第45話 アスラ王国に行こう
ルークがグレイラット家を訪ねた後、ルーデウスとアルブレヒトはオルステッドを呼び出し、今後について会議をすることになった。
守護魔獣のことや呪いのこと、そしてアリエルのこと。ルークが家を訪ねてきたことも話すと、オルステッドはしばらく考え、口を開いた。
「ルークは、殺すか」
あまりにも冷たい言葉が、部屋を静寂に満たした。
「…それは、なぜだ」
アルブレヒトが問う。
「ヒトガミの使徒は、何をしでかすかわからん。殺しておいた方が後々の禍根にならん」
淡々とした声音だった。
そこに躊躇はない。
必要なら殺す。 ただそれだけ。
ルーデウスは顔を苦くさせた。
オルステッドが言うには、ペルギウスとの交渉が決裂したわけでも、国王が病気であるとの知らせが届いたわけでもないのに助けを求めるということは、ヒトガミの使徒でほぼ確定らしい。
ルーデウスが苦い顔のまま口を開く。
「……だったらどうして、ルークはアリエルに協力するようにと言ったんでしょうか。むしろ逆では?ヒトガミがアリエルを王にさせたくないなら、俺は遠ざけておいた方がいいはず」
「アスラ王国の誰かを操り、罠に落とすのが目的だろう。今のヒトガミにはお前の姿が見えん。ゆえに、ルークを用いたのだ。さながら、壁越しに音を聞くように、お前の行動を監視するつもりだろう」
「ルークは監視役ですか」
「監視役では済まない可能性もある。道中で何かをされるリスクを考えるなら、ルークは消しておいた方がいい」
そう結論づけるオルステッド。不確定要素はなるべく排除したいようだ。
「そうは思えない」
アルブレヒトが口を開く。
オルステッドが視線を向ける。
「ルークが死ねば、アリエル王女の心労は計り知れない。ヒトガミもそれを狙っているのかもしれない。安易に殺すのは辞めたほうがいい」
オルステッドは険しい顔のまま、しばらくアルブレヒトを見つめた。
やがて、静かに頷く。
「……その可能性もあるな。俺の知るアリエルも、ルークという男を重宝していた。奴がいなければ、アリエルは王として立ち行かぬかもしれん」
「なら、しばらく泳がせた方がいい」
「そうだな、そうしろ」
「ああ」
ルーデウスが安堵したように息を吐く。
アルブレヒトは黙っていた。
自分でも不思議だった。
つい先ほどまで、ほとんど関わりのなかった男。
それどころか、ヒトガミの使徒である可能性が高い男。そんな相手を、わざわざ庇った。
なぜなのか。
あの信念に燃えるギラついた目に感化されたのか、それとも同じ騎士として同情したのかは自分でもわからないが、アルブレヒトにしては珍しい行為だった。
だが、そうは言っても家族が優先であるのは変わらない。もしルークのせいで家族に危険が及ぶのであれば、排除する覚悟はしていた。
(だが……なるべく、そうはしたくないものだ)
その思いだけは、胸の奥に残った。
「オルステッド様、とりあえず俺たちはアリエルを王にするため、ペルギウスに協力を要請する。という方針でいいんですね?」
ルーデウスが問う。
「ああ。ヒトガミの使徒への警戒を怠るな」
「はい」
そうして、オルステッドとの会議は一度終わった。
■
そして、翌日の夜。
「というわけでアリエルに接触して、協力することを伝えてきた。ついでにペルギウスの協力も取り付けられたぞ」
「!?」
ルーデウスは、一日で直近の課題を解決してきた。
「は、早いですね…」
「ああ。ちょっと助言したらすぐだった」
なんでもないような顔で告げるルーデウス。
「そ、そうですか。兄さん、すごいですね…」
「いや、大したことはしてないよ。ほとんどアリエル自身の力だ」
事実、アリエル自身の力によるものなのだろう。
ペルギウスほどの人物を動かせるのは、ルーデウス一人の功績ではない。
だが、それにしても早すぎる。
昨日まで難題だったものが、一晩経っただけで解決している。
さすが兄さんだ、とアルブレヒトは素直に感嘆した。
「それで、やっぱりアスラ王国の王様が重病らしく、すぐ王都に向かうことになったんだ」
「なるほど、転移魔法陣を使えばすぐに王都に到着できますし、追っ手の心配もない。問題なさそうですね」
「いや、アスラ王国内の転移魔法陣はすべて破壊されていたらしいんだ。だから、国境付近まで転移魔法陣で転移して、国境から王都までの道は徒歩で行くことになった」
「……ヒトガミの仕業ですか」
アルブレヒトの表情が僅かに険しくなる。
複数ある転移魔法陣が、まとめて破壊されている。
それが偶然であるはずがなかった。
「オルステッド様にも聞いてみたけど、そうらしい。それで、ヒトガミの使徒になって転移魔法陣を壊したのはダリウスだろうってことだった」
「ダリウス…」
アスラ王国の上級大臣。
王国の中枢にいる人間ならば、転移魔法陣を破壊する機会もある。
むしろ、そういう立場にいる者だからこそ、これほど大規模な妨害ができたのだろう。
「これでヒトガミの使徒は二人判明した、というわけですね」
「ああ。これで残るヒトガミの使徒は一人。北帝オーベールか水神レイダだろう」
その二人の名を聞いて、アルブレヒトの脳裏に剣の聖地での日々が蘇った。
北帝オーベール・コルベット。
水神レイダ・リィア。
どちらも、かつて自分が剣の聖地で世話になった人物だ。
特にレイダとは、直接剣を交えた。
あの老婆の姿を思い出す。
柔らかな笑み。
気さくな口調。
そして、その奥に潜んでいた圧倒的な剣技。
あの時は、何一つできなかった。
『剥奪剣界』。
ほんの僅かに動こうとしただけで斬られる。
神の域。
あれほどの人物が、ヒトガミの使徒である可能性がある。
「…オーベール殿に、レイダ殿ですか」
「知ってるのか?」
「はい、剣の聖地では世話になりました」
ルーデウスが心配そうにアルブレヒトを見る。
「……大丈夫か?」
アルブレヒトは少しだけ目を伏せた。
世話になった。それは確かだ。
だがそれでも、もし本当に敵として立ちはだかるのなら、自分の手で斬らなければならない。
「…問題ありません。敵として立ち塞がるなら、斬るまでです」
「……そうか」
ルーデウスはそれ以上、何も言わなかった。
アルブレヒトもまた、黙っていた。
胸の奥に、僅かな重さだけを残して。
かつて世話になった人間と、敵として戦うことになるかもしれない。
それでも、兄を守る。家族を守る。
そのためなら、剣を抜く。
それが、自分の選んだ道だった。
■
アスラ王国に向かうにあたり、軽く家族会議を開くことになった。旅の期間は4カ月ほど。
「アル兄さんは帰ってきたばかりなのに…」
「うーん、ルーデウスお兄ちゃんはともかくアル兄が行っちゃうのはちょっと心配かも…」
心配するノルンとアイシャ。
アルブレヒトはようやく家に帰ってきたばかり。心配するのも無理はなかった。
「え、俺は?俺の心配はしてくれないの?」
「だって、ルーデウスお兄ちゃん、毎回毎回『帰ってこれないんだ……』みたいな事いうけど、ケロッと帰ってくるじゃん」
アイシャは悪びれる様子もなく答えた。
ナナホシの一件で軽く帰ってきてしまったせいか、すっかり信頼?をなくしてしまったルーデウス。
「それで、女の子が増えるんだよね」
「ねー、心配するだけ損だよ」
「そんなことはない……ことはないが」
アルブレヒトが、兄を庇うように口を開く。
だが、そこでふと、つい先日ルーデウスがエリスを妻に迎えたことを思い出した。
アルブレヒトの表情が、僅かに曇る。
「兄さんも、これ以上妻を増やしはしないだろう。………ですよね?」
「も、もちろん。俺は今度こそ三人の妻だけを愛する!これ以上は増やさないことを誓います!」
「どうだか…」
「信頼ないよねー」
「……い、いや。兄さんの言ったことだ。俺は信じるぞ」
「こほん、それはともかく、アスラ王国へ向かうとの大任、ご武運を祈っております」
ズレ始めた話を戻すようにリーリャが咳払いを一つ。ゼニスは聞いているのかいないのか、ぼんやりと空を眺めている。
「リーリャさん、ルーシーのこと、よろしくお願いします」
「はい、奥様。お任せください」
シルフィは申し訳なさそうにリーリャに頭を下げる。
「その、子供を置いて行くというのはよくないことだとはわかってはいるんですが…」
「問題ありません。そのためのメイドですから」
「そうそう、それに俺もいるしな。留守はどーんと任せとけ!」
「父さんが一番心配なんですが」
「なんでだよ!?」
そんなやり取りの最中、当のルーシーはよく分かっていない様子で床を這い回っていた。
最近の成長は目覚ましい。以前は「まーま」など、単語を口にする程度だった。しかし今では、少しずつ単語を繋ぎ合わせ、意味のある言葉を話すようになっている。
子供の成長というものは、本当に早い。
ちなみに、一度アルブレヒトの灰色の髪とシルフィの白髪を見比べ、アルブレヒトのことを「ぱーぱ!」と呼んだときはグレイラット家(主にルーデウス)に激震が走ったとか走らなかったとか。
「4カ月ですか。寂しくなりますね」
ロキシーが口を開く。少し心配しているようだ。
「すみません、身重のロキシーを置いていくことになってしまって…」
「心配いりませんよ。男は仕事で外に出て、女は家と子どもを守る。ミグルド族では常識です」
ロキシーもまた、自分なりに理解している。今、ルーデウスたちがやらなければならないことを。
だからこそ、不安を口にしながらも、止めようとはしなかった。
アルブレヒトは、そんな家族の姿を静かに見つめていた。
4カ月。それだけ家を離れる。
以前の自分なら、何も考えなかったかもしれない。
行かなければならないのならば、行く。それだけだった。
だが今は違う。
帰る場所がある。
待っている者がいる。
必ず帰らなければならない。
アルブレヒトは、改めてそう思った。
■
そして、アスラ王国に出発する日。
一行は、空にいた。
「すごい、すごいわよ!ルーデウス!ほら見て!町が豆粒みたい!」
空中城塞ケィオスブレイカー。
遥か上空に浮かぶ、白銀の巨城。
青空を背景にしてなお、その姿は霞まない。
幾重にも連なる城壁。
天空へ向かって突き立つ無数の尖塔。
陽光を浴びて輝く白亜の塔群は、まるで雲の上に築かれた神々の都のようだった。
ルーデウスたちとアリエルたちはシャリーアから転移魔法陣を用い、アスラ王国との国境付近に転移にするため、そこにいた。
エリスは転移して早々に空からの眺めに感嘆したり、城を見上げて喜び声を上げていた。
「……凄まじいな。この城の威容の前ではロスリック城でも霞むだろう」
アルブレヒトも同じく、城を仰ぎ感嘆の声を上げる。前世も含めれば様々な場所を旅し、たくさんの城を見てきたアルブレヒトだったが、それでも比肩するものがないほどにケィオスブレイカーは美しく、壮大だった。
「ケィオスブレイカーは、お気に召していただけたでしょうか」
「最高ね!こんなの初めてよ!」
「ああ。俺が見た中でも間違いなく一番の城だ」
ペルギウスの使い魔の一人、シルヴァリルが機嫌が良さそうに二人に話しかける。
主の城を褒められ、上機嫌なようだ。
「そうですか、わたくしはペルギウス様の第一のしもべ、空虚のシルヴァリルと申します。以後、お見知りおきを」
「エリス・グレイラットよ!」
「アルブレヒト・グレイラットだ」
城に入りたそうにしてウズウズとしているエリス。
シルヴァリルは嬉しそうに周囲の案内をしながら案内を始める。
シルヴァリルの後ろにつき、ケィオスブレイカーに近づけば近づくほど、一行は圧倒されていった。
美しい。
荘厳だ。
そして――圧倒的に巨大だった。
一つ一つの塔が地上の城の主塔ほどもあり、それらが複雑に連なり、巨大な城郭を形作っている。
人の手によって造られたとは思えない。
まるで、空そのものを切り取り、そこに王国を築いたかのようだった。豪華絢爛たるアスラ王城ですら、この城の前では霞むだろう。
王が住まう城、貴族が集う城。そんな地上の城とは、そもそも格が違う。
伝説に語られる英雄の居城。
世界最強の英雄の一人が、悠久の時を生きながら築き上げた、天空の要塞。
空中城塞ケィオスブレイカー。
それは、世界から切り離されたように天空に浮かびながら、まるで地上の全てを見下ろすようにそこに存在していた。
「そして、こちらが謁見の間になります。くれぐれも粗相のないよう、お願いいたします」
シルヴァリルに案内され、辿り着いたのは謁見の間だった。
正面には竜の装飾がされた豪華な扉。横には高価な調度品が両脇に並び、来客を迎えるために整えられた気遣いを感じる。
ルーデウスは内心緊張していた。エリスとアルブレヒトのせいだ。これから会うペルギウスと、二人は初対面だ。アルブレヒトはそこまで心配ないかもしれないが、エリスはまずい。少し圧を感じた程度で殴りかかるかもしれない、とルーデウスは戦々恐々としていた。
そして、荘厳な扉が、ゆっくりと開いた。
重い。
ただ開いただけだというのに、その音だけで空気が変わったように感じられる。
その先に広がっていたのは、広大な謁見の間だった。
磨き上げられた床は鏡のように光を反射し、遥か頭上には高い天井が続いている。
巨大な柱が左右に並び、その一本一本には、古代の英雄譚を思わせる精緻な装飾が刻まれていた。
だが、この場所で最も目を引くのは、その豪奢な内装ではない。
玉座へと続く長い階段。
その上に座る、一人の男だった。
甲龍王ペルギウス・ドーラ。
長い年月を生きた龍族。
ラプラス戦役を生き抜いた偉大な英雄。
その周囲には、十二人の使い魔たちが控えている。
その中心。一番高い場所に、ペルギウスは堂々と座っていた。
ただ玉座に腰掛けているだけ。
それだけだった。それだけだというのに。
この広大な謁見の間すべてが、彼のために存在しているように見えた。
(……これが、甲龍王ペルギウス)
アルブレヒトは、静かに目を細める。
この世界で、ペルギウスの名を知らぬ者はいない。
この男は、ただ強いだけの存在ではない。
歴史そのものだ。
ラプラス戦役。
英雄たちが命を賭け、この世界の命運を争った時代。
その時代を生き、今なお、この空中城塞の主として君臨している。
アルブレヒトは無意識に、自らの背筋を伸ばしていた。
エリスもまた、先ほどまで城の中を見てはしゃいでいたとは思えないほど静かだった。
今回は転移魔法陣を用いて国境まで行くだけ。その挨拶程度の謁見である。アリエルが前に出て、口上を述べようとしたとき――エリスが前に出た。
「なんだ、貴様は」
ペルギウスの視線が、エリスへ向けられる。
エリスは片膝をつき、口を開いた。
「お初にお目にかかります。先日ルーデウスの妻となりました、エリス・グレイラットです。お見知りおきを」
普段の彼女からは想像もできないほど、丁寧な声音だった。
ルーデウスが僅かに目を見開く。
(……エリスが、ちゃんと挨拶している)
内心で驚いていた。
何か問題を起こすのではないかと、そう覚悟していた。
だが、意外にもエリスはきちんと礼を尽くしている。
「甲龍王ペルギウス・ドーラだ。
エリス・グレイラット。知っているぞ、剣王の位を拝領した『狂剣王』だな」
「いまだ未熟な身の上なれど……」
「ほう」
ペルギウスが目を細める。
「エリス・グレイラット。貴様のその殊勝な態度、気に入った。ならばこそ我も詫びよう。8年前、我が配下が貴様を襲ったことをな」
「気にしてないわ!」
「そうか……感謝しよう」
ペルギウスの視線が移る。
次に向けられたのは。
エリスの隣に立つ、灰色の髪の青年だった。
「それで?そこの騎士は何者だ」
アルブレヒトが、一歩前へ出る。
そして片膝をついた。
「挨拶が遅れ、申し訳ありません。お初にお目にかかります。私はルーデウスの弟、アルブレヒト・グレイラットと申します」
その名を聞いた瞬間。
ペルギウスの表情が変わった。
珍しい調度品を見つけたような、そんな顔に。
「ほう!アルブレヒト・グレイラット。最も新しい七大列強。オルステッドと戦い、手傷を負わせた『嵐神』だな」
その一言には、明確な興味があった。
「お前とオルステッドの戦いは見ていた。ラプラス戦役でもあれに匹敵する戦いは数えるほどだ。久しぶりに面白いものを見せてくれたな」
その瞬間、アルブレヒトは理解した。
この男は自分たちとは見ているものが違う。
長い年月。数え切れぬ戦い。英雄たちの死。魔族たちの戦い。それらすべてを見てきた存在。
自分が龍神と戦ったあの戦いですら、この男にとっては、長い人生の中で見た、数ある戦いの一つなのだ。
それでも、面白いと言った。
その賞賛を受け、アルブレヒトは静かに頭を下げた。
「恐れ入ります」
「うむ。面白いものを見せてくれた礼だ、何か困ったことがあれば我に言え。一度だけ、解決してやろう」
「ありがたき幸せに存じます。では、その時はペルギウス様のご威光に縋らせていただきます…」
「ふっ、よかろう」
ペルギウスは愉快そうに笑った。
「では、甲龍王ペルギウス様」
今度はアリエルが前へ出る。
優雅に一礼する。
「この度は、我々のためにお力を貸していただき、誠にありがとうございます」
「構わん。せいぜい、自らの運命を掴んでみせろ」
「……はい」
アリエルは頷き、深く頭を下げた。
「必ず」
その言葉には、アスラ王国へ戻る覚悟が込められていた。
こうして、短い謁見は終わった。
■
謁見の間を離れると、再びシルヴァリルが一行の前に立った。
「皆様。転移魔法陣までご案内いたします」
一行は、空中城塞の内部を歩き始めた。
窓の外には、どこまでも広がる空。
遥か下には雲が流れている。
ここは地上から切り離された世界だ。
人の争いも、国同士の戦いも、地上を歩く者たちの悩みも。
すべてが遠く感じられる。
だが、アルブレヒトたちは今から、その地上へ戻る。
アスラ王国へ。
王位争いの渦中へ。
そして、ヒトガミとの戦いへ。
アルブレヒトは、窓の外へ視線を向けた。
(……さて)
どのような旅になるのか。
まだ分からない。
だが、簡単な旅になるとは思っていなかった。
ヒトガミの使徒、ダリウス。
そして、北帝オーベールか、水神レイダ。
かつて世話になった人物が、敵として現れる可能性もある。
胸の奥に、小さな重みが残る。
それでも足を止める理由にはならなかった。
「こちらです」
シルヴァリルに導かれ、一行は転移魔法陣のある部屋へ入る。
床に刻まれた巨大な魔法陣。
複雑な紋様。幾重にも重なった魔術文字。
見ただけで、通常の魔術とは次元が違うことが分かる。
これを使えば一瞬で遠く離れた場所へ移動できる。
「ここから、アスラ王国との国境付近へ向かいます」
ルーデウスが皆を見る。
「準備はいいですか?」
「もちろんよ!」
エリスが即答する。
腰の剣に手を置き、どこか楽しそうに笑った。
「やっと戦えるのね!」
「できれば、戦わずに済むことを願おう…」
ルーデウスが苦笑する。
アルブレヒトもまた、小さく息を吐いた。
「うーん、たぶん無理かな」
シルフィが苦笑する。
平穏な旅にはならないと、誰もが分かっていた。
それでも、行かなければならない。
それぞれが、自分の理由を胸に抱えていた。
「では」
アリエルが一歩、魔法陣の中央へ進む。
「参りましょう」
誰も異論はなかった。
魔法陣の上に、一行が集まる。
その中に、一人、顔を硬くしている者がいた。
「………」
ルークだった。
「どうした」
「はっ…い、いえ、なんでもありません」
「なんでもないことはないでしょう。もしかして、緊張しているのですか、ルーク?」
冗談めかした様子で微笑むアリエル。
「いえ、そのようなことは…」
そう言いながら、ルーデウスの方をちらりと見る。その目には微かな疑いの色があった。
「…………」
ルーデウスからあの後聞いたところによると、アスラ王国へのルートを選ぶ際、ルークの案がダリウスの妨害により突然使えなくなり、ルーデウスの案が都合よく通った。
偶然にしては出来過ぎている。そのことで、ルークはルーデウスを疑っているらしい。
兄を疑われて、思うところがないわけではない。だが、今は同じ騎士として、大切なことを伝えなければならないと思った。
「ルーク」
「は、はい?」
「お前は、誰の騎士だ」
突然の問いに、首をかしげるルーク。
「…? アリエル様の、騎士です」
「そうだ。それを忘れるな」
「は、はい」
「迷うな」
短い言葉だった。
それ以上の説明もない。
ルークは少し考えると、きゅっと口を結び直し、答えた。
「……はい」
アルブレヒトはそれだけ聞くと、満足そうに軽く頷いた。
「そろそろよろしいでしょうか」
シルヴァリルが声をかける。
「はい、お待たせいたしました。もう大丈夫です」
アリエルが凛とした声を返すと、シルヴァリルは頷いた。
魔法陣が光る。
最初は淡く。
やがて、足元から溢れ出すように、その輝きは強くなっていく。
白い光が、一行の身体を包み込む。
視界が白く染まった。
次の瞬間、ケィオスブレイカーから、一行の姿は消えていた。
残されたのは、青い空。白銀の城。
そして、何事もなかったかのような、静寂だけだった。