傲慢の魔女『フラン』   作:オド・ラグナの対義語

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『魔女と、道化と、執事と』

──ドォン、と重苦しい破裂音が爆ぜ、訓練場の堅い地面から抉り取られた乾いた土煙が派手に舞い上がった。

直撃すれば岩をも容易く粉砕するであろう、一瞬の踏み込みから放たれた苛烈な拳。衝撃波が鋭い風の刃となって周囲の木々を狂おしく揺らし、砂礫が雨のように降り注ぐ。それを繰り出したのは、藍色の柔らかな髪を振り乱す、大体二十歳そこそこにしか見えないうら若き少女の姿をした──ロズワール・J・メイザースだ。

 

物心ついてからの歳月を血の滲むような鍛錬に費やし、骨の髄まで叩き込まれた圧倒的な格闘技術。しかし、鈍い銀光を放つ手甲を嵌めた彼女の鉄拳が捉えたフランの身体は、生身の手応えを一切残さず、まるで水面に映る月のように歪んで揺らぎ、次の瞬間には陽炎のごとく掻き消えた。

 

「おやーぁ、お久しぶりじゃあなーぁいの、フラン。知らせもなく訪ねてくるなんてねーえぇ。百年間も音沙汰なしなんて、ひどーぉい仕打ちじゃあなーぁいのぉ」

 

拳を鋭く振り抜いた姿勢のまま、ロズワールは息一つ乱さず、鼓膜にねっとりと張り付くような間延びした道化口調を響かせる。

その足元、彼女自身の影が不自然に濃く、深く歪んだ。そこからぬるりと、衣服の擦れる音すら世界から消し去って這い出たフランは、手にした木刀を肩に預けながら、容赦のないドン引きの視線を投げつけた。

 

「中身はおじいさんのくせに、今度はその綺麗な女の体でその喋り方か。相変わらず色んな意味できついねぇ、ロズワール」

「ひっどーぉいお言い草だーぁね。これでも魂を定着させる器の選定と調整には、毎度毎度多大なる骨を折っているのだーぁよ。今代の私も、なかなか可憐に仕上がっていると自負しているのだけれーぇども?」

 

言いながら、ロズワールは軸足を滑らせて鋭い回し蹴りを放つ。視覚が追いつかない速度の足技が、空気を爆音と共に切り裂く。

しかしフランは、十数年前にカララギの『シノビの里』から回収した裏の、異端の隠密技術を躊躇なく発動させていた。

気配、足音、極まったものは肉体が放つ熱量すら完全に世界から途絶させる、隠密の歩法。

 

捉えるべき肉体の輪郭を完全に見失ったロズワールの蹴りが、ただ虚空の空気を引き裂いて鳴る。その一瞬の硬直を突き、フランは実体を伴ったかのように精巧な数人の『分身』を周囲の土煙の中に一斉に走らせた。

縦横無尽に交錯する幻影でロズワールの視界を激しく翻弄しながら、フランは影の隙間から軽口を叩いた。

 

「顔はいいんだよ」

 

「ほう?」

 

「問題は中身でしょうが。三百年以上経っても先生先生言ってるところ」

 

「それは最高の褒め言葉じゃあなーぁいの」

 

「褒めてない」

 

フランは呆れたように肩を竦めた。

分身たちのブレる残像の向こう、正面からロズワールと視線を合わせ、フランは木刀の先を彼女の胸元へと向けた。手合わせという疑似的な戦闘のなかで、ずっと肌を刺していた奇妙な違和感の正体。

 

「……それよりさ。手合わせしてて思ったんだけど、今のロズッち、魔法使いの匂いが全然しない。一体どうしたの?」

 

代々ルグニカ最高峰の魔導の家系であり、世界に冠たる魔法使いの血筋。それでありながら、目の前の可憐な少女の毛穴からは、魔術の素養たるマナの気配が、それこそ塵一つ分すらも感じられなかった。

 

「おや、気付いてしまったかーぁ。さすがはお目の高いことじゃあなーぁいの」

 

全方位から肉薄するフランの分身たちを、ロズワールは精密機械のような体捌きと冷徹な拳打で、一枚、また一枚と正確に叩き潰していく。幻影が衝撃を浴びて一気に燃え上がり霧散する中、ロズワールは心底楽しげに、歪な狂信を宿した口の端を吊り上げた。

 

「結論から言えば、当代のロズワール・J・メイザースは、魔法が一切使えない魔法使いとしては最低最悪の器なんだーぁよ。……すべては、先生の遺した初期の失敗作──『スピンクス』を、確実に処理するためにねぇ」

 

「エキドナの失敗作……? 失敗作なんていっぱいある気がするけど、もしかしてリューズの顔をした、あの複製体のこと?」

 

「そうさ。アレの魔法陣は厄介でねぇ」

 

「厄介?」

 

「魔法使いほど動けなくなるんだーぁよ。先生の知識を、ずいぶん上手く悪用している」

 

スピンクスの展開する魔力霧散の結界は、魔法使いとしての才覚に恵まれ、マナの循環性が高ければ高いほど深くその身を拘束する。魔導の頂点に立つ者ほど指一本動かせなくなる、悪辣極まる対魔法使い用の術式であるという。

ロズワールは一歩深く地面を蹴り、乾いた大気を穿つような激しい連撃をフランへと繰り出す。手甲が風を切るたび、鼓膜を鋭く劈く音が響いた。

 

「なら、答えは簡単じゃあなーぁいの。最初から魔法の才能が皆無の体であれば、アレの陣の中でも普段と変わりなく動くことができる。アレが使う魔法の知識も先生の物なら知っている。今生きている誰にも負けないとも。だが、取りこぼさないわけじゃあない。それだけだーぁよ」

 

だから私は、この一代の魔法を初めから切り捨てた──。

ロズワールの拳が、大気を巻き込んで重低音を唸らせる。

 

「二十年だーぁよ」

 

ドン、と衝撃波が爆ぜ、二人の間の空気が文字通り圧搾される。

 

「二十年、この体だけを鍛え続けた」

 

魔導の最高峰たるプライドも、魔法という至高の力そのものすら、エキドナの遺産を回収するためなら躊躇なく捨て置ける。物心ついた頃から魔法の使えない劣等生として泥をすすり、細い拳を血に染めて技を磨き続けてきたその凄惨な執念。

少女の形をした怪物の唇が、愉快そうに吊り上がった。

 

「先生の失敗作を、先生の知識ごと、この手で粉々に砕いてあげるためにねぇ」

 

向けられるあまりに一途で、あまりに歪んだ純粋な殺意。フランは影潜りと分身を万華鏡のように織り交ぜてその猛攻をいなし、ロズワールの手甲へ自身の木刀を軽く合わせて、その衝撃を利用し吸い込まれるように綺麗にバックステップで距離を取った。

 

「相変わらず、先生が絡むとネジが吹っ飛ぶね」

 

「褒め言葉として受け取っておこうかーぁ」

 

「だから褒めてないって」

 

フランは力を抜き、木刀を下ろした。周囲に漂う火薬のような土煙の匂いと、ロズワールの拳が放っていた熱量が、ゆっくりと大気へと霧散していく。

 

「まあいいや。あんたの異常性は十分伝わった」

 

「ひっどい評価だーぁねぇ」

 

ロズワールはふう、と小さく熱い息を吐き出し、構えを解いて金属音を立てながら手甲を外した。

 

 

 

---

 

 

 

手合わせの終了を見計らったかのように、訓練場の隅、砂嵐が落ち着いた木陰から、物音一つ立てずに一人の男が歩み寄ってきた。ロズワール邸の執事──クリンドである。

彼は一寸の狂いもない完璧な所作でロズワールに冷たいおしぼりをお盆に乗せて手渡し、それからフランの元へと向き直ると、衣服の乱れを直すように胸にそっと手を当てて、深々と頭を下げた。

 

「お久しぶりでございます、フランダース様。相変わらずの見事な身のこなし。感服。こちら、新しいお茶をご用意しております。給仕」

 

クリンドは頭を下げたまま、ほんの一瞬だけ目を細めた。

 

その視線に宿った感情を、フランは知っている。

 

懐旧。

敬意。

そして警戒。

 

350年前の旅路を知る者の目だ。

神龍ボルカニカの記憶を継ぐ彼にとって、自分は今なお過去の仲間なのだろう。

だがそれと同時に。

 

クリンドの眼差しは、かつての思慮深く男性性も持ち合わせていた少女へ向けられているものではない。

彼が見ているのは、『傲慢の魔女』フランダースだった。

 

クリンドは静かに顔を上げたその瞬間だった。

先ほどまでの柔らかな執事の顔が、ほんの僅かだけ変わる。冷静でありながらもあたたかな表情の温度が消え、空気が張り詰めた。

 

フランは肩を竦めた。

 

ああ、この目だ。ファルセイルのために牙を剥く時の目。そして世界を見下ろす、観覧者に近い龍の目線。

 

「ボルカニカとしての私が、かつての旅の仲間であるあなたを今も特別に想う気持ちに嘘はありません。感傷」

 

「あなたを信頼しております。事実」

 

「へえ」

 

「ですが、もし旦那様を破滅へ導くのであれば」

 

クリンドの瞳が、爬虫類のそれのように静かに細められる。応接間へ続く廊下の空気が、一瞬で氷結したかのように張り詰めた。

 

「その時は敵です。断定」

 

「相変わらず堅苦しいね、あんたは」

 

フランは肩の力を抜き、ふっと自嘲気味に苦笑した。

だが、クリンドの生真面目な態度が、その青髪と金の眼の色彩が、彼の言葉の端々にちらつく金髪の義兄──ファルセイルの面影に、胸の奥の、もうとっくに失われたはずの場所が微かにチリりと痛んだ。かつて魔獣の女神から離れ、文字も何も知らない街で心細く震えていた自分を不器用に、けれど確かに抱きしめてくれた義兄。

 

本当に困った人だった。必要とあらば平然と国を敵に回し、龍の背で眠りこけ、魔女を庇い、そのくせ最後には全部どうにかしてしまう。

 

そんな無茶苦茶な男だったから、胸の奥が少しだけ痛む。もう何百年も前のことだというのに。

 

――余は感謝を忘れぬ。

 

「私だって忘れないさ」

 

私はその血脈と盟約を命がけで守るために。あの道化はその愛した人を蘇らせるために。その執事も、この気の遠くなるような年月を歪な戦いに捧げている。

 

「心配しなくても、ロズワールをそそのかすつもりなんてないよ。私はただ、あいつの顔を拝みに来ただけだからさ」

 

「そうであれば、私としてもこれ以上の無礼を働く必要はありません。安堵。失礼いたしました、フランダース様」

 

 

 

---

 

 

 

訓練場の奥にある、見晴らしの良いテラスに席を移す。涼しい風が吹くたび、広大なメイザース領の深い森の青い匂いが鼻腔をくすぐった。テーブルの上では、クリンドの熟達した淹れ方で温かい紅茶が、細い白杯の中で静かに美しい琥珀色の湯気を立てている。

ロズワールは繊細な指先で茶杯を傾けながら、道化の乙女の可憐な表情に、どこか目の前の霧のように薄暗い影を落としていた。

 

「それで、フラン。わざわざ百数年ぶりに私を訪ねてきたということは、何か外の空気に変化でもあったのかーぁしら?」

「いや、別に大した用じゃないんだけどね」

 

フランは温かい紅茶を口に含む。上質な茶葉の渋みと華やかな香りが広がる。

 

「ただ、道中で嫌な空気を嗅いでさ」

 

「ほう?」

 

「あれは自然発生じゃないね」

 

カツン、と静かに茶杯を置く。その音が、テラスの静寂に妙に重く響いた。

 

「誰かが焚き付けてるんだと思う」

 

「……やはり、外でも兆候が出始めているんだーぁね」

 

フランの指摘に、ロズワールは驚きを示すこともなく、ただ紅茶の表面に映る自分の顔を見つめたまま、声音の粘り気を少しだけ強くした。

 

「私の手元にある『叡智の書』にも、近いうちにこの王国を揺るがす大きな諍い──亜人たちによる大規模な暴動が記されている。そして、その奇妙な連帯の裏には……」

 

「あんたの追ってる、スピンクスが暗躍してるってわけ?」

 

「ご名答じゃあなーぁいの。アレは亜人たちに知恵や技術を与え、王国の戦力を削ぐための実験材料として煽動している。まだそれがどのような状況で、かはわからないがアイヒア湿地帯で起こる戦い……そこがアレとの、最初の決戦の場になるだろうねぇ」

 

ロズワールは淡々と、しかし確固たる殺意を拳に込めながら未来の戦場を見つめていた。その美しい瞳には、可憐な少女のそれとはあまりにもかけ離れた、幾星霜のドス黒い執念がぎらついている。

 

やがてルグニカ王国を血と硝煙で染め上げ、数多の英雄たちの運命を狂わせる惨劇──『亜人戦争』の開幕が、数年後の未来にすぐそこまで迫っている。冷たい風が、皮膚をチリつかせるように通り抜けていく。

 

かつての仲間たちの残滓──龍の記憶を宿す竜人、ファルセイルの義妹たる魔女、そしてエキドナへの狂信に身を焦がす道化。

それぞれが異なる執念と、異なる歪みをその身に抱えながら、世界は確実に、新たな激動の戦火へと突き進んでいく。

 

拳を交えた後の心地よい身体の疲労感の裏で、かつての約束も、温もりも、すべてが時代の濁流へと容赦なく押し流されていくような、重厚でビターな余韻を残して、ロズワール邸の会談は静かに更けていった。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「じゃあ、そろそろお暇しとこっかな」

 

フランはそう言って、空になった白磁の茶杯をソーサーへと戻し、テラスの椅子から腰を上げた。

涼しい風が彼女の髪をさらりと揺らす。そのまま屋敷の中へと歩みを進めかけたフランだったが、ふと思いついたように、館の奥へと続く薄暗い回廊の先へ視線を向けた。

 

「──あ、そういえばさ。ベティってば、なーんであんなにずーっと部屋に引きこもって本ばっかり読んでるわけ? 百年前に来た時も扉の向こうに引きこもってたけど、よく飽きないよねぇ」

 

前世の感覚からすれば、ただの極まったインドア派の引きこもりにしか見えない。そんなフランの軽い、何気ない疑問。

だがその問いを投げかけられた瞬間、ロズワールの眉が一瞬だけ、ぴくりと跳ね上がった。

 

「おやーぁ、あの子の引きこもりは筋金入りだからねぇ。先生の言いつけを忠ーぅ実に守って、いつか来る『その人』とやらを、ずーっと健気に待っているのさ」

 

ロズワールは眉一つ動かさず、いつもの間延びした笑みを浮かべたまま、さらりと道化の仮面でそれを受け流してみせた。

口元は完璧におどけて見せている。しかし、その藍色の瞳の奥に広がるのは、二百年前に孤独なベアトリスのために扉を叩いたトスカを冷酷に拒絶したあの子の姿と、この『J』に至るまでの何もかもうまくいかない現実への、冷え切った深い悲哀だった。

 

(もし、先生の言う『その人』があなたであるなら、先生は最初からそう遺していただろうに。──だって、あなたと先生は、誰かを待つまでもなく、最初から友人だったのだからねぇ)

 

ロズワールは目の前のフランをじっと見つめながら、内心で冷徹にその思考を処理する。『その人』の計画についても、あの子の契約についても、フランに明かすつもりは毛頭ない。これはベアトリスと先生の契約だ。勝手に人に話すつもりは──来るべきあの日は別にして──無かった。

ただ、綺麗に取り繕った道化の声音の端に、ほんのわずかだけ、歴史の重みに耐えかねたような本物の切なさが滲んだ。

 

「本当に……何もかもうまくいかないものだーぁねぇ。あの子の時間がいつか報われるのか、私には分からーぁないよ」

 

「ふーん。まあ、ベティがそれでいいならいいんだけどさ」

 

フランはそれ以上、ロズワールの地雷を深く踏み抜くような真似はしなかった。

彼女は廊下を歩きながら、ふと、並ぶ扉の前に足を止めた。ベアトリスの禁書庫が、屋敷のあらゆる扉と空間を繋げる『扉渡り』の魔法で成り立っていることは、フランも知識として知っている。

 

「ちょっと失礼」

 

おもむろに、目の前にある手近な真鍮っぽいドアノブに手をかけた。その冷たい感触が掌に伝わる。

 

(たまには禁書庫に繋がんないかなー、驚かせてやろ)

 

そんな悪戯心を込めて、フランは勢いよく扉を開け放った。

 

カチャリ、と静かな音がして開いた空間。

しかし、そこに広がっていたのは本に埋め尽くされた異空間などではなく、ただの埃っぽい予備の物置部屋だった。整然と並ぶ棚と、窓から差し込む退屈な陽光。不発である。あの子が繋げていたのはこの部屋ではなかった。

 

「あーらら、やっぱりダメか」

 

パタン、と扉を閉め、フランは可笑しそうに肩を竦めた。

 

「ま、いっか。ベティも私も、寿命なんてないようなもんだし。また今度、気が向いた時に会おうっと」

 

百年、二百年という人間の国を興し滅ぼすほどの歳月すら、彼女たちにとってはまた今度で片付く程度の刹那に過ぎない。その魔女ならではの途方もない時間の軽さを残して、フランは今度こそ、未練なくロズワールに背を向けた。

 

「じゃ、ロズワール、クリンド。今度こそ行くわ。亜人だかスピンクスなんだか知らないけど、死なない程度に頑張りなよ」

 

「ええ、気をつけてお帰り、フラン。また、お茶の準備をして待っているからねーぇ」

「道中、くれぐれもお気をつけて。壮行」

 

背後から響く間延びした道化の声と、まさにこれぞ執事といった一礼を背中で受けながら、フランは応接間を、そして広大なロズワール邸を後にした。

 

一歩、屋敷の外へ踏み出すと、メイザース領の冷涼な風が彼女の頬を優しく撫で、どこか遠くから、差し迫る時代の足音がかすかに聞こえた気がした。







AI挿絵注意




【挿絵表示】




アニメ4期、喪失編終わっちゃいましたね……。ナツキ・スバルが頑張る理由を知った残骸君、何年ぶりかに流れたあの曲、とっさに人を助けてしまえる残骸君、サテラのあの目、全てがよかった喪失編最終話でした。

続きは8月だそうで、それまでにはこの二次もメインストーリーを進めれたらいいですね。
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