傲慢の魔女『フラン』   作:オド・ラグナの対義語

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原作第六章 喪失編
『あなたを探す理由』


 魔女教の『福音書』がその頁に遺した、黒いインクの染みのような記述。それに導かれるがままに私が水門都市プリステラへと足を運んだときから、半月ほどが経っていた。

 

『剣聖』の家系が血の滲む歴史の果てに迎える、あのあまりにも残酷で、けれど昏い美しさを孕んだ決着をこの目で看取るため。──そして、まさかあんな悍ましい戦火の中心にいるとは露ほども知らなかったが、結果として私を引き合わせる形となった、大切な『フーちゃん』と再会するため。

 

 あの一件が閉幕した後、私はすぐにフーちゃんの後を追ったわけではなかった。

 

 理由は単純である。

 

 ラインハルト・ヴァン・アストレアに叩き潰され、完膚なきまでにボコボコにされた精神的損傷をまずは癒やす必要があったからだ。

 

 あれはひどかった。本当にひどかった。

 いくらこちらが吸血鬼で、魔女で、四百年を生きる傲慢の怪物だとしても、あれはひどい。なんなのだ、あの歩く理不尽は。人の形をした天災とはよく言ったものだが、あれに関しては天災の方がまだ世の摂理に従っているだけ可愛げがある。

 

 

 

 というわけで私は、王国でも有数の地竜の産地として知られ、同時に裏社会の賭博と取引が複雑に絡み合う地竜の都──私と同じ名を冠する『フランダース』に身を寄せていた。

 

 表向きは富裕層向けの瀟洒な会員制サロン。

 だがその地下には、王国裏社会の賭博を総べる組織──『天秤』の中枢に近い拠点が存在している。

 

 大理石の床。音を吸う厚い絨毯。磨き抜かれた黒檀の卓。香の匂いに混じって漂う、酒と金貨と欲望の気配。その奥まった一室で、私は天鵞絨張りの長椅子にだらしなく沈み込み、銀の長匙で贅を尽くした巨大なパフェを崩していた。

 

 竜乳の濃厚なクリーム。蜂蜜漬けの果実。砕いた焼き菓子。冷やした甘露の氷菓。金箔まで散らされたそれは、傷ついた私の心を慰めるには実にふさわしいデザートである。

 

「フランダース様。少々、耳に入れておきたい噂がございます」

 

 卓の脇に控えていた『天秤』の構成員が、そう静かに告げた。

 

 灰色の髪を後ろで束ねた、痩せぎすの男だった。年齢は四十前後。表向きはこのサロンの支配人であり、裏では様々な組織とを繋ぐ情報の結節点を任されている。右の手の平には天秤の刺繍が刻まれている。

 

 私は苺をひとつ匙で掬い、口へ運びながら片目だけを向けた。

 

「噂? 私の慰安時間を邪魔するだけの価値がある話?」

 

「判断しかねます。ですが、水門都市プリステラから流れてきたものです。曰く──水門都市の英雄たちが、『色欲』と『暴食』の被害者を救うため、東の果てにいる三英傑の『賢者』を頼って旅立った、と」

 

 匙が、空中で止まった。

 

「……賢者?」

 

「はい。噂の尾ひれは多く、正確性には欠けます。『龍の血』の呪いを癒やす秘薬を求めたとも、名を喰われた者を取り戻す術を探しているとも、銀髪の王選候補が砂海の向こうへ消えたとも。いずれも市民の噂話や酒場や賭場で流れている類の話に過ぎません」

 

 男は一拍置き、表情を変えずに続ける。

 

「ですが、黒髪の少年。銀髪の少女。小柄な金髪の幼女。青髪の鬼族らしき女。さらに、ホーシン商会筋と思しき同行者の存在。複数の証言に、共通する特徴がございます」

 

 口の中に残っていた甘さが、急にひどく薄くなった。

 

 黒髪の少年。

 銀髪の少女。

 小柄な金髪の幼女。

 

 その並びを聞くだけで、思い浮かぶ顔は一つしかない。

 

「……フーちゃん」

 

 呟いた私の声に、応対していた男の背筋が僅かに伸びる。

 

 情報というものには、必ず時間差がある。

 誰かが見聞きした噂が賭場へ流れ、賭場から商人へ渡り、商人の荷に紛れて別の街へ運ばれ、符丁に変換され、ようやく『天秤』の皿へ載せられる。どれほど組織の網を細かく張り巡らせても、距離と人の口が介在する以上、鮮度は必ず落ちる。

 

 ましてや、プリステラからの話だ。

 私の耳に届いた時点で、その噂はすでに数日、下手をすれば十日以上前の足跡かもしれない。

 

 私は銀匙を器の縁に置き、半分ほど残っていたパフェを見下ろした。

 

 竜乳のクリームも、蜂蜜漬けの果実も、砕いた焼き菓子も、途端にただの砂糖の塊にしか見えなくなる。

 

「……あれ。もしかして、これ、結構まずい?」

 

「現時点では噂に過ぎません」

 

「だからまずいんだよ。噂になる頃には、本人たちはもうずっと先に進んでる」

 

 私は長椅子から身を起こし、卓上に置かれていた真新しい認識阻害の魔法を編み込んだ深い灰色のローブを手に取った。

 

「すぐに裏を取って。使える皿は全部使っていい」

 

「承知いたしました」

 

「対象はナツキ・スバル。エミリア陣営の一行。同行者にアナスタシア・ホーシン、あるいはその関係者がいる可能性もある。目的地が本当に『賢者』絡みなら──」

 

 私はそこで言葉を切った。

 

 賢者。

 東の果て。

 アウグリア砂丘。

 

 そして──プレアデス監視塔。

 塔の仕掛けも、内部の構造も、そこに何が待ち受けているのかも、私は知らない。

 けれど、あの場所に関わっている名前は知っている。

 

 フリューゲル。

 エキドナ。

 それから、かつての旅の道連れたち──レイド、ファルセイル、アレク、サテラ、ボルカニカ。

 

 それだけで十分だった。

 

 フリューゲルが関わり、先生が関わり、賢者『シャウラ』という名が残っている場所。

 そんなものが、ただの親切な救済の道であるはずがない。

 

 特に先生だ。

 あの人が残す仕掛けは、いつだって意地が悪い。挑む者の欲を撫で、弱さを暴き、知ろうとする意志そのものを試す。本人はきっと悪びれもせず必要なことだったとでも言うのだろう。

 

 そして、フーちゃんは──私の知る限り、フリューゲルだった頃の記憶を失っている。

 

 つまり、もしかすると自分で残したかもしれない悪趣味な罠へ、何も知らないまま、あの弱い人間の身体で踏み込もうとしているのだ。

 

「……まったく。相変わらず死にたがりで、お節介な人なんだから」

 

 胸の奥で、苛立ちとも不安ともつかない熱がじわりと滲んだ。

 

 男が一礼し、部屋を出ていく。

 

「ああ、マンフレッドによろしくね」

 

 その背が扉の向こうへ消える頃には、私はすでにローブを肩に羽織っていた。

 

 ほどなくして、卓上に置かれていたミーティア──『対話鏡』が、淡い光を放つ。

 

 ガラケーのようにパカッと開く箇所から漏れ出す光を見咎め、私は即座にそれを手に取った。鏡面に映ったのは、おそらくはどこかの倉庫の一角であろう薄暗い場所と、禿頭の男の顔だった。

 

『秤の後継者へ。噂の裏取りが完了いたしました。対象の少年、およびエミリア陣営の一行は、ルグニカ王国東端──アウグリア砂丘方面へ出発。目的地は、プレアデス監視塔と推測されます』

 

 細い指先で対話鏡の枠を強く、爪が白くなるほどに強く握りしめる。パチリと小さな火花が散り、通信の途絶えた鏡面は私の、紅く据わった眼差しの輪郭だけを映し出していた。

 

「うそでしょ? ……本当に行ったの、フーちゃん」

 

 吐き出した声は、さっきまで甘い菓子の匂いに満ちていた室内で、ひどく冷たく響いた。

 私はローブを大きく翻し、身にまとった。

 

「あそこに何があるか詳しくは知らない。知らないけど、フリューゲルと先生が関わってる時点で、まともな場所なわけないじゃん。……しかも今のフーちゃん、たぶん何も覚えてないくせに」

 

 知らないまま、弱いまま挑む。それでも誰かを救うためなら、迷わず死地へ踏み込む。あの人はそういう人だ。

 

「あるいは、ちょうどよかったのかもね。──ファル義兄」

 

 私はそれだけ呟くと、地竜の都『フランダース』の地下に広がる『天秤』の拠点を後にし、一路、砂海の入り口たる辺境の町ミルーラへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 熱風が巻き上げる粗い砂粒が、衣服の隙間から容赦なく肌を削ろうと襲いかかってくる。世界から見捨てられたような砂の海。その地獄の入り口に位置する、ひなびた辺境の町『ミルーラ』。

 日差しに焼かれてひび割れた、泥漆喰の民家の木扉。その前に音もなく佇み、私は周囲の気配を網膜の奥の紅い光で一度だけ走査した。追跡者の影はない。確信を得てから、硬い拳の指関節で、不規則な間隔をあけて三度、戸板を叩いた。

 

 乾いた音が響き、張り詰めた沈黙が流れる。やがて、扉の向こう側の僅かな隙間から、低く刃物のように研ぎ澄まされた女の声が漏れ聞こえた。

 

「──天秤の皿に載せるものは?」

 

 使い古された、けれど部外者が一度でも間違った答えを口にすれば最後、決して中には入れない。もし力尽くで押し入ろうとすれば即座に潜伏する暗殺者や仕掛けによって命を刈り取られる──『天秤』の容赦のない秘密の符丁。私はフードの奥から、低い声で返答を紡ぐ。

 

「罪はただ痛みによってのみ贖われる」

 

 この噛み合っていない問答は、万が一にも偶然合言葉を言い当てられることがないように、という組織の工夫であった。

 

 ガシャリ、と内部で幾重にも掛けられていた重い鉄の閂が、油の切れた不快な音を立てて外された。僅かに開いた隙間から滑り込むように中へ入ると、室内は遮光のために厚い布が窓に打たれ、ランプの淡い灯りだけが頼りの薄暗がりに包まれていた。

 

 そこに立っていたのは、衣服から露出した右腕に、『天秤』の見事な刺青をあしらった褐色肌の女だった。ミルーラに深く潜伏し、砂丘の動向を監視し続けている組織の連絡員だ。この町は娯楽も少なく、組織からも人気のない町だった。彼女も、まあ多分望んでこの町に潜入しているわけではないだろう。

 

 この組織の人間は、一切の足跡を残さないために書面の類を一切好まない。万が一にも情報が漏洩せぬよう、驚異的な記憶力によって統制された生々しい情勢を、彼女は背筋を伸ばしたまま、口頭で滑らかに語り始めた。

 

「お久しぶりです、フランダース様。水門都市での大戦以降、各王選候補たちの足並みはそれぞれ完全に分かれております。もともと王の座を相争う立場ですから、当然でしょうが。まず、プリシラ・バーリエルは、片腕の騎士と幼い従者を従え、戦後処理を待たずに自領バーリエルへと早々に帰郷しました」

 

「あの血筋らしい傲慢な引き際だね。それで、他は?」

 

「『色欲』の大罪司教カペラが遺した『龍の血』の呪い──それに全身を蝕まれたクルシュ・カルステン公爵の容体は、極めて深刻です。彼女の騎士たるフェリックスや、アストレア家の老剣士ヴィルヘルムが付き従い、その呪いを取り除く術を求めて、這うようにして王都へと戻られました」

 

 褐色肌の女は一度言葉を切り、喉を湿らせるように小さく息を吸う。

 

「また、そのプリステラで生け捕りにされた『憤怒』の大罪司教シリウス・ロマネコンティですが……これの護送には、王選候補のフェルト様や、フェルト陣営の『剣聖』ラインハルトらが直接、警護に志願しました。王都の王城の隣に位置する大監獄──『監獄塔』の最深部へ収容するため、現在は厳重な檻と共に街道を東進しております」

 

「大罪司教の護送に『剣聖』を駆り出すなんてね。まあ、当然の判断か。賢人会の老人たちも生きた心地がしていないようだ。……で、本命はどう動いたの?」

 

 私が冷たく問いかけると、女の切れ上がった瞳に、僅かな緊張の混じった色が走った。

 

「アナスタシア・ホーシン。彼女はリカードやミミといった自身の傭兵団『鉄の牙』をプリステラに残し、別れを告げました。そして──『暴食』によって世界からその存在の記憶を剥ぎ取られてしまった、哀れな一の騎士と見られるユリウス・ユークリウスのみを伴い、あのナツキ・スバル一行と合流。一路、ルグニカ王国東端の魔境、プレアデス監視塔を目指してこのミルーラを通過し、砂海へと足を踏み入れています」

 

「……ユリウスを連れていったのは、存在を忘れられたあの騎士には、もう主の隣以外に縋るべき居場所がなかったから、か」

 

 胸の内で、フーちゃんたちと共に歩むメンバーの顔ぶれを思い描く。エミリア、ベアトリス、ラム、メィリィ、そしてアナスタシアに、記憶を喰われた精霊騎士。歪で脆い、前途多難な綱渡りの陣容だろう。

 

「──最後に、もう一つ。現地で奇妙な噂が流れています」

 

 部屋を出ようとした私の背中に、連絡員の女の声が静かに突き刺さった。

 

「ここ一年ほど、あの『迷いの砂漠』の奥へ向けて、不自然なほど真っ直ぐに飛んでいく鳥を見かけるようになった、と。砂丘を熟知した地元の住民でさえ、あの瘴気の海を平然と渡る鳥など見たことがなかったと不思議がっております」

 

「鳥、ね……」

 

 私の呟きと共に、室内の空気が目に見えて凍りついた。ローブの隙間から無意識に漏れ出た澱んだマナが、卓上のランプの炎を不自然に細く、青く歪ませる。

 

 対面に立つ褐色肌の女が、圧壊しかけた気配に防衛本能を刺激されたように、息を呑んで一歩身を引くのが分かった。王国裏社会の修羅場をいくつもくぐり抜けてきた『天秤』の構成員をして、一瞬で喉元に不可視の刃を突きつけられたような錯覚を抱かせる──。

 

 フードの奥で、私はひどく不機嫌に唇を歪めていた。

 間違いない。パンドラ──ドラちゃんの仕業だ。

 

 愛を褒める口で平気で世界に嘘を塗る、あの真っ白な魔女の歪みきったところは、昔から大嫌いだった。

 どれほど彼女が『虚飾』で世界を書き換えようと、私の『傲慢』だけは上から力任せにそれをねじ伏せ、彼女を真っ向から否定して嘘を暴くことができる。出来るが、あれはかなり集中力が必要になるし、ずっと『見る』必要があるから出来るだけやり合いたくはない。

 

 四百年目の歪な腐れ縁。あの透き通るような白金の髪と青い目が、フーちゃんたちの目指す塔の周辺に注がれている。その事実だけで、私の背筋に冷たい不穏な影が走るには十分だった。

 

「情報をありがとう。……ドラちゃんへのいい挨拶代わりになりそうだよ」

 

「恐縮です。それではフランダース様。天秤の担い手、テュフォンの名の下に」

 

「──報いもまた量られよう」

 

 私はそれだけ言い残すと、民家の扉を押し開け、激しい砂嵐が渦巻く外の世界へと再び身を投じた。

 

 熱風が咆哮を上げ、視界のすべてを黄砂の色で塗り潰していく。アウグリア砂丘。

 

 普通の人間の身であれば、呼吸を一つするごとに肺腑を瘴気に蝕まれていき、進めば己の歩いてきた方角すら見失う『迷いの砂漠』。だが、私の視界は衣服に編み込まれた魔力と、体内を奔流となって巡る莫大なマナによって、体調は万全である。むしろ瘴気は調子をあげてくれる。

 

 歪んでいる。空間そのものが、まるで熱に炙られた硝子のように、ぐにゃりと不自然にねじれ、外敵を拒んでいる。一定の法則性は空間の捻れには見受けられず、不均一な捻れ。なるほど、400年も経っていて記憶に残っていなかったが。これはあのラインハルトでもたどり着けないわけだ。

 

「キシャアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 突如、鼓膜を狂わせるような地響きと共に、私の数メートル先の砂海が爆発的に跳ね上がった。

 引き裂かれた砂の底から身を躍らせたのは、全長20メートルにも及ぶ肉の巨塊──魔獣『砂蚯蚓』だ。口腔から数トンの砂を激しく吐き散らし、同心円状に並んだ無数の鋭利な牙を大割りに剥いて、質量ごと私を圧殺せんと肉の雨となって降り注ぐ。

 

「鬱陶しいなぁ、虫ケラ」

 

 私のオドから溢れ出す莫大なマナが、四肢の血管を焼き切らんばかりの爆発的な熱量へと変換される。

 私は歩みを止めることすらせず、地面の砂を足裏のマナの爆縮によって文字通り爆破するように蹴り上げた。

 

 重力を置き去りにした、超高度への跳躍。

 牙を剥く砂蚯蚓の眉間に対し、ただマナを極限まで集中させた右拳を、容赦なく、垂直に叩き込む。

 

 ──瞬間、世界から音が消えた。

 

 直後、大気を伝ってアウグリア砂丘のすべてを揺るがす特大の天災が炸裂する。

 

 ドガァァァァァァンッッ!!!

 

 触れた刹那、20メートル超の魔獣の肉体が、内側から生じた超高圧の衝撃波に耐えきれず、頭部から尾の先まで一瞬で均等に、塵一つ残さぬ霧となって爆散した。

 

 それだけに留まらない。拳が空気を押し潰した風圧の余波が、遅れて真下の地表へと激突。凄まじい質量兵器の直撃を受けたかのように、半径数百メートルに及ぶ砂丘の全方位がすり鉢状に大陥没を起こし、何十万トンもの黄砂が津波となって周囲へ吹き飛んだ。自身の拳もまた、内側からの圧力に耐えきれず破裂する。しかし当然、私は吸血鬼である。すぐに修復される。

 

 さらにはその一撃の指向性が生み出した凄絶な真空の牙が、遥か上空の空をも巻き込んでいく。

 ゴオォォォッ、と空間が鳴動し、アウグリア砂丘の空を何百年もの間、分厚く覆い尽くしていたはずの荒れ狂う砂嵐──その『砂時間』の黒雲が、私が拳を突き出した軌道に沿って、モーセの十戒のように一直線に、綺麗に真っ二つへと叩き割られていた。

 

 割れた雲の隙間からほんの一瞬だけ、この地獄には不釣り合いなほどに美しい、吸い込まれそうな青空が顔を覗かせる。

 

「ふう。楽しかった。ラインハルトにはこんな攻撃当たるわけなかったし、いいストレス解消だわ」

 

 砂煙を悠然と割りながら着地した私は、周囲に降り注ぐ生臭い肉の雨をゴーアの障壁でパチパチと弾き、すぐに上空を見上げた。

 割れた砂嵐の、そのさらに奥。乱気流の彼方で、今の衝撃波に巻き込まれそうになりながらも、必死に羽を羽ばたかせて一定の高度を保とうとしている一羽の鳥の姿があった。その眼は真っすぐ、じっと遠くに見えるプレアデス監視塔を見つめていた。

 

「お? 見ぃつけた、ドラちゃんの目」

 

 私は紅の眼を冷酷に細め、左手をそっと天に向けてかざす。行使するのは『傲慢の権能』。

 対象の存在が依って立つ存在の核。それを、私の指先が強引に引き寄せ、そして一方的に引きちぎった。

 

 パキ、と。

 中空で、まるで硝子細工が内側から破砕したような、あるいは小さな生き物の骨が折れるような、短く、不機嫌な音が響く。

 次の瞬間、存在の核を壊された鳥の肉体は、羽一枚、血の一滴すら残さず世界から剪定された。その肉体は地面に辿り着く前に、マナへと還って消えていった。

 

「ふん……相変わらず、趣味の悪い鳥。私にならまだしも、そんなものでフーちゃんを覗こうだなんて、私が許すわけないじゃん」

 

 塵すら残さぬ虚空を鼻で笑い、私は再び、砂の波を割るように恐るべき速度で塔を目指して駆け出した。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 ──同時刻。

 アウグリア砂丘からはるかに離れた彼方。世界から色彩のすべてを奪い去ったかのように真っ白で、それゆえに狂おしいほどに静謐な居住地の中で、虚飾の魔女は、愛おしそうに自身の細い肩を小さく震わせていた。

 

「おや……?」

 

 自らの意志の延長線上にあったはずの、砂丘の監視鳥との繋がり。それが、何の前触れもなく、かつ塵一つの残滓すら残さずに完全に消滅した。その途絶の感触を脳裏の奥で受け止めたパンドラは、両頬を自らの白い掌で包み込むようにして、心底嬉しそうな、あまりにも純粋で歪な笑みをその可憐な唇に浮かべた。

 

「一瞬で、これほど綺麗に消されてしまうだなんて……。やはり、貴方なのですね。フランダース」

 

 鈴の鳴るような、どこまでも清らかで、それゆえに聴く者の五感を狂わせるような声音が、白い空間に波紋のように広がる。

 

「うふふ。まったく。ひどいことをするものです。せっかく用意した可愛い小鳥を、挨拶もなしに壊してしまうだなんて……。水門都市での騒ぎから、まだひと月も経っていないというのに、貴方はまた、私のためにこうして動いてくださるのですね」

 

 パンドラは感激に胸を震わせ夢見るような、どこまでも深い狂気を孕んだ瞳で、遥か遠い砂丘の空を想う。その指先が愛しい恋人の髪を撫でるかのように、空中に見えない輪郭を描いた。

 

「嬉しいです。本当に、愛おしい。──さあ、私と貴方で、あの時の戦いの続きをしましょう? フランダース」

 

 

 

 

 










「マンフレッド様」
「何かナ」
「よろしかったのですか、我々フランダースの『天秤』はフェルト陣営に肩入れすると報告せずに」
「フェルト様と呼んでおくようニ。その件は言わずともわかるだロ。フラン様が水門都市で誰と戦闘したのか考えればナ」
「は。愚問でございました。しかし、後から報告するのも恐ろしくありませんか?」
「あの方はそう理不尽ではないサ。好物の菓子や名剣でも献上すれば赦して下さるとモ。腕の1本くらいは燃やされるかも知れないがネ」
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