星暦八八一年は六月。
キアステン・ラーセンは東亰の鹿倉坂にある料亭に招致されていた。そう、まだ大きな発展を見せる前の神楽坂である。地図を見て私は確信をした。
そして時期的に一ヶ月後くらいには『開拓使官有物払い下げ事件』が起こって『名治十四年の政変』が起こるだろう。
「お久しぶりです」
「またお会いできるとは思ってもおりませんでした」
その料亭の中でキアステンは伊藤博美、井上馨と食事を共にしていた。
「今日はご予定が空いておられたのですね」
「私としても、
彼女の言葉には相当なまでの恨み節がこもっているように見受けられ、そのただならぬ雰囲気に博美達は彼女に何があったのかを色々と察してしまった。
「大変なのですね」
「ええ、まあ…」
おかげで計画していた全国温泉周遊の計画がぱあになってしまい、彼女を憤激させる要因となっていた。
「この国にも温泉があるとお聞きしていたので、一度は行ってみたいとは思っているのですがね」
「なるほど。温泉ですか」
話を聞き、二人は星欧にも温泉があるのかと驚いた様子を見せた。
「温泉ですか」
「この前、我々も熱海で浸かりましたな」
二人はそう話し、一月にこの国の立憲体制をこの二人ともう一人の牡と交えて話し合ったことを思い出す。
馨は二年前に外務卿に転任し、博美は未だに内務卿を続投していた。以前に内務卿を務めていた男の暗殺によって内務卿を引き継ぎ、今やこの国の政治の主導権を握っている博美はその辣腕を振って名治政府の指導者を行なっていた。
「いやはや、羨ましい限りです」
キアステンは温泉に浸かったといった二人に羨望の眼差しを向けて清酒を煽る。
まだ綺麗好きなオーク族がいることでキアステンは大使館に備え付けられた風呂やシャワーを何度も借りていた。しかし疲れを癒すには程遠く、大使館に頼んで故郷で慣れ親しんだ
「疲れを癒せるという噂をお聞きしましてね。入ったらこの日々の翻訳の疲れも取れるかと思ってしまって…」
「そうでしたか…」
彼女にとって来国の最初の一年間は当初の目標を果たすことができていた。
しかしビットブルク少佐の来国後、特に通訳が生牡蠣で全員倒れた後あたりから雲行きは怪しくなった。
今までのことは秋津洲語が堪能であったがための悲劇(と思っている)であるため、キアステンの食文化輸入は米と醤油、酢の製法などを仕入れたところで止まってしまっていた。
なにせ通訳のためにビットブルクの参謀旅行にも付き合わされる始末でほぼ彼の私用秘書のような扱いである。彼がいない場所で彼女は『アイツぶん殴ってやりたい』と言って聞いていた周りの通訳達をドン引きさせていた。
「しかし、条約改正のためのクラブは必要ないと言われた時は驚いたものです」
馨はそう言い自分よりも圧倒的に長生きをしている白エルフ族であるキアステンをみてそう話す。すると彼女は頷いてから返す。
「ええ、すでにこの国には海外から見ても素晴らしい文化がありますからね」
彼女はそう言い、彼が条約改正の一環として行おうとしていた社交クラブの建設に真っ向から否定をしていた。
「この国はこの国で無理に星欧に近づける必要はありません。我々にも文化を尊ぶ考えは持っております故、駐在官などの交流はあなた方の方法で行うべきです」
「貴女様から言われますと、説得力がありますな」
彼はそう言ってこの国の文化をよく勉強してきたとわかる所作の節々を見て笑みを見せた。
魔種族という無限に近い寿命を持つ彼女は優れた投資家・資産家としてもすでに彼らは知っていた。正直、かつて立案されて反対した外積募集案のことが脳裏をよぎってしまうほどには。
「条約改正をあなた方は望む。しかしそれを成就するにはこの国が他国に並ぶ強力であることを示さねばなりません」
「はい。貴国の戦争でそれは重々承知するところであります」
ベレリアント戦争で、その強力な軍隊を保有していることを内外に見せつけたオルクセン王国。その影響は星欧諸国に多大な影響を与え、隣国グロワールなどそれが(多分)遠因となって皇帝が死去し、帝政が崩壊してしまった。
そして今のオルクセン王国は周辺諸国から大変な脅威として見られており、各国は大慌てでオルクセンを真似ようと努力していた。
すでにグスタフの構想を聞いていたキアステンは、すでに草案制作が始まっているであろう新しいオルクセン王国の憲法改正案の想像をする。
私の知っている彼であるならまず間違いなく大統領制を取るだろう。少なくとも民主主義制を取ることは確定していた。
「そういえば、ご友人に贈られたという食器はいかがですか?」
「ええ、とても喜ばれているとの事ですわ」
そこで博美から聞かれたことにキアステンは微笑んで頷いた。それに彼女はとても安堵していた。
彼女から勧められた食器を作る工房でグスタフに贈る箸や漆器、茶碗などを作ってオルクセンに送っていた。するとオーク族というとても大きな体つきであるというのを聞き、世界の広さに感嘆していた。
この時点で彼女はグスタフにそうした食器を贈呈していとは夢にも思っておらず、のちに渡欧をした際にグスタフにその事実を知って腰を抜かしかけた。
「こう言っては何ですがキアステンさん。貴女には色々と感謝をしなければなりません」
「?」
馨はそう言い、キアステンに話す。
「貴女の助言のおかげで、我が国は大いに参考にさせてもらっております」
「どうして、そこまで我々にお話してくれるのですか?」
それは二人の純粋な疑問だった。秋津洲というのは星欧外の新興国家で、不平等条約を結ばれた弱小国である。
事実、博美達は星欧に赴いた際に道洋人としての差別を受けることさえあった。彼らにとってみれば星欧外から来た民族であるため、区別をしているのだが、彼らはそれを差別と感じ取っていた。
「いえ…」
その疑問にキアステンは少し間を開けてゆっくりと話し出した。
「…故郷が亡国を迎えた民と、同じ失敗を繰り返してもらいたくないだけですよ」
「「…」」
その時の感覚を、博美はのちに手記にこう綴っている。
『其乃時ノ彼女ノ眼ハ遠ク故郷ノ見テイル様ニ在ラズ。然シ彼女ノ真意ヲ確カメル術モ在ラズ』
この時、亡国とは何たるかを彼女達はまざまざと感じ取った。そして国が滅ぶという想像すらしたことのなかった体験をしたキアステンからの注告に、二人はこの国が同じ道を辿らないようにするために努力をせねばと自らの戒めとして記憶した。
四年後、オルクセンに帰国を果たしたキアステンはグスタフとこんなやりとりをしていた。
「亡国か…私にはわかり得ぬ感覚だな」
「だろう?」
国に帰り、そこで調味料の製造の実験を行っていた最中、二人はそんな話をしていた。
「所で君、まさか伊藤博文と縁を持つとは…どういう経緯で知り合ったんだ?」
「マジの奇跡。割烹で飯食ってたら目の前に飛び込んできた。しかしなぜか女体化して烏天狗になっていたよ」
どういう状況だと首を傾げたが、黒田清隆の帰国祝いの宴会に巻き込まれたと言われたらすぐに理解できた。なるほど、それは災難だったなと。
「ふむそれは妖怪になった影響だろう。井上馨にあの鹿鳴館の建設をさせずに、徹底した和風住宅を作らせるとはね」
「良いでしょう?私たちの世界みたいな税金の無駄遣いみたいなのは無くなるわけだし」
「ああ、全くだ」
二人はそこで自分たちの中身を作った者たちの故郷への哀愁を感じる。
実際、この世界での鹿鳴館は当時の秋津洲の文化の最先端を惜しみなく投じて作られた武家屋敷に変貌し、訪れた駐在官達を大いに楽しませていた。
「それで、君は色々とちょっかいをかけてきたというわけか。軍にも政府にも」
「普仏戦争をやらなかった君にだけは言われとうない」
ジト目でキアステンはグスタフを見る。もはや秋津洲が別の国になっても違和感を感じないのではないかと思えるほどの話であったが、多分自分の思った通りの歴史を歩む違いない。そんな気がしている。
「その代わりにエルフィンドだよ。今やオルクセンは魔種族による統一国家だ」
彼はそう言い、戦後の魑魅魍魎な世界を生き抜く国の長として、魔種族の国の最後の国王としての任を全うしていた。
ビットブルク少佐からも彼女に関する話は聞いており、その話にグスタフは大笑いしてしまいそうなのを必死にこらえていた。
「秋津洲はおそらく世界で唯一、道洋で先進国入りが可能な国になる。そして…」
「現状、唯一の人間族と魔種族による統一国家」
彼女はいうと、グスタフは頷く。
「そう。君は良くしてくれた様だがね」
彼はそう言い、この国に憲法を学ぶために渡欧してきた秋津洲人を思い出す。魔種族であることからこの国では他の諸国よりも丁重なもてなしを行った
「そのために彼女達を非公式に招いたのしょう?」
「ああ。反応はどうだった?」
「驚愕していた。帰ってきて早々、私を呼び出して色々と詰問されたよ」
彼女はそう言い、星暦八八二年にオルクセン王国に憲法調査のために渡欧してきた博美達は、そこでグスタフ国王と非公式に面会。その際に彼女達はグスタフの執務室に見覚えのある食器を見てとても驚いていた。
「まさか私の友人が国王陛下だとは思われていなかったそうだ」
「普通はそうだろう。なにせ数年前までは恨み合っていた種族のはずなのだからな」
グスタフもそれは楽しそう笑って仕込みを行っていく。
「今でも仲は良いのかい?」
「ええ、文通のやり取りは行なっているわね」
二人は離宮に用意した小屋の中で醤油と味噌の仕込みを行っていた。自家消費用で作っており、グスタフは他の従者達にも手伝わせることもなくキアステンと二人きりで、それはもうウキウキで仕込みを行っていた。
「…また旅に出るのか?」
「ええ、今度また合衆国に行く」
「…そうか」
彼女の返事を聞き、グスタフは『彼女らしいな』とすぐに笑って大豆を煮込んでいた友人を見た。
正直、戦後直後の混乱で埋もれてしまった彼女の体の変化に、彼としては色々と検査を行いたいのが本音であった。
しかし彼女はこの通りであり、一箇所に長い間留めさせることは無理だろうなと思っていた。