傲慢の魔女『フラン』   作:オド・ラグナの対義語

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原作該当章無し
『こぼれ落ちたエルピス』


「──あいつら、ハーフエルフの味方をする異端の、忌まわしい集まりだって……いきなり、石を、何枚も、何枚も投げつけてきて……っ。俺を庇って、あいつ、頭を激しく割られて、もう、息をしてなくて……!」

 

 男は床に顔を擦り付け、血を吐くような声を上げて泣き崩れていた。

 サテラを愛し、救いたいと願う者たちが集まる、誕生したばかりの小さな寄り合い。まだ宗教とも呼べない集団だった。世間からの激しい排斥と理不尽な暴力を受け、取り返しのつかない悲劇に直面した信徒の肩を、純白のローブを纏ったパンドラが、まるで慈愛の女神のように優しく抱きしめる。

 

 その細い指先が涙と泥に濡れた男の頬へ触れた瞬間、脳が蕩けるほどに甘く、あまりにも美しい声が静かな教会に響いた。

 

「可哀想に。──大丈夫。『あなたの愛する人は生きている。諍いなど無かった』のですから、何を悲しむのでしょう?」

 

 パンドラの言葉が静かに空間へ溶けていく。

 すると、男の腕の中で頭を割られて冷たくなっていたはずの想い人の身体が、いつの間にか、ただ泥に汚れて気絶しているだけの綺麗な状態へと変わっていた。

 

 パンドラが抱擁を解き、粛然と立ち上がる。

 

「う、ん……っ」

 

 男の腕の中で、想い人の少女が小さく身じろぎをして、ゆっくりと瞼を開く。

 血の海も、割れた頭骨も、最初から存在しなかった。世界はその言葉の通りに、最初からそうであったかのように、いつの間にか書き換えられていた。

 

「え……? ああ、生きて……気絶、してただけ、だったのか……? よかった、よかったぁ……!」

 

 男は世界が変わったことすら自覚せず、ただの勘違いだったと思い込んだまま、涙を流して想い人を強く抱きしめた。

 

 窓を飾る、職人が試行錯誤して作ったばかりの気泡も目立つステンドグラス。不均一なガラスを通り抜けうららかな陽光が石畳に輝く。陽光は少し耳が長く尖ったハーフエルフの極彩色の影を静かに落としている。

 

 救われ、安堵の表情を浮かべた二人の信徒が、深々と頭を下げて部屋を退出していく。

 白金の少女は祈るように手を組み合わせ、そっと目を伏せ教徒たちに別れを告げる。

 

 男が丁寧に扉を開けた瞬間、すぐ目の前の廊下で腕を組んでのぞき見していたフランと視線がぶつかり、男はギョッとして肩を跳ね上げた。

 だが、男はすぐにその身に宿る圧倒的な風格に気付き、深い敬意を込めて静かに一礼する。

 

「お、お邪魔いたしました……フランダース様」

 

「ん、気にしなくていいよ。お疲れさま」

 

 フランが気楽に手を振ると、二人はもう一度頭を下げて去っていった。

 部屋へ足を踏み入れたフランを迎えたのは、給仕係の教徒が丁寧にお茶を注ぐ静かな音だった。パンドラは茶杯を受け取ると、鈴を転がすような声で微笑む。

 

「おかえりなさい、フラン。またのぞき見ですか?」

 

「悪い悪い、ちょっとタイミング見計らっててさ。……にしても、相変わらず凄いね、パンドラのその力。一歩間違えればただのチートじゃん」

 

「私はただ、皆様を愛しているだけですよ」

 

 パンドラはそう言って微笑み、茶杯へ静かに唇を寄せた。

 白磁の縁に薄くかすかな紅の色が残る。

 窓の外では風が若葉を揺らし、開け放たれた窓から森の匂いが流れ込んでいた。

 

「……はぁ、それにしても。このローブはやはり少し窮屈ですね。本当なら、すべてを脱ぎ捨てて全裸でいたいのですけれど」

 

「出たよ」

 

 パンドラが純白の衣装の襟元をわずかに緩める仕草を見せ、フランは近くの椅子の背に肘を乗せ、前のめりにもたれかかった。

 前世では一応男子だったフランからすれば、パンドラのこの「全裸こそが真の愛」という極端な持論は、ただの危険な露出狂にしか思えない。確かにパンドラほどの美ならそれでも美しいのだろうが、やめてほしいものだった、切実に。

 

「私は皆様を、この世界を真実愛していますから。愛する者の前で、隔たりとなる衣服を肌に纏うのは、本来なら私の本意ではないのです。でも、皆様が私に形を求めてしまう以上、こうして真似事をせねばならないのが、少しだけもどかしいですね」

 

「はいはい、分かったから服は着てて。目のやり場に困るからさ」

 

 フランは呆れたように肩をすくめ、パンドラもそれ以上は追及せず、月光を掬い取ったような手で対面の席を指し示す。だが、フランはニコニコと笑うだけで座る様子はない。

 

 お互いに触れ合ったり、必要以上に踏み込んだりはしない。けれど、同じテーブルを挟んで、一人の少女と一人の少女として普通に向かい合って軽口を叩き合える。そんな、対等な友人としての明確な距離が二人の間にはあった。

 

 パンドラは茶杯を傾けながら、あっさりとした調子で小首を傾げた。

 

「それで、今日のお土産は何ですか?」

 

「これ!」

 

 満を持してフランがにやりと笑い、自身の傍らの亜空間を歪ませる。すると、そこからぬっと、巨大な龍の頭だけが突き出された。床を揺らして現れたその悍ましい造形を、フランは誇らしげに叩く。

 

「私の獲物で、一番大きかったやつ!」

 

「おや……かなり大きい龍ですね。苦労したのではありませんか?」

 

「まあね! 東の方でさ~、ちょっとレイドの奴と龍退治勝負することになっちゃって。あいつが煽ってくるもんだから、勢い余って群れを一つ丸ごと壊滅させちゃったんだよね」

 

「ふふ、やんちゃですね。ですがフラン。無益な殺生はやめませんか? 龍たちにも、生きる権利はあるのですから」

 

「いやいや、無益じゃないって、お土産だし肉は美味いから! まあ、勝負自体は七対三でレイドの勝ちになっちゃったんだけどさ。あいつ箸一本ですら龍の脳天ぶち抜くんだよ、マジで化け物。それでも箸なら途中まで勝てそうだったのに、あのバカ大人げなく剣使っちゃって。そっからはもう追いつけないよね。おかげでカララギのめちゃくちゃ高い火酒を奢らされてさぁ、今、財布がすっからかんなんだよー。もうへとへと、気分だけど。……あーあ、二人がいれば、特にアレクなら気を逸らして群れの長だけを殺すとかに舵を切れたかもしんないのに」

 

 レイドの暴走に付き合わされた愚痴をこぼすフラン。パンドラはその姿を、ただ穏やかに見守っていた。

 

「よし、っと」

 

 フランは一旦、空間の歪みの向こうへ龍の頭を仕舞い込むと、パンドラの座っている正面の椅子へと腰を下ろした。

 

 フランは椅子の縁の滑らかなところを撫でながら、何気なく窓の外へ目を向けた。

 教会の裏手では、信徒たちが畑を耕している。

 世間から弾き出された者たちの寄せ集めとは思えないほど、その光景は穏やかだった。

 

 視線をテーブルにやると、その上には先ほど教徒が注いでくれた紅茶が静かに湯気を立てている。

 

「そういえばフラン。森の外の街で、少し興味深い噂を聞いたのですよ」

 

「噂? パンドラが森の外に出るなんて珍しいね」

 

「ええ。カララギから訪れた行商人の方々がお話しされていたり、街の皆様が茶屋の前で、とても美味しそうに食べていたものがありまして。──なんでも、フリューゲル様とアレク様が新しく広め始めたお菓子だとか」

 

「あのバカども、もうそんなものまで仕込んでんのか……。なんて名前?」

 

「『カシワモチ』、というそうですね」

 

 パンドラの口から出たその名前に、フランは思わず目を丸くし、それから小皿に添えられた異国風──異世界風のお菓子をじっと見つめた。

 異なる世界の伝道者であるフリューゲルが手渡したその文化は、誤伝達されることもなく、純粋に「カシワモチ」という元のままの名前で広まっていた。

 

 フランは差し出された紅茶を一口啜り、それから小皿のカシワモチを手に取る。

 葉を破らないように気を付けながら葉を剥がした瞬間、ほんのり青い香りが立ち上る。

 懐かしい匂いだった。

 前世で何度も嗅いだはずの香りで、この世界では二度と出会えないと思っていた匂いだ。

 

 ぱくりと口に運ぶ。もちもちとした米の食感と、懐かしい小豆の甘みが口いっぱいに広がった。

 

「……んー、美味い。美味いんだけどさぁ」

 

「お気に召しませんでしたか?」

 

「いや、美味いんだけど、やっぱり緑茶じゃないことに違和感を覚えるっていうか……。あと、わたしこし餡派なんだけどなあ、これつぶ餡じゃん。今度フーちゃんに会ったら絶対文句言っとこ」

 

 贅沢な文句を零しながらも、フランの手は止まらない。

 ふと、前世の知識をこちらの世界に持ち込んでは、突拍子もないお祭り騒ぎを起こす身内の顔が思い浮かび、フランはふっと表情を緩めた。

 

「まあ、カシワモチが形になってるだけマシか。あいつら、いつもそんなことばっかりやっては失敗してんだから」

 

「お二人が、ですか?」

 

「そうだよ。この前なんてさ、フーちゃんが『日本の伝統的な調味料を作る!』とか息巻いて、アレクと一緒に醤油っていう黒い調味料を作ろうとしたんだよ。結果どうなったと思う? 管理が適当すぎて樽ごと全部腐らせてさ、屋敷の周りがとんでもない異臭騒ぎになって、近所から苦情が来たんだから」

 

「ふふ、それは大変でしたね」

 

「まあそれ以上にレイドが『クサ過ぎんだろ、ふざけてんのかオメエ』ってブチギレちゃったのがやばかったんだけどね、ハハハ。何回死んだことやら」

 

 フランの眼前のパンドラはそっと唇に指先を当てた。

 

「それだけじゃないって。今度は『旅の疲れを癒す温泉を掘る!』とか言い出して、裏山をデタラメにツルハシやら魔法やらで掘り進めたもんだから、地盤が緩んで大崩落を起こしかけたの。たまたま一緒にいたエキドナが顔を真っ青にしながら土魔法で強引に土砂を食い止めてくれたからよかったものの、そのあと丸一日、エキドナの説教が二人に炸裂してさ。エキドナが知識欲発揮してるとき並みの早口で説教しててねぇ。あの時の二人の死んだ魚みたいな目、パンドラにも見せてあげたかったよ」

 

 ありありと思い出せる悪友たちのドタバタ劇をフランが可笑しそうに語ると、パンドラは楽しそうに耳を傾け、小さく肩を揺らして笑った。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 世間話を一通り終え、茶杯を完全に空にしたフランが、膝を叩いて立ち上がる。

 

「よいしょー!」

 

「あら、もう行くのですか?」

 

「ううん。そうしようかと思ったけど、どうせならみんなに見せびらかそうと思って」

 

「つまり、あなたも一緒に生まれたままのすが……」

 

「なわけないでしょ!」

 

 手刀をパンドラの頭頂部に叩き込み、容赦ないツッコミを炸裂させる。

 パンドラは思わず、じんわりと涙を浮かべた。

 

 フランは龍の頭を出し、おもむろに『忌剣レーヴァテイン』を一閃した。

 頭が落ちるが、フランは器用に龍頭を剣先に突き刺した。ただし、溢れ出た鮮血は、汚れ一つない白磁の大理石を無惨に染め上げていく。

 びちゃびちゃびちゃ、と大理石が朱に染まる。

 

「あ、やべ」

 

「フラン……『見間違い』では? ……はあ。まったく」

 

 パンドラが一言つぶやけば、瞬き一つで大理石は元に戻った。

 あちらの世界では『ジト目』と呼ぶであろうその目で、フランを呆れたように見ているパンドラ。

 

「『傲慢の魔女』になって以来、短慮になってはいませんか? 私と初めて会った時は、王子様のような雰囲気でしたのに」

 

「え~? 気のせいじゃない?」

 

 おどけるように笑うフランだったが、その鋭い瞳の奥に、一瞬だけ昏い熱が宿るのをパンドラは見逃さなかった。

 

 もともと彼らの教会は、ここではなく賑やかな街の中にあったのだ。しかし、魔女を救おうとする彼らは「『嫉妬の魔女』の恐怖」に狂う群衆から、凄絶な迫害を受けることになった。教会の壁には「異端」「悪魔の身内」と落書きが隙間なく殴り書きされ、日用品ひとつ買うのにも法外な高値を売りつけられた。

 信徒たちは耐え続けた。パンドラも、それを受け入れた。

 だが、そんな街の人間たちの悪意が、ついにパンドラ自身への物理的な襲撃という形で牙を剥いたと知った瞬間、フランの堪忍袋の緒は完全に破断してしまった。

 

 激昂したフランは、『傲慢の権能』をもって、パンドラを傷つけようとした下手人の暴徒たちをその場にいた者ごと肉片一つ残さず徹底的に破壊した。

 街にいられなくなり、この静かな森の奥へと拠点を放棄せざるを得なくなった決定的な理由がそれだ。フランのその絶対的な暴力の片鱗を知っているからこそ、パンドラは彼女を短慮と呼んで諭すのだ。

 

「謝るつもりはないよ」

 

 フランは即答した。

 

「あいつらが何をしたか、パンドラだって知ってるでしょ」

 

「────」

 

「私は間違ってない」

 

 フランは視線を逸らした。

 

 中庭からは子供たちの笑い声が聞こえてくる。あの日も同じだった。パンドラが石を投げられたと聞いた瞬間、自分の中で何かが切れた。憤怒の権能でも持ってたっけ、と思ってしまうくらいの赫怒。

 

 今でも後悔はない。あれをもう一度見せられたとしても、きっと同じことをする。

 

 パンドラは何も言わず、わずかに口の端を持ち上げた。

 肩をすくめたフランは声を張り上げ、小さな教会全部に聞こえるよう言った。

 

「まあそんなことよりさ、この肉を片付けちゃおう! 外の奴らも呼んでさ!」

 

 フランの威勢のいい声に、部屋の外で控えていた教徒たちが、ざわざわと色めき立った。

 

 

 

 教会の敷地内にある中庭へと場所を移し、突発的なバーベキューが始まる。亜空間から再び引っ張り出された巨大な龍の肉は、フランの鮮やかな手つきによって大振りに切り分けられていった。

 

「ほら、どんどん焼くよ! 火ぃおこして!」

 

「は、はい! フランダース様、味付けはどういたしますか!?」

 

「塩と、アレクのところからパクってきた美味いタレがあるから、両方試しな!」

 

 まとっていたローブを脱ぎ捨て、腕をまくり上げて手際よく大肉を網の上でひっくり返していくフラン。

 ジブジブと脂の爆ぜる心地よい音と、マナが多分に含まれた龍の肉特有の濃厚で暴力的なまでに食欲をそそる香ばしい匂いが、静かだった森の教会を包み込んでいく。

 

「──美味い! なんだこれは、これが龍の肉なのか!?」

 

「こんなに柔らかくて美味なもの、生まれて初めて食べました……!」

 

「こら、そこ! 焦げる前に食べなきゃ損だよ!」

 

 あまりの美味さに歓声を上げ、頬を緩める教徒たち。その真ん中で、泥臭く、けれど最高に楽しげに笑いながら肉を配るフランの姿があった。

 フランは網の前で忙しなく手を動かしながら、集まってきた信徒たち一人ひとりに、ぶっきらぼうながらも親しげに声をかけていく。

 

「ほら、カイン。お前はまだ育ち盛りなんだから、遠慮しないで三枚くらい持っていけ」

 

 フランが肉をどさりと皿に盛ったのは、街の排斥で行き場をなくし、この教会に流れ着いた身寄りのない孤児の少年だった。少年は目を輝かせ、

 

「ありがとう、フランダース様!」

 

 と肉に噛みつく。

 

「ほらほら、おっさん。腕が一本なかろうが、食うための口は残ってんだろ。もっと美味そうに食えよ」

 

 そう言って、骨付きの大きな肉を差し出した相手は、かつての戦場で片腕を失い、無価値として放り出され、行き場をなくしていた元傭兵の屈強な男だった。男は豪快に笑い、

 

「違いねえ。魔女様の仕留めた龍の肉ときちゃ、食わねえ理由がねえな」

 

 と残った片腕で器用に肉を受け取る。

 

 その少し後ろでは、世間の目が怖くていつも栗色の長い髪で耳を隠し、怯えるように暮らしていたハーフエルフの少女が、おずおずと順番を待っていた。フランは彼女と視線が合うと、ふっと優しい目を向けて、一番柔らかく火の通った極上の部位を切り分ける。

 

「はい、お嬢さん。龍の肉はマナがたっぷり詰まってるからさ、身体の芯から温まるよ。力もグングンみなぎる。遠慮しなくていいから、お腹いっぱい食べな」

 

「……っ、ありがとうございます……!」

 

 少女が嬉しそうに涙を浮かべて肉を頬張るのを見届け、フランはさらに、生まれつき足が不自由で、先年の飢饉の際に口減らしとして親から森へ捨てられた少年の元へと歩み寄った。少年の隣に腰を下ろし、肉を小さく千切って手渡してやる。

 

「しっかり噛んで食べるんだよ。これ食って、もっと強くなれ」

 

「うん……! フランダース様、すっごく美味しい!」

 

 わちゃわちゃと賑やかな、絵に描いたような日常の縮図。

 そこにいるのは、世界から不要なものだと擦り潰されかけ、けれどこの小さな場所で、確かにお互いの命を温め合って生きている愛おしい人間たちだった。

 

 その温かい喧騒から、ほんの一歩だけ離れた場所。

 純白のローブの裾を穏やかな風に揺らせながら、パンドラはただ一人、静かに佇んでいた。

 

 溢れる笑い声、肉の焼ける匂い、指示通りに楽しそうに肉を頬張る信徒たちと、その輪の中心で、誰よりも泥臭く笑いながら彼らを守るように佇むフラン。

 

 パンドラは何も言わない。

 ただ、その愛しい信徒たちと、大切な友人の姿をじっと見つめていた。ただただ、祈るように。

 

 

 

 

 

 

 

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