エルフ族は思想的な意味合いで白銀樹の元から離れたがらなかったため、この街との取引も自分が知る限りでは無かったので、接点がまず無かった。
「ねえ、あの人…」
「耳が無いのに戸籍?」
「どうして…」
職員はオルクセンから指示をされてまだ慣れていない作業をこなしつつ、住民票の書き換えに来たキアステンを見ていた。
「…」
そしてこの街にいて古い白エルフは彼女を見て顔を青ざめさせていた。
「…耳無し?」
「嘘でしょ」
「そんな…」
かつて、モーリアで消えたはずの彼女がここにいることに誰もが驚愕していた。
無論、その驚きの声も全て彼女の耳に入っており、とっととここを離れたいと思っていた。
「あの…キアステンさん」
「?」
そして町役場の椅子に座って軽く揺蕩り始めていると、職員から話しかけられた。
「町長がお呼びです」
「…」
職員も困惑した様子でキアステンに話しかけており、彼女は立ち上がって職員の案内で町長執務室の前に立つ。
「町長、キアステンさんをお連れしました」
『通せ』
三回ノックの後に部屋に入れられると、そこでキアステンは懐かしい顔を見た。
「お久しぶりですね。氏族長」
「…」
その先、執務室の席に座っていたのはかつて、モーリアで別れた氏族長であった。そのころの健康的な肌は無く、幾ばくか痩せ細っていた。
おそらく戦時の物資不足からここまで来ていたのだろう。ここはネニング平原にあるため、ディアネンに糧秣が持っていかれたに違いない。
「何故、今になって帰ってきたんだ」
「帰った?そんな貴女方の心象を悪くさせるようなことは致しませんわ」
彼女にそういう意思はなかったが、氏族長はそれが嫌味ったらしく聞こえていた。
「私は住民票の変更のために訪れただけですもの」
「…そうか」
その声は若干震えていた。何故怯えているのか、キアステンは分かっていた。
彼女は戦時中も戦後も、オルクセンの支援や自分達が蓄えていた食料などで十分な食事ができていた。
現在、ディアネン政府はオルクセンに多大な食糧支援を求めているが、それが到着をしてこの街に届くまでには時間がかかる。食糧庫は底をついて久しいのだろう。
「私は住民票の書き換えをこなかったらすぐに消えますので、悪しからず」
反対にキアステンは健康的な艶のある若々しい肌を保っており、そのことが彼女の中で様々な事を巡らせていた。
「…生きていたとは思わなかった」
「ええ、お陰さまで生活には困りませんでしたよ」
彼女はそう言うと、立ち上がって執務室を後にする。
「では私はこれで。どうかこれからもお元気で、氏族長」
暮らしていた村と違って少々悪趣味な豪勢さを持っていたなと内心で重いながら茶菓子すら出てこない部屋を出て、書き換えに必要な書類を持って彼女は町役場を後にする。
なお後にこの事を話したら、ヘンナ達からドン引きされたでござる。…解せぬ。