傲慢の魔女『フラン』 作:オド・ラグナの対義語
上空から全てを蹂躙するように降臨する、当代最強の剣聖。
それに向けて、私は最大出力の焔の刃を限界まで振り上げ、真っ正面から迎撃すべく焔の大剣を叩きつける。
──交錯。
夜空を真っ赤にドロドロと焼き尽くすはずだった『忌剣レーヴァテイン』の禍々しい焔の暴風。それが、天上から重力に従ってただ真っ直ぐに落ちてくる、燃えるような鮮烈な赤髪の青年──ラインハルト・ヴァン・アストレアの持つ龍剣と触れ合った、まさにその刹那だった。
「──え?」
私の口から、間の抜けた素の声が漏れる。
爆発的な熱量を孕んでいたはずの私の炎は、龍剣に散らされてもなお体を人一人は容易く飲み込めるほど苛烈な炎撃であったはずなのに……彼の身体に触れた瞬間、最初からただのぬるい空気だったかのように、一瞬で綺麗さっぱり掻き消されたのだ。
それだけじゃない。彼が臨戦態勢に入ったことで、周囲の大気に満ちていたマナが、底なしの沼に吸い込まれるみたいに強制的に彼の体に集まっていく。けれど、このレーヴァテインは強欲の魔女の傑作だ。大気のマナを失っても、なお私の身体の内側にある膨大なマナを際限なく直接吸い上げることで、形を失うことだけは拒絶し、その禍々しい焔を少しだけ弱まらせる程度に留めてみせた。
「僕には『火避けの加護』と『日焼けの加護』がある。それに僕は自分で言うのは気恥ずかしいが、マナに愛されているんだ」
着地の衝撃すら殺しながら、赤髪の青年はどこまでも澄んだ声で、平然とそう告げた。
世界が敵に回る感覚。彼は私の炎をただの無害な熱風へと力任せにねじ曲げたのだ。400年生きてきて久方ぶりに味わう、自分の力が通用しないという理不尽。なんとも傲慢な男だ。
「『剣聖』の家系、ラインハルト・ヴァン・アストレア。……君のような少女を殺してしまうのは忍びない。大人しく投降し、僕に身柄を預けてほしい」
剣聖の勇名は世界に轟いている。ドラちゃんだって避けているくらいだ。向かい合う男の覇気は完全に常軌を逸している。400年前にすらこの剣聖を超えるものはいないだろう。
客観的に力を見比べれば、逃走が一番賢い。そんなことはわかっていた。
でも、私は……。
あの悲劇のヒロインを、主人公を。せめて終わりだけは納得のいく演目に仕立て上げ、道を整えなければならない。ラインハルトにテレシアを斬らせるなんて悲劇はたくさんだ。
無邪気な悪を演じ、顔を歪ませる。
心底馬鹿にしたような声で叫んだ。
「とうこー? するわけないじゃん、バーカ!!」
ラインハルトは、十の大魔剣が筆頭『龍剣レイド』を抜きすらしていなかった。かの気性難は、目の前の魔女を抜くべき相手と認識していないのだ。彼は抜刀すら行わず、その鞘でもって炎撃を弾き飛ばした。
着地点にはさっき私が弾き飛ばしたハインケルが地面に落としていった騎士剣が運悪く転がっている。ラインハルトは無造作にそれを拾い上げ、正眼の構えを取った。
「君を捕縛し仲間を助けに行かねばならないんだ。急がせてもらうよ」
ラインハルトの剣にマナが集中していくのがわかる。あふれ出たマナの燐光が敵ながら美しい。
「通常攻撃が必殺技ってやつ? ずるっこじゃんね」
大気そのものを質量兵器へと変えるような、常軌を逸した速度とマナを帯びた一撃。しかし、私は退かない。逃げない。焔を灯し直したレーヴァテインを斜めに構え、その絶対の死線へと真っ向から割り込んだ。
ゴォ────―!!
一撃。硬質な鋼とマナの激突音が夜の空間を震わせる。正中線を死守する私の両腕の骨を容赦なく軋ませた。防ぎきれなかった剣光は四肢を焼き、ぼろぼろと崩れさせるが私は吸血鬼。ただのマナのこもった攻撃では滅ぶことはない。すぐに肉が盛り上がり、血管をつなぎ神経が通う。
「──くっ!」
間髪入れず、ラインハルトの返し刃が私の胴を狙う。反射速度を限界まで引き上げ、ステップを踏みながら刀身の腹でその衝撃を受け流し、三合、四合と激しく鋼を交錯させる。拾い上げたハインケルの剣であるはずなのに、打ち合うたびに私の肉体の内側にまで凄まじい威力の衝撃が突き抜けてきて、内臓が悲鳴を上げる。
圧倒的な威力の差。まるで、人間の形をした巨大な天災と切り結んでいるかのようだ。
「まさかこれだけの連撃を受け止めるなんて……君は本当に何者なんだ」
「ただ英雄譚の幕引きを!! 見たいだけの女の子ッ……!!」
五合目。ラインハルトがほんの少しだけ踏み込みを深くした、ただそれだけの一振りが、私のすべての受け流しの技術を上から強引に押しのけた。
ゴォッ──!! と、遅れて巻き起こる狂暴な風圧の塊。それだけで剣圧がわかるというものだ。ラインハルトの神速の一閃により私の華奢な身体は木の葉のように弾き飛ばされ、特等席だった屋根を幾重も突き破りながら、一番街の冷たい石畳へと凄まじい音を立てて叩き落とされた。
「あは、がはっ……!? う、そ……あはははは!」
バキバキに折れた肋骨が内臓に突き刺さる。口からおびただしい鮮血が溢れ出る。けれど、私の頭脳を支配したのは恐怖ではなく、沸点へと一気に到達した圧倒的な『傲慢』と昂揚感だった。
「私は『最強』。『最高』。『傲慢』。そうだよ、私は『傲慢の魔女』だぞ!!」
吸血鬼としての最高の肉体が、私に死を許さない。折れた肋骨は元に戻り、マナは溢れんばかりに湧き出でる。
いつの間にか、倒れた私を見下ろしているラインハルトに宣言する。
……どこか痛ましそうに顔を歪めているのは何の冗談だ? 剣聖。あなたの主でも思い出しているのか?
「侮ってたよ、ラインハルト。思ってた100倍は化け物だった。……私の全霊であなたを壊す」
「光栄だよ。ならば僕も、できる限りの全力で君を打ち倒そう。……龍剣を抜けないのは申し訳ないけれど」
──フランダース・スカーレットは悠久の時を生きる魔女である。
あの生きとし生きるものが戦い、理外の化け物たちが跳梁跋扈した400年前の生き残り。
そんな彼女に、『一番の長所は何か』、問いかけたらこう返ってくるだろう。
強さに貪欲なところかなー、と。
飢えたる子であった魔女に拾われ、その不死を獲得し、賢者に学び、棒振りに遊ばれ、先生に教わり、己の強さをひたすらに磨き上げてきた──遊ぶことも少なくなかったが──それが彼女である。400年前の一連の出来事が終わりを迎えた後も、フランダースはひたすらに鍛え上げた。龍に挑み、流法を会得しシノビの里にもカチコんで技術を盗み、剣聖には積極的に絡んでいった。
それまでの歩みで何度死んだかわからない。死にきれないフランダースにとって、死は恐れるべきものではなかった。しかし、目の前の化け物の前で死ぬことは絶対に避けなければならなかった。今、この街でそれをしてしまえば失われる。あれが私から離れてしまう。もう一つの欠片に集まってしまうかもしれない。
──私は私と私を助けてくれた人達のためにも、死ぬことはできない
石畳に伏した状態のまま、私はかつてシノビの里から盗み出した隠密の秘術を即座に発動させた。自身の気配、マナ、心音、生命のオドに至るまでを完全に消失させ、世界と同化させる。当代最強の五感をして一瞬の索敵の迷いを生じさせると同時に、シノビの代名詞『分身』の術を使用した。
大気から私の気配が消えた刹那、ラインハルトを取り囲むように、正面、そして左右の三方向から同時に私の姿が躍り出る。
どれほど気配を消そうとも、ラインハルトの持つ異常な戦闘直感と純粋な身体能力はなんら変わりない。彼は一瞬の迷いもなく、最も接近していた右側の私に向けて、ハインケルの剣を容赦なく一閃した。一撃が私の胸を正確に捉え──しかし、何の手応えもなく、ただの陽炎のようにブレたかと思うと、ボウッ! と禍々しい焔を上げて瞬時に燃え尽き、灰へと変わった。
実体の無い虚像の分身。
「何?」
ラインハルトが誤りに眉を潜めた刹那、彼の死角である真上から、もう一人の私が『忌剣レーヴァテイン』を構えて強襲した。今度の私は、質量も殺意も完全に有した実体のある分身である。
完全に虚を突かれたラインハルトの喉元へ、燃え盛る刃が肉薄する。まさに直撃を食らいそうになる瞬間、ラインハルトは人間の領域を置き去りにした超人的な反応速度で、ハインケルの剣の腹を上空へと滑り込ませた。
シャリィン──と涼しい音が響き渡り、上空からの重圧が受け流されラインハルトの足元の石畳が爆裂する。
涼しい顔で受け止めたラインハルトだが、それでも両手はふさがった。
私の仕掛けた欺瞞の劇は、ツーカウント程度で終わるほど安っぽくはない。
ラインハルトは返す刀で真上の分身を真っ二つにし終えていたが分身は終わらない。左右の死角、そして正面からさらに3人の私が同時に躍り出た。
内訳は、質量も殺意も完全に有した『実体のある分身』が2体。そして、視線を惑わせるためだけに放った『実体のない虚像』が1体。
「「「あははははははははッ!!」」」
3つの狂気的な笑い声が一番街にこだまする。
左右の実体分身が、初代剣聖レイドの至高の剣撃を同時に繰り出し、ラインハルトの両脇腹を最速の速度で抉りにかかる。さらに、正面の虚像が放つ大振りの一撃が、あたかも本物の最大火力の強襲であるかのようにラインハルトの網膜へと飛び込んでいく。
いかにラインハルトといえど、この極限の乱舞の前には一瞬の処理の遅れを強いられた。ラインハルトは上空の実体を受け流しながら、超人的な体術で左右からの本物の刃をハインケルの剣の柄や自身の鞘で強引に弾き落とす。しかし、正面の虚像が見せつけた烈風の太刀筋を本物の強襲と誤認し、僅かにガードの意識をそちらの迎撃へと割かされてしまった。
どれほど規格外であろうとも、これだけの数の分身が入り乱れる多角的な同時波状攻撃を捌くのは、全神経と視線をその手数の暴力に埋め尽くされることを意味する。彼の意識とガードのキャパシティが、この一瞬だけ完全に飽和しかけた。
──そして、それこそが、四百年を生き抜いた魔女の仕掛けた本当の本命。
実際に有効打を与えたのは、上空の実体でも、左右の急襲でも、正面の虚像でもない。
最初から『隠密』によって完全に気配を消し、ラインハルトの左死角へと完璧に回り込んでいた、本体の私。
分身たちの怒涛の攻勢で視線と直感を完全に奪っているからこそ、本体の私はラインハルトの最強の警戒網に一切引っかかることなく、彼の無防備な左手を確実にその視界の『目』にロックオンできる。
ラインハルトはまだ知らない。予兆が一切存在しない、この世で最も理不尽な破壊の権能の存在を。完全なる初披露、未知の初撃。
狙うは、ハインケルの剣を握っていない側の彼の左手。
「きゅっとして、ドカーン、だよっ!!」
本尊である私の右手の握り込みと同時に、傲慢の権能が初めてその牙を剥いた。
──グシャ
何の前触れもなく、ラインハルトの左手が、その肘の境界から先すべてが、内側から破裂音と共に木ッ端微塵に爆発して吹き飛んだ。
「が──っ!?」
血飛沫が舞い、世界最強の身体の一部が完全に消失する。未知の権能による奇襲。隠密、虚実の分身による純粋な手数の攻勢、そして初披露の権能を完璧に噛み合わせた私の戦術が、世界最強の肉体を文字通りへし折った、歴史的な大金星。
──しかし、彼を全肯定するこの理不尽な世界は、それ以上の勝利を絶対に許さなかった。
「授かった。──『慧眼の加護』」
ラインハルトの薄い唇から、苦悶を押し殺した新たな言葉が漏れ出た。
「ようやく見えるようになったよ。本体は君だね」
ラインハルトの澄んだ青い瞳に、冷徹なまでの光が宿る。その瞬間、私が展開していた分身たちの実体の有無、そして隠密で世界のノイズに溶け込ませていたはずの私の本尊の位置までが、陽光に晒された霧のようにすべて筒抜けに看破された。
それと同時に、消し飛んだはずの彼の左手の断面に優しい水色の微精霊たちが集り、吸血鬼と並ぶ速度で肉の繊維が編み上げられ、瞬く間に元通りに超再生していく。
ぞわ、と私の背筋を絶望的な悪寒が駆け巡る。彼の鋭い眼光が、一切の迷いなく、左死角にいた私の本尊へとまっすぐに固定された。
「──ひっどーい、もう見破られた? 一瞬で加護を授かるの、本当にチーターなんだけど……。もう。だったら、これ以上無駄に分身するのはやめ!」
私が即座に術式を解いた瞬間、残されていた分身たちの肉体が、一斉にボッと激しい焔を上げて瞬時に燃え上がり、夜闇の中に消滅した。
向き直ったラインハルト目掛け、吸血鬼の限界を超えた神速で肉薄する。かつて手合わせしてきた歴代の剣聖たち、そしてもっと昔に遊んでもらった初代剣聖レイドの、あの最速で死を届ける絶望的な型をなぞり、ラインハルトの死角へと無数の剣を繰り出した。
純粋な剣同士の対決であればラインハルトすら凌駕するであろう、天すら容易く割り振るう怪物の型。もちろん、あの傍若無人の輩の剣とははるかに劣化している。それでも手加減している──龍剣を抜くことすら許されず、ハインケルの剣で応戦せざるを得ないラインハルトに対し、私の刃は初めて明確な牙となって肉薄する。
「──っ!?」
ラインハルトが初めて目を見張った。
私の手から放たれるのは、予知すら置き去りにするような最高密度の剣だ。しかし、ラインハルトは超人的な反応速度で太刀筋を見破り、空中でミリ単位のフェイントを織り交ぜながら繰り出す剣の軌道を鋭く変え、強引に私の刃を弾きにくる。
ガガガガガガガッ!! と、凄まじい金属音が一番街に鳴り響いた。ラインハルトは私の変幻自在の斬撃を前に、初めて攻めではなく守りへ比重を置き始め、若干の劣勢を強いられた。ハインケルの剣の刃が激しく削れ、ラインハルトの足が石畳を不格好に削りながら、後方へと一歩、二歩と後退していく。
けれど、世界最強はやはり世界最強だった。彼はその劣勢を、人間の領域をとうに置き去りにした規格外の身体能力だけで強引に凌ぎきってみせた。いいや。ひょっとすると、若干の劣勢に見えた攻防も誘いであったのかもしれない。
そして、そんな私の刃のわずかな継ぎ目を、彼の鋭い眼光が見逃さなかった。
ラインハルトは私の腕が伸びきった隙をつきレーヴァテインを弾き飛ばすと、空いた左拳を無拍子に突き出してきた。純粋な身体強化の暴力。それは文字通り、天災が齎す破壊だった。
──ドパァン!!
爆音と共に、私の左半身の一部が肉飛沫を上げて消し飛んだ。さらに、傷口から悍ましいまでの悪寒が駆け巡る。
「……ッ!? 再生が、始まらない……?」
「僕の攻撃には『死神の加護』を宿すことができる。与えた傷が癒えることはない。大人しく降伏してほしい」
吸血鬼の誇る絶対の超再生能力が、たった一つの加護によって完全にメタられた。塞がらない傷口からびちゃびちゃと血が流れ落ち、私の肉体を衰弱させていく。死が近づいてくる。
私は狂ったように笑いながら、脳内の意識を極限まで割き、傲慢の権能を発動させた。私の傷口にまとわりつく回復を阻害している『死神の加護』の『目』を右手に引き寄せて、力任せに粉々に砕き、破壊する。
じゅわう、と音を立てて、消し飛んでいた左半身の肉が一瞬にして盛り上がり、修復した。
「……これは驚いたな。死神の加護による傷すら、瞬時に癒やすのか」
ラインハルトの澄んだ瞳が、初めて明確な驚愕に細められる。
「あはは! まだまだこれからだよっ!」
私は肉薄した距離のまま、右手を真正面から突き出した。
狙うはラインハルトの頭部。私の視界が、彼の『目』を捉える──。
「──『きゅっとして、ドカーン』!!」
右手を力任せにギュッと握りしめる。
魔女因子の素養を持たないラインハルトの視点からは、私のマナも、魔法の予兆も、権能の姿も何一つとして感じ取ることはできない。ただ、彼の持つ異常な戦闘直感だけが、脳内に響く加護の警告すら置き去りにして『そこにいれば確実に死ぬ』という危険信号を告げた。これはきっと、先ほど左腕が破壊された攻撃である、と。
ラインハルトは自らに迫る不気味な気配を察知し、直感だけで自らの位置を強引にずらした。直後、彼の視界には、さっきまで自分がいた空間が──突然、前触れもなく破裂したとしか映らなかった。
ドカァァン!! と、空間そのものが内側から爆ぜる破裂音。
本来は破壊の権能を避けることは不可能である権能の破壊。ラインハルトの超人的な反応速度が『傲慢』の権能の破壊が起こるその寸前、須臾の狭間で引き寄せられた『目』の対象──頭部をそらしたことで起こした奇跡の回避であった。『目』が握りつぶされる瞬間と肉体が破壊される瞬間にはほんのマイクロ秒、タイムラグが存在する。100万分の1秒、本来意識すらついてこない刹那。
一度その身で受けていたこともあったのかもしれない。しかし当然、人間業ではない。
致命傷こそ免れたものの、不可視の衝撃のカス当たりによって、ラインハルトの右耳から側頭部にかけての肉がベキベキに弾け飛び、鮮血が舞う。けれど、じゅわう、と彼の傷口に群がった微精霊たちによって、その傷も次の瞬間には全快していた。
「躱すなよ! さっさと死ねい!」
「口が悪いよ。淑女ならもっと気品のある喋り方をした方がいい」
それに、とラインハルトは続ける。
「一度この身で受けたからこそ分かったよ。君の権能は恐ろしい力だ。さきほど君は『傲慢の魔女』と言っていたが、君も大罪司教や──『嫉妬の魔女』と似た者だと考えていいのだろうか」
「はあ? 嫉妬の魔女はとにかく、あんな気色悪い連中と一緒にしないで!!」
嫌悪感でぞわぞわぞわと肌が粟立つ。あいつらは見ている分には面白いが、さすがに一緒にされるのは心外だった。なんせ半分は気持ち悪いし、半分は狂っちゃったやつらだし。魔女教はろくでもないやつが多すぎる。
「ひどすぎ! 私はただ、あのおじいちゃんたちの劇を守りたいだけ。君みたいに、空気を読まずに割り込もうとする野暮な化け物を、ここでちょっとお片付けしてあげるだけだよ」
「……そうか。大罪司教ではないにしろ、その力が看過できないほど危険であることに変わりはない。特に、その権能」
ラインハルトが剣を構え直し、鋭い眼光を私の手に固定したのが分かった。私の能力が手の平の握り込みをトリガーにしていると、これまでのわずかな交差のなかで明確に警戒し、アタリをつけたのだ。
「あは、バレちゃった? だったら──防いでみなよ!」
私は再び激しく剣を交えながら片手で権能を発動する。ラインハルトの手や足など、機動力をそぐために『目』を握りつぶそうとする。しかし、彼は私の視界から瞬時に消え去り、『目』はロックオンから外れる。直後、背後からの一閃。その凶悪な横薙ぎを、私はしゃがみ込んで紙一重で躱す。
振り切った態勢からすら、この化け物は次の攻撃を仕掛けてくる。
容赦なく伸びてくる、足。
私は正面から顔面を思い切り蹴り飛ばされ、凄まじい速度で宙を舞った。建物の石壁に背中から激突する直前、私は強引に腕を伸ばし、その壁の『目』を認識して、ギュッと右手を握り込み破壊する。衝撃を物理的に相殺して壁ごと爆破すると、なんとか受け身を取りながら石畳に着地し、即座にレーヴァテインを振り抜く。ラインハルトの剣を受け流し、後退しながら懸命にその神速を捌いていく。
息を吐く間もなくに押し寄せる追撃は、的確に私の手首の自由を狙っていた。
「ほらほらぁ、きゅっと掴んで!」
「──させない!」
私が両手を握り込もうとするたびに、ラインハルトは権能を発動させまいとハインケルの剣で私の腕の軌道を強引に弾き飛ばしていく。
ハインケルの剣は既にひび割れ、鈍らと化していた。しかしそれでも、ラインハルトの超級の技量は自壊することを許さない。
火花が途切れることなく爆ぜ、防戦と回避を強いられるラインハルトを私のブラフが翻弄する。
とはいえ、それは須臾の優勢でしかない。剣聖の真似っこ剣技も、権能すらも慣れたように躱し、逸らしていく最強。
私は過去にない集中力で剣を振りこんでいく。脳みそが沸きそうなくらい熱かった。
──そのせいだろうか。私は地面にたまった水たまりに気が付けなかった。
踏み込んだ足が水によって滑り、剣の威力は大きく減じる。
至極簡単にレーヴァテインは撃墜され、体は左に流されていく。
もう一度、剣は振られる。
スッと、音もなく私の右肩は落ちていた。
普段ではありえないミスに焦燥が心を占める。
「ありえないでしょ……!!」
右腕が落ちバランスを崩しながらも、すぐさま後ろに飛び退る。
左手は既に右肩の切断面を苛む『死神の加護』を破壊しようととらえていた。
しかし、それこそが諸刃の剣。
意識を一瞬だけラインハルトから外し、右腕を失いバランスを欠いた状態で飛び退ってしまった、その絶望的な一瞬の隙。ラインハルトは私の権能の発動を妨害するため、ハインケルの剣を最速の軌道で滑り込ませてきた。
キィィィン、と冷たい鋼の音が響く。
ヒュンヒュンと軽い風切り音を立てて剣が振られ、私の突き出したばかりの左腕、そして右腿が、その付け根から鮮やかに、同時に切り落とされて宙へと舞った。
「が、あ──」
両腕の切断に加えて、片足まで。武器であったレーヴァテインも先ほど右腕と共に石畳へと虚しく転がり落ちていて、私は完全に五体の自由を奪われ、その場に膝をつくこともできず崩れ落ちた。切り落とされた断面は再び『死神の加護』による癒えぬ傷口となり、赤黒い血が溢れ出して超再生の再起動すら間に合わない。
武器を失い、両腕を失い、ただ絶望に震えて地面を向く少女。
その無残な姿を見下ろし、ラインハルトはどこまでも澄んだ、濁りのない哀れみの瞳で静かに自身の得物を下ろした。彼の持つ無類の優しさと、高潔な騎士道精神が、その口から勝利を確信した言葉を紡がせる。
「これ以上暴れられないだろう。その両手での奇妙な権能も、腕がなければ発動できないはずだ。……これ以上無意味な流血は好まない。君を、捕まえさせてもらうよ」
青年が、私の身柄を確保するためにほんの少しだけその歩みを緩め、近づいてくる。
彼の中に生じた発動条件の思い込み。
あの大罪司教の権能に似た不気味な破壊の権能は、あの『手を握りしめる動作』が発動に必要な条件であるという──これまでの戦闘で私が何度も見せつけて刷り込んできた前提。
俯いたフードの奥で、私の口角が愉悦に満ちた形で吊り上がった。
「あは」
手で握りつぶす動作?
そんなもの、これまでずっと君をこの瞬間にハメるために見せつけていた、ただのブラフに決まってるじゃん。
私、手なんか使わなくたってさ──。
「──壊れて」
私の口内で、吸血鬼の鋭い八重歯が、何もない空間を思い切り噛み砕く音が響いた。
原典に忠実に表現すれば、傲慢の権能『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』。それを使って『目』を歯で噛み砕く。
ラインハルトの視点からは、やはり何の予兆も際立ったマナも感知できない。『目』が彼の死角から私の口内へと強制的に引きずり込まれ、噛み砕かれたことを、彼の異常な直感だけが手遅れの間際で察知した。
「な──っ!?」
ラインハルトの美しい顔が、その日一番の驚愕に歪んだ。
「あはは! あなたはコンティニューできるのかなあ!」
パン。
空間そのものが内側から爆発するような、悍ましくも慎ましやかな破裂音がプリステラの夜に鳴り響いた。
加護による護りを力任せに圧殺した、傲慢の権能の直撃。それはラインハルト・ヴァン・アストレアの強靭な身体をその内側から容赦なく破壊し尽くした。
「が──、は──」
大量の鮮血が、夜霧のように一番街の通りへ盛大にぶち撒かれる。
ラインハルトの身体、その腰の境界から上すべてが見るも無残に木っ端微塵に爆発して吹き飛んだ。
あとに残されたのは、真っ赤な血飛沫の中にぽつんと取り残された、彼の下半身だけ。
糸の切れた人形のように、下半身だけがドサリと、無残に石畳へと倒れ込んでいく。
世界最強の死亡。
最強故の自信、自負、傲慢。ラインハルトを殺したのは、奇しくもそれを司る魔女で。
神様に最も愛された世界の寵児が、一介の魔女のブラフによって、肉体の半分を崩壊させて息絶えた──そんな歴史が、世界がひっくり返るような衝撃のなかで、戦闘が開始してからすでに三十秒が経過していた。