「……まぁ、ことの成り行きはようわかった。その判断も
せやけどなぁ──朝姫の嘆息混じりな言葉が続く。
「よりによって、
ドゴンボセル編の界王様の気持ちがよう分かったわ」
「すみません……ここしか無かったんで」
「それもドゴンボで悟空が言いおったわ。ほんでその後どないなった思う?
悟空は何度目かのお亡くなり。界王様もお亡くなり。オマケにバブルスもや。
そのくせ、肝心のセルは
ちょうどこの店の従業員も3名でおそろっちやん。なんや、自爆したいんか自分?
ここを更地にしたい言うんなら、俺も考える所あるで」
「ま……まって、待って店長、ちょいタンマ」
予想以上に怒涛の勢いで畳み掛けてくる朝姫に面食らいつつも、どうにか一度彼の喋りを留まらせて、徠斗は弁明に走った。
「違いますって。むしろ凄惨な現場にしたくないからこそ、ここを選んだんです。
──というか、さっきからドラゴンボールをドゴンボって略すのやめてくれません?
名作汚してますからね? その呼び方」
「なんでやねん。ドゴンボはドゴンボ以外に略称あらへんやろ」
「そんなことあってたまるかいボケ」
「ま、まぁまぁ先輩、店長も。そのへんに……ね?」
どんどん話がそれていくと共に、面倒な流れになっていきそうなのを感じて、巴が間に入る。
「先輩、とにかく私と店長は、朽梨さんが危ないことしそうになったら、すぐに止めれば良いんだよね?」
「ええ。お願いします」
「待て待て。俺は良いとしても、巴ちゃんに任すんはアカンって。
箸でカバンと教科書ぶっ貫くようなゴリ子、巴ちゃんの細腕でどうにかなるわけないやろ」
「いえ、案外そうでもないんです」
「なるんかい」
一見、朝姫の指摘は的を射ているように見える。
しかし、この中で──いや、ある意味では野々原よりも真正面から彩子と対峙した徠斗だからこそ、分かるものがあった。
「朽梨さんが理想としてるのは、幸せな家庭なんだと思います。それも彼女にとっての」
「うん、そんなもんやろなぁ。じゃなきゃ一方的に将来の伴侶宣言なんかせえへんし。
あんま、人様のこと言える身分やあらへんけど……自己中心的にも度が過ぎとるで、その子」
返事こそしないが、その通りだと徠斗は心中で頷く。
巴も思うところはありそうな表情ながら、否定することなく黙っていた。
数日前までは一途であったり、健気だと評していた2人ですら、事実を知ればこうなる。
それほどまでに彩子の人の愛し方は、見方によっては強烈なエゴイズム
故に、常人では理解できない程の強靭かつ強烈かつ強硬な愛を形成しているが──同時に、その在り方こそが、彼女を縛ることにもなると徠斗は読んでいる。
「彼女にとって
「えっと、どういうこと、先輩?」
「もし本当に朽梨さんが自己中心的モンスターだとしたら、今日俺が止めに入ったとて、どうこうなる話では無かったはずなんです。だって、周りの目を気にしない人なら俺を無力化して、そのまま野次馬たちの前で、野々原を無理やり屈服させてたに違いないから」
「……うんー。確かに、それは一理あるかもなぁ。せやなかったら、そもそも時間と場所を変えて~なんて提案にも乗らへんし」
「盗聴してたことを周囲にバラされるのが嫌だって思うことも、ないもんね」
「そう、そういうことです」
自分の行いが、世間に知られれば非難を受ける物だと分かっている。だから盗聴行為が漏れるのを恐れたし、徠斗の条件を渋々ながら受け入れた。
「第三者の目があるところでは、恐らく彼女は興奮状態にはなれないでしょう。どんなに苛立ったり興奮しても、『野々原のお嫁さんになって幸せな家庭を持つ』という至上命題が、彼女のブレーキになる」
「はぁ~よう考えたなぁ。……なんて言うても、だ~いぶ危ない綱渡りみたいな案やが。
ま、マイルールに厳しい奴ほど、自前の理屈で雁字搦めになるんは、あるあるやからな。
やけっぱちのプランじゃないって言うんなら、ええよ。今日は普段頑張ってる徠斗くんのために、まほらが全力でバックアップしたるわ。ただし……」
気合を入れるように肩をグリングリンと回したあと、朝姫はキッと徠斗を睨むと。
「絶対に、今日でケリつけなあかんで? 恋のもつれと赤福もちは、その日のうちに食わんと腐るもんやからな?」
「……うす」
日頃は見せない有無を言わせぬ圧力を発しておきながら、語勢だけは妙に優しく話す朝姫に、徠斗は珍しく一切の茶化しや邪念を挟まずに頷くのであった。
「ということで、今日はまほら貸し切りになった」
「ほんっとごめん! 本気ですみません!!!」
実は徠斗が朝姫と巴にことのあらましと協力の説得をしてる間、ちゃんと店内の3人から少し離れた席に座って見ていた野々原は、徠斗がかつて見たことが無いほどの真剣さで謝意を見せた。
「絶対この借りは返す」
「いや、まだ気が早いから。それに俺は間に入るつもりだけど、最後に頑張るのはお前なんだからさ。貸し借りとか言う前に、まずは朽梨さんと渚さんに連絡してくれ」
「あ……あぁ。そうだったね。ごめん、まさかここまで話が大きく膨らむとは思ってなかったからさ」
「それは、まぁ……だな」
切っ掛けは、単なる友人同士の会話だった。
彼女と上手く行ってる行ってないなど、野郎同士がよくやる他愛のない話でしか無い。
しかし、それがまさかここまで面倒で拗れるほど複雑かつ、規模が大きい問題になるなどと、少し前までは思っていなかった。
……だが、それはあくまでも徠斗視点の話に限る。
「いや、やっぱなるべくしてなった話だと、思うよ?」
爆発寸前の火薬庫を彷彿とさせるくらい、第三者が知れば知るほど『よく
まほらの入口には、普段見ることのない『本日貸し切り』の看板が掛けられていた。
常連客や、徠斗が作るパンケーキを目当てに来た人が何人か、その看板を見て残念そうにしながら踵を返していく。
自転車操業よりの経営であるまほらにとっては惜しい話だったが、今日に限ってはそれで正解だった。何故なら、今まほらの店内は、かつて無いほどの重苦しい空気と、重圧感で満ち満ちているからだ。
普段は全く使われることの無い、店の最奥にある小舞台に立ちながら、徠斗は店内に集まった人達をぐるりと見やる。
バーカウンターで我関せずと言った様子で佇む朝姫。
カウンター席に座って徠斗と客人らを交互に見る巴。
中央のテーブル席に座る野々原と、野々原の右隣の椅子に腰を据える渚。
渚は6月も終わりが近いというのに、今日も兄から貰った真紅のマフラーを首に巻いていた。心なしか、マフラーに手を添える仕草が多いようにも見える。
そして本日の台風の目とも言える彩子は、巴から数席離れたカウンター席に座っていた。
席に着いていても、両手は持参してきた黒のトートバッグを握ったまま離さず、視線は研ぎ澄まされた包丁を彷彿させるほどに鋭く、眼力だけで刺し殺さんとするように徠斗を睨んでいる。
「……ふふ、やっべ」
生まれて20年と幾らか。徠斗の人生においてここまで女子から敵意の籠もった視線を向けられたのは2度目で、敵意の濃さで言えば記録更新だった。
いや、感じるのは彩子の敵意だけではない。
巴の心配する視線、野々原の縋るような視線、渚の困惑と不安が入り混じった視線、それらが一緒くたになって、徠斗に向けられている。
「ほんと、どうしてこんな役回りになってるんだろうな。俺」
店内のBGMにかき消されるほどの小声で、苦笑しながら徠斗はぼやく。
あの日、大学で時間いっぱいまでレポート作業などせず家にいれば、こうはならなかったのだろうか。
いいやそれは違うなと、小さく首を振る。合縁奇縁、人の縁というものは思いもよらぬ所から始まって、変な流れを辿って結ばれるもの。であれば恐らくは、あの日──巴を助けようと動いて彩子と知り合ってしまったときから、こうなる運命だったのかもしれない。
もしくは、そもそも電車通学をする原因となった二日酔いをしてしまった時点で。
「……じゃあなんだ、全部俺のせいじゃん。俺が今大変なのは」
致命的に覆せない結論に、正念場を前にして気づいてしまうのは果たして聡明と言えるのか。
大凡の人間は愚者だと笑うだろう。立場が違えば徠斗もそう揶揄するに違いない。
しかし、愚者なら愚者で構わないと徠斗は思った。
何故なら、今の自分が求められているのは、彼が今まで遊んできたどの高難易度ゲームよりも難しいだろう、ヤンデレを相手にした立ち回りなのだから。
狂気の域に手が届いている愛を内包する人間を相手に、常人では太刀打ちできない。賢者は端から関わらない。
唯一、身の程を知らない──知ったとて怯まない愚者だけが、狂気に身を晒し挑めるのだ。
いつだって、勇者とは愚者でなければ成り立たない生き物だと、徠斗は知っている。
故に。
呼吸するだけでむせ返ってしまうようなプレッシャーを、夏の木陰に吹きすさぶ涼風の様に受けて、さながら演劇の口上役のように意気揚々と、徠斗は言った。
「さて、全員揃ってくれたので、そろそろ話を始めましょうか!」
勇者・徠斗は、ミッション『他人の痴情のもつれをほどけ!』をスタートした。
「まず、今日野々原兄妹と朽梨さんに、ここまで足を運んで貰った理由と、その経緯を説明すべきだと思うので、少し俺だけが喋る時間をください。
途中、色々口を挟みたくなる話が出てくると思います、絶対に。でもどうか我慢して、俺が言い終わるまで待ってくれると助かります。それにきっと、その方が速く話が終わるはずですから。
飲み物や食べ物が欲しい場合は、話の途中でも遠慮なく、そこの朝倉さんに注文してくださいね。ここはカフェ・バーですので、ソフトドリンクもお酒も提供しますので……もちろん有料にはなっちゃいますが、2杯くらいなら俺の給料から天引で奢ります」
口を挟ませる気など更々無いとばかりに、ゆっくりとだが有無を言わせない口調と勢いで徠斗は場を支配する。
数瞬前まで徠斗に向けられていた
「ま、といってもこの空気で好きに頼んでと言っても『はい、喜んで』と注文なんて無理ですよね。……ということで、朝倉さん」
「うぇ!? な、なに先輩!?」
急に声を掛けられて見るからに動揺している巴だったが、徠斗からすればナイスリアクションと言える。その緩い雰囲気は間違いなく、周囲の硬化している空気を緩和させるからだ。
無自覚のまま徠斗をフォローする巴に愛らしさを覚えつつ、柔和な笑顔を浮かべて徠斗は言った。
「渚さんにノンアルのサンガリア、それと朽梨さんにはロングアイランドアイスティー、野々原にはオレンジジュースをお願いします。代金は俺持ちでね。
……あぁそうだ、もう一つ。俺にも薄いハイボールを一つ頼みます」
「──はいっ!」
「ちょ、度会。なんで俺はオレンジジュース──」
「お前は酔ってる余裕なんて無いだろう?」
「……はい」
ここでもう一度改めて『お前は当事者だよね?』と言外に伝える徠斗に、渚にすら『たまに空気が読めない』と評される野々原も流石に察して、オレンジジュースを甘んじて受け入れるのであった。
くだらないクレームを一蹴してから、徠斗は遅まきながら思い至った。
「あ、すみません。朽梨さんはもう二十歳過ぎてます? 誕生日まだなら変えなきゃ」
「……いえ、お構いなく。先日誕生日を迎えたので」
その声は視線と同じくらいに冷たく鋭かったが、やはり第三者の目がある分、最低限の体裁は意識しているようであった。
自分の目論見が今のところは上手く行っているのが分かり、内心でニヤリとしつつ、表情はピクリとも変えずに徠斗はしれっと言う。
「です、か。良かった~危なく警察のお世話になるところでしたよ」
徠斗の言葉に、彩子が反応を返すことはなかった。
巴が緊張しながらも普段の調子でオーダーを伝え、それを受けた朝姫が何の気負いもなくドリンクを用意し、巴ができあがった飲み物を各自の座席に配っていく。
唯一、小舞台に立っている徠斗にだけ、巴は直接グラスを手渡してきた。
「はい、どうぞ先輩」
「ありがとう、朝倉さん」
巴からグラスを受け取り、景気付けに一口喉に流し込む。
オーダー通り、普段ならまず求めることは無いだろう『薄さ』で提供されたハイボールが、どうしても払拭できずにいた徠斗の中の緊張感を、見る見る弛緩させていった。
愛する酒の優しさを感受していると、巴が小声で問いかけてくる。
「ねぇ、先輩。こんな状況でお酒なんて飲んで平気なの?」
「平気です。というか、飲まなきゃやってられないっていう方が正しいかもです」
「やっぱり……無茶してると思った」
ジト目になって呆れ顔を見せる巴。
しかし、続けてもう二言三言お説教を続けそうな雰囲気からは意外なことに、それ以上の追求をすることなく、巴はふっと柔らかい顔を見せて言った。
「まぁでも、その方が
「……まぁ、でしょう?」
「うん。だから任せて先輩」
巴は空になったおぼんを胸の前に抱えるように持ちながら、静かに、しかし力強い声色で言った。
「あの人──朽梨彩子さんが変なことしたら、ボクが絶対に食い止めるから。
どんなに胸がデカくて美人な人だろうと、える──先輩の邪魔をする奴の好きにはさせないからね!」
やや私情を感じる言い回しのような気もするが、巴の言葉は『きっとやってくれるだろう』という説得力を感じさせてくれる、頼れる発言だった。
「ありがとう、頼りにします」
「──うん、うん! 任せて!」
そう言って、元の席に戻っていく巴。
このシビアな状況で、いつも通りの調子を続けてくれる巴の存在はありがたいものだと、心の底から思うのだった。
「では、全員に飲み物が回ったので、話の腰を戻します。
切っ掛けは今から2週間ちょっと前。野々原から相談を受けたのが始まりでした。
内容は朽梨さんが自分の知らないうちに、周囲に彼女だと言いふらし困ってるというものです」
「……っ!」
当然のように彩子の視線が更に鋭く徠斗と、野々原にも向けられる。
仮にこの場に巴や朝姫など初見の第三者がいなければ、この時点で彩子は大学食堂の焼き直しのごとく野々原に詰め寄っていたのは、想像に難くない。
「そっから色々遠回りと回り道を経て今日に至るわけなんですが……率直に言いますね朽梨さん、怒らないでくださいね。
野々原、あなたとの約束忘れてるんですよ。だから将来の結婚もクソも無いんです」
ひゅっと野々原が息を呑む。
徠斗もここまでハッキリ言ってしまえば流石に清聴し続けることはないだろうと、彩子の挙動を注意深く見ていたが。
「……はぁ。何を言うかと思えば」
ため息こそしたが、彩子は背もたれにぐっと身体を預けて、右手に持ったグラスを小さく左右に揺らすばかり。
まるで何も気にしていない。
というよりも、いたずらっ子を優しく諭そうとする近所のお姉さんのような雰囲気すらある。
「あの、朽梨さん? 俺は──」
「そんなくだらないデマを話すために、私たちを呼んだんですか?」
「朽梨さん、これはデマじゃなくって──」
「もう結構です。わざわざ彼や渚ちゃんまで巻き込んで、こんなくだらないことに付き合わされる理由はありません」
有無を言わせない彩子の態度に、遅れて徠斗は理解した。
彩子は何も気にしていないのではない。
むしろ、これでもかというくらいには怒っているのだと。
興奮した際に発露する膂力で、シンプルに暴力をチラつかせて言うことを聞かせるだけではなく、
「そうやって、今日の大学でも野々原の言葉を無視したんですか」
「……はい?」
「そういうの、モラハラって言うんですよ知りません? 相手の話を上からフタして聞かないで、自分の主張だけを押し通そうとするの、男女関係なくシンッップルに性格悪いよ? お前」
「モラハラ……ですって」
表情が徐々に崩れていくのを、彩子は自覚できていない。
自身のグラスを握っていない方の手が、小刻みに震え始めていることにも。
「いや、たまに居るけどな。普段は物腰柔らかくて言動も静か、何も知らない人が見たら良い人にしか見えねえのに、本性は高圧的で威圧的。話す言葉は相手と交流するためではなく、従わせるためだけの奴って。あぁ、これ全部お前のこと言ってるけど理解できてる?」
気がつけば、女子に対しては誰であろうと丁寧口調だったはずの徠斗の口調も、普段と比べて大きく崩れていた。
もちろんそれにもこの場の全員は気づいていたが、状況が状況なので、指摘する者は居ない。
「挙句の果てに、今日大学で何をした?
一方的に押し付けた関係を否定してきた野々原を倒して、箸を握って脅してたよな?」
「──ハァ!? 彩子さん、それどういうことですか!?」
「渚、抑えて!」
徠斗の言葉に、大きな反応を見せたのは渚だった。
信じられないとばかりに目を見開き、彩子にも負けないくらいの剣幕で詰め寄ろうとしたのを、咄嗟に野々原が引き止める。
そのやり取りを、徠斗は意外には感じなかった。
野々原に直接尋ねることはしていなかったが、渚が最初にまほらに来店してきた時に『余所行き』の態度だったことに加え、野々原の性格も鑑みれば、彼が自分の受けたことを渚に伝えていないのは明白だったからだ。
事前に徠斗から渚に伝えることも、その気があればできた話だが、敢えて徠斗はそうしなかった。
意地悪からではない、そういうのは当事者である野々原自身がすべき行為だと思ったからだ。
そして、野々原は渚に対して大学で自分が彩子にされた事を何一つ説明せず、まほらに招いてしまった。黙ったままで良いわけが無いことを、言わずにいたのだ。
そして恐らく、言うべきことを言ってないのはコレだけではない。
彩子に、約束を覚えていない事もまた、野々原は言いそびれているのだろうと徠斗は推測する。
第三者の徠斗から言われるだけでも、既に高圧的な本性を隠せていないのに、本人から直接言われたら、『床に倒して箸で脅す』程度で済むわけがないからだ。
大学でも最終的には突き刺そうとしていたが、今の彩子が見せている反応から省みて、仮に約束の件を言われていたら、徠斗が丸瀬からの連絡を受けて現場に到着した頃にはとっくに血溜まりが出来上がっていただろう。
つまり、野々原はこの期に及んでもまだ、『言うべきこと』を言えずにいる。
言えていない理由は『優柔不断であるから』や、『相手の反応が怖いから』などあるだろうが、何よりも一番の理由はやはり、『当事者意識が足りない』からに違いない。
徠斗が指摘していたにも関わらず、どこか野々原は心の中で、最後には徠斗が『全てをどうにかする』と思っているのだ。
であれば、ここからは野々原も徹底的に巻き込もう。
この恋のもつれを糺すべき人間を強制的に舞台の中心に引き込んでやるのだ。
「朽梨さんの代わりに俺が説明するよ、渚さん。
野々原は今日、朽梨さんに『俺はキミと家族になる気はない』と言ったんだ」
「えっ……そ、そうだったの? お兄ちゃん?」
「……うん」
「ありえない、本当の彼の気持ちではありません。度会くんが嫉妬で変な事を吹き込んだから、彼の気に迷いが生じただけです」
「──と、恐らく同じ事を大学でも言ったんでしょうね。何故なら野々原は最初に言うべきだった大事なことをビビって言えなかったから。
肝心の『幼い頃の約束なんて覚えてない』って事をね。
その結果はさっき言った通り。朽梨さんは衝動的に馬乗りになり、箸でいつでも刺しますよって格好になって、発言の撤回を求めたんです。
野々原が今怪我していないのは、俺が咄嗟に助けに入ったからにすぎません。もし間に合わなかったら今頃、野々原の身体に穴が増えてたかもですね」
「…………彩子さん、今の話って、本当ですか」
「なぎ──」
「──お兄ちゃんは黙ってて! 私はいま、彩子さんに聞いてるの。
さぁ答えて彩子さん、本当にお兄ちゃんを無理やり従わせようとしたの? 答えなさいよ!」
「……だから、言ったでしょう。度会くんがおかしなこと言ったのが悪いんです。
だって、私と彼は家族になるんですよ? それなのに、今頃になって関係を白紙に戻すなんて、そんな事を言うはずがないじゃないですか」
「あんた……そんなバカげた理屈で、私のお兄ちゃんに危害を加えていい理由になんかなるわけが……ッ!」
加速度的に危険な空気が醸造されていく。
最初から火薬庫同然だった店内の雰囲気は、遂に爆発寸前だ。
彩子は渚を睨みつけながら、先程までグラスを握っていた手をトートバッグに忍ばせる。
その動きを見て、渚も着ている制服の懐に手を伸ばした。
同時に
徠斗との約束通り、危ない動きをしそうな2人を止めるため、巴は配膳用のおぼんを、朝姫は削っていた丸氷を、それぞれ手に取り構える。
「2人とも──待って!」
けれど、そんな2人よりもなお、先に動いたのは──否、口を動かしたのは野々原だった。
座席を立つと渚と彩子の間に立ちふさがり、両者の動きを牽制する。
「お兄ちゃんどいて! もういい加減彩子さんの我儘を我慢するのなんてウンザリ!」
「こどもが、偉そうなことを言うものじゃありません。いつまでも兄から貰ったマフラーを巻いてるような子が」
「……っ、これは関係無いでしょう? ”約束”なんて曖昧なものしかお兄ちゃんとの繋がりが無いからって、嫉妬しないで!」
「なんて……なん、ですって……!?」
「だいたいその約束だって、無理やり彩子さんが押し付けてるだけじゃないですか。
私は彩子さんと違ってずっと一緒に生活してたけど、一度だってお兄ちゃんからは彩子さんと将来結婚するなんて聞いたことありません」
「な…………なにを、言って……」
「彩子さんのことを好きだって言ったことも無いし、そもそも彩子さんが話題にあがること自体が──」
「──渚、待てって言ってるだろ!」
野々原が間に入って静まるかと思いきや、むしろエスカレートしていった渚の言葉を、今度は怒鳴るような語気で野々原は諌めた。
怒涛の勢いで詰め寄られて、言い返す言葉に窮していた彩子の表情が、僅かに和らぐ。
「ふ、ふふふ……くっふふふ……残念だったわねぇ、渚ちゃん?
アナタがどんなに幼く子犬みたいに騒いでも、彼の心はもう決まっていたのよ」
「お兄ちゃん……どうして? なんで彩子さんなんかを庇うの?
お兄ちゃんだってもう、彩子さんにはウンザリしてたでしょ?」
一転して勝ち誇る彩子と、絶望した表情を兄に向ける渚。
自分は間違いなく正しい側だと信じていたからこそ、その前提を否定されたに等しい野々原の言葉で、足元が崩れるような感覚に呑まれそうになっている。
見ているだけで痛々しいその姿を見て思わず、巴は口を挟みたくなった。
しかし、開きかけた口から漏れ出たのは、葛藤を孕んだ小さな吐息だけ。
3人とほぼ面識のない自分が掛けられる言葉が無いことを、他ならぬ巴自身が痛いほど自覚していた。
朝姫も、最初から『最悪の事態を止める』ことだけしか考えていないため、若者たちの会話に介入する気はサラサラ無い。
唯一この最悪の空気に割り込めるのは徠斗だけだが、当の本人は思案げな表情で野々原をジッと見てこそはいるが、口元は固く閉じられていた。
その野々原の視線が、一瞬だが徠斗と交わった。
言葉は無いが、徠斗に何か伝えるかのように小さく頷いてから、その視線を次は渚に向けた。
「渚、俺のために怒ってくれてありがとう。でも、もう良いよ。
……あとは、俺がちゃんと、自分の言葉で話すから」
「……お兄ちゃん」
「話す? ……あぁ、やっとアナタの口から言ってくれるんですね。
嬉しい、信じていたけど、それでもちゃんと貴方の言葉で約束を──」
「彩子。俺は、君と将来を共に生きるつもりは無い」
「──────は?」
自分の幸せを確信していた彩子から、淀んだ疑問の声がまろび出た。
──言った。言ってしまった!
固い決意の表情の裏に、かつて無いほどの動揺を隠しながら。
野々原は本日二度目の告白を、彩子に言い放った。
徠斗に自分事として受け止めろと促されたことで、一度は大学で思い切って彩子の思い違いを正そうと決意した。
しかし、野々原の言葉を聞くやいなや、豹変した彩子から、暴力も厭わない強引なやり方で話を遮られてしまう。
今度は頼れる友人や、第三者の目が向けられており、より安全な状況が用意されているはずだった。
しかし今度は、渚の致命的な発言が彩子の逆鱗に触れてしまったことで、彩子は大学のときよりもかなり気が立ってしまっている。
恐怖は一度目の比ではない。できることなら今すぐ渚の手を取ってここから逃げ出したい。
それでも、これは自分がやらねば──ケリを付けなければならないことだと、誰よりも野々原自身が分かっている。
だから、震える心に喝を入れて、野々原は再度、幼馴染に訣別の言葉を送った。
「彩子、何度でも言うよ。ぜんぶ度会が言った通りだ。俺は、君と交わした約束のことなんて微塵も覚えちゃいない。ましてや、君と結婚するつもりも無い」
「……………………」
「だからもうこれ以上、大学や周りの人達にありもしないことを言いふらさないで。
ハッキリ言わせてもらうけど、君のやってることは全部、迷惑なんだ」
自分のやってきたことを完膚なきまでに完全否定されると、人間はどうなるのか。
涙を流して失意の海に溺れる人。
逆上して感情を迸らせる人。
冷静に相手の発言を否定するか訂正を求める人。
徠斗は3つ目のパターンが当てはまるが、今回の場合──彩子は。
「……はぁ。もう、しょうがない人ね」
「え……?」
「アナタは流されやすいから、そうやって場の雰囲気で思ってもない事を口にしちゃうのは、前から分かっていたけど、まさかそんなことまで口にしちゃうなんて」
「いや、えっと、彩子? 俺は本気で──」
「でも許してあげます。私もアナタのお嫁さんになるなら、夫の未熟な部分を受け入れて、良い方向に躾けるのが役目ですものね?」
「あ……彩子、何を言って……」
失意、逆上、否定/訂正。
彩子の場合は、そのいずれとも異なっていた。
そもそもの話、
「そうだ。ねぇ、今から私の家で、話し合いましょう。
私たちだけで、じっくりゆっくり、丁寧に……誰の邪魔も無い場所で。
お互いの気持ちをすり合わせれば、もうこんな過ちも無くなるはずですから」
彩子は、最初から、他人の話を聞き入れてすら、いなかったのだ。
「──っ、いい加減にして!
お兄ちゃんは彩子さんと付き合ってないって言ってるの!
勝手なことばかり言って、無視しないで!」
兄に止められて黙っていた渚も、これには流石に我慢できず口を開いたが。
「こどもは黙っていなさい。これは私と彼──家族の問題です。
渚ちゃんが口を挟んで良い問題では無いの」
「ふざけるな! いい歳しておままごとしてるくせに、こどもなのはどっちよ!
お兄ちゃんの家族は私だけ! アンタは幼馴染っていうだけの、ただの赤の他人なの!」
「……実の妹だからって、ここまで口の悪い我儘っ子にしたのも、アナタのミスね。
でも安心して? 私は寛容だから。今後は姉として、義妹の躾も一緒にしてあげる」
「この……どこまで人をバカにすれば──」
もはや、彩子は他人の意見を聞き入れる気はない。
端的に思いを伝えても、怒りにまかせて言葉をぶつけても、自分の世界に思考を浸して満たされている彼女に、届くものは何も無かった。
巴は呆然と彩子を見ている。
かつて一途と評していた彼女も、ここまで異質な愛を見せられたら、もう同じ感想を抱くことはできないだろう。
健気と評していた朝姫は、見飽きた芸人を見るような、とても冷めた目をしていた。
この場で最も豊富な人生経験の中で、もしかしたら何度も、似たような場面に立ち会ったことがあるのかもしれない。
徠斗は頭痛が起きているのか、眉間に指を当てている。
彩子の異常性は分かっているはずだった。だからこそ、話が通じる環境と舞台を用意したつもりだった。
徠斗の最大の誤算は2つ。
1つは、彩子を言って聞かせれば理解する人間だと思っていたこと。
そして2つ目は、この世には『自分の理屈と世界の中だけで生きる人』が存在すると知らなかったことだった。
もはや、ここまで来ると穏便な手段で彩子を説き伏せることは不可能に近い。
ミッション『他人の痴情のもつれをほどけ!』は、高難易度ミッションどころではない。明確な負けイベントだったのだ。
──どうすれば良い、何を言えば彩子を現実に引きずり降ろすことができる?
安直な暴力というデウス・エクス・マキナを頭から追い出し、徠斗は無駄に等しい思考を張り巡らせる中──、
「ねぇ、彩子。どうしても聞きたいことがあるんだ。答えてくれる?」
野々原の真っ直ぐで澄んだ声が、急遽この場を呑み込んだ。
「質問……はい、なんでしょう?」
「彩子は、俺のことが好き?」
「……ふふ、今更何を言うんですか? でもそうですね、今一度私たちの仲を理解させるためにも言うべきかもしれません。
えぇ、好きですよ。私はアナタが好きです。他の誰よりも……ううん、他人なんてどうでも良い。アナタだけが私の側に居てくれたら、それだけで幸せなくらい、アナタを愛しています」
聞く方が赤面してしまう程の真っ直ぐで大きな愛の告白も、状況次第でここまで恐ろしく聞こえてくるのかと、徠斗を始めとした場の全員が思った。
生コンクリートのような愛の濁流を浴びてる張本人──野々原だけは、表情を変えずに言った。
「じゃあ、どこが好きなの?」
最初、野々原の質問の意図するところが徠斗には分からなかった。
彩子の真似ではないが、そんな事を今更聞いてどうなるのだと。
同様の疑問は、巴や朝姫はもちろんのこと、渚も思っているのは、各自の表情から見ても明らかだった。
しかしその認識は、次の彩子の言葉で直ちに訂正された。
「……どこ?」
先程まで堂々としていたのが嘘のようにギクシャクしているのを聞いて、空気が変わったと、徠斗は直ぐに察した。
「答えて、彩子。君は今の俺の、どういうところが好きなの?」
「どういうところって……約束をしてくれた──」
「それは昔の話だよね? 俺は、今の話をしているんだよ」
「いまって……」
野々原が彩子に放ったのは、些細な問い掛けに過ぎない。
しかし、それが無敵の城塞にも等しい彼女の思考に対して、今まさに蟻の一穴を生み、彼女を現実に引きずり落とす大きな穴になろうとしている。
「今は……今の、アナタは、昔と同じで優しくて、私と……」
「君のことをさっき拒絶したのに? 約束のことだって覚えてないのに? そんな俺のどこが君に優しくしているの?」
「だって……それは……」
言葉に窮する彩子。
言えない。
言えないのだ、彩子は。
将来を共にすると決めていた、お嫁さんになると誓っていた野々原の好きなところを、彩子は答えられなかった。
「……昨日、度会に聞かれたんだ。どうして俺は君の気持ちを知ってからも、それを受け入れないんだろうって」
確かに、その問いは徠斗から野々原に掛けられた問いであり、今の彩子のように、投げかけられた野々原は答えに窮していた。
徠斗は野々原兄妹の様子から、2人の間に禁断の恋愛感情を感じ取り、それこそが理由であると思っていたが。
「ずっと考えて、何か引っかかって、それで今やっと、分かったよ」
野々原は右手を握りしめて、自分の胸を軽く2回叩いてから。
「君が好きなのは、昔の俺なんだよね」
2人の関係を終わらせるに等しい発言を、彩子に送った。
「……何が、言いたいんですか」
声色が凍り始めていることに、果たして彩子は自分で気づけているだろうか。
「俺と話すとき、君が口にするのはいつだって昔の話だった。何年前に何をしたとか、何年前と同じだとかね」
「それが何ですか? アナタのことを忘れていない、何よりの証拠ですよね?」
「最初は俺もそう思った。俺のことを覚えてくれてるのは、恥ずかしいけど嬉しかったよ。
でも、話している内に気づいたんだ。君は一度だって──今だって、君の眼の前にいる俺について、何も言ってくれなかった」
「その程度のことで、私の、気持ちを否定するつもりですか。くだらない」
彩子の言葉は強気だが、勢いは目に見えて無くなっていた。
対極的に、野々原は一言ごとに語気が強まっていく。
「それだけじゃない。俺が言う言葉を、君は全部頭ごなしに否定して耳に入れることすらしてくれない。今この瞬間だって」
「……っ」
「君は今の俺じゃない、過去の俺だけを見ていたんだ。だから昔と変わってる今の俺に興味なんて無くて、過去の延長線であり続けることしか求めてないんだよ」
矢継ぎ早に放たれる言葉は、憤りのようにも、悲哀の叫びのようにも聞こえた。
「もし、君が今の俺のことを少しでも好きで居たなら、俺は良かったんだ。
強引すぎるけど、そのくらい俺のことを好きだって人の気持ちに、応えたいって思えた」
しかし、実態は大きく異なっていた。
彩子が求めていたのは、野々原本人が覚えていない大昔の自分。
同じ野々原自身であるのに、彼女の瞳は、心は、常に自分を向いていながら別の方だけを見ている。
「だから彩子、もう一度さっきと同じ言葉を、俺は君に言う。
俺は君と結婚する気も、将来を共に生きる気も無い。
でもそれは、俺が約束を忘れていたからじゃない。
君が、俺を好きじゃないからだ。
俺を見ていない人を、俺は好きになれないし、一緒に生きることはできないよ」
再度、放たれた訣別の言葉。
しかし、それを受けた彩子の反応は、1度目とは大きく異なっていた。
「ちがう……違う……私は、そんなこと……」
空っぽな、無理やりひねり出したような言葉が、虚しくまほらを漂い消える。
血の気が引いて真っ白な顔、揺れて焦点が定まらない瞳、おぼつかない声。
ほんの数分前まで、徠斗が太刀打ちできないと感じた無敵の城塞は、幼子のひとつつきで脆く崩れる砂のお城に転じた。
野々原と『幼い頃に交わした約束と愛』によって一切の他者の介入と否定を受け入れなかった彩子は、それ故にこそ、野々原の言葉を否定できなかった。
「わたし、私は……」
野々原の言葉を否定しようと、彩子は思考を張り巡らせる。
今までの自分の言動を、野々原との時間を思い出し、普段はどうでもいいと海馬の片隅に追いやっていた他人との会話も掘り起こす。
そうやって、今まで向き合わなかったモノ、見ようと思う気すら無かったモノを見直して──。
「──あっ」
彩子は、自覚した。
「あ……ぁぁ、ああぁあぁぁ……っ!」
事実だった。野々原の言葉は、何一つ間違っていなかった。
彼女が愛しているのは、幼い頃の自分の孤独を救ってくれた『あの頃の野々原』であり、そのとき交わした約束が、朽梨彩子という人間の核だった。
「私、私の……約束──気持ちは──ッ!」
今の──時を経て、経験を重ね、変容した彼を受け入れることはつまり、『あの頃の彼』を濁してしまうこと。
あの日の約束を、その瞬間の感謝と喜びを、うわがきすることを意味する。
それは、この歳まで想いを貫いてきた彼女には、到底耐えられない所業であった。
「────────ぁああああああ!!!」
膝から崩れ落ち、頭を抱えた彩子の絶叫。
それは、朽ちることは無いと信じ続けてきた彼女の想いが、砕け散る音。
──失恋の痛みに、他ならなかった。
彩子さんは俺がヤンデレCDで一番好きなので、今回は汎ゆる意味で書いててしんどかったです。
それはそれとして次回、第1章の最終話です。
思ったより長くなってしまった。