白尾エリの召喚事故   作:スルメスメル

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理の外に在りし者

 

俺は少女の顔を静かに見つめた。

 

「えっと……」

 

だが、その少女──エリは気恥ずかしそうに俺から顔を逸らし、その手に持つ魔導書で顔を隠す。

 

「どうした?」

 

俺がそう問うと、彼女は魔導書からチラリと顔を覗かせ、不思議そうな表情で問い返してきた。

 

「……貴方が異界から訪れた超常の存在、なのでしょうか……?」

 

「ふむ」

 

さて、どう説明したものか。

 

異界から訪れたのかと問われれば、それは正しい。だが、それは単に彼女達が認識するような異世界から来たという意味ではない。なにせ、真に『世界』という枠組みの外から来たのだからな。

 

しかし、そうだと説明したところで理解は得られまい。ゆえに、俺はエリに敢えてこう返した。

 

「そうだと言ったら?」

 

「じゃ、じゃあ……この魔導書、本当に本物の魔導書だったんですね!!やっと、やっと本物に巡り合うことができた……にゅふふ。これでカノエ先輩達に胸を張って、現代最後の魔法使いを堂々と名乗れます!」

 

俺の言葉を聞いたエリが立ち上がり、キラキラと目を輝かせながらも、興奮した様子で言った。

 

そして一頻り喋った後、俺を待たせていることに気づいた彼女が、恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 

「あっ。す、すみません。つい勢いで……えっと。今、気づいたんですけど……超常存在さんについて色々、お聞きしても大丈夫ですか?その、お名前とか」

 

くはは。超常存在さん、か。

 

なかなかどうして、面白いことを言う。俺としても、こういった類の存在は嫌いではない。そして断る理由もないので、俺は正直に名を名乗った。

 

「アノス・ヴォルディゴードだ」

 

「アノスさん、ですね。ああ、申し遅れました!私はワイルドハント芸術学院所属、オカルト研究会の白尾エリと申します!それで、アノスさんについて更にお聞きしたいことがあるのですが……」

 

「構わぬ」

 

聞きたいこと、か。

 

といっても大凡、見当はつくがな。彼女の性質、性格からして恐らくは──

 

「……アノスさんは魔法を使えますか?」

 

やはりな。

 

根源の記憶を辿ってみれば、このキヴォトスでは魔法とは架空の存在──彼女に合わせて言うのであれば、いわゆるオカルトに分類されるもの。

 

そもそもエリがオカルトに傾倒するようになったのも、得意だった絵画での挫折がキッカケだ。ゆえに現状打破を期する目的もあり、魔法などのオカルトに熱中するようになったのだという。

 

であれば、創術家であるファリスを紹介してやりたいところだが……生憎、彼も先の大戦で滅びた。いつ転生できるとも分からぬ身だ。無闇に期待させて、落ち込ませるような真似はできぬ。

 

だが──

 

「使えるぞ」

 

「本当ですか!」

 

再び、エリは目を輝かせた。

 

「嘘はつかぬ」

 

「じゃあ簡単な魔法でいいので、私に見せてもらえませんか……!!」

 

「構わぬ。しかし、その前にこちらからも聞きたいことがある」

 

俺がそう言うと、エリは首を傾げた。

 

「……聞きたいこと、聞きたいこと……ハッ!ま、まさか……!!!」

 

彼女ははっとした様子で顔を強張らせる。

 

「願いの代価に生贄が必要だったり……」

 

俺を何だと思っているのだ。

 

「何と勘違いしているのか知らぬが、俺が聞きたいのはお前についてだ」

 

「私について?」

 

「ああ」

 

俺は一拍、間を置いた。

 

根源の中に溶け込んだ憑依者の知識。

 

その奥底に確かにあった白尾エリという人物像。それを照らし合わせるまでもなく、彼女がこの場で纏う気配が既に多くを語っている。

 

魔導書を抱えて魔法に縋る姿。

 

オカルトという、この世界では眉唾とされる領域へと身を投じる動機。そして何より──先程から時折、自らの手元へと落とす視線の中に滲む、ほんの僅かな翳り。深淵を覗くまでもない。

 

ただ、目を凝らせば分かる程度のことだ。

 

俺はゆるりと口を開いた。

 

「お前は入学前まで、自身の画力に自信があった」

 

「……っ……」

 

エリの肩が、ぴくりと震えた。

 

「しかし、ワイルドハントに入学してからというもの、周囲の生徒達のレベルが自分よりも上であったことを思い知らされ、自信を喪失してしまった」

 

魔導書を抱える指先に、力がこもる。

 

「違うか?」

 

「…………」

 

エリは答えなかった。

 

ただ、視線が落ちていく。

 

先程まで蝋燭の灯りを反射してキラキラと輝いていたその瞳が、ウィザードハットの影に隠れて見えなくなる。彼女の足元。術式の痕が消えかけた床へと、その視線は縫い止められていた。

 

「……どうして、それを……?」

 

やがて、絞り出すような声が漏れた。

 

「魔王だからな」

 

俺は端的に、そして何ともなしに言った。

 

実際のところは根源の深奥にあった知識だが、それを律儀に説明したところで信じはせぬ。何より、彼女が問うているのはそういうことではないからだ。エリは俯き、小さく唇を噛んでいた。

 

「……そう、ですね」

 

くぐもった声だった。

 

「絵が好きだったんです。子供の頃から、ずっと。皆も、私の絵を褒めてくれて……だから、もっと上手くなりたくて、ワイルドハントに入学して」

 

魔導書を抱える腕に、ぎゅっと力がこもる。

 

「でも、入ってみたら、皆……皆、私よりずっと、ずっと上手くて……でも、何で皆が上手なのか、ぜんぜん分からなくて……」

 

ぽつり、ぽつりと言葉が落ちていく。

 

「……だから、オカルトに逃げたんです。魔法が使えるようになったら、もしかしたら、何か変われるかもしれないって。そう、思って」

 

声の終わりが、震えていた。

 

「……すみません。こちらから勝手に喚び出したのに、こんな暗い話を聞かせてしまって………」

 

エリは慌てたように顔を上げ、無理に笑顔を作ろうとした。ウィザードハットの下で、白い前髪が震えている。俺は、思わず喉を鳴らした。

 

「逃げた、か」

 

「……はい」

 

「くはは、なるほど。お前は自身のことを、随分と低く見積もる癖があるようだな」

 

「えっ……?」

 

エリが瞬きをした。

 

「いいか、エリ」

 

俺は彼女の名を呼ぶ。

 

「絵筆を持つ手が一度折れたからといって、その指がもう描けぬと決まった訳でもあるまい。挫折と諦観は別物だ。お前は前者を経験したに過ぎぬ。後者へ至るかどうかは、まだ何一つ決まってなどいない」

 

「……」

 

「それに、だ」

 

俺は一歩、彼女へと歩み寄った。

 

蝋燭の炎が揺れ、影が床を伝う。エリは身を強張らせたものの、逃げようとはしなかった。ただ、不思議そうな顔で俺を見上げてくる。

 

その白髪に、ウィザードハットの上から──俺は右手を、そっと置いた。

 

「ふぇっ……?」

 

エリから素っ頓狂な声が漏れる。

 

帽子越しに、僅かな温もりが伝わってくる。

 

子供のように小さな頭だ。俺は構わず、その頭の上で魔法陣が描いていった。それは蝋燭の灯りとも異なる光、魔法陣が発する深き紫光──

 

「あの、アノスさん……?これは、いったい」

 

「動くな」

 

俺はそのまま、彼女の根源の深淵を覗き込む。

 

そうして見えてきたのは、彼女が絵筆を握り続けた十数年分の積み重ね。幼い頃から重ねてきた線の一本一本、色の一筆一筆。

 

それらは決して消えてはいない。ただ、自信の喪失という重しに押し潰され、その本来あるべき高さまで届かなくなっていただけのこと。

 

要するに、彼女の力は彼女自身の心が抑え込んでいた。ならば、その抑えを外してやればよい。

 

魔法陣がゆっくりと光量を増し、魔法がエリの根源の奥底へと染み込んでいく。

 

眠りに就いていたものを呼び覚まし、堰き止められていたものを解き放ち、本来そこに在った彼女自身の力量を本来あるべき形へと引き上げる。

 

ただ、それだけの魔法だ。

 

「……あ」

 

エリが、小さく声を漏らした。

 

「……なんだか、温かいです」

 

そこで俺は手を離した。

 

エリは目を開き、瞬きを繰り返した。そして自らの手を見つめ、握ったり開いたりしている。

 

「あの……何を、したんですか?」

 

「なに、大したことではないぞ」

 

「……?」

 

彼女の疑問に俺は答えた。

 

「すぐにわかる。そこに紙と筆はあるか?」

 

「えっ。あ、はい!ありますけど……」

 

エリは慌てて机の上から一冊のスケッチブックと、一本の鉛筆を取ってきた。

 

「描いてみるがいい」

 

「何を、ですか?」

 

「何でもいい。お前が描き慣れたものでいい」

 

「は、はぁ……?」

 

エリは床に膝をつき、スケッチブックを膝に乗せた。鉛筆を構え、僅かに躊躇った後──線を引き始める。最初は戸惑いがちな動きだった。

 

しかし一本、また一本と線が重なっていくにつれ、手の動きが次第に変わっていく。迷いと淀みが消え、ただ素直に筆が紙の上を滑っていく。数分も経たぬうちに、エリの手が止まった。

 

「えっ」

 

掠れた声が漏れた。

 

スケッチブックに描かれていたのは、机の上に置かれた一輪の花だった。蝋燭立ての横に何気なく挿してあった、それだ。だが──

 

「……嘘」

 

呟いたのは、エリ自身だった。

 

紙の上の花は、鉛筆一本のみで描かれたとは思えぬほどに生きていた。

 

花弁の一枚一枚に確かな質感があり、葉の重なりには光と影が宿り、茎の曲線には風に揺れる前の僅かな張りまでもが描き込まれている。

 

ただの写実ではない。

 

そこには花を見つめる者の眼差しが、描き手の感情が確かに焼きついていたのだ。

 

「これ……私が、描いたんですか……?」

 

エリは自らの手と、スケッチブックを交互に見比べる。何度も瞬きをし、紙を裏返して透かしを確かめるような仕草までしてみせた。

 

それでもなお信じられぬのか、もう一度鉛筆を握り直し、今度は隣の余白に短く線を引く。

 

その一本の線だけで彼女には分かったのだろう。

 

「……っ……!!」

 

エリは弾かれたように顔を上げた。

 

白髪の隙間から覗く双眸が、大きく見開かれている。蝋燭の灯りを映したその瞳に、じわりと光るものが滲んでいた。

 

「アノスさん。これ……これ、私……」

 

言葉が続かない様子だった。

 

その口は何度か開いては閉じ、開いては閉じ、やがて震えるように声を絞り出す。

 

エリのそれは魔法によって新たに与えられた力ではない。元より彼女自身の内に在ったものだ。俺は、ただそれを引き出しただけに過ぎぬ。

 

そういった積み重ねは、決して嘘をつかない。

 

裏切るのは、いつだって己の心なのだ。

 

エリの大きな瞳が潤み、ウィザードハットの影の中で揺れている。彼女は上手く言葉にできぬのか、ただスケッチブックを胸に抱きしめた。

 

鉛筆を握る指が白くなるほどに力んでいる。そんな彼女を俺は見下ろし、泰然と言った。

 

「挫折したからといって、立ち直れぬとでも思ったか」

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