傲慢の魔女『フラン』   作:オド・ラグナの対義語

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『その真意を』

 

「それにしてもお、気が遠くなりそうなお話よねえ」

 

 己の長い青色の三つ編みを細い指先で不器用に弄びながら、円筒形の壁面に沿ってどこまでも広がる無数の書架を見渡したメィリィちゃんが、ぽつりと吐き出すように呟いた。

 

 三層『タイゲタ』の書庫。

 

 はるか魔女の時代から現代に至るまで、この世界で命を落とした者たちの記録である『死者の書』が眠る、気の遠くなるような空間。

 

 少し離れた段差の上の書架で、あてもなくファル義兄の名が記された背表紙を探し、指先を滑らせていた私は、その静かな呟きを敏感に拾い上げてそっと耳を傾けた。

 

 紙が擦れる音が響き、手近な本棚と向き合っていたフーちゃんが「どうした?」とメィリィちゃんの方を振り返るのが、上段の私の位置からよく見えた。

 

「謎解きからこっち、参加意欲の低かったお前も、これは興味湧いたか?」

 

「どうかしらねえ。……ただ、死んじゃった人を知ってれば知ってるほど、読める本がたくさんあるってことなんでしょお? だったら、わたしは結構あるかもねえ」

 

「────」

 

 膝を立てて冷たい石床に直接座り込み、どこか遠い目をして何気なく言ったメィリィちゃんを見て、フーちゃんの手がピタリと止まった。

 

 多くを手にかけたからこそ、年齢に似合わないほど多くの「死んでいった人々」の生前の姿を知っている少女。

 

 それは、言葉にしてしまえばひどく単純だ。

 けれど、その単純さが、かえってフーちゃんの喉を詰まらせているのだろう。

 

 かわいそうだと言えば、あまりに一面的だ。

 責めれば、今ここにいる彼女を否定することになる。

 何も言わなければ、その過去を見て見ぬふりにしてしまう。

 

 フーちゃんはたぶん、その全部を一瞬で考えて、どの言葉も選べなくなったのだ。

 

「また、そんな顔してるわあ」

 

 メィリィちゃんが、くすりと笑う。

 

 その笑みはいつものように蠱惑的で、年齢に不釣り合いなほど大人びている。けれど、その奥にあるものは、大人っぽさではなく、どこか空虚な諦めに近かった。

 

「お兄さんって、本当に顔に出るのねえ」

 

「……俺、そんな変な顔してたか?」

 

「してたわよお。わたしのことをかわいそうって思っていいのか、悪いのか、わからないって顔」

 

 言い当てられて、フーちゃんの肩が小さく揺れた。

 

「……否定できねぇな」

 

「別に怒らないわよお。慣れてるもの」

 

「慣れてるって言い方が、もうしんどいんだよ」

 

「じゃあ、しんどがらなくていいんじゃなあい?」

 

 さらりと返され、フーちゃんは言葉を失った。

 

 メィリィちゃんはそれを見て、また小さく笑う。相手をからかう笑いではあるけれど、そこに悪意は薄い。むしろ、踏み込みすぎないように自分から距離を作っているように見えた。

 

 ──三層『タイゲタ』の書庫が開放され、一行は膨大な量の蔵書と向かい合い、それぞれのトライアンドエラーをひとまず繰り返している。

 

 故人の『記憶』を追体験し、知れなかったことを知るチャンスを得られる書庫。それだけ聞くと、与えられる可能性は無限大にも思えるけれど、現実はそれほど甘くない。

 

「襟巻きのお姉さんの言う通りなら、今まで死んじゃった人の本が全部あるんでしょお? その今までって、この塔ができてから全部なのかしらあ?」

 

「わからねぇ。仮にそれで合ってるとしたら、ざっと四百年分の記録……『死者の書』が揃ってるってことになる。とても読み切れねぇよ」

 

 正直、タイトルを目で追いかけるだけでも、人間の一生など一瞬で摩耗してしまうほどの膨大な時間が必要となる。実際、フーちゃんとユリウスがそれぞれ『あたり』を引いて以降、他のみんなは誰一人として『死者の書』を引けていない。

 

 それくらい、四百年の歴史が積み上げた死の壁は重いということだ。

 

「あんな体験、しないで済むならって気もするしな……」

 

「またブツブツ言っちゃってえ。そんなんじゃ、お姉さんもベアトリスちゃんも気が休まらないと思うわあ。裸のお姉さんのことも、どうするのお?」

 

「俺が気が多いみたいに言うなよ……。いや、否定はできねぇんだが、いったん否定しとくぞ? で、シャウラのことだが……」

 

 メィリィちゃんの核心を突くような問いかけに肩を落とし、フーちゃんはちらとシャウラの方に目をやった。

 

 少し離れたところで、ユリウスやアナスタシアからの質問攻めにあって、あわあわと両手を振り回している彼女は、フーちゃんの視線に気付くと、一瞬で顔を輝かせて熱烈な投げキッスを飛ばしてきた。

 

 フーちゃんはそれを無表情で叩き落とした。

 

「くすくす……お兄さんったら、悪い男の人よねえ」

 

「なんか、お前に言われるとラムとかアナスタシアさんに言われるよりしんどい」

 

「見た目が子どもだからかしらあ?」

 

「自分で言うな。余計にしんどい」

 

 フーちゃんは黒髪の後頭部を乱暴に掻き、しばらく迷ったあと、ぽつりと切り出した。

 

「変なタイミングだけど、少しお前のこと聞いてもいいか?」

 

「えええ……お兄さん、気が多すぎると思うわあ」

 

「違うから! そういうのじゃないから!」

 

「冗談よお。……別に、聞きたいことがあるんなら聞いたらいいんじゃなあい?」

 

 小首を傾げ、どこか年齢にそぐわない艶っぽさで目を細めるメィリィちゃん。どこか蠱惑的な雰囲気を纏った彼女に、フーちゃんは「なら、お言葉に甘えて」と前置きした。

 

「お前、いつから殺し屋なんてやってたんだ?」

 

「──ぷっ、あはははははっ!」

 

「え!? なんだよ!? なんで笑った?」

 

 真剣なトーンで聞いたつもりが、メィリィちゃんに無邪気に笑い飛ばされて、フーちゃんは目を白黒させている。動転するフーちゃんに、メィリィちゃんは目元の涙を指先でそっと拭いながら、くすくすと肩を揺らした。

 

「すごおく今さらな質問よねえって思って。だって、わたしったらお兄さんたちのお屋敷に一年ぐらいいたんでしょお? それなのに、わたしの身の上話を気にしたのが、こんな砂だらけの塔に入ってからなのお?」

 

「……言われてみりゃそうだな。ぬいぐるみ渡してる場合じゃなかったか?」

 

「贈り物してくれるから、お兄さんのことは好きよお? くすくす」

 

 口元に小さな手を当て、悪戯っぽい目をフーちゃんに向けてくるメィリィちゃんに、フーちゃんはバツの悪い思いを味わっていた。

 

 確かに、ひどく今さらな質問だった。

 けれど、それを今ここで、この死の記憶が澱む書庫だからこそしたくなる気持ちは、私には痛いほど理解できた。

 

「忘れてたってえ?」

 

「この一年で、お前は俺の中じゃ人形遊びしてる女の子ってカテゴリーだったんだよ。あんまり、俺に限った話じゃないと思うけど」

 

「────」

 

 完全に危険性を忘れていたわけではないにしろ、屋敷で大人しく過ごす彼女への警戒は、少しずつ薄れていっていたのだろう。

 

「色々あったけど、ペトラともずいぶん仲良くしてたじゃん?」

 

「はぁ……あのねえ、ペトラちゃんはすごおくしたたかだったわよお?」

 

「そうなの?」

 

「ええ、そうよお。わたしが敵か味方かわからないからあ、自分のことを好きになってもいいって。そうしたら、裏切れなくなるでしょおって」

 

「おいおい、すげぇなそれ。ペトラ、小悪魔過ぎるだろ……。まさか、オットーとかロズワール以外にもそんな苦労をかけてたとは」

 

「お兄さんとお姉さん……特にお姉さんだけどお、きっとみんな、お姉さんにお姉さんのままでいてもらうために頑張ってるんだと思うわあ」

 

 抱えた膝の上に顎を置いて、淡々と、けれど本質を鋭く見抜いた分析をするメィリィちゃんに、フーちゃんは深く、染み入るように頷いていた。

 

 エミリアにエミリアらしくいてもらう。

 

 それは、この過酷な異世界で彼女の騎士を拝命したフーちゃんはもちろんのこと、あの陣営の誰もが心の中心に留めているルールなのだろう。

 

「……わたしがお仕事を始めたのは、今から五、六年前よお」

 

「……話してくれるのか?」

 

「聞きたいなら聞いたらって言っちゃったしねえ。別に隠すことじゃないしい」

 

 青い三つ編みの先端を揺らしながら、メィリィちゃんは自身の歪んだ過去の輪郭を、まるで他人の物語のように滑らかに語り始めた。

 

 『ママ』の言うことに従わなければ、すごおく恐ろしい目に遭わされるという恐怖の支配。

 

 元々、生まれつき魔獣に言うことを聞いてもらえる異能の加護があったから、ママは自分を拾ったのだということ。

 

 そして。

 

「──? あぁ、わたし、捨て子なのよお。物心つく前に森に放り捨てられて、魔獣ちゃんたちに育ててもらってたのよねえ」

 

 その淡白な告白がフーちゃんの耳に突き刺さり、彼が絶句したまさにその瞬間、私は彼らの頭上から、コツコツと足音を響かせながら階段を降りていった。

 

 私は、彼のそのやりきれない沈黙を、なんとなく放っておけなかったのだ。

 

 先のシャウラの強烈な狙撃によって、お気に入りの灰色のローブのフードは無残に引き裂かれてしまっており、今は私の輝くような金髪と、怪しく燃える紅い瞳が完全に外気に露出してしまっている。

 

「魔獣に育てられた、ね。じゃあメィリィちゃん、ちょっとお姉さんから質問」

 

 段差を降りきり、灰色のローブの裾を揺らしながら二人の前へと歩み寄ると、メィリィちゃんは驚いたようにパチクリと目を瞬かせ、それからすぐにいつもの猫のような笑みを浮かべた。

 

「なあに、フランお姉さん」

 

「メィリィちゃんにとって、魔獣って怖いもの? それとも、居心地のいいもの?」

 

「あらあ、お姉さんもわたしのことが気になっちゃったのねえ」

 

「うん。気になるな」

 

 私が素直に頷くと、メィリィちゃんは意外そうに目を瞬いた。それから、三つ編みの先を細い指で弄びながら、天井の闇を少しだけ見上げるようにして言葉を紡いだ。

 

「怖いかって言われるとお、普通の子なら怖いんじゃないかしらあ。魔獣ちゃんたちは人間を食べちゃうし、怒るとすごおく危ないもの。でも、わたしにとってはあれが普通だったのよお」

 

「普通?」

 

「ええ。人間ちゃんの家も、町も、あったかいベッドも知らなかったもの。魔獣ちゃんたちの息の匂いとかあ、毛並みとかあ、夜の森の音とかあ……そういうのが、わたしの普通だったの」

 

 赤ん坊の頃から、世界の害獣である魔獣に育てられたという、狼に育てられた少女などという昔話めいた言葉では片付けられない衝撃的な事実。

 

 フーちゃんは言葉を失い、喉を鳴らすことすら忘れて眉をひそめている。

 

 けれど私は、彼女のどこか空虚な顔を見つめながら、胸の奥で不思議とすとんと腑に落ちるものを感じていた。

 

「ふうん。……まあ、ダフネの作った子供たちだもんね。アイツらはただ飢えてるだけで、嘘はつかないし、理不尽なルールで縛ってもこない。ただ喰うか喰われるか、それだけ。私はそういうの、シンプルで嫌いじゃないよ」

 

 私の口から、なんの気負いもなく滑り出た『ダフネ』という、四百年前の、あの懐かしい飢餓の魔女の名。

 

「……お前、ダフネのことまで知ってんのか」

 

 低く、地を這うように硬く落ちたフーちゃんの声が、私の鼓膜を叩いた。

 

 彼の顔を覗き込むと、そこには先ほどまでメィリィちゃんに向けていた困惑や哀れみとは全く違う、もっと剥き出しで、硬質なものがじっと滲んでいた。

 

 怒り。

 警戒。

 あるいは、かつてフーちゃんが相対したらしい三大魔獣の創造主の名を不意に突きつけられた時の、反射的な拒絶だろうか。

 

「知ってるよ。友達だったし、私を助けてくれた子だもん」

 

「友達って……あの、暴食の魔女が?」

 

「フーちゃん、わかってるでしょ? 私は四百年前から生きている魔女だよ。四百年前っていえば、何の時代?」

 

「魔女の時代、か……」

 

 フーちゃんの喉が、何かひどく苦い砂の塊でも呑み込むように、ごくりと不自然に動いた。

 

「俺は、あいつと一回話したことがある。白鯨も、大兎も、黒蛇も、あいつが世界中の腹を満たすために生んだって聞いた。……あいつの理屈は、たぶん一部だけなら間違ってねぇ。喰うか喰われるか。生きるために食う。食えなきゃ死ぬ。それは、生物としちゃそうなんだろうさ」

 

 そこで、フーちゃんの呼吸が、熱を帯びるように少しだけ荒くなる。

 

「でも、それで大勢の人間が理不尽に喰われてきたんだ。白鯨に、大兎に、あいつの生み出した子供たちに。だから俺は、あいつのことを嫌いかどうか以前に、そのやり方も、その理屈も、納得なんてできねぇんだよ」

 

 真っ直ぐで痛いくらいに人間らしく、泥臭い諦めの悪さに満ちた目だった。

 

 あの日、荒野が広がる世界で「みんなが美味しく喰べられるように」と棺の中で無邪気に笑っていたダフネ。

 

 そして、世界の理不尽に喰らいつき返そうと必死に足掻いているフーちゃん。

 

 どちらも間違っていて、どちらも間違っていない。

 

「別に、納得してほしいなんて言ってないよ。私だって、ダフネのやったことの全部を肯定してるわけじゃない。普通の人からしたら堪ったもんじゃないもんね」

 

 私は少しだけ肩をすくめ、大魔女としての平坦な声を乗せる。

 

「ただね、フーちゃん。魔獣は人間よりずっと単純なんだよ。お腹が空いたから喰う。怖いから逃げる。勝てるなら襲う。負けるなら喰われる。そこに嘘も、騙し合いも、親切な顔をした薄汚い悪意もない。それだけの話」

 

「……だから、嘘にまみれた人間よりマシだって言うのか?」

 

「時と場合によってはね」

 

 私がにんまりと薄く、吸血鬼のような八重歯を覗かせて笑うと、フーちゃんは何か激しい言葉を言い返そうとして、結局、自分の無力さを噛み締めるように苦い顔で大きく息を吐き出した。

 

「お前も大概、魔女側の理屈で喋るよな」

 

「魔女だもん。正真正銘、四百年前から『傲慢』の席に座ってる魔女だよ?」

 

「開き直んなよ」

 

 そんなフーちゃんの呆れた声が書庫の静寂に溶けていく中、私たちのやり取りをじっと座ったまま見上げていたメィリィちゃんの切れ上がった瞳が、初めて明確な警戒の色を帯びて細められた。

 

「……お兄さんもお姉さんも、やっぱりどこか壊れてるわあ。普通の人間ちゃんのお話じゃないみたいねえ。『暴食の魔女』なんて、聞いたこともない大昔の恐ろしい魔女の名前を、まるで昨日のご近所さんみたいに呼んじゃうのねえ」

 

 メィリィちゃんのその言葉には、本物の『魔女』としての私に対する、生物的な生存本能から来る怯えがはっきりと混ざり合っていた。

 

「人間ちゃんのお話じゃないのは当然だよ。私は人間を超越した化物だし、フーちゃんはフーちゃんで、どこまでも人間らしいくせに世界の理不尽をぶっ壊そうとしてるバグみたいな人なんだから」

 

「誰がバグだ、誰が。俺なんて、目の前の女の子一人分の過去に精一杯向き合おうとしてる、ただの凡人だよ」

 

 フーちゃんが自嘲気味にそう言ってメィリィちゃんを見つめると、メィリィちゃんは小さく肩をすくめ、自身の三つ編みをぎゅっと握りしめて冷たく笑った。

 

「加護があるから捨て子になって、加護があるから拾われて、それでお仕事するようになって、今、お兄さんたちとこうしてる……なんだか不思議よねえ」

 

 フーちゃんは苦い顔をしている。

 

「不思議なんかじゃないよ。そんなの、ただの理不尽って言うんだよ」

 

「ちょっとお、そんな顔しないでよお、お兄さん。わたしは全然気にしてないんだからあ」

 

「気にしてないって……」

 

「生まれつきの加護って、苦労が多いのよお。内政官さんとかあ、牙のお兄さんもそうだからあ……きっと、わかってくれると思うわあ」

 

 オットーやガーフィールという、自分と同じように珍しい加護を持って生まれた者たちの苦難を例に出して、メィリィちゃんは避けられない己の運命を淡々と語る。

 

 私はそんな風に自分の人生を冷ややかに諦観している彼女の横顔を眺めながら、フーちゃんのすぐ隣へ音もなく腰を下ろした。

 

「わたしからしたらあ、殺さないでおいたのがすごおく不自然だけどお」

 

「その議論はとっくに終わってんだよ。もう二度としないし、仮に何回やったとしても結論は変わらねぇよ」

 

 フーちゃんは力強く首を振った。

 

 それから、部屋の全方位を埋め尽くす無数の書架を見渡し、少しだけ迷う。

 

「……なぁ、メィリィ。もしもの話なんだが」

 

「なあに?」

 

「この中に、仮にお前の親の本があったら……読んでみたいか?」

 

「わたしの親? それって、ママじゃなくて本物のってことお?」

 

 驚いた顔のメィリィちゃんに、フーちゃんは真っ直ぐな瞳で頷き返す。

 

「何か、やむにやまれぬ事情で手放した可能性だってある。その本当の理由が、この四百年分の死のアーカイブの中に眠っているかもしれない。そう思ったら、気になったりしないのかって」

 

「全然、興味ないけどお?」

 

 メィリィちゃんはきょとんとした顔のまま、何の取り繕いも、虚勢の類もなく、ただ心底からどうでもよさそうに言い放った。

 

「そう、か……」

 

「誤解しないでねえ、お兄さん。わたし、親に捨てられたことを恨んだりなんてしてないのよお? なんていうか、そういう対象じゃないのよねえ」

 

 メィリィちゃんの人生において、自分をこの世に生み出した実の親という存在は、完璧なまでに興味の対象外なのだろう。

 

 恨みや敵愾心すら湧かない無関心。

 

 だが、その取り付く島もない答えを聞いた瞬間、フーちゃんの隣にいた私の身体は、微かに、けれど激しく強張っていた。

 

「……羨ましいな」

 

 ぽつりと、自分でも驚くほど掠れた声が、私の唇から漏れ出た。

 

 私のむき出しになった紅い瞳は、メィリィちゃんの無垢とも空虚ともつかないその瞳を、射抜くように凝視していた。

 

「家族なんてどうでもいい、興味ないって、そんな風に冷たく切り捨てられるの……今の私からしたら、少しだけ羨ましいよ」

 

「フラン……?」

 

 フーちゃんが小さく息を呑む気配が、肌を通じて伝わってくる。

 

 私は書架を見上げた。

 

 どこかにあるはずの名前。

 四百年、見ないふりをしてきた名前。

 忘れたふりをして、触れずに済ませてきた傷口。

 

「私はさ、四百年経っても、どうしてもあの人の最期を諦められなかった。……違うね。諦めたふりをしてただけ。知ったら戻れなくなるって分かってたから、ずっと見ないふりをしてた」

 

 そこで、私は少しだけ笑った。

 

「なのに、ここに来たらあるんだって。ファル義兄が何を見て、何を思って、どうやって死んでいったのか。それを知る本が、どこかにあるんだって。……そんなの、ずるいよね」

 

 過去の仲間との絆。

 先生の教え。

 あの人を救うための祈り。

 

 結局どれも家族への未練、死者への執着なのかもしれない。

 

 そんな思いを原動力として四百年という途方もない孤独の荒野を駆け抜けてきた私にとって、メィリィちゃんの放った徹底的な無関心は、己の存在の根幹を否定されるほどの衝撃であり、同時に酷く眩しい、逆立ちしても手に入らない救いのように映ったのだ。

 

 二人の少女の間に横たわる、決定的な価値観の断絶。

 

 その痛々しいまでの深淵に、フーちゃんはかけるべき言葉を見失って、ただ瞑目している。

 

「ちなみに、もしわたしが読んでみたいって言ったらどうする気だったのお?」

 

「──そりゃ探しただろ。今すぐは無理かもしれないけど、お前のこととか色々調べて、親の名前がわかったら時間作って……」

 

 助かったと言うように、フーちゃんがメィリィに応答する。

 

 メィリィちゃんは、それを聞いて心底呆れたように目を細めた。

 

「お兄さんって、ホントにお馬鹿さんよねえ」

 

「なんでだよ!?」

 

「だってえ」

 

 あまりにシンプルに罵倒されて、フーちゃんの方もシンプルに声を張るしかない。その彼の反応にメィリィちゃんは首を横に振り、その場に立ち上がった。彼女は小さな手で自分のお尻に付いた石の粉を払うと、書架の方に目をやる。

 

「こんなにたくさんの本の中から、目的の本なんて見つかりっこないわよお」

 

「可能性が眠ってるんなら、挑んでみる価値はあると俺は思うんだけどな」

 

「でも、お生憎様あ。わたしは、読みたい誰かさんなんていないからあ……」

 

 語尾が微かに弱くなった。

 

 フーちゃんが怪訝そうに眉を寄せたその時、彼女は「思ったんだけどお」と、意地悪く悪戯っぽく振り返った。

 

「ここって、死んじゃった人の本が増えてく仕組みよねえ?」

 

「ああ、たぶんそうだろうな」

 

「それって、どんな感じで増えてくのかしらあ。例えば、今ここでお兄さんがいきなり死んじゃったら、お兄さんの本が急にストンって出てくるのお? それは興味あるわあ」

 

「おい、実験対象を俺に固定すんな。縁起でもねぇし、普通に嫌だわ」

 

 フーちゃんが反射的にそう返した。

 

 メィリィちゃんも、ただのブラックジョークのつもりだったのだろう。いつものように、くすくすと笑って肩をすくめる。

 

 だが、その言葉が完成した瞬間、私の思考は、最悪の深度まで急速に暗転した。

 

 故人の過去を追体験する書庫。

 読んだ人間がその生前を知っていることだけが発動の鍵となる、奇跡の書庫。

 

 四百年もの間、忘れられなかった執着に蓋をしてきた私だからこそ──メィリィちゃんの言葉によって、その最悪のビジョンが、あまりにも鮮明に脳裏へと結ばれてしまった。

 

 もし。

 

 もしも、今ここで、私の目の前でフーちゃんが死んだら。

 

 その瞬間、この禍々しい石造りの書架のどこかに、真新しい『ナツキ・スバル』という人名が記された背表紙の本が、ストン、と不気味な音を立てて並ぶのだろうか。

 

 そして私は──あのファル義兄の本を探すのと同じように、血眼になってフーちゃんの本を探し出し、その頁を開いて、彼の生きた記録をめくるのだろうか。

 

 縁起でもない。

 

 ただ、それだけでは済まなかった。

 

 悍ましい。

 吐き気がする。

 

 最も愛おしい少年の一人であるフーちゃんの『死者の書』がこの世に誕生する瞬間を、そしてそれを自分が読んでいる光景を、一瞬でも脳裏に描いてしまった自分自身に対する、群発的な、狂いそうなほどの自己嫌悪。

 

 みしり、と私の左手が、衣服の袖の陰で強烈に握りしめられる。

 

「メィリィちゃん」

 

 声は、静かだった。

 

 けれど、室内の空気が目に見えて凍りついた。

 

 ランプの炎が青く不自然に歪み、大書庫の空間そのものが圧殺されるような錯覚に沈む。露出した金髪の隙間から覗く私の紅い眼差しは、ぞっとするほどの冷徹さと、どす黒い怒りでメィリィちゃんを射抜いていた。

 

「……今の冗談、本気で笑えないよ」

 

 メィリィちゃんの笑みが固まる。

 

「フーちゃんは、死にやすいんだから。そんなこと、口にしないで」

 

「……っ」

 

「もし本当に、フーちゃんの本がここにストンって並ぶような未来が来たらさ」

 

 私は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「私、その本を読む前に、その未来の方を壊すよ」

 

 それは、怒鳴り声ではなかった。

 脅し文句として飾った言葉でもなかった。

 

 ただ、事実を確認するような声音だった。

 

 だからこそ、メィリィちゃんは顔中の血の気を一瞬で失って硬直した。悲鳴すら満足に上がらず、ガタガタと膝を震わせながら、縋るようにフーちゃんの背中へと一歩身を隠す。

 

「おい……! フラン、落ち着け!」

 

 フーちゃんが背中に冷や汗を大量に流しながら、必死の形相で二人の間に両手を広げて割り込んできた。

 

「メィリィも悪気があったわけじゃないんだ。な? だからその、怖いオーラを引っ込めてくれ!」

 

 彼が身を挺して彼女を庇ったことで、私はふっと細い息を吐いた。凄絶な覇気が霧散する。ランプの炎が元に戻り、息を詰めていた空間に、ようやく空気が流れ込んだ。

 

「……ふん。フーちゃんがそう言うなら、今回は許してあげる」

 

「ふう……助かったぜ。そういうことだからメィリィ、悪いけどそれはお前のためにも試してやれねぇわ!」

 

「お兄さん、冗談の返し方が下手すぎるわあ……」

 

 メィリィちゃんはまだ震えた声で、けれど何とかいつもの調子を取り戻そうとしてそう言った。

 

 その健気な強がりにフーちゃんは苦笑し、私は少しだけ視線を逸らす。

 

「……私も、少し怒りすぎた。ごめんね」

 

 その一言に、メィリィちゃんが目を丸くした。

 

「魔女さんも謝れるのねえ」

 

「失礼だなぁ。謝るよ。たぶん。時々は」

 

「頻度が不安だな、おい」

 

 フーちゃんが即座に突っ込み、張り詰めていた空気が、ようやくわずかに緩む。それでもメィリィちゃんの顔には恐怖の残滓があった。

 

「スバル、メィリィ、フランも、なんだか……どうしたの? 何か見つかったの?」

 

 その尋常ならざる空気の残滓を察知して、書架の巡回を終えたエミリアがこちらへやってくる。

 

 彼女の無垢でどこまでも清らかな顔を見て、フーちゃんは辛うじて引きつった笑みを浮かべた。メィリィちゃんも、ようやくこの場にまともな救いの主が現れたとばかりに顔を上げ、フーちゃんの背後から逃げるようにしてエミリアの元へ滑り出た。

 

「いや、生憎と雑談以上の収穫はなしだ、エミリアたん。……ちょっと、この書庫の重みってやつを、身に染みて実感してたところだよ」

 

「あ、聞いて聞いて、お姉さん。わたし、お兄さんに口説かれちゃったわあ」

 

 メィリィちゃんはいつもの調子で冗談めかして言ってみせたけれど、その声の端は、先ほどの恐怖の残滓でほんの少しだけ震えていた。

 

「口説いてねぇよ!? むしろ、エミリアたんがめっちゃ大事って話してたよ!」

 

「それはすごーく嬉しいけど、そんなに大きい声で否定することないじゃない。そんな態度されたら、メィリィだって寂しくなっちゃうでしょ?」

 

 もはやすっかりエミリアには軽く受け流され、フーちゃんを軽く叱った彼女は、「ごめんね?」とメィリィちゃんに謝った。

 

「スバルはついついカッコつけちゃう癖があるの。私からもちゃんと言っておくから、メィリィもカッコいいこと言われても許してあげてね」

 

「……お姉さんって、お兄さんのことどう思ってるのお?」

 

「──? スバルは、私の大事な騎士様だけど……」

 

 質問の意図がわからない、と目を丸くしたエミリアが答える。

 

 そのいつも通りの、けれど絶対の信頼が籠もった眩しい答えに、メィリィちゃんは薄く微笑み、未だに胃のあたりを押さえて深く消耗しているフーちゃんの方を見た。

 

「お兄さんも、前途多難なのねえ」

 

 メィリィちゃんのどこか哀れみの籠もった呟き。

 フーちゃんはもう、何も言い返す気力が湧かないといった様子で、がっくりと肩を落としていた。

 

 私はそんな彼の相変わらず好きな人一筋で報われない、けれどどこまでも諦めの悪い横顔をただ静かに見つめていた。

 

 彼のそんな不器用なところが、たまらなく愛おしく、同時に少しだけ寂しい。

 

 ローブの袖の陰で、私はまだ微かに震える左手をそっと握りしめた。

 












皆さんは円盤は予約しましたか? 私は全巻特典が傲慢If、アヤマツなんで思わず予約しました。円盤1巻にもシャウラのEXが付属と、アニメの出来も考えたら買って損はないと思います。届くのが待ち遠しい。
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