五感を捨てて世界を救う。~色彩も、味も、温もりも。全部キミの明日を綴る火種にした~   作:ねむ。

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第一章第八話(2)

 ハティと二人で石段を駆け上がる。

 

 風が、時々ヒュウ、ヒュウ、と嫌な音を鳴らす。

 

 扉の取っ手を掴んで、思いっきり押せば。

 

 暖かい部屋の空気。

 

「あら、レイドにハティ。お帰りなさい、早かったのね」

 

 笑顔の母さんが、迎えてくれて。

 走って、そのまま抱きつく。

 

「あらあら、レイドは甘えん坊ね」

 

 そう言いながら。

 僕のことを抱きしめてくれて。

 

 嫌な気持ちが、次第になくなっていく。

 

 すぅっと、息を吸い込めば。

 『リトスの雫』の甘い匂いと。

 暖炉の煙の匂いが広がって。

 

「ヴェインくんは一緒じゃなかったのね?」

 

「……うん、本部に行くんだって」

 

「……そう」

 

 母さんの手が、僕の背中を撫でて。

 

「そのうち来るのでしょうし、おいしいもの作っておかなくちゃね」

 

 頭を撫でてくれた手が、首筋に。

 

 どきっとして、離れようとしたけど。

 

 ぎゅっと抱きしめられていて。

 

「……ここだけ、治らないわね」

 

 糸の跡。

 

 僕と、ハティの、証。

 

「……うん」

 

 耳の奥が、どくどくうるさくて。

 母さんの、寂しそうな声が。

 

「ねぇ、レイド――」

 

 体が離れて。

 僕と同じ、藍色の瞳が、真正面に。

 

「――あの日……」

 

 それは、揺れてるように、見えて。

 

「…………ふぅ、いいえ。なんでもないわ」

 

 目をつぶったかと思えば。

 母さんは、いつもみたいに笑って。

 

「お母さん、疲れてるみたい。ごめんなさいね、レイド」

 

 胸の奥が、じくじくと痛い。

 母さんにはやっぱり、見られてたんだ。

 

 たぶん、今。

 母さんは――。

 

「……だい、じょうぶ……?」

 

「ええ、大丈夫よ。本当にごめんなさいね」

 

 また、僕の頭を一撫でして。

 ハティを手招きしていた。

 

 僕の近くに伏せていた彼は。

 素直に、母さんの傍に寄って行って。

 

 大きな木桶に、めい一杯に張ってあるお湯と布。

 母さんは、それを使って。

 ハティの足を、ゆっくりゆっくり拭っている。

 

 うちにハティが来てから。

 自然と、母さんがやるようになったこと。

 

「ふふ、気持ちよさそうね」

 

 母さんは、鼻歌を歌いながら。

 ハティは、気持ちよさそうに目をつぶって。

 僕は、椅子に座って、少し離れて眺める。

 

 これが、もう。

 僕たち家族の毎日に、なっている、ような。

 そんな、優しさしかない、場所。

 

 でも。

 

 さっきの母さんの目が。

 

 忘れられなくて。

 

 母さんの、藍色の手。

 ハティの足を、一本一本。

 優しく拭ってる、手。

 

 毎日、『淵の工区』で。

 『リトスの雫』を潰して、村のみんなの服を染めてる、手。

 

 優しくて。

 冷たくて。

 あたたかい。

 

 さっき、僕を抱きしめてくれてたときに。

 

 すこしだけ。

 

 震えていた、手。

 

 なんだか、そわそわして。

 右に左に、体を揺らして。

 

 また、母さんの藍色と、目が合った。

 

「あらあら、レイドは元気ね。お夕飯、我慢できない?」

 

「――が、我慢できるっ!僕だって、こどもじゃ、ないんだからっ!」

 

「ふふ、そうよね。レイドも、もうすぐ大人、だものね」

 

 母さんは、そう言って。

 また、ハティの足を拭うことに戻った。

 

 じっと、見つめていると。

 

「…………ねぇ、レイド」

 

 漆黒の髪、僕と同じ。

 それで、目は見えないけど。

 

「……急いで大人になろうとしなくても……いいのよ」

 

「……母さん?」

 

 母さんの手は、動いてて。

 

「……お母さんはね」

 

 ハティの足の指の先まで、丁寧に。

 ついた泥汚れを、取り除いて。

 

「あなたが、笑っていてくれるのが、一番幸せなのよ」

 

 最後の一本を、拭き終わって。

 

「よし、これでいいわね。ハティ、今日もいっぱい走り回ったのね」

 

 母さんの手が、ハティを撫でて。

 ハティは、気持ちよさそうに目を細めてるけど。

 

 ずきずき、胸の奥が。

 ずっと、ずっと。

 

 なにかに握りつぶされてるように。

 

「レイド、すぐお夕飯の準備しちゃうわね」

 

 僕のほうを向いた、母さんは。

 やっぱり、いつもみたいに笑ってて。

 

「……うん」

 

 それを見るたび、握りつぶされて。

 

 がちゃりと。

 僕とハティが入ってきたほうじゃなくて、裏口のほう。

 扉が、開いて。

 

「――ふぇー、つっかれたー」

 

「あら、ヴェインくん。おかえりなさい」

 

「ふへへへ、ただいま戻りました」

 

 ヴェインが、入ってきて。

 母さんと、仲良さそうで。

 

 違う意味で、胸が痛んだけど。

 不思議と、あたたかく、なって。

 

 少しだけ、嫌だけど。

 

 嫌、だけど。

 

 なんだか、嬉しくて。

 

「おー?なんだぁ、レイド。なんかすっげぇ辛気臭ぇ顔してんなぁ」

 

 「おりゃおりゃ」って言いながら、僕の頭を撫でてきて。

 

 手で、思いっきり脇を突いて。

 

「――あでっ!?」

 

「僕、本読んでくるねっ!ハティ、いこっ!」

 

「お夕飯出来たら、呼ぶわねーっ!」

 

 椅子から飛び降りて、そのまま。

 宝箱の部屋に入れば、羊皮紙の匂いが広がってて。

 

 大きく息を吸えば。

 すごく、落ち着く。

 

「……ハティ、ちょっとだけ、いい?」

 

 そう言えば。

 ハティは、仕方ないやつだっていう想いを流してきつつ。

 僕の近くで丸まってくれて。

 

 その、銀色に抱き着いて。

 また大きく息を吸えば。

 体いっぱいに、太陽の香りが、広がって。

 

 少しだけ、目の奥があつくなって。

 銀色が濡れるけど、ハティはきっと。

 許してくれるから。

 

 すこしだけ、ほんの、すこしだけ。

 

 今は、甘える。

 

「……嫌われちまったんですかねぇ……?」

 

 ぴくりと、体が震えて。

 

「ふふふ、むしろ好かれてると思うわよ?」

 

「そんなもん……なんですかねぇ……?」

 

 ふたりの話し声が、ハティの耳に。

 僕の耳に、勝手に、届いて。

 

「……それにしても、なにかありました?エララさん――」

 

「――なにも、ないわよ?ありがとうね、ヴェインくん」

 

 ヴェインの、少し低い声と。

 

 母さんの。

 

「でもエララさん、声が――」

 

「本当に、なにもないわ。大丈夫よ」

 

「……そう、ですか……」

 

 震えた、声。

 

「……俺でよければ、なんでも聞きますんで」

 

「ふふ、ありがとう。ヴェインくんは、優しいわね」

 

 ぎゅっと、銀色に顔を埋めて。

 

 母さんも、ヴェインも。

 みんな、あたたかい、のに。

 

 なんだかみんな、苦しんでるように。

 ずっと、なにかに引っ張られてる、みたいに。

 

 ぎゅぅっと、胸の奥が。

 

 なにかに握りしめられて。

 

 苦しくて。

 

 痛くて。

 

 少しでも、柔らかくなるようにと。

 

 太陽の香りをまためいいっぱい。

 

 体全体に、広げた。




( 'ヮ')<これは家族の心温かい話、そうに違いない。
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