傲慢の魔女『フラン』   作:オド・ラグナの対義語

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『剣狂いの宣誓』

 剣鬼恋歌の主たる演目、王城で起こった剣鬼と剣聖の舞踏。それが起こる1年前のことであった──。

 

 

 

 

 ルグニカ王国の南側、商業都市ピックタットとアイヒア湿地の間にそびえる、切り立った山間の岩陰。

 パチパチと爆ぜる焚火の頼りない明かりが、夜の闇に潜む異形たちの輪郭を、不気味に赤く浮き上がらせていた。

 

「ケッ、どいつもこいつも景気の悪いツラしやがって。肉が焦げちまうだろ」

 

 そう言って、大剣の腹で器用に大きな干し肉をひっくり返したのは、優に二・五メートルはあろうかという巨人族の部隊長、ボルドだ。

 その巨体の周りでは、六本の腕で器用に大槌や戦斧を研ぐ多腕族のラシュ、そして鼻をヒクヒクさせながら周囲を警戒している犬人の二人組、ルポとガル。

 さらには細身のタルワールを携えた蛇人のサジスが、押し黙ったまま焚火の熱を貪っている。

 

 彼ら5人の背後の暗がりに目を向ければ、さらに十数人の亜人たちが泥にまみれて蹲っていた。首謀者たちを次々と失い、今や統率を欠いたゲリラ的な夜襲を繰り返すしかなくなった、総勢20人ほどにのぼる亜人連合軍の落ち武者部隊──それが彼らの正体だ。無論、指導者がいないわけではなかったが、現在はクラグレル・ドーソンというなし崩し的に首領として認められた人物が指揮を担っており、お世辞にも盤石とはいえない。

 

 そんな大所帯の泥沼の戦場の一角に、私は大きな大きな革のバッグを背負い、灰色のローブを深く被った行商人の体で、ちゃっかりと居座っていた。今回は物理的な手段で、ローブのフードの隙間からぴこぴこと動く三角の獣耳を覗かせ、猫人に偽装している。

 

 つけ耳カチューシャである。

 夜闇とフードでバレにくいようにしているが、長居は避けたいところだ。

 

「ねえねえ、サジス。この『山羊の干しチーズ』、本当にいらないの? 湿地帯の夜は冷えるから、腹持ちのいいものを摂っておかないと明日の夜襲で手元が狂っちゃうよ?」

 

「……しつこいぞ、行商人の小娘。明日夜襲するとも限らん。すべてはクラグレル閣下の御下命次第だ」

 

 私の横で、サジスが不快そうに二股の舌をチロチロと覗かせた。

 ほんの一時間前、気まぐれにこの山間に足を踏み入れた私は、背後からこのサジスに冷たいタルワールを首元に突きつけられ、手荒い歓迎を受けたばかりだった。普通なら泣いて命乞いをする場面だけど、あいにく私の旅の目的は「この世界の強者と出会って、ドカーンと戦うこと」だ。

 とはいえ、いきなり手の内を明かすのも面白くない。私は背負っていたバッグをドサリと降ろし、中にぎっしりと詰まった、亜人たちの好む塩や酒、干し肉の品々を差し出すことで、彼らの食いぶちを握り、見事に便利な御用聞きとして取り入ってみせたのだった。実際、行商っぽいこともずっとやっていたから、嘘は一つも言ってない。

 

「クラグレルねぇ。あの人、お話がまどろっこしくて私はあんまり好きじゃないなぁ。もっとこう、リブレの旦那みたいに、一言でガツンと気合の入るリーダーのほうが格好良いのに」

 

 私がチーズを齧りながら無邪気に言うと、多腕族のラシュが六本のうちの二本の腕で頭をガリガリとかきむしり、大きなため息をついた。

 

「おい、ちび助、滅多なことを言うな。あの『毒蛇』リブレ・フエルミの旦那がくたばっちまって、巨人族の頭脳だったバルガ・クロムウェル閣下も落とされ、挙句の果てにはあの不気味な魔女スピンクスまで消えちまったんだ。今の俺たちに選り好みしてる余裕なんかねえよ。ドーソン閣下だって、この大所帯を崩壊させねえために必死なんだわ」

 

「そうそう! 贅沢言ってる場合じゃないんだよ、行商人!」

「そうだそうだ! チーズより酒だ酒! もっと強いエールはねえのか!」

 

 犬人のふたり組、ルポとガルが交互に吠えるように身を乗り出す。私は、

 

「あるよー」

 

 とバッグから強い濁酒の入った樽を取り出して差し出すと、彼らは尾をちぎれんばかりに振って飛びついた。

 

「しかし、マジで前線はボロボロだな」

 

 巨人族のボルドが、大剣の腹で肉をひっくり返しながら低く地響きのような声で呟く。

 

「これから襲撃する町だって、どれだけ実りがあるか分かりゃしねえ。王国側には、あの悪辣な『剣聖』だの、戦場をめちゃくちゃにかき回すあの『剣鬼』だのがいやがるからな……。俺たちがこうしてまばらに小競り合いを繰り返すしかねえのも、全部そのバケモノどものせいだ」

 

「ふーん……大変なんだねぇ」

 

 亜人たちの間に満ちる、重苦しい諦念と、それゆえに研ぎ澄まされた冷酷な殺意。その歪な『熱』を、面白いおもちゃを見つけた子供のように楽しむ時間は、ひとまずこれで十分だった。

 

 ひと通り彼らと食事を交わし、品物をいくつか売り捌いたところで、私は大きなバッグを再び背負い直して立ち上がった。頭の上の偽物の猫耳をわざとらしくパタパタと動かしてみせる。……権能もこんな使い方をされるとは思わなかっただろう。可哀そうに。

 

「それじゃあ、私はそろそろ行くね。おにいちゃんたち、お買い上げありがとー」

 

「あん? おいおい、もう行くのかよチビ助。こんな真っ暗闇の山道を一人で歩く気か?」

 ボルドが、怪訝そうに鼻を鳴らす。

 

「えへへ、大丈夫だよ。見ての通り私は猫人だからさ。夜目はすっごく利くの。夜のうちにこの山を越えちゃったほうが、明日の昼間の移動よりずっと楽なんだよねー」

 

 ほら、人間に見つかるとヤバいし。そんな、もっともらしい建前を笑顔で口にすると、亜人たちは「ふん、勝手にしろ」とばかりに警戒を解いて見送ってくれた。私は彼らにひらひらと手を振り、焚火の明かりから遠ざかるように、夜の山道の奥へと進んでいった。

 

 ──だが、彼らの拠点から離れて、まだ10分もしないうちのことだった。

 

「ひ、ぎゃあぁぁぁ──ッ!?」

「敵襲! 敵襲だァ──ッ!!」

 

 静まり返っていた夜の山間に、突如として引き裂かれるような亜人たちの凄まじい悲鳴が木霊した。吸血鬼の耳ですら微かにしか聞こえない距離。

 それと同時に、肌がビリビリと焦げ付きそうなほど狂暴で、世界そのものを呪うかのような、圧倒的な『剣気』が爆発するのが伝わってくる。

 

「やっぱり来たんだ! 見てたもんねぇ!」

 

 背後で巻き起こった凄まじい争いの気配に、私はフードの奥で目を輝かせた。

 ここからは猫人のふりなんてしていられない。バッグを中空に放り投げ、限界などない吸血鬼の圧倒的な脚力で地面を強く蹴りつける。凄まじい速度で爆走し、風を引き裂きながら、わずか20秒ほどで先程の野営地の岩陰へととんぼ返りした。

 

 岩の上へと音もなく着地し、眼下の光景を見下ろした瞬間、私は思わず、

 

「わぁ……」

 

 と小さく吐息を漏らしてしまった。

 

 そこに広がっていたのは、言葉通りの死山血河。

 20人もの大所帯だった亜人の部隊が、乱雑に切られた茶髪を狂暴に振り乱した、たった一人の人間の男によって蹂躙され、崩壊していく最中だった。

 

「ヌォ──ッ!!」

 

 部隊長である巨人族のボルドが、身の丈を超える大剣を両手で構え、真っ向からその銀白の閃光を迎え撃つ。

 爆音と共に鋼と鋼が激突し、凄まじい衝撃波が焚火の火粉を周囲に撒き散らした。純粋な質量と怪力において勝るはずのボルドだったが、男の放った一撃は、その大剣の分厚い刀身ごと、ボルドの巨体を縦一文字に強引に両断せんとするほどの剣力が込められていた。ボルドは歯を喰いしばり、驚異的な怪力で男の白刃を一度跳ね上げる──だが、二の太刀が彼の思考速度を置き去りにした。跳ね返ったはずの男の双剣が、恐ろしい加速を伴って、ボルドの懐へと滑り込む。

 

「が、あ……っ!?」

 

 ボルドの大剣が悲鳴を上げて弾き飛ばされ、その胸元へ冷徹な白刃が深く突き刺さる。大量の鮮血が焚火に降り注ぎ、ジュウウと嫌な音を立てて炎を掻き消していく。暗転していく視界のなかで、男の剣が狂ったように奔る。

 

「引くな! 囲んで叩けえええ!」

 

 多腕族のラシュが、その六本の腕すべてに大槌と戦斧を狂いなく構え、千手観音のごとき全方位からの苛烈な連撃を男に浴びせた。常人であれば視認することすら不可能な、死の鉄格子。

 男の退路を断ち、ラシュの放った無数の刃が、確かに男の衣服を切り裂き、その肉へと届きかける。一合、二合、ラシュの六本の腕が完璧な連携で男を追い詰める──しかし、男の身のこなしは人間の領域をとうに逸脱していた。男はラシュが繰り出す六つの軌道のうち、致命傷となる二つの刃を双剣の最小限の交差で弾き、残りの刃を自身の肉体を紙一重でねじることで躙り寄る。肉を切らせて骨を断つ──否。肉すら切らせず、男はすべての腕の隙間を縫うようにして、ラシュの喉笛を深く、正確に抉り取った。

 

「ウオオオオン!」

「ガルルルル!」

 

 間髪入れず、犬人のルポとガルが、獣本来の俊敏さを活かして男の左右の死角から同時に飛びかかる。一方が男の首元へ、もう一方がその脚へと鋭い牙を剥いて肉薄する、完璧な呼吸の連携。

 ルポの爪が男の頬を浅く裂き、ガルの顎が男の左腕を捕らえかける。獣の生存本能が、男を確実に仕留めたと確信した。だが、男は一歩も退かなかった。左腕を狙うガルの顎をあえて自身の剣の柄頭で強打して叩き落とし、独楽のように鋭く回転しながら双剣を薙ぎ払う。空間を真横に切り裂いたその円一閃は、ルポとガルの俊敏な突撃を正面から完全に撃沈し、二人の身体を容赦なく、確実に物言わぬ肉塊へと変えて空中へと撥ね飛ばした。

 

「ハァァァァッ!」

 

 最後に残った蛇人のサジスが、その柔軟なしなりを持つ下半身をバネのように使い、文字通り蛇の這うような変幻自在の軌道で、男の背後からタルワールを振りかぶる。男の首元へと吸い込まれる、起死回生の一振り。しなるサジスの刃は、男の回避軌道をあらかじめ予測してその先へ配置されていた。

 だが、男は振り返りすらしない。ただ耳元をかすめる刃の風圧だけで位置を完全に把握し、自身の双剣の鍔元でサジスのタルワールをガチリと噛み取るようにして完全に捕らえた。

 

「──なっ!?」

 

 サジスが驚愕した瞬間には、男の圧倒的な手首の返しによって、タルワールが紙切れ同然に粉々に叩き折られていた。そのまま流れるような逆袈裟の軌道で、サジスの細い胴体が鮮やかに薙ぎ払われる。

 

 わずか十数秒の、剥き出しの蹂躙劇。

 20人いた亜人たちは、それぞれ死に物狂いで抵抗した。一合、二合と、確かに自らの命のすべてを懸けてその刃を交わし、剣鬼に抗おうとした。けれど、目の前の若き死神の狂おしいほどの執念の前にはそのすべてがただ圧倒的に切り伏せられるだけの巻藁に過ぎなかったのだ。

 

 私は認識阻害の灰色のローブの裾をパタパタさせながら、その惨劇の真っ芯に立つ男へと、岩の上から泥棒のように音もなく飛び降り、背後からスルスルと近寄っていく。

 

「へえ……。すっごいピリピリ。近づいたら切られちゃいそう」

 

 足音も、気配も、存在そのものすら消し去った、シノビ仕込みの隠密術。

 だが、その射程に入った刹那だった。

 

 背を向けたままだった男の肩が、爆発的な駆動を見せる。

 野生の獣めいた鋭敏さで完全な不意打ちを察知した男は、即座に身を翻し、名だたる亜人の英傑たちすら置き去りにするような神速の剣筋で、私の首を殺意のままに薙いできたのだ。

 

 ─ガキィィィィン!!

 

 硬質な火花が爆ぜ、夜の静寂が引き裂かれる。

 私は中空へ手を掛け、そこを鞘とする機能だけを模倣したミーティア──『忌剣レーヴァテイン』を引き抜き様に突き出し、男の渾身の白刃を正面から受け止めていた。

 かのヴォラキア帝国で脈々と受け継がれる『陽剣』、その贋作である。しっかりと使用者の膨大なマナを吸い取って、剣身に凶悪な炎をまとわせる機能もしっかりとついている、私のお気に入りの一本だ。

 

 刃と刃が噛み合い、凄まじい衝撃が泥を跳ね上げる。

 フードの奥、男の目が強烈な驚愕に大きく見開かれた。自身の命を賭した確実な一撃を、さっきまで大人しくチーズやら酒やらを売っていた謎の小柄な行商人に平然と受け止められたのだ。男の全身からさらに密度の増した警戒の剣気が噴き出し、射抜くような視線が、灰色のローブに包まれた私の輪郭を冷徹に観察し始める。

 

「あはは、挨拶代わりにしては物騒で、すっごく格好良いねぇ」

 

 私は刃の腹で滑らせるように男の剣圧を受け流し、滑らかに半歩退く。

 地を傷つけるような低い姿勢をバネのように保ったまま、男はこちらの手練れとしての技量を測るように、一瞬の硬直のなかで私を鋭く凝視していた。

 その隙に私は余裕のある所作のまま、中空から抜いたレーヴァテインをクル、クル、クル、と手元で三回、大道芸人のように回してみせた。

 右手でその柄をしっかりと掴み取り、下段へと構える。ぐっと身を屈ませ、すぐにでも飛び出せる姿勢を取る。私から強制的に引き出された魔力がレーヴァティンの刀身へ赫く燃え盛る焔となって纏わりつき、私は首をわずかに傾げた。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「君はいったい、どうしてそんなに怒っているのかな?」

 

 応じる言葉は、最初からなかった。

 男の双眸にあるのは、目の前の不気味な手練れを排除するという一点のみ。男は1年前のトリアス領で刻まれた絶望と怒りのすべてを鋼の刃へと乗せ、息もつかせぬ嵐のような猛攻を叩き込んできた。

 

 ゴォ、と夜気が唸る。

 縦横無尽に奔る男の連撃に対し、私は相手の実力を自身と同格かちょっと下くらいかなぁ? と瞬時に察知した。ならば、権能の出番ではない。純粋な剣技と、吸血鬼としての白兵戦能力だけでこの剣狂いをいなしてあげるのが、魔女としての礼儀というものだ。

 

 上段からの容赦ない振り下ろし。私はそれをあえて紙一重でかわすのではなく、自ら前へ踏み込み、距離を詰めて男の剣の根元をこちらの刀身で強引に抑え込んだ。十全に振らせない。

 男は即座に刃を退き、変幻自在の刺突へと切り替える。目にも留まらぬその切っ先に対し、私はわざと真っ直ぐ受け切らず、レーヴァテインを傾けて衝撃を逃がし、強引にその軌道を逸らした。

 肉刺のある男の無骨な手が、驚異的な修正力で返し刃の袈裟斬りを放つ。それを自身の鍔元でガチリと噛み取るように絡め取り、凄まじい速度のまま反撃の焔を突き出す。

 

 言葉の介在する余地など微塵もない、無言の高速剣戟。

 火花が途切れることなく爆ぜ続け、夜の闇にオレンジ色の火線を描く。男の双剣の洗練された軌道は、生身の人間でありながら、まさに一振りの剣そのものだった。

 

 ──だがその瞬間は、唐突に訪れる。

 

 激しい鋼の応酬の最中、男がすべての力を火床にくべたような、執念の一閃が奔った。

 その刃の先端が、私の纏っていた灰色のローブを、胸元から斜めに鮮やかに切り裂く。

 

 激しい風が吹き抜け、術式を失ったローブのフードがふわりと後ろへ撥ね退けられた。

 

「────」

 

 青白い月夜の下、あらわになったのは、輝くような金髪と、燃えるような紅い瞳。

 吸血鬼特有の、猫のように縦に長い瞳孔を持った、どこからどう見ても小柄な少女の素顔だった。

 

 その瞬間、男の動きが、凍りついたようにピたりと停止した。

 命懸けで切り結んでいた相手が「少女」であったこと。そして何よりも──その容姿に宿る色彩が、このルグニカ王国において何を意味するか、男の頭脳が瞬時に理解してしまったからだ。

 金髪、そして赤目。それは、この国の天上に君臨する、ルグニカ王家に発現する特有の高貴な血の証。

 

「お前、は……」

 

 男の掠れた声が、戦場にぽつりと落ちる。

 私は焔を纏ったレーヴァテインの切っ先をだらりと地面に向け、にんまりと悪戯っぽく微笑んでみせた。

 

「あはは、驚いた? 殺し合いの最中に急に止まるなんて、戦場で一番やっちゃいけないことなんじゃないの、おにいちゃん」

 

「……戯言を。王族の者が、このような戦場を徘徊しているはずがない。お前は、何者だ」

 

 男は激しい衝撃に揺れながらも、未だ衰えぬ剣気を構え直し、鋭く私を睨みつける。その双眸に宿るのは、理不尽な世界に対するギラギラとした剥き出しの殺意と、胸が締め付けられるほどに純粋なひたむきな悔しさだ。

 

「私はただの通りすがりのフランだよ。それよりおにいちゃん、さっきからすっごい必死だね。何にそんなに怒ってるの? 世界? それとも加護? それとも……今もどこかの戦場で悲しい顔して戦っている、可憐な剣聖さん?」

 

 私の問いかけに、男の全身の筋肉が爆発しそうなほど強張った。向けられた鋭い眼光が、夜の闇すら焼き尽くさんばかりに煌々と燃え上がる。

 

「……俺が弱く、届かないからだ。俺が足りないせいで、あの女に、あんな顔をして剣を握らせてしまっている。だから──俺があいつから剣を奪う。加護も役割も、知ったことか。鋼の美しさを、舐めるなよ……ッ!」

 

 それは私に向けられた言葉ではなく、彼が自身の魂に突き立て続けている呪いのような誓いだった。

 世界から与えられる特級の祝福である『剣聖の加護』に対し、一介の不格好な人間が、ただの意地と鋼の刃だけで噛み付こうとしている。そのあまりにも不相応で、あまりにも傲慢な在り方。

 

「ふーん。うふ、あははっ。最高に傲慢で高慢で横柄で不遜で、それでいてすっごくロマンチックだねぇ!」

 

 世界、剣神に抗おうとする彼の言葉に、私の胸の奥がこれまでにないほど激しく弾んでしまう。

 ただお話を聞いてあげるだけなんて、そんなのもったいない。面白いおもちゃを見つけた喜びのままに、私は手元でレーヴァテインを反転させた。

 

「ねえ、おにいちゃん。君が奪おうとしてるその『剣聖』の剣、私がちょっとだけ真似してあげる!」

 

 かつて手合わせした、あの赤髪の可憐な剣聖さん。フライパンみたいな名前の剣聖、剣聖にしては弱かったイケメン、さらには、もっと昔に退屈しのぎに遊んでもらった、あの傲慢で理不尽な『初代剣聖』レイドの、天すら容易く割り振るうような苛烈な棒振り。その絶望的なまでの残像を脳裏に思い描きながら、私は自然体に剣を構えた。

 

 その瞬間だった。

 世界から音が消える錯覚。

 フランの構えが変わる、ただそれだけで。

 男の背筋を、あの悪夢が一気に駆け上がった。

 

「楽しいよね!! どんどん行くよぉー!」

 

 戦闘再開。焔を纏うレーヴァテインの軌道が、先ほどまでとは一変する。

 無駄を極限まで削ぎ落とし、ただ純粋な死だけを最速で届ける、最高密度の剣聖の無形の型。それを無邪気になぞる私の苛烈な猛攻に、おにいちゃんは驚愕に目を見開きながらも、その魂をさらに激しく火床にくべて喰らいついてきた。

 

 ガガガガガガガッ! と火花が夜の山間に狂ったように咲き乱れる。

 私の真似る理想の「剣聖の刃」に、おにいちゃんは泥をかぶり、血を吐きながらも、その双剣を折ることなく真っ向から受け流し、いなし、絡め取ってくる。一撃交わすごとに、彼の剣技が、経験が、鋭利に研ぎ澄まされていくのが肌に刺さるように伝わってきた。

 

「あはは! そう、その意地だよおにいちゃん! すっごくいい! もっと傲慢に! 自分が一番強いんだって!」

 

 私が愉悦のままに叫ぶと同時に、レーヴァテインの焔がさらに爆発的な輝きを放ち、夜の山間に絶望的なまでの死の弾道を描き出した。

 周囲の木々を薙ぎ払い、切り倒し、燃やし尽くす。

 おにいちゃんは魔法を斬ることで対応していく。最低でもウル・ゴーア並みの威力を持つ火炎だ。その魔法を斬ることすらできる領域の剣士。

 

「やっぱり私の目は間違ってなかった!!!!」

 

 さらにボルテージがあがる。

 かつて退屈しのぎに手合わせした、あの神の寵愛を一身に受けた赤髪の可憐な剣聖。そして、はるか昔にただの棒振りで天を、権能を、不死を斬ってみせた、あの傲慢不遜の怪物。彼らの放つ、理不尽そのものの最強の剣技。──当然あの理不尽とは似ても似つかない劣化、劣等の斬撃だけれど。その残像をそっくりそのままなぞった私の一閃が、容赦なくおにいちゃんの肉体を打ち据え、切り刻んでいく。

 

 ──その理不尽なほどの才能の壁を前にした瞬間、おにいちゃんの双眸の奥で、何かが決定的に爆発した。

 

 男の脳裏をよぎったのは、1年前、トリアス領のあの日。

 自分が命のすべてを火床にくべてようやく届きかけた頂に、最初から当然のように立っていたあの赤髪の少女。圧倒的な実力差を見せつけられ、己の無力さをこれでもかと骨の髄まで叩き込まれた、あの時の悍ましいまでの衝撃。あの時、ほとばしった斬撃の美しさ。

 そして何より、自分が弱く、届かないせいで、花を愛でるのが好きだったはずの彼女に、あんなにも悲しい顔をさせて剣を握らせてしまっているという──胸が焼け付き、狂いそうになるほどの凄まじい自責と憤怒。

 

「お前も……お前も、あいつと同じなのかァァァァッ!!」

 

 おにいちゃんは喉が張り裂けんばかりに、魂の底から絶叫した。

 その全身の毛穴から、先ほどまでとは比べ物にならないほど濃密で、どろりとした凶悪な血の臭いの剣気が噴き上がる。

 

「俺が弱く、届かないからだ……! 俺が、俺がもっと強ければ、あいつにあんな顔をさせて、剣なんて握らせずに済んだんだァァァッ!!」

 

 狂った。完全に、剣に狂った鬼の形相。

 男は自らの肉体が限界を迎えて内側から傷ついていくことも構わず、ただその怨念に近い執念だけを双剣に宿し、命を削りながら私に突っ込んできた。

 ガガガガガガガガッ!! と、夜の闇をズタズタに切り裂くような、死に物狂いの凄まじい暴風の連撃。

 

 だが、その狂気じみた猛攻を正面から受け止めながら、私はふと、どこか静かで、凪いだような心地に囚われていた。

 あっちの世界で読んだことのある、とある名作の遠い記憶。そして、この世界で400年という果てしない時間を魔女として生きてきた、私の冷徹で達観した視線。それらが混ざり合い、私の口から、すっと無邪気な熱の引いた言葉が零れ落ちる。

 

「────大丈夫だよ。ねえ、おにいちゃん。道を極めた者が辿り着く場所は、いつも同じなんだよ」

 

 私の静かな声は、激しい剣戟の爆音を通り抜けて、おにいちゃんの鼓膜へと真っ直ぐに突き刺さった。

 

「時代が変わろうとも、そこに至るまでの道のりが違おうとも、必ず、みんな同じ場所に行き着くの。……加護なんていう世界のオモチャに頼らなくたって、君のその不格好で、泥臭くて、今にも折れそうな意地の刃だってさ。諦めないで研ぎ澄まし続ければ、いつかは必ず、そこへ届くんだよ」

 

 それが世界のシステムという理不尽に不格好に噛み付こうとしている、この哀れな剣狂いに対する、傲慢の魔女としての最大の賛辞であり、激励であった。

 

「……だったら、俺は今ここで、その場所へ手を伸ばすだけだ……ッ!」

 

 おにいちゃんは血を吐きながらも、その燃え盛る双眸で私を真っ直ぐに睨みつけた。その顔には、もう迷いも、自身の無力さへの絶望すらも薄れていた。ただ、眼前の壁を切り伏せて前へ進むという、純粋な剣鬼の意志だけがそこにあった。

 

「あはは、最高! いいね、本当に格好良いよ!──天剣に至りなさい。その気概なくして剣聖に勝つことはない」

 

 私は心底嬉しくなって、満面の笑みで相好を崩した。

 お互いの鋼が激しく噛み合い、焔が夜の山間に飛び散る。ひとしきり極限の死合いを堪能した私は滑らかに一歩退くと、右手で焔を纏うレーヴァテインの切っ先を地面に突き立てて、彼に告げた。

 

「私は『傲慢の魔女』、フランダース・スカーレット。──名を名乗ってくれる? 剣狂い」

 

「……ヴィルヘルム。ただのヴィルヘルムだ」

 

 男は掠れた声で、己の不格好な、だが一振りの剣としての名を堂々と刻んだ。

 

「ヴィルヘルム、ね。うん、覚えたよ、ヴィルのおにいちゃん」

 

 にんまりと悪戯っぽく微笑んだ次の瞬間、私はこれまでにないほど深く、鋭く踏み込んだ。

 これが、この邂逅の、最後の最高密度の交差。

 

 キィィィィン──。

 

 一瞬の静寂の後、おにいちゃんの持つ双剣の片方が、根元から綺麗に宙へと舞い、岩肌へと虚しく突き刺さった。私のレーヴァテインが、その圧倒的な剣圧のまま、彼の意地の一振りを完全に断ち落としたのだ。

 

「待て、お前──っ!」

 

 男が残された一本の剣を握り直し、地を蹴る。

 けれど、吸血鬼のなめらかな身のこなしで風を包み込むように翻った私は、男の手が届くよりも早く、煙に巻くように戦場の闇の奥へとすり抜けていく。

 

「じゃあね、おにいちゃん。がんばって剣神から、彼女を奪い取ってみせなよ!」

 

 男の追おうとする足音を引き離しながら、私は認識阻害のローブの裂け目をパタパタと揺らし、夜空に浮かぶ月を見上げてくすくすと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──だからこそ、その幕引きを邪魔するわけにはいかないんだ。邪魔させるわけにはいかないんだ。私は。

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