霞む世界の先に見えるもの 作:雪白
夕闇が迫る獣道を秋嵐はひたすらに駆け上がっていく。
「はぁっ、はぁっ」
肺が焼けるような感覚。口の中には鉄の味が広がっている。
昨日の明け方、家を出てから、ほぼ休まずに2日近く走り通しだった体はとうに限界を越えていた。
それでも歩みを止めることなく、地面を蹴る。
一刻も早く村に着いて、戦況を伝え家族を守らなければならない。
その思いが秋嵐を突き動かしていた。
かつて父と共に山を駆け回っていた頃の記憶と、山を知り尽くした“猟師”としての勘を元に、常人離れした強靭な脚力と霧の民の“歩法”を駆使して、最短距離で谷を超え、岩壁を登る。
次の瞬間、足元の岩場が崩れる。
だが、秋嵐は慌てることなく、空中で身を捻り崖に生えていた木の根を掴んだ。
「…!!」
そこからは谷底を通る道の全貌が見えた。
秋嵐はその異様な光景に息を呑む
谷底の道……“崤函古道”は既に大量の兵と軍馬によって埋め尽くされており、秦国のものではない軍旗がはためいていた。
軍馬のいななきと地鳴りのような足音が風に乗って、秋嵐のところにまで届いていた。
(嘘だろ……!もう、ここまで来てるのかよ……)
もし、道を逸れた兵がいたら………。
誰かが“霧”の隠れ里に繋がる道を見つけてしまったら………。
秋嵐の血の気は一気に引き、心臓が早鐘を打つ。
(霞……!母様……、父様……!!)
脳裏に浮かぶのは愛する家族たち。
秋嵐は虚空を睨むと反動をつけて、崖の上へと飛び上がった。
-同時刻・秋家ー
秋霞は二つの人形を手にして、ちょこちょこと動かす。
「ふぉっふぉっふぉー。ワシがおうさまじゃー」
「キャー!おうさま、ステキー!」
秋霞は兄の真似をして二体の人形を動かしながら、一人二役で声を出す。
だけど、すぐにむぅ…と唇を尖らせ、床に寝転がった。
(全然たのしくない……)
兄が動かす人形はもっと面白いのだ。
声色も役に合わせて変えてくれて、動きももっと大袈裟で……。
「にいさま、まだかな……」
(きょうのよるまでにかえるっていってた)
そしたら明日は一日遊んでもらえるのだ。
秋霞の好きな人形遊びをいっぱいしてくれると約束したのだ。
明日は王様ごっこかしら。それとも、お姫様と悪い魔物のお話?
秋霞は大好きな兄と過ごす時間を想像し、くすくすと笑う。
「霞は本当に兄様が好きなのね」
「うん!だーい好き!」
いつも一緒に遊んでくれて、寂しい思いをしてる時には頭を撫でてくれて、狩りもお上手で……。
秋霞にとっては世界で一番格好良い、大好きな“兄様”だった。
才は「そう…」と言って微笑むと、再び夕餉の支度へと戻っていく。
その時だった。
(あれ……?)
秋霞は首を傾げる。
今、床が揺れたような気がしたのだ。
ズズズズンッ_____
ドドドっ______
「きゃっ!?」
『敵襲ゥゥゥッ!!』
直後、見張り台の方から襲撃を知らせる鐘の音がガンガンガンッと鳴り響いた。
「霞…!」
血相を変えた母が秋霞を力任せに抱き寄せる。
父も険しい表情で、その手には代々受け継がれる族長の“剣”が握られていた。
「…あなた!」
「ああ…。お前たちは中にいろ!外に出るんじゃないぞ!」
そう言って父は足を引き摺りながら、外に出る。
「秋雨!…秋嵐はまだ帰らんのか!」
「ああ…」
「くそっ…何だってこんな時に……」
戸は閉められ、家の中には才と秋霞が取り残される。
外から聞こえてくる足音と馬のいななき、怒号、金属同士がぶつかる音に秋霞は身を竦ませ、涙が滲む。
「かあさまぁ……」
「大丈夫よ。大丈夫よ……」
母はそう言って背中をさするが、その手は震えており、顔面は蒼白だった。
すると、近くで何かが破壊されるような音と悲鳴が聞こえ、二人はビクリとする。
「こわいよぉ……。かあさま……」
とうとう堪えきれずに、秋霞の瞳から涙が溢れる。
それでも、見つかるまいと大声で泣きたいのを必死に我慢し、人形を強く抱きしめる。
(にいさま……っ!)
秋霞は未だに帰らぬ兄に思いを馳せる。
自分が泣いたらすぐに駆けつけてくれて、怖い思いをしたら安心するまでずっと側にいて頭を撫でてくれた。
世界一強くて格好良い、世界でたった一人の秋霞の“戦士様”。
(にいさま、たすけて……!!)