五感を捨てて世界を救う。~色彩も、味も、温もりも。全部キミの明日を綴る火種にした~ 作:ねむ。
ずっしりとした丸太の重みが、腕をじりじりと焼く。
抱えてる薪は、所々がささくれていて。
とげが刺さっているようで、少し痛い。
「……よしっ。母さん、これで全部だよ!」
村の最下層にある、母さんの作業場――『淵の工区』。
上のほう、僕の家がある辺りとは違う。
大釜で煮られてる汁から出る、鼻をツンと突くような匂いと。
藍色の蒸気が、溜まってる。
空気がどんよりとしていて。
いつ来ても、肌に水滴がついてしまう。
その一画に、最後の一束をどさりと、放り出した。
薪の束は想像していたより、ずっとあって。
着ている服も、体に張り付いていて、少し居心地が悪い。
母さんのほうを見れば。
石の台の前で、藍色の花――『リトスの雫』に、木の棒を振り下ろしていた。
母さんの背中は、家で見るのとは違って。
ただただ無心で、木の棒を振り下ろしているのに。
どこか切実に、祈りを捧げてるような。
そんな感じがする。
でも。
母さんが、『リトスの雫』を叩き潰すたび。
べちゃっという、生き物の傷口を広げるような。
湿った音が、響き続けていた。
ちょっと、苦手な音。
「母さーん!薪運びー!終わったよー!」
さっきよりも大きな声で、呼びかけてみる。
すると、鳴っていた嫌な音がなくなり。
叩きつけていた棒を置いた母さんが、振り向いた。
「お疲れ様、レイド。ごめんなさいね、お母さん集中しちゃっていたわ」
そう、ふわっと微笑んで。
しっとりと濡れた前髪を、腕で払った。
母さんのエプロンは、藍色の飛沫が。
無数の斑点となって、こびりついている。
母さんのお仕事――『冷藍の手』。
藍色の手を持つ者は、冷たくも温かい手を持つ者。
そんな風に言われてる。
僕の近くまで来て、頭を撫でてくれる、その手は。
釜の火がゴーゴーと、音を立てて燃えていて。
作業場に居るだけで、吸う空気が薄いように思うのに。
すごく冷たいけど
でも、温かい。
やっぱり嬉しいけど。
なんだか、心のどこかが、ぽっかり空いたような。
そんな、居心地の悪さ。
「母さん、お仕事は順調?」
「ええ。レイドが手伝ってくれたから、すごく進んだわ」
優しく微笑んでくれる、母さんの肘から下の藍色。
さっきまで撫でてくれていた手も、そうだけれど。
熱が、感じられない。
母さんの熱は。
さっきまで絞っていた『リトスの雫』の汁と一緒に。
一滴残らず、移されているようで。
僕はつい、目を逸らしそうになった。
「ほかに、僕にできること。ある?」
「今日はもう大丈夫よ。本当にありがとう、レイド」
前に、僕にも絞るお仕事とか。
服を染めるお仕事を手伝わせてほしい、とお願いしたとき。
母さんは困ったように笑って。
「もう少し大人になったらね」、なんて。
その時も、僕の頭を撫でてくれた。
いつか母さんのお仕事を。
僕がするようになると、思うけれど。
その時、母さんが隣に居てくれるか、わからなくて。
ぎゅっと、母さんの藍色の手を、握りしめる。
「あら、どうしたのレイド?また、頭を撫でてほしい?」
「……ううん。母さんが、どこかに行っちゃいそうで……」
「ふふふ、不思議なレイド。大丈夫よ、お母さんはどこへも行かないわ」
そう微笑みながら。
「ほら、ニコくんと約束があるんでしょ?遅れちゃうわよ」
「……そうだったっ!」
僕は、繋いていた手を放す。
「ニコのところに行ってくるね!母さんも、ちゃんと休憩するんだよっ」
「ふふ、ええ。怪我には気を付けるのよ」
作業場の石の扉まで駆けだして。
その前で、足を止めて、母さんのほうをちらりと見る。
母さんはまた棒を持って、『リトスの雫』を叩き始めていた。
また嫌な音が、作業場に広がる。
僕はゆっくりと、引き返した。
ポケットの中で、コンパスがずっとチリチリっと震えている。
朝の時とも、白い岩の時とも違う、震え。
取り出して、ちらりと見れば。
母さんの背中側。
大きな釜の、その奥。
僕が向かってる、『隙間』を指していた。
母さんに見つからないように。
嫌な音に、まぎれて。
ゆっくりと、『隙間』に近づく。
作業場を掃除していた時に、偶然見つけた、その『隙間』。
ちらりと、母さんのほうを見る。
僕には気づかないで、ずっと『リトスの雫』を叩いている。
それに少し、ほっと息をつく。
『隙間』をのぞき込んで、あまりの暗さに。
あと一歩が、すぐに踏み出せない。
別に、今日じゃなくても、いいような。
今日はニコとの約束も、ある。
明日でも、大丈夫なんじゃないかな、とか。
ぐるぐると、頭の中で、言い訳みたいな思いが湧いてくるけれど。
また、コンパスがチリチリっと震えた。
それは、僕に中に入れと言っているようで。
ごくりと、息を呑む。
僕の身体で、やっと通れそうな、そこ。
身体を、無理やりねじ込む。
周りの湿った石の壁が、僕の肺を圧迫した。
――っ、く、くる……しい……っ!
肺の中の空気を一度吐き出して。
そうしないと、この狭いところは、通れない。
鼻の奥を、長い間降り積もった埃の、カサカサとした乾いた匂いがこびりつく。
服の袖が岩の肌に引っかかり、布が引き裂かれる音が響く。
この音も、母さんの叩く木の棒に掻き消されていてほしい。
ここで母さんに見つかったら、どんなことを言われるか。
ニコとの約束も、破っていて。
きっと、ちゃんと謝れば、ニコは許してくれると思う。
僕は、爪が剝がれそうなほど、指先に力を込めて。
その痛みで、ぐるぐる回る思いを、全部上書きしながら。
冷たくて、どこか湿った岩にしがみつきながら、身体を滑らせ続ける。
母さんが、いつも焼いている一つ多い、パン。
ニコの近くにあった、白くなった岩。
その秘密が、この先にあるような、気がする。
服を引き裂かれるたび、自分の身体も傷んで。
暗くてわからないけど、どこかに傷が出来ていそう。
それでも、気にしない。
今はとにかく、この先に。
進みたい。
不意に。
左右の圧迫感が消えて、息苦しさがなくなった。
――真っ暗だ。
すごく、静かで。
すごく、涼しい場所。
なんとか膝を立てながら、壁際を辿る。
途中で、なにか硬いものに当たって。
指先が痛くなる。
ザラザラとした壁をなぞっていると。
ふと、突起のようなものに触れて。
それを、強く押し込んだ。
( 'ヮ')<突起を押したら爆発とかしないよね?