ミノタウロスの♀でダンジョンの中ボスを務めているメイちゃんはそろそろ番が欲しい 作:ムラムリ
俺の中身という液体が入ったコップに、災厄の力という液体がぽたり、ぽたりと垂らされ続けている。
もう水面はコップの縁より高いところにある。少しでも揺らしたら、溢れてしまう。いや、もう溢れているかもしれない。
俺の形はまだ保たれている。少なくとも、俺に注ぎ込まれている災厄の力は、俺の形を崩してしまう程にはまだ濃くはない。
斬撃がより殺意を増して飛んでくる。逃げ道がなくなる前に足を動かす。
体が絶好調なのは全く変わらない。いつもはどの位動けていたのか、いつもよりどの位動けているのか、もう体に災厄が馴染んでしまっている部分もあるからかもう分からない。
ドラゴニュートはとにかく周りを見回しながら、斬撃を飛ばしている。残りの1人——ディッツェがどこに居るのか、まだ把握出来ていないその様子。
より濃くなった斬撃の数には、足をとにかく動かして避け続けるだけで精一杯。ディッツェへの警戒があるからこそ、どうにか無茶をせずに居られる。
けれど、もう1回でも無茶をしようものなら俺の体はどうなるのか分からない。
「うっ、ううっ」
エロクーの死体に向く斬撃の数は少なくなったとは言え、メイさんをその場所に留め続けるくらいの斬撃は届いている。メイさんはその場から離れられないまま。
ディッツェも俺からは僅かに見えているものの、今度矢を放ったならば流石に場所は漏れる。そしてディッツェはきっと斬撃を避けきれない。
チャンスは、一度きり。
俺の体がどうなろうとも、その一度きりを逃す訳にはいかない。
……。
不思議と、死を通り越して昇天が近付いていても、ウトの心境は静かだった。
自分の命の価値がメイやディッツェと比べたらそう高くないと自覚しているからか? 災厄が起きているダンジョンに入ると決めた時点でそこまで覚悟出来ていたからか?
どちらも違う。もう、満足出来てしまっていたからだ。1年前までは、1人で初歩のダンジョンを踏破しようと頑張っていたばかりの自分が、ドラゴンが出てくる程のダンジョンに挑んでいるその事実だけでウトは既に自分の人生が上手く行き過ぎているとまで体感していた。
ウトは今、自分が人生の絶頂に居ると実感していた。
けれど。
……単純な計算だ。
そう、気付けば思っていた。今、自分は絶頂に居て、それに加えて自分の未来は半分閉ざされたようなものだとは言え、もうこれで満足だと自分の命を捨てられる訳じゃない。
俺が無茶が出来ずにより苦境に追い込まれるよりかは、俺が命を賭して勝利への道をこじ開けた方が良い。
「……単純な計算だ」
ウトは覚悟を決めるように呟いた。
メイはその覚悟にとっくに気付いていた。
そして、メイには分からなかった。そうにまでなってしまう覚悟が本当にあって、災厄の影響を受けたダンジョンに入る事を選んだのか。それともメイが居るから何とかなるだろうくらいの楽観的な覚悟だったのか。
ウト自身もその選択を悔いて自棄になってしまっているのか。それとも全てを受け入れた上で犠牲になろうとしているのか。
メイには何も分からなかった。
自責……している暇なんてない。ウトを生かす為にはメイから仕掛けなければいけない。逆に言えばエロクーを犠牲にしなければいけない。
「……うう」
どっちを選んだら良い? そんな事を選んだ事なんてない。でも選ぶしかない。
「う、うう」
……どっちも、嫌だ。選びたくない。
腰の袋の中には魔力を回復する薬と、そしてもう1つ、体を暴走させる薬。それに手を掛けた。
確かにそれは、メイに更なる力を与える。覚醒した状態からでも。
けれども、覚醒からの更なる上昇幅は劇的なものじゃないし、魔力の繊細な操作も難しくなる。属性付与なんて絶対出来なくなるし、その癖して効果が切れたらもうまともには動けなくなる。
……でも、でも。私にはもう、それしかない。
私は……私は、どちらを捨てる選択をしなきゃいけないくらいなら、可能性が低くても、どちらも救える選択を、やっぱり、したい。
それに……この選択を私自身が無謀だとまでは、思えていない。
「……?」
メイがその場に留まらなければいけない程度に斬撃を振るっていた、そのドラゴニュートが異変に気付いた。
眩い光。聖なる属性。それがメイの方から、斧槍一つではまず発せられない程に。
ドラゴニュートが振り向いた時。
メイは持っている全ての鉄球と散弾と、そして2本の斧槍に属性付与を終えたところだった。
ぱりん、と薬の瓶が床へと落ちる音が小さくした。そして最後に、どろどろとしたその薬を取り出し、躊躇う事なく飲み干した。
「メイ、さん」
ウトは、メイが覚悟を決めた事を理解した。
自分の形が崩れてしまう事を、エロクーが蘇生出来ない程に刻まれてしまう事を、どちらも拒絶する事を。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ」
メイの荒々しいにも程がある鼻息がここまで届いてくる。
「何、を?」
ドラゴニュートがあからさまに警戒する。
ガヅゥ!
手に持っていた斧槍を石畳に突き刺した。空いた手に散弾が握られた。
投擲の姿勢に入るメイに対し、ドラゴニュートの背筋が凍った。斬撃が飛んできた時よりも、更に強い悪寒が……。
体が思わず強張る。それ以上に、避ける事も適わないと体が察する。
三重? 四重? 五重? どれだけ張ればあれを防げる??
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!!」
ケダモノさながらの咆哮と共に投げられたその散弾。
ガガガガガガガガッ!!!!
5つ……同時に張れる最大数の障壁の、全てが砕かれた。ギリギリ、散弾はドラゴニュートの体に届く前に力を失った、が。
「おい、なんだよ、これ」
距離を取っていても避けられる速度じゃない。その上で全力で防御しないと防げない。
思わず障壁を分厚く張り直す。
「いや、これじゃ、攻撃が出来ない……」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
斧槍を手に戻し、涎を垂らしながら、叫びながら、ミノタウロスが駆けてくる。
ドラゴニュートも察した。
誰も喪わない為に、このミノタウロスは賭けに出たのだと。
どれだけの時間あの状態が保つのか分からない。けれど、それを凌ぎ切れば、勝てる。
生き残れる。
「僕だって死にたくないんだ……!!」
剣を構えるその腕は、けれど震えていた。