白銀樹を捨てた女   作:Aa_おにぎり

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#84 それから10

秋津洲に訪れて久しい年月が経った。

 

私がこの国に来たのは星暦八七八年は夏の事。勲章を授与され、そのまま一度ヘンナの街に帰還した後に勲章を預けてから荷物をまとめて船に乗り込んだ。

オルクセンの旅券をもち、オルクセン王国の民として彼女は秋津洲を訪れたのだ。

 

初心忘るるべからず。ちゃんとこの国の食文化をオルクセンに届ける仕事はこなしていた。

グスタフが欲した『さしすせそ』の内、砂糖と塩は自国でも何とかなる。問題は酢、醤油、味噌である。あと豆腐。

 

醤油を作るための材料と工程は全て報告書にまとめて本国に送付済み。酢に関しても、秋津洲酒から作れる方法を使って製造する方法を、農地調査のついでに食文化を学ぶ目的で訪れた愛知県のとある醸造所に視察を言った際に学んできていた。必要な米も送り届け、あとは味噌だけと言ったところ。しかし問題が生じていた。

 

「何で私が翻訳をやってんだよ!?」

 

頭を掻きむしって彼女は叫んだ。

彼女は現在、東亰のオルクセン大使館にてとある人物に依頼をされて翻訳作業に駆り出されていた。

 

「だって貴女、驚くほど秋津洲語が堪能ですからな」

 

通訳要らずなほどであり、反対でビットブルク少佐は彼女が翻訳をした軍隊教練の文書を見ていた。

秋津洲人から大変好評であったキアステンの翻訳を見た彼は、彼女を通訳として本格的に雇用した。頼まれた彼女は初めは断固拒否の姿勢を示していたのだが、ビットブルクの『旅券偽造の一件をばらすぞ』の一言で丸め込まれた。脅しにしては雑だしひどすぎやありませんかね?

 

「評判がよろしいですぞ?秋津洲での仕事もやりやすくなりました」

「あのですね、私は本来民間人なんですよ…なんでこんな軍事機密に関わる教材の翻訳をやらされているんですか?」

「何を言うか。情報局の連中を戸惑わせ続けた貴女が」

 

ジト目でビットブルク少佐はそう言ってベレリアント戦争中の彼女の活躍にため息を漏らす。少なくとも彼は彼女の装甲列車との戦闘の際の勇敢な行動を高く称賛していた。軍人として認めるわけにはいかないが、彼女を是非軍学校に推薦したかった。

 

ちなみに現在、ティリオン郊外で放置されて鹵獲されたもう一つの装甲列車は調査の後に博物館で展示されることが決まっていた。この話を聞いた時、キアステン達は目を丸くして驚愕をしたものであった。

 

「尚更ですよ!大体、何で私が秋津洲の軍人と調整も行わなければならないのかを!小一時間問い詰めておきたいところですがね!!」

 

そう叫び彼女は少佐を睨みつけた。

いつもはビットブルク少佐と言っていた武官、本名をクレメンス・ヤーコブ・ビットブルク・メッケルと言う。

彼は私の知っている渋柿オヤジと同じことをやっているので、すぐに彼の性格や今後の顛末というのは予想できた。そして実際にやった。

 

 

 

この国の陸軍大学校で兵学講義を行った際に通訳として付き添っていたのだが、彼はそこで『自分がオルクセン軍師団を率いれば、秋津洲軍など楽に撃破出来る』と豪語したせいで講義を聞いていた音津 一という軍人と大喧嘩である。おかげで岡元 兵四郎という陸軍大学校の幹事と共に仲裁をする羽目になった。仕事増やすんじゃねーよ阿呆。

 

 

 

ちなみに彼、本来は一年の派遣と聞いていたのに、数年間秋津洲に派遣することが確定となった際に『畜生、騙されたー!』と大声で叫んで嘆いていた。

そんな彼にキアステンは睨みつけると、ビットブルクはケロッとした様子で平然と切り返してきた。

 

「だって貴女、私より先にこの国に赴いて詳しいじゃないですか」

「くぁwせdrftgyふじこlpーーーっ!!」

 

もはや声にならない悲鳴をあげて彼女は叫んだ。畜生、これじゃあいつになったらこの国の温泉に入れるかわかったもんじゃない!

 

「もう知らん!後は任せた!」

「あっ、馬鹿者!途中で仕事を丸投げする奴がどこにいる!」

 

ビットブルクはそこでキアステンが仕事を放り出して神奈川県の温泉で有名な箱根町まで飛んで行こうとした未遂事件があったため、非常に警戒をしていた。常に仕事が終わるまで監視のオーク族の兵士を二名常駐させる徹底ぶりである。外にも大使館護衛用の駐在武官が立哨をしており、彼女が逃げ出さないようにするための布陣が敷かれていた。

 

「まただよ」

「懲りねえな、お嬢も」

 

部屋の中でドッタンバッタンと音が聞こえ始めたのを聞いてオーク族の兵士たちはため息を漏らす。

 

彼らは白エルフ族であるキアステンに対し、最初こそ白眼視をしていたが、彼女の人となりやビットブルク少佐相手に真正面から喧嘩を仕掛ける度胸に次第に関心から尊敬に変わっていった。そして彼女が戦争中に黒エルフ族放逐から窮地を救ったことで勲章授かっていたことが、彼らに白エルフ族への偏見を変えてしまった。

 

何度も彼女は立哨兵の酒や煙草を使った懐柔や隙を見ての脱出などで大使館から逃亡しており、その度にビットブルク少佐がカンカンになって探しに行くのだ。彼女の逃亡術はベレリアント戦争で鍛え上げられたからか卓越していた。

 

「あの牝め!今度はどこに行きやがった!?」

 

そう怒鳴り散らして部下に探しに行かせるのが日常となりつつあった。その行為に大使館の駐在員達は彼女を『お転婆お嬢様(フロイライン・ヴィルトファング)』と渾名を付けていた。

 

「どうする?仲裁するか?」

「窓をまた破られたら堪らんしな…」

 

彼女とビットブルクの関係がベレリアント戦争中にあったことはすでに二人の話の過程で薄々察していた。そして二人の喧嘩がエスカレートすると部屋の窓ガラスがお釈迦になる。そのためそうなる前に彼らは喧嘩を羽交締めにしてでも止めなければならなかった。

 

「少佐。失礼します」

 

そこで部屋に入ったオーク兵はそこで大声で怒鳴り散らして喧嘩をしていた二人を強制的に抑え込む。

 

「休みを寄越せぇええ!!」

「はいはい、また仕事の続きなんですね」

「この牝め!歩兵教練本の翻訳もまだ終わっていないというのに!!」

「少佐、彼女は一ヶ月間ずっと翻訳作業を行なっているんです。そろそろ休暇を与えませんと…」

 

すっかり夜叉のようになってしまったキアステンを後ろから羽交締めにし、ビットブルクの両肩を握って部屋から出す。

秋津洲語に非常に堪能であった彼女はその仕事柄から軍事機密に抵触する翻訳作業も行なっており、必然的に籠る期間が増えていた。

すでにグスタフの記した農学書の翻訳を行い、印刷を行うことで印税を確保しようと思っていた矢先にビットブルク依頼の翻訳作業である。何度かブチギレて窓ガラスがお釈迦になっていた。

 

 

 

この国がグロワール式からオルクセン式の軍制に切り替える際、彼がこの国の陸軍大学校で厳しい教鞭を厳しくとっていたことはよく承知していたが、その授業を聞いていて彼女はビットブルクにある助言をしていた。

 

「少佐殿、軍人には広い教養と基礎学問の研究の徹底を教えた方がよろしいのでは…?」

 

それは即効性のある実用的な教育を求めて先方への配慮でもあったが、キアステンは後々に悪影響を及ぼすことを知っていたので、その旨をあえて懸念していた。

 

「ふむ、君の言うことは正しいな。しかし私には時間も限られているのだよ」

「あぁ、それなら私めの方からグスタフ国王陛下に滞在期間の延長を行うべきと連絡を行わせていただきました」

「何っ!?」

「ちなみに、国王陛下は承諾をしてくださいましたわ」

「なんて事をしたんだ貴様ぁ!!」

 

そこでまた一悶着があったのはご愛嬌と言ったところだろう。

 

 

 

しかし彼らは一概に喧嘩ばかりしているわけでもなかった。

 

「ほう、これはすごいわね」

 

講義を終え、陸軍大学校に保管されていた史料を読ませてもらったキアステンの簡単する様子を見てビッドブルクが気になって彼女に翻訳を頼んだ。

 

「これは古い兵学書か?」

「ええ、この国はかつて一〇〇年以上内戦をしていた時期があるそうです」

 

彼女はそう言い、その時の戦法を読みながらビットブルクに翻訳を行った。

 

「ほう、この国にはすでにその時代から偽装撤退を心得ていたのか」

 

そしてその翻訳はビットブルクを大いに感心させた。そして次々とキアステンに頼んで他の史料も翻訳をしてもらい、彼女のわかりやすい翻訳のおかげでビットブルクはすぐに理解した。

 

「この『車懸りの陣』という陣形戦術は延々と波状攻撃を行えるわけか」

 

その時代の戦術はビットブルクに今の時代でも十分通用する技ではないかと思わせた。

 

「なんて事だ。もはや私が教えることなんてなかったのではないのか?」

 

すでに翼竜による弾着観測や鉄砲を使った空中戦のような戦闘の記録も残されており、ビットブルクは目を大きく見開かせた。そして翌日の講義で『君達はこれほど優秀な戦史をなぜ活かそうとしないのだ?』と質問をして逆に受講者達を驚かせていた。

それからというもの、この国の戦術に興味が湧いたビットブルクは講義を終えた後は史料室で秋津洲の戦法を読み漁り始めていた。

 

「そのステガマリとは何だ?」

「…」

 

そんな中、資料室で他の通訳と共に講義外の時間を使って行っている秋津洲の戦術の中でビットブルクが首を傾げた。

するとキアステンはその戦法をその時代の言語を先に富士山達に翻訳してもらったものを翻訳した。

 

「捨てがまり戦法というのは、少数の部隊を用いて殿軍を務め…全滅をするまで戦い続ける戦法だそうです」

「…は?」

 

キアステンの説明にビットブルクは困惑した。

 

「降伏もしないのか?」

「はい。文字通り死ぬまで戦い続けるそうです」

「全滅だと?あり得ん。命が惜しくないのか?」

 

彼は困惑気味にその戦法を理解はしたが、受け入れられはしないと思った。

 

「ええ、以前に少佐殿がお話になられた関ヶ原の戦いの際にも使われた戦法だそうです」

「…」

 

そこでキアステンは通訳が話したこの国の軍人の常識について話した。

 

「この国では、軍人は戦って死ぬことこそが最高の名誉であるそうです」

「…それは違うな。軍人は国を外敵から守るのが使命。自ら率先して死ぬことは何ら素晴らしいことではない。兵力を無為に消耗させるのはただの愚行だ」

 

その彼の一言は通訳を行っていた面々を驚かせていた。

 

 

 

ともかくもこの一年程、彼女はビットブルクの通訳権秘書のようなことをさせられ、すっかり憔悴してしまっていた。

 

「しかしすげえな」

 

そこで二人を強制的に、物理的に距離を置いて頭を冷やさせている最中、部屋に入ったオーク族の兵士は彼女がペンを使って翻訳を行った紙を見ていた。

 

「見ろよ、お嬢の綺麗な秋津洲語の字」

「ああ、本当に綺麗だよな」

 

一体どこで学んだのかと聞くたくなる程の右書きの字。誰からどう見ても秋津洲が好きである彼女は、秋津洲人からの評判も良かった。オーク族の兵士たちは散らばった部屋の書類を丁寧に持って片付けを行うと、低地オルク語から翻訳された秋津洲人への講義に使う教材を並べる。

 

「元々の通訳が泣いていたもんな」

「ああ、今やお嬢の部下だからな」

 

ビットブルクが知り合いであることや翻訳の質が高いことからキアステンを重宝し出し、元々通訳を予定していた人物達に猿渡慎一と富士山治一がいたのだが、彼らは今やキアステンの部下として翻訳の確認や陸軍大学校と仕事場の大使館を往復する仕事ばかりを担っていた。

 

「失礼します」

 

すると大使館に一人の来客があった。彼は軍服を綺麗に纏った人間族の男であった。

 

「翻訳の確認に参りました」

「ああ、これはどうも」

 

低地オルク語で話しかけてきたその軍人にオーク族の兵士は軽く会釈をし、彼は台風が来た後のように荒れ果てた部屋を見て苦笑気味に聞いてきた。

 

「また先生の錯乱ですか?」

「ええ、お恥ずかしながらね」

 

そこで書類をまとめたオーク兵に聞くと、彼らは頷き、わかっていたので驚くようなことはなかった。

 

「先生の秋津洲好きには困ったものですね」

「元々、こちらで通訳を行う予定じゃありませんでしたしね」

 

その時、書類をまとめたオーク族の兵士が言った一言に、その通訳は肩をすくめた。

 

「…それを聞くと、私たちも少しばかり自信をなくしてしまいそうです」

「ははは、それは彼女が異常なだけですよ」

「ええ、全くもってその通りかと」

 

キアステンの秋津洲語の能力の流暢さは今まで見てきた通り。

通訳として本来担当するはずだった彼らは、ビットブルクの講義の期間中に生牡蠣を食べてあたってしまって、全員が倒れるという悲惨な状況を招いてしまったのが運の尽きであった。

 

「とりあえず、翻訳でしたらここにありますよ?」

「大分散らばっておりますが…」

 

そこでビットブルクと大喧嘩をした後の部屋を見て通訳の富士山はまとめられた書類の回収を手伝いながらその文書の確認を行なっていく。

 

「(相変わらず美しい字を書く方だ)」

 

そしてその中で彼女が紙に書いた現地人でも綺麗など思われる秋津洲語をみて、その字から伝わってくるこの国への敬意を感じて思わず嬉しくなってしまう。

この時彼女が翻訳を行った教材はビットブルクの講義に使われ、後にこの国の軍隊を大きく成長させる起爆剤となった。

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