五感を捨てて世界を救う。~色彩も、味も、温もりも。全部キミの明日を綴る火種にした~ 作:ねむ。
どろ。
泥だ。
灰色で、どこまでも甘い、匂い。
それが、僕を。
「……やだっ!」
身体が、動かない。
足元から、泥が。
「母さんっ!ハティっ!たすけ――っ!」
どろりと。
灰色が、囲んで。
そこに、いる。
母さんと。
ハティ。
「あ……あぁ……やだ……やだよ……」
僕を、抱き締めるように。
「やめ、て……や、だ……」
とけていく。
ぜん、ぶ。
「――やめてっ!」
バサっと、音が聞こえて。
目の前に、いつもの景色が。
僕の、部屋が、広がって。
はぁ、はぁ、と。
僕を包んでいた毛布が、湿っていて。
母さんの作業場に居るときみたいに、居心地が悪い。
すごく、あついのに。
すごく、さむい。
窓の外を見れば、いつもと同じ。
青と、まばらな白。
いつの間にか寝ていて。
嫌な夢を、見ていたみたいだ。
寝る前までのことは、覚えてる。
ヴェインと、母さんの、背中。
それと。
チリっと、首が熱くなって。
大きな、銀色の、ハティ。
それこそ、夢を見ていたんじゃないかと、思うけど。
首を触れば、指先に。
何本も巻きついたような、糸の跡が。
ハティとの、繋がりが。
ひとつになったことは、夢じゃないってわかって。
胸の奥が、温かくなった。
湿って体に引っ付いてくる毛布をどけて。
床に、足を下ろそうとして。
「こらっ!ハティ!」
母さんの声と。
ハティの、困ったような気持ちが。
流れてきて。
急いで、部屋を出た。
起きたばかりで、体が、重くて。
走っては、いけなかったけど。
壁に手をつきながら、廊下を曲がると。
暖炉の前で。
藍色の手に、お皿を抱えて。
それを守るように、変な恰好になってる母さんと。
身を伏せながら、それを見つめるハティが、いた。
「……かあさんっ」
「レイド!?こら、まだ寝てなきゃだめよっ!」
お皿を置いた母さんが。
ハティに、「もう少し待ちなさい」って、言いながら。
僕に、駆け寄ってきて。
「ぼくは、だいじょうぶ、だよ?」
「大丈夫じゃないでしょっ!もう、怪我だってあちこちにしてるんだから」
母さんが、ぺたぺたと。
僕の体を、さわって。
そこで、はじめて。
夢で見た、泥の甘い匂いじゃなくて。
甘い中に、すこし苦いような香りが、鼻にやってきて。
母さんの、手の先を見れば。
すこし、陽の光が溶け込んだ、布の切れ端が。
僕の体にたくさん、張り付いていた。
「……あっ」
「痛むでしょう?ほら、ご飯はもう少しかかるから、今はまだ寝てなさい」
「出来たらお部屋に運ぶから」って。
僕の頭を、撫でてくれて。
その手を、掴む。
やっぱり、つめたいけど。
すごく、すごく、あたたかい母さんの手。
「あ、ご、ごめんなさい。痛かった、かしら?」
母さんの声が、震えていて。
「……なまえ」
「名前……?ああ、もしかして、ハティのこと?」
「うん」
「ふふふ、そうよね。昨日、ヴェインくんに教えてもらったのよ」
今度は、楽しそうに。
また、僕の頭を撫でてくれて。
「ヴェインさんが……」
「ええ。本当に、良い子よね」
同じ高さで、藍色の瞳と、目が合って。
「レイドも、良い子だから、お母さんの言うこと聞いてくれるわよね?」
「……うんっ」
「ふふ、本当に可愛いんだから」
ぎゅっと抱きしめてくれて。
くるりと、僕を振り向かせてくれた。
「ハティ、この子をよろしくね」
クゥ、という鳴き声。
ハティが、寄り添ってくれて。
ちらりと振り返れば。
母さんの胸元で、小さく藍色の手が揺れていて。
それを見たら。
きゅうっと、胸の奥が狭くなった。
ハティの銀色に、手を置いて。
廊下を、歩いていく。
――傷が痛むのか。
羊毛の詰まった、柔らかい布の縁に座って。
ハティの金色と、目が合った。
「ううん……ほんとうに、だいじょうぶだよ」
すこし、じくじくとするけど。
我慢、出来る。
なにより、母さんに、心配をかけたくなくて。
――おまえの父と、母が、手当をしていた。
「……?ちち?」
――あのオスは、父ではないのか。
誰のことだろうと、思ったけど。
たぶん、ヴェインの、こと。
「ふふ、ちがうよハティ。ヴェインさんは、おとうさんじゃないんだ」
一瞬。
じりっと、頭の奥が、焼けて。
――大丈夫か。
「……ん。よく、わかんない」
でも、すぐになくなった。
――……ヒトは、むずかしいな。
「……そうなの、かな?」
足元に寄り添ってくれてる、ハティを撫でながら。
片手で、頭をさする。
なんで、焼けたんだろう。
ヴェインは、僕のお父さんじゃない。
僕は、最初から母さんと、ふたり――。
「……いたっ」
また、頭の奥が、焼けて。
ハティが、ふんって鳴いて。
僕の後ろに上がってきてくれた。
背中を、倒して。
「ごめんね。でも、ほんとうになんともないよ」
じとっと見られてる、気がするけど。
「前までは、ぼくと母さんだけだったけど」
銀色に顔を埋めて。
太陽の香りを、いっぱい吸い込む。
「これから……今日、からは――」
顔が、暖炉の火に当てたときみたいになって。
「――ハティも、かぞく、だよ」
ハティの頭が、僕に当たって。
それと。
母さんに、抱きしめてもらったときのような。
温かさに、包まれて。
ふわふわと。
すごく。
あたたかい。
がちゃりと、音がして。
「――おはようさんでーす」
それと、ヴェインの声。
びくっと、体が震えて。
部屋の入口を、見ても、そこには誰もいない。
「あら、おはよう。はやいわね」
母さんの声も、聞こえて。
どくん、どくんと、胸が鳴った。
金色と、目が合って。
「いやぁ、せっかくならエララさんの焼いたパンが食べたくてですね……」
「ふふ。もう、仕方ないわね。レイドたちのあとでもいいかしら?」
「それはもちろんっ!……ところで、レイドとハティは?」
そうか。
「さっきレイドが起きたけれど、寝室に戻したわ。怪我もあるから、もっとゆっくりしてほしいのよ」
これは。
「あー、そうですよね」
「ヴェインくん、狩猟隊は大丈夫なの?」
ハティに届いてる、声だ。
「そっちは副長に任せたんで。まぁ、村長様の言いつけが優先ですわな」
村長――グウィン様の、言いつけ。
なにか、嫌なことを。
言われたのかも、なんて。
「昨日の夜は、お互い相当危ない橋渡ったわけですし、これくらいは仕方ないってわけですよ」
「ええ。……ごめんなさいね」
「いやいや、謝らんでくださいよ。お目付け役って名目で、毎日エララさんに逢いに来れるんだ。俺はむしろ感謝してるんですよ」
「ふふ、もう……この子は……」
「むっ、俺は本気で言ってるんですよ?」
「はいはい、わかったわ」
お目付け、やく。
たぶん、僕と、ハティの。
「むしろ、おふたり……いや、ハティもいるから三人ですね。その間に、俺が入って邪魔じゃないか、心配で心配で」
「……ヴェインくんなら、いつでも歓迎だから気にしないでいいのよ」
がばっと、毛布を頭からかぶって。
「おっと、そのいつでも歓迎っていうのは、もしかして……?」
「ふふ、そういうのじゃないわよ。それに――」
ハティも、一緒に。
「……ん、その席がどうかしました?」
「……大事なものが、あったような気がしててね」
湿っていた毛布は、乾いていて。
「……と、申し訳ない。これは俺が踏み込みすぎちまいましたね」
「……私こそ、ごめんなさいね。でも、ヴェインくんの気持ちは、ちゃんと伝わってるわよ」
ぎゅっと、抱き着いて。
それと。
母さんの、言っていた。
「お母さんと、一緒ね」っていうのを、思い、出して。
ぎゅっと、胸が、苦しくて。
「……まぁ、『月節の宴』も近づいてますし、この任もそこで終わりってことになってほしいもんです」
「……ええ、そうね」
太陽の、匂いが、広がる。
僕の、せい、で。
クゥ、と鳴き声。
「レイドには、黙っていてね。あの子、自分を責めちゃうだろうから」
「もちろんです。しばらく休暇で、暇だからってことにしときますよ」
それと、ふたりの。
小さな、笑い声。
すごく、あたたかい、のに。
すごく、さむくて。
このまま、眠ってしまいたくて。
銀色を。
いっぱい。
いっぱい。
だきしめた。
( 'ヮ')<へいわなにちじょー。ふふ、へいわぁ。