五感を捨てて世界を救う。~色彩も、味も、温もりも。全部キミの明日を綴る火種にした~ 作:ねむ。
――走る。走る。はしる。
村と森との境界線。
しろい、不変石が広く撒かれた、そこ。
いつもなら、越えない。
越えたくない、線。
でも、体が、足が、止まらない。
ただただ、止まれない。
だって、呼ばれたんだ。
――ウオオオオォォォォォォォォォオオオンッ!!
本の山で聞いた、あの時よりも。
はっきりと、聞こえる。
その、声。
「――今、いくから」
暗い、昏い、森。
『迷いの森』。
大人になるまで、入っちゃいけない、場所。
今は、関係ない。
森の、奥のほう。
そこに、大事なものが、ある気がして。
線を越える、そのとき。
ぴたりと、足が、止まった。
この先に行ったら、よくない気が、する。
どろりとした、粘り気のある油のような。
気持ち悪さが、背中にはしって。
蒼と、白の、二つの月が、見える。
息が、うまく、できなくて。
じっと、空を見上げる。
やっぱり、帰ったほうが――。
母さんも、きっと、心配してる。
後ろを、振り向こうとして。
その時。
ズンンッと、ポケットが、響いた。
びくっと、震えてしまう。
いつの間にか赤くなっていた指を、ポケットに突っ込んで。
奥にしまったコンパスを、取り出した。
その、針は。
森の奥のほう、昏いほうを、指していて。
やっぱり。
呼ばれてるんだ、僕は。
「――――――」
しろを、越えた。
空気が。
一粒一粒、喉に、張り付いて。
すごく、気持ちよくて。
すごく、怖い。
この森は、村よりも、ずっとずっと、暗くて。
でも、なんでかは、わからないけど。
すごく、キレイだと、思った。
歩くたび、かさりかさりと音がして。
月の光が、ないはずなのに。
森が、木が、光って見える。
光を忘れた、土の匂い。
ねっとりとした、その匂いが、あとに残る。
ゆっくりと、歩いて。
森の奥を、見る。
そこに、なにかが、いる。
それが、僕を、呼んでる――はず。
握りしめたコンパスを、またポケットに入れて。
足元の、木の根を、越える。
――ウオオオオオオオォォォォォォォオオオオンンン!!!
ほら。
呼んでるんだ、僕を。
「ごめん、すぐ、いくよ」
足を動かして。
体の熱のまま、また走る。
喉の奥を、直接掻きむしられるような。
熱い鉛が、体中を回るような。
あの呼び声のところに。
あの、助けて欲しそうな
声の、ところに。
僕が――僕を、呼んでる、声のところに。
腐りかけた木の根も。
長い長い、草も。
沈み込む土も。
全部全部、今は邪魔で。
母さんの手伝いと。
ニコとのかけっこと。
体を、動かしてる。
走ってる、はずなのに。
すごくすごく、遅くて。
はやく、いかないと、いけないのに。
ニコみたいに、速ければ――。
「――ぁぐっ!?」
なにかに、足が引っかかって。
地面に、ぶつかった。
「……ぅぅっ……ぺっぺっ」
口の中が、すごく苦い。
手のひらと、腕と、足が。
じんわりと、熱くなって。
すごく、痛い。
――帰りたい。母さんに、抱きしめて欲しい。
ぎゅっと、目を瞑る。
今は、行かないといけない。
あの遠吠えは。
あの遠吠えを。
助けて、あげないと、いけない。
「……うぅ、ぐっぅっ!」
地面に手をついて。
支えにしながら、立ち上がる。
体が、重い。
でも、足を、動かす。
胸の中の熱さは、全然なくなってなくて。
さっきよりも、遅いけど。
ただただ、走る。
なによりも早く、行かないと。
だって。
森に入って、かなり経ってるのに。
もう、声が。
聞こえてこない。
聞こえ、ないんだ。
「はぁ……はぁ……」
息が、うまく、出来ない。
周りの木も、変わらなくて。
自分が、今、どこにいるのか、わからない。
でも、走っている地面は。
柔らかい土じゃなくて。
ざりざりとしていた。
それは、石が細かく砕けて、砂利になっていくときのような。
芯がなくて、いつ崩れてもおかしくない。
そんな、感覚。
よく見れば、周りの木も。
だんだん、木としての温度を感じない。
どこか、色がなくなって『白』に近づいているような。
僕が走っている場所は。
気が付けば、森というよりは。
灰色の墓場のような場所に、変わっていた。
視界がふっと開けて。
月の光を遮っていた木も。
あちこちにあった、草も。
そこだけ、なにもない。
ところどころ、地面がひび割れていて。
蒼と、白、二つの月が照らす――。
――円形の、広場。
その、光の中。
真ん中から、少し離れた、場所。
『彼』、あるいは『彼女』が、いた。
銀色の毛で、月の光を反射する、僕くらい大きい狼。
でも、その姿は。
本当なら、綺麗なはずの、それは。
後ろ足から腰にかけて、銀よりも灰色で。
中央から点々と、灰色の、どろりとした跡が続いている。
それを、見ていくと――。
どろどろと、すべてが、崩れていた。
『銘剥』――。
ヒトも、動物も、植物も、物も。
全部、灰色の泥になる。
死ぬよりも、恐ろしいこと。
狩猟隊の人が泥になったあと。
母さんが、ひっそりと、教えてくれたこと。
あれが、あのどろどろが。
そうなんだ。
きっと、この場所も、もともとは森で。
そのすべてが、灰色に染まる直前で。
「……っ!」
思わず、鼻と口を、ふさぐ。
雨に濡れた、古い墓所の土のような。
甘ったるくて、気持ちの悪い、腐った匂い。
それが突然、飛び込んできて。
でも、目だけは、自然と狼に。
彼の――地面に横たわって、今にもいなくなってしまいそうな――。
その、金色の瞳から、目が離せなくて。
彼は、あの狼は。
中心の、灰色から逃げ出そうとして。
少し離れた場所で、進めなくなったんだ。
でも、死のうとしているわけじゃ、ない。
瞳が、金色の、あの瞳が。
『生きたい』って。
『死にたくない』って。
そう、言ってる。
僕には、わかる。
だって、今も。
動かない体を、前足を、必死に、歯をむき出しにして。
少しでも前にと、少しでも離れようと。
進もうと、しているんだ。
それを、見ていて。
凍り付いて、一歩も進めなかった僕とは。
正反対で。
僕が、ここに来た理由を、思い出した。
そうだ、僕は。
彼を、助けに、来たんだ。
それなら、どうして。
こんな、遠いところで、止まっているんだ。
僕に、なにができるか、わからないけど。
近くに、行かなきゃ――。
( 'ヮ')<レイドくん!勇気を出すんだレイドくん!