始めはあの割烹での出会いのすぐ後であった。
これからどう必要なものを仕入れようかと宿で考えていた時、彼女はビットブルク少佐にある頼まれごとをされたのだ。
「通訳が全員病気で倒れてしまったので、緊急で頼めないだろうか?」
彼はそう言って秋津洲語が流暢なことを知って頼み込んできたのだ。特に断る理由もなかったので彼女はそれを受け入れてオルクセンの軍制の指導についていくことになった。そしてグロワール式からオルクセン式への組織改革のためにビットブルク少佐の説明を低地オルク語から秋津洲語に翻訳をしていた。
「オルクセンの軍構造は参謀本部と呼ばれる…」
そこで彼女はかつての記憶と織り交ぜつつ丁寧に秋津洲後で指導を受けにきた軍人達に説明を行うと、彼らはキアステンの翻訳に十分理解をしてくれた様子で、そして驚いた様子で彼女を見ていた。
「とても分かりやすかった」
「これほど私たちの言語に精通しているとは驚きだ」
講義後、私の翻訳は評判を呼んだ事でビットブルクからまた頼まれてくれないかと言われてしまったのだ。面倒な事に私はそこで色々とこの秋津洲の民から翻訳で高く評価をされてしまった。そしてそのままビットブルク少佐について行って色々と通訳を任される事となった。
オルクセンの公用文書の翻訳すらやれと言われたのだからたまった物ではない。そればかりは遠慮させてもらって翻訳文に違和感が無いかどうかの確認をするだけにとどまった。まあそれでも不満ではあるのだが。
「この軍隊教練のこの部分、訂正をお願いします」
「分かりました」
「こちらの弾着観測方法ですが、こちらの言い方の方が分かりやすいかと」
「すぐに修正します」
あくまでもビットブルクの文書に限ってであるが、秋津洲人が分かりやすい表現を用いたりしていた。事前に雇っていた通訳とも話し合い、言葉の壁を克服するために邁進していた。
「いやはや、お呼び立てして申し訳ありません」
「いえいえ、こちらも文字ばかり見る仕事で疲れておりましたので」
そんな中、キアステンは博美と招待された料亭で話していた。この国の食文化を楽しみたいというキアステンの意を汲み取った形で彼女が招待をしたのだ。
彼女は天狗族烏天狗種という種族に分けられる魔種族…いや、妖怪である。
彼女とはとても仲良くやらせてもらう事となり、彼女が農家の生まれであることもまたこの親睦を深める事となる。
彼女は遠く離れた周防という公国の農家の長女として誕生し、その後にこの国の武士という星欧で言うところの騎士の家に養子入りをしたことで武士になったという。牝で騎士とはまた珍しいと思っていたが、この国では妖怪は牡牝問わずに敬われる存在であるため、牝が行政官を担っていることも珍しいことでは無いという。
「進んでおりますな。この国は」
「いやいや、まだまだ貧しいばかりです。幕府が結んだ不平等条約も改正できないほどに弱いですからな」
博美はそう言い、出てきた精進料理を嗜む。
最近では牛肉やらカツレツなどの西洋の食事が流行を見せているが、博美は昔ながらのこの料理が好みであった。
「はははっ、であるならこの国の殖産興業はもっと邁進しなければなりませんな。或いはこの国は大国と剣を交えてもそれを退けられるほどの国力が必要だ」
「然り。しかし我々はまだ十分とは言えない軍隊しか持ち合わせていないのが現状。この前の台湾出兵でもオルクセンのような満足に行く行動ができませんでした」
キアステンは真摯に博美達の話を聞いて助言をしてくれる為、彼女達も流暢に秋津洲語で話してくれる事から次第に食事をする程の仲となった。特に清隆とはめっぽう酒に強いということもあって大変気に入られた。
「しかし…」
そこで博美は猪口を置いてキアステンに話しかける。
「如何ですか?オルクセンの民として生きるというのは」
「…」
彼女のその時にキアステンは少し驚きつつも、納得をした。
「いつから気づいていました?」
「少し前。オルクセンのキャメロット翻訳版を読んだ時です」
それはキアステンが白エルフ族であるという事だった。元々、見た目が見た目だけに人間の女と思われて話しかけられていたのだ。
「白エルフ族の中で勲章を授与されたと書かれていました」
彼女はキャメロット語が堪能であり、時折キアステンはそのキャメロット語の確認を行いながら、彼女に低地オルク語の教鞭もとっていた。
「…幻滅しましたか?」
「いえいえ、そのような事はございません」
博美はそう言い、目の前に座る白エルフ族がオルクセンで勲章を授与されるほどの功績を残していたという事であり、この数ヶ月の付き合いで彼女の人となりは分かっているつもりであった。
レーラズの森事件によって白エルフ族の星欧社会からの視線は厳しく、その凄惨な話はこの秋津洲にも届いていた。当然、魔種族の暮らしているこの国においてもその凄惨な内容は知る人を憤怒させるものであった。
「しかし、国が滅びるというのは如何言った感覚なのですか?」
そこで書かれた博美の純粋な疑問に、キアステンは飲んでいた猪口を置いて少しゆっくりと語る。
「寂しいものですよ。虚しいとでも言いますか」
彼女はそう言い、エルフィンドと言う国が滅んだ瞬間のことを思い出す。
「何というべきか…最初こそ分かりにくいですが、次第にだんだんと日常が変わっていくんです」
「…」
彼女の話に博美は冷たく何か感じとり、少し寒気がしてくる。
「今まで白エルフ族ばかりであった場所にオーク族の巨体が至る所で見られるようになり、今まで見慣れていたはずの場所が、異国に来たかのような感覚になります」
知っている土地、知っている店、知っている看板。
次第にそう言ったものが知らない場所へと認識されていくのだ。
「…恐ろしいですね」
「ええ、とても恐ろしいですよ?戦争に負けると言うのは」
実体験したからわかるその話に、博美は今は聞いているこの国が諸外国に占領をされた時のことを想像する。
宮城に掲げられる旗が知らない国の物となり、秋津洲語の看板が消え去る。街を歩く人々が、今は居住地のみにいる外国人しかいなくなる。
想像をするだけでゾッと背筋が凍りそうになる。
博美はそのような事はあってはならないと痛烈に感じ取ると、余計にこの秋津洲を諸外国の脅威から守る必要があった。
「…博美さん」
「何でしょう?」
そこでキアステンは博美にある問いを出す。
「負けない国に必要な要素とは何だと思います?」
「はぁ…軍事力と経済力でしょうか?」
「ええ、正解です」
では軍事力に必要なものは?と彼女は問う。
「資金と人員です」
博美は即答する。現在、ベレリアント戦争に派遣した観戦武官の報告で早急にオルクセン式の軍隊を仕立てる必要があると確信する秋津洲軍。実際に彼の国から派遣された武官からの指導を受けている最中である。
そしてキアステンはその回答に頷く。
「軍隊を動かす上で必要なのは金と人。しかしこの国ではその両方が足りていない」
「おっしゃる通りです」
まだまだ発展の途上にあり、外国との付き合いも満足でなはいこの国。
「経済はとても重要です。金があれば充実した装備を兵士たちに与える事だってできる」
彼女はそう話し、博美に国を守る上で必要な話を付け加える。それはベレリアント戦争中、数で劣るカワウ傭兵団が善戦できた理由でもある。
「結局、国を守る上で必要なのは十分な数の大砲や軍艦を買える資金力なのです」
「…」
彼女の話に博美は感銘を受けた。現実的な関心でもある。
「確かに軍事力は必要です。しかし武器を買う金がなければ意味がない。槍を持って銃を持った兵士に立ち向かうなど無謀だ」
キアステンはそう話し、博美に力説をする。
「国を富ませる為にまだまだこの国は内需を拡大させるべきだ。畑を起こし、国民が幸せに暮らしていける生活を作らねばなりません」
彼女はそう話し、白米だけで炊かれた茶碗を手に持つ。
「たとえば私たちが初めてお会いした割烹。あそこで提供されるこの茶碗の中身が全て白米になって初めて、この国は豊かになったと言うべきでしょう」
「…」
博美は目の前に座る白エルフは本当に秋津洲に精通した知識を持っているのだなと思うとともに、この国で今最も必要な事は何だろうかと言うのを考える。
「では、我々は一体何をすべきなのでしょう?」
その質問にキアステンは笑みを見せる。するとその提供をされた料理を見て話し出す。
「我が祖国であったエルフィンドは、長年作物の現象に悩まされ続けました」
エルフィンドが散々他種族の放逐を行ってきた理由が食料の確保であった。
「我が種族は他種族から奪うことで食糧を確保し、生存を続けてきました。しかしオルクセンは違った」
彼の国は国が農業を管理し、国が農家を支え、有り余るほどの量の食糧を作った。
「我が国ではハレの日にしか出てこなかった小麦だけで作られたパンが毎日当たり前のように出される。毎日牛肉を使ったスープが作れて、腹一杯に飯が食べられます」
大喰らいであるオーク族である為、大量の食料を必要とする。その為にとにかく農家には食料の増産を行うように国が支援をしている。
「最新の農耕具を用い、畑を起こし、馬を大量に使って巨大な農場で農耕を行います」
彼女の話は、まだオルクセンという未開の地である為にうまく想像をできているとは思えなかったが、同地では観戦武官が絶賛をしており、農業もオルクセンのやり方を真似るべきだろうかと言う話し合いが行われていた。
「『とにかく作れ。余ってもいいから作れ』…オルクセンが豊かである原動力はまずこの豊かな食糧事情があるからです」
軍隊もその大量の食料に後押しをされて、星欧やこの道洋にも多大な衝撃を与えた。
「…食は全ての源というわけですな」
「そう言うことです。我が種族の歴史は食料に振り回されてきた歴史でもあります」
キアステンはそう話すと、博美は自身の中で今後のこの国の舵取りに必要なものが何たるかを確信する。
「まずは農業ですな」
「ええ、農業や漁業は食の根幹でもあり、オルクセンのように国が積極的に手を加える必要があるでしょう」
キアステンは頷くと、彼女は言う。
「近々、私はこの国の農家を視察します。米を仕入れる必要もありますのでね。その際に色々と見てみようと思っています」
「わかりました。では幾人か土地の分かる者に案内をさせましょう」
博美は頷いて彼女に随伴させる人員を派遣する事を約束した。