傲慢の魔女『フラン』   作:オド・ラグナの対義語

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『遭遇』

 見渡す限りの水路と、そこを行き交う竜船。水門都市プリステラは、どこを歩いても独特な水の匂いが鼻腔をくすぐる街だった。立ち並ぶ民家の屋根には白い鳩たちも羽を休めている。

 湿り気を帯びた風が街を吹き抜けるたび、運河の水が石レンガの護岸にぶつかるチャプチャプという音が心地よく耳を叩く。通りに並ぶ露店からは、じゅうじゅうと小気味よい音を立てて肉を焼く香ばしい煙や、嗅ぎ慣れないスパイスの刺激的な匂いが漂ってきて、街全体が生き物のような活気に満ちあふれていた。それでいて、すぐそばを流れる水路からは心地よい涼気が絶えず流れ込み、肌を撫でていく。

 

「ふあぁ……。あの男から離れられるとなんだか爽快だね。たまーに話す分には面白いけど、レグルストキシンの過剰摂取はキツイね。もうこれ以上は同じ空間にいたくないわあ、ふつーに」

 

 私はぽつりと独り言を零しながら、外出用の認識阻害の効力が込められた灰色のローブを深く被り、フードの隙間から賑やかな街の景色を眺めていた。あのレグルスという歩く迷惑概念のような男の機関銃じみた独演会から抜け出し、誰にも邪魔されずに一人でぶらぶらと歩く時間は実に清々しい。

 ローブがもたらす術式の恩恵のおかげで、行き交う人々は私の鮮烈な金髪や燃えるような赤い瞳に過剰な反応を示すこともなく、ただの小柄な旅人として気にも留めない。するすると間を縫うように進む。

 

 そんな賑やかな大水路沿いを進み、一番街と二番街の境目へと差し掛かったときだった。

 歩道の隅っこでうずくまっていた、強烈な既視感を覚える姿のとある少年と、縦ロールの髪を不満げに揺らす幼い精霊がすっくと立ちあがるのが見えた。

 

 ──その瞬間、私の心臓がドクンと強烈な痛みを伴って、けれど狂おしいほどに懐かしい熱を持って激しく脈打った。これほど高鳴ったのは、いつぶりだろう。

 

「ぶー、スバル、ずいぶんとあの男を信用してるみたいかしら」

 

 あのスバルと呼ばれている少年のそばで唇を尖らせている精霊の少女には、はっきりと見覚えがある。確信がある。あれは400年前、エキドナの聖域にいた創造物の一体だ。名前は確かに、そう、ベティ。本名は、ベアトリスと言っていただろうか。少々朧気ではあれど、彼女と過ごした時間は確かに私の記憶に刻まれている。また会えるなんて思わなかったから、何だか胸の奥が弾んじゃう。

 

「はぁ!?!? いやいや、そんなわけねえし! つか、俺が言いたいのは性格的にやらねえだろうってだけで、それ以上でも以下でもねえし! ええい、そろそろいくぞ!」

 

 唇を尖らせた精霊に力強く答え、勢いよく立ち上がった少年──スバル。

 彼は軽く手足と首を回して、船酔いの悪影響が残っていないか確かめるような仕草をする。やや手足に重みがあるような、奇妙な違和感を覚えている顔だ。

 

 けれど、そんな彼の些細な仕草など、どうでもよくなるほどの衝撃が私を襲う。

 

 ──灰色のローブ越しでもはっきりと網膜に焼き付くほどにわかる。あの少年から漂う、少ないけれど鼻を突くほど濃密で、どろりとした『嫉妬の魔女』の残り香。

 

「ベア子と手を繋げば、ほのぼのパワーで帳消しだ」

「調子のいいことなのよ。ま、何かあってもベティーが何とかしてあげるかしら」

「おお、頼りにしてるぜ。じゃ、エミリアたんが心細くて泣き出す前に急いで合流だ」

 

 二人はもはやすっかりお馴染みといった様子で手を繋ぎ、ベアトリスがスバルを連れて目的の商会へと歩き出した。

 

 そうやって、前を向いて歩き出した彼の、どこまでも諦めの悪そうな、あの鋭い眼つき。

 

(──フーちゃん)

 

(フーちゃん、フーちゃん、フーちゃん!!!! 生きてた!!)

 

 朧げな400年前の、けれど私にとって世界で一番特別だった記憶が脳裏を過った瞬間、私の身体は考えるよりも先に動いていた。

 限界などない吸血鬼の脚力で石畳を強く蹴り、驚くほどの速度で二人の背後へと一瞬で肉薄する。そして、無防備な少年の背中へと弾むような勢いで飛びついた。

 

「フーちゃん!!」

 

「うわっ!? ぐふっ……!? ……えっ、フェルト?! じゃねぇ! マジで誰だ!?」

 

 突然背後から襲いかかった強い衝撃に、スバルがひっくり返りそうな情けない声を上げる。それと同時に、繋いでいた手を瞬時に離してベアトリスが猛然と私の前へと割り込んできた。

 

「何者なのよ! 無礼なやつ……いえ、まさか、この瘴気……! 貴女……!」

 

 小さな両手を広げて私を威嚇するベアトリスの、驚愕に満ちた蝶々の瞳。

 私はスバルの背中からするりと降りると、被っていた灰色のフードをふわりと後ろへ跳ね上げた。

 そうしてあらわになった輝くような金髪と、燃えるような紅い瞳。スバルの目に私の瞳がまっすぐに映り込む。

 

 フードを上げて開けた視界で、間近に捉えたスバルの顔。そこには私のよく知る賢者フリューゲルの面影が確かにあったけれど──そこにある感情は、見知らぬかわいい不審者に対する純粋な驚きと戸惑いだけだった。

 それに、なんというか単純に、フーちゃんよりあどけない顔つきをしているように感じられた。

 

「……あ、あれ? ごめんね。人違い、かなぁ」

 

 私がわざとらしく、気まずそうに首を傾げると、傍らのベアトリスが息を呑みその小さな顔をこれ以上ないほど青ざめさせた。

 

「……やっぱり、その容姿、そのふざけた態度……まさか、あなた、お母様のところにいたあの時の……!?」

「あはは! やっほー、ベティ! 400年とちょっとぶり? 相変わらず生意気で可愛い精霊ちゃんだね!」

 

 私は懐かしさのあまり相好を崩し、盛大に破顔してみせた。ベアトリスの丁寧に巻かれた縦ロールの頭を遠慮なく両手でわしゃわしゃと撫で回していく。ベアトリスは、

 

「や、やめるかしら! 髪が崩れるのよ! ベティーは子供じゃないかしら!」

 

 と、顔を真っ赤に沸騰させて手足をバタバタと暴れさせる。その様子はかつてエキドナの傍らで澄ませた顔で──つんと澄まして見せようと──本を読んでいた頃と、本質的には少しも変わっていなくて非常に可愛いらしい。

 

「ちょ、おい! いきなり現れてベア子になにすんだお前!」

 

 スバルが慌てて私を小さな相棒から引き剥がそうと、その大きな手を伸ばしてくる。

 私は彼の差し出された手首を逃がさないように片手でキュッと掴み、グイッと自分の間合いへと引き込んだ。日本人とは思えない修練を積んだ肉刺のある無骨な手が、私の小さな掌に収まる。そして、彼の黒い瞳を、互いの吐息が触れ合いそうなほど至近距離でじっと覗き込んだ。

 

「あ、あのー……? どうしたのかな、お嬢ちゃん?」

 

 スバルは気恥ずかしそうに半笑いになって視線をそらす。

 何度見つめ直しても、彼の瞳の奥に私の知る「フーちゃん」の記憶の光は灯らない。彼はただの、どこにでもいるような少年として、私の無礼な挙動に戸惑っているだけだ。

 

「……そっか。本当に、フーちゃんじゃないんだね。残念だけど、ないんじゃ仕方ないか」

 

 私は掴んでいた手首をあっさりと離し、心底つまらなそうに、けれどどこか寂しげに小さく溜息をついていた。虫の良すぎる期待だったろうか。

 

 そんな私の様子を、スバルは顔をへんてこに歪ませて凝視していた。眉間にこれでもかと深い皺が寄り、あごのあたりにきゅっと梅干しができているような、そんな怪訝極まる顔だ。

 

 まばゆい金髪、真っ赤な紅玉の瞳に、吸血鬼のような、はたまた猫のような縦に長い瞳孔。そして小柄な少女の容姿。彼の内にある現代日本のサブカル脳が、目の前の存在が放つ強烈すぎる既視感を敏感に察知し、脳細胞が激しく火花を散らし始めている。

 

「……いや待て、嘘だろ。金髪、赤目、その吸血鬼みたいな八重歯、天真爛漫な佇まい……。羽こそ生えちゃいねえように見えるけど、お前、もしかして……フランドール・スカーレット、だったりするか……?」

 

 スバルの口から唐突に漏れ出たその懐かしい名前に、私は内心でパッと目を丸くした。

 

「へえ、その名前を知ってるんだ。もしかして『フランちゃんうふふ』とか言っちゃう感じ? それとも『コンティニューできないのさ』とかかな?」

「おお!? おまっ、それ、どこで覚えた……っ!!」

 

 スバルが目玉が飛び出しそうなほど驚愕し絶句する。この世界の住人では逆立ちしても知り得ない、ネットの悪ノリや東方の知識。元日本人としての地球の繋がりをこれでもかと匂わせるセリフに、幼女使いの脳内は完全にパニックを起こしていた。

 

「まあ、フーちゃんも知ってたし、君が知ってても不思議じゃないか。あの人も君みたいに、あっちからやってきた人だったしね」

「あっちって……おい、お前マジで何者なんだよ!?」

「ちょっと、ベティーを無視して二人でわけのわからない話を始めるのはやめるかしら!」

 

 完全に置いてけぼりにされたベアトリスが、怒ったように地団駄を踏んで私たちの間に強引に割り込んできた。

 

「フラン、貴女、お母様の──クレマルディに訪ねてきた時からちっとも変わっていないのよ。相変わらず人を玩具みたいに扱って、本当に『傲慢』かしら!」

「あはは、ベティこそ、400年経ってもちっとも大きくなってないじゃない。可愛いねぇ」

「うるさいかしら! ベティーは人工精霊だから成長なんてしないのよ! 髪を乱すのはおよしなさいって言ってるかしら!」

 

 ベアトリスはふんす、と鼻を鳴らしてぷいっとそっぽを向く。400年前、エキドナを訪ねクレマルディの迷い森を訪れた私はエキドナとの用件はほどほどに、ベティやリューズたちには話し相手になってもらったものだった。この生意気な精霊ちゃんは数少ない貴重な話し相手で。少しも変わらないこの小気味よいやり取りに、胸の奥がじんわりと暖かくなるのを感じる。

 

「え、お前ら、マジで知り合いなのか……? 400年前って、ベア子、このロリっ子は一体……」

 

 困惑を極める視線を泳がせるスバルに向かって、私はお気に入りの灰色のローブの裾をエレガントに持ち上げ、完璧な貴族令嬢の所作で綺麗に一礼してみせた。

 

「自己紹介が遅れちゃったね。私の名前はフランダース。──だいたい四百歳のフランダース・スカーレットだよ。気軽にフランって呼んでね」

 

「フランダース・スカーレットォ!?」

 

 案の定、スバルから期待通りの、喉を枯らさんばかりの見事なツッコミが炸裂した。

 

「フランドールじゃなくてフランダース!? 惜しい! 絶妙に2文字変えて著作権を回避したみたいな名前になってんじゃねえか! どこのネロとパトラッシュだよ! お前マジで確信犯だろ! 東方オタクの成れの果てか!?」

「──。──あはは! ネロだって、そっち知ってる人あんまいないよね。まあ、私はこの名前が気に入ってるんだ。お姉ちゃんが拾ってくれた町の名前でもあるし、なんか運命じゃない? どうせ一度死んだ身だし、好きに生きたいもん。これくらい傲慢なロールプレイが丁度いいでしょ?」

 

 にんまりと悪戯な笑みを浮かべて問いかける。さらっと自分が異世界からの転生者だと明かしてしまったけれど、まあ問題ないだろう。仮に周りに知られても与太話と思われるはずだ。

 この世界に無理やり引っ張られてきた転移者も似たようなものだし、何より目の前の相手はフーちゃんだ。今はスバルと名乗っているようだが、彼が紡ぐ物語の果てで、きっといつか私の知るあの記憶を思い出すはずだと信じている。

 

「あー、妹様はそっちなのか。いや、そりゃあそうだよな。俺みたいなのがこの世界にいるんなら、ホーシンみたいな日本人っぽい人の中に、あっちの世界から魂の生まれ変わりがいたとしてもおかしくはない……か?」

「生まれ変わり……? また与太話かしら? まるで意味がわからないのよ。スバル、オド・ラグナがある限りこの世界で生まれ変わりなんて絶対にありえないかしら」

「ん? どゆこと?」

「死んだすべての命は例外なくオド・ラグナに還り、その魂は未練も記憶もすべて綺麗に洗浄され、また新たな世に生れ落ちる。それはお母様が教えてくださった絶対の真理かしら。いくら強大な力を持つ魔女だといえど、その世界の理からは逃れられない……はずなのよ」

 

 ベアトリスは、かつての創造主の知識を絶対のものとして誇るように、けれどどこか寂しげに胸を張った。

 

「記憶の回廊ね。うんうん、ドナが昔早口で言ってたから知ってる! ドナの権能は便利だよねー。そのルールが本当だってのは聞いてるよ。でも、私はこの世界の外側からぽーんと落っこちてきたバグだから、そんなのお構いなしに記憶が残っちゃってるんだ。ひどい話だよねー」

「世界の外側? ……訳が分からないかしら。頭が痛くなってきたのよ、まったく」

 

 まるで頭痛にでも悩まされているかのように、小さなこめかみを両手で押さえるベアトリス。うーん、これはあまり信じてもらえていないみたい。まあ、突飛すぎるお話だしね。

 

「どんなに完璧な仕組みにだって、イレギュラーっていう『バグ』はつきものだよ。現に私はこうして前世の記憶を持ったまま、ここに存在しちゃってるわけだし。ルールなんてさ、たまに壊れてるくらいが世界として面白いんじゃない?」

「……ふん、そこは認めなくもないかしら。ね、スバル」

 

 ベアトリスはスバルを、全幅の信頼が入り混じったキラキラとした目で見上げる。私の知らない時間が、私の知らない歴史が、確かにあの二人の間には積み重なっているみたいだ。あまり二人のお邪魔をするのも野暮かなと感じた私は、そろそろ退散することにした。

 

「ベティもいろんなことがあったんだね。……じゃあね、昔馴染みにも会えたし、お喋りはこれくらいにしよーっと」

 

 私は再び灰色のフードを深く被り直し、二人に向かって、にっこりと最高に無邪気な魔女の微笑みを向けた。

 

「ごめんね、変なことして。これからこの街、すっごく危なくなるからさ。気をつけてね、ホントに。死んじゃったら、私も悲しいからさ……あ、ロズワールにもよろしくね、ベティ」

 

 それだけを言い残す。

 ふと、近くの民家の屋根に止まっていた鳩の一匹が羽ばたき、舞い降りる。その鳩は私の肩に止まる。フーちゃんとベティとの邂逅で機嫌がずっと良くなったので、盗み見していた無礼は許してやることにした。

 

 フードの影から二人の顔を見届け、私は風を包み込むように軽やかに身を翻した。吸血鬼のなめらかな身のこなしで、あっという間に水路沿いの喧騒と人混みの中へと紛れ込んでいく。背後からスバルの、

 

「おい、待てって! フランダース!」

 

 という、私を追おうとする困惑に満ちた声が遠く響いたけれど、私は一度も振り返らず、ただプリステラの賑やかな人波の奥へとすり抜けていった。

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