アベンジャーズ計画に神代ブリテンの騎士が追加されました 作:アルトリウス(深淵歩きはしない方)
アベンジャーズ編の設定を固めるためにしばらく更新止まります
SHIELD施設内にある、小さなラウンジ。
壁は防音仕様で、照明は一段落とされている。一般の隊員が利用する食堂とは違い、ここは一定の権限を持つ者だけが入室を許され、秘匿情報を漏らさずにアルコールを入れることができる特別な部屋だった。
「外のバーにご案内してもよかったのですが、ここなら誰の耳も気にする必要がないものでして」
氷の入ったグラスを片手に、コールソンが静かに言った。
「酒を飲むのに、いちいち隠れる必要があるのか」
「この時代、どこに誰の耳があるか分からないからな」
向かいのソファで脚を組んだクリントが、すでに少し減ったグラスを揺らしながら答える。
「面倒だね」
「でも、酒はある」
「なら許そう」
アルトリウスは自分に注がれた琥珀色の液体を一口含み、ゆっくりと味を確かめるように目を閉じた。
「この時代の酒は、やけに味が整っている」
「それ、褒めてるのか?」
「……味を表現する言語の学習が、私にはまだ足りないようだ」
「言語教育の新しい課題ですね。法務部向けの契約書の読解よりは楽しいでしょう」
「酒の授業なら俺も参加するぜ」
「却下です」
「早いな」
「今のは私にも理解できる。君は参加させない方がいい」
「おい、そっち側に回るなよ」
クリントが苦笑する。三人の間に、仕事の緊張感とは違う、緩やかな空気が流れていた。
*
「昼食の時、隊員たちにずいぶん話していましたね」
コールソンが、グラスの水滴を拭いながら切り出す。
「話しすぎたかな」
「いや、最前線の兵士ってのはああいう話が好きなんだよ。神聖な伝説の中身が、実はただの職場の愚痴だった、ってやつ」
「円卓も、私たちにとっては一つの職場ではあったからね」
「ただ、王については慎重でした」
コールソンの視線が、アルトリウスの目を真っ直ぐに捉える。
「あの人の話は、軽く話すには私にとって少し近すぎる」
「主君だったからか」
クリントの問いに、アルトリウスは少しだけ間を置いた。
「……それもある」
「それ以外も?」
アルトリウスはすぐには答えず、グラスに残った酒を静かに飲み干した。氷がカチンと鳴る音が、ラウンジに小さく響く。
「兄だった」
一瞬、空気が止まった。
「……アーサー王が?」
「ああ」
「あなたは、アーサー王の弟だった」
「弟であり、一人の騎士であり、そして王の影だった。立場が一つで済めば、私にとってもう少し楽だったんだけどね」
「そりゃ、現代の資料のどこを探しても載ってないわけだ」
クリントが息を吐く。
「影の存在が記録に残りすぎると、王が困るからね」
「あなた自身は、それでよかったのですか」
「当時はね」
「今は?」
「……まだ、考えているところだ」
九百年後に目覚めた今、当時と同じ答えを即座に口にすることはできなかった。彼は視線を落とし、空になったグラスの底を見つめていた。
*
「あなたは時に、王のように振る舞っていました」
コールソンが、事件の報告書を思い出すように言う。
「なら、今日のように一般の兵士たちと同じ席で飯を食べたり、軽口を交わしたりすることに抵抗はないのですか」
「王らしくない、ということかな」
「我々の想像する王族とは、少し違います」
「前線に出る王なら、兵と一緒に泥に座って飯くらい食うんじゃないか」
クリントが口を挟む。
「王族に詳しいのですか、バートン」
「いや。ただ、安全な後ろから命令だけを出す奴に、最前線の兵は命を預けづらい」
「良い弓兵は、そういうところも見るんだね」
「戦場では見るだろ。背中を預ける相手なんだから」
「その通りだ」
アルトリウスは、テーブルに置かれたボトルを手に取り、自らグラスに酒を注いだ。
「私は王ではなかった。だが、王の代わりに立つことはあった。兜を被り、旗の下に立ち、兵たちが私を王だと思えば、その時の私は王だった」
「影武者として」
「ああ。だが、影の役目がない時は兵の側にもいた。見張りにも立った。泥の中で飯も食った。怪我人を運んだ。馬の世話もした。そういうものだ」
「立場が滅茶苦茶だな」
「本当にね」
「王のようで、兵のようでもあった」
「だから曖昧だったんだ。王ではない。だが、ただの兵でもない。兄上の隣に立つために、私は両方を少しずつやった」
アルトリウスはグラスを傾ける。
「高級な皿に乗った見栄えの良い食事より、兵の椀に盛られた雑多な飯の方が、ひどく落ち着く時もある」
「そりゃ、食堂の飯にすんなり馴染むわけだ」
*
「お兄さんとは、仲が良かったのですか」
「良かったよ」
「即答だな」
「そこは迷うところじゃない」
迷いのない声だった。
「喧嘩もした。言い合いもした。戦場で私が前に出すぎて、怒られたこともある」
「へえ、怒られる側だったのか」
「兄上は怒るのが下手だったんだ。最初は王として威厳を持って叱ろうとするのに、途中でただの兄に戻ってしまう」
「良い関係だったように聞こえます」
「……良い関係だった」
少しだけ、沈黙が降りる。
「だから、私はあの人の隣にいた」
*
「兄弟ってことは、あのケイって人も兄貴になるのか」
「ああ。ケイ兄上も兄だ」
「昼食の時は、口が悪いと話していましたね」
「口は悪い。小言も多い。ひどく現実的で、若い騎士の語る理想をすぐ地面に叩き落とす」
「嫌な兄貴だな」
「頼れる兄でもあった」
アルトリウスの口元が、自然に緩む。
「兄上が王として前を見て、ケイ兄上が現実を見ていた。飯、矢、馬、包帯、替えの靴。兵が明日を生きるために必要なものを、あの人は誰より分かっていた」
「兵站ですね」
「ああ。戦場では、美しい言葉より次の飯が兵を救うこともある」
「分かる」
「私はよく怒られたよ。勝手に前に出るな、怪我人を担ぐなら先に自分の足を確認しろ、雨の中で外套を脱いで他人に渡すな、風邪を引くのはお前だ、とな」
「完全に兄貴の小言だな」
「兄だよ」
「その言い方だと、今でもかなり心理的に近いですね」
「近い。腹立たしいくらいにね」
*
「王の影とは、具体的には何をする役だったのですか」
コールソンの問いに、アルトリウスはグラスを置いた。
「王へ向かうものを、代わりに受ける」
「……矢とか」
「矢、刃、毒、暗殺、呪い、悪意、失敗、死。受けられるものは何でも」
「ひどい仕事だ」
「必要な仕事だった」
「強制されたのではなく?」
「違う」
アルトリウスははっきりと否定した。
「私は、私の意志であの人の隣にいた」
「ディナダンにも、そう言っていましたね」
「あいつは、そこを根本的に間違えた」
「あんたを、ただの部品扱いしたからか」
「ああ。役目はあった。だが私は都合の良い道具ではなかった。あの人の隣にいることを選んだのは、私だ」
「そこを間違えたら、斬られるわけだ」
「斬った」
「非常に端的ですね」
「酒の席だからね」
「今のは酒のせいじゃないだろ」
クリントが肩をすくめる。
*
「インヴィクトゥスは、そのために選んだのですか」
「少し違う」
「違うのか」
「兄上が欲したのは勝利だった。国を守る勝利、人を導く勝利、王として必要な絶対の勝利だ」
「あなたは?」
「私は、アーサー王にはなれなかった」
静かな告白だった。
「同じ剣を持っても、同じ王にはなれない。兄上の勝利を、私が代わりに掲げることはできない。なら、私は別のものを選ぶべきだった」
「それが、負けない剣か」
「ああ。勝利を約束する剣ではなく、敗北を拒む剣」
「最初から、その結末を分かっていた?」
「まさか。九百年も死ねなくなるとは思っていなかったよ」
「それは普通思わないな」
「だが、結果的にも私に合っていた。兄上の代わりに倒れない。王へ向かう終わりを押し返す。そういう意味ではね」
「自分では王になれなかったから、負けない剣の側でよかった」
「そうだね」
アルトリウスは、少しだけ自嘲気味に笑った。
「負けない方で、良かったんだと思う」
*
「勝つ奴の隣に、絶対に負けない奴がいる。戦場ならかなり嫌な組み合わせだな」
クリントが氷を鳴らしながら言う。
「敵からすればね」
「味方からすれば頼もしい」
「そう見えていたならいいが」
「見えてたと思うぜ。兵は、前で倒れない奴を見る。勝つ奴も見るけど、泥だらけになっても倒れない奴の背中もかなり見るもんだ」
「経験談ですか」
「前線にいると分かる。どれだけ状況が悪くても、撃たれても立ってる奴がいると、周りの足が止まりにくくなるんだよ」
アルトリウスは少し黙り、それから深く息を吐いた。
「そうか」
「ああ」
*
「ランスロットの話で、昼に少し空気が変わってたな」
クリントが何気なく話題を振る。
「あの男は強かった。強すぎた」
「恨んでいますか」
「……恨みだけなら、もっと楽だった」
アルトリウスはそれ以上を語ろうとしなかった。
「今日はそこまでにしておこう。酒が足りない」
「足せば話すのか」
「足しても話さないかもしれない」
「無理に聞くつもりはありません」
コールソンが即座に引く。ランスロットの話は、恨み、失望、強さへの評価、そしてブリテンの崩壊が複雑に絡む。まだ語るには早すぎた。
「じゃあ、日常で一番面倒だったのはマーリンか」
「間違いない」
「そこは即答なんですね」
「あの男は、人が真面目に悩んでいる時ほど楽しそうな顔をする」
「最悪だな」
「最悪だった。だが、腹立たしいことに教えは正しい。今でもこうして役に立つ」
「褒めているようには聞こえませんね」
「褒めると負けた気がする」
「それは分かる」
「あの偏屈ジジイがいなければ、私はここまで生き残れなかった。そこだけは絶対に否定できない」
「かなり複雑ですね」
「複雑にしたのは大体マーリンだ」
その言葉に、コールソンとクリントが同時に笑った。
*
少し酔いが回ってきた。アルトリウスが酔い潰れることはないが、口は少しだけ軽くなっている。
「今日の話は、報告書にはどう書けばいいでしょうね」
「書くのかい」
「仕事ですので」
「出たよ」
クリントが呆れたように言う。
「便利な言葉だ」
「ただ、全部は書きません」
「いいのか」
「酒の席で聞いた話ですから」
「つまり、聞かなかったことにするってことだ」
「必要な部分だけ覚えておきます」
「君は本当に距離感が上手いね」
「職業柄です」
「二回目だぞ」
「便利すぎるな、その言葉」
*
帰り際、クリントが思い出したように軽く言った。
「今日の話、特に『弟』ってのは、公式のファイルには残さない方がいいな」
「同感です」
「なぜ?」
「上の連中に『弱み』として勝手に使われると、腹立つだろ」
アルトリウスは少し黙り、頷いた。
「そうだね」
「では、今夜のところは三人だけの話に」
「助かる」
*
夜。
自室に戻ったアルトリウスは、ノートを開いた。
・コールソン、クリントと酒。
・この時代の酒は味が整っている。悪くない。
・アーサー王が兄だったことを話した。
・コールソンは驚いたが、騒がなかった。
・クリントは弓兵らしく、戦場の話として聞いた。
・ケイ兄上の話もした。
・兄上は王として前を見ていた。
・ケイ兄上は現実を見ていた。
・私は王ではない。
・ただの兵でもない。
・王の隣に立つために、両方を少しずつやった。
・兄上との仲は良かった。
・私は私の意志で兄上の隣にいた。
・兄上が欲したのは勝利。
・私は勝利を掲げる王にはなれなかった。
・だから、敗北を拒む剣を選んだ。
・負けない方で良かったのだと思う。
・ランスロットの話はまだ難しい。
・マーリンはやはり性格が悪い。
・弟という話は、今のところ三人だけの話になった。
最後に一行。
・弟だった、と久しぶりに言った。
アルトリウスはペンを置き、天井を仰いだ。
「兄上。現代にも、話を聞くのが上手い男たちはいるらしい」