機動戦士ガンダム Beyond the Axis   作:Hisa/Coco

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続き。


第20話 行くための条件(前編)

Scene 1 申請書案の朝

 

朝のFAB局は、いつも通り白かった。

 

天井の照明は均一で、床は余計な音を返さない。

端末席の列も、透明な仕切りも、朝礼前の低い会話も、昨日までと同じ場所にある。

 

けれど、ハル・イルマの端末に開かれている文書だけは、いつもの通常案件ではなかった。

 

旧式居住区支援関連記録に係る限定的現地確認申請。

 

表題は、画面の上部に静かに置かれていた。

 

何度読み返しても、行きたい場所の名前には見えない。

そこに、行きたい、という言葉はない。

見たい、という言葉もない。

 

それでよかった。

 

行きたい、では通らない。

見たい、でもまだ広い。

 

通すためには、言葉を削る必要がある。

気になっているものを、そのまま書かない。

見たいものを、確認できる項目へ落とす。

 

ハルは申請書案の目的欄へ視線を戻した。

 

――――――――――――――――――――――

目的:

支援受領実績、現地応答履歴、

外部支援申請処理履歴の照合確認。

――――――――――――――――――――――

 

短い文だった。

 

昨日見たものの重さは、その中にはほとんど残っていない。

受入側連絡欄に残っていた名前。

応答者として浮かんだ名前。

関連現地代表として登録されていた名前。

 

そのどれも、目的欄には直接書かれていない。

 

書けないからだ。

 

名前を見に行くのではない。

誰かに会いに行くのでもない。

支援が届かなかった理由を断定しに行くのでもない。

 

申請書に書けるのは、照会回答の整合確認だった。

 

ハルは、項目を一つずつ確認した。

――――――――――――――――――――――

確認範囲:

支援受領記録の有無。

現地応答履歴の照合。

関連現地連絡者表記の確認。

外部支援申請処理状況との対応関係確認。

支援停滞理由照会履歴の現地側照合。

 

除外範囲:

C-17本体記録の閲覧。

上位管理案件資料の閲覧。

責任判断。

支援停滞理由の断定。

現地支援実施判断。

――――――――――――――――――――――

 

除外範囲の方が、目的欄よりも強く見えた。

 

してはいけないこと。

書いてはいけないこと。

開いてはいけないもの。

決めてはいけない判断。

 

現地へ行くための申請なのに、そこには、現地で自由に動けない理由が先に並んでいる。

 

ハルは小さく息を吐いた。

 

それでも、削らなければ通らない。

 

机の上だけでは確認できないところまで、記録は来ていた。

だからこそ、机の外へ出るための言葉にしなければならない。

 

「朝から顔が書類になってるぞ」

 

横から声がした。

 

ハルが視線を上げると、ソウマ・ナギが隣の席の背もたれに片腕をかけていた。

端末の認証は済ませているらしい。

だが、自分の業務画面より先に、こちらを見ている。

 

「どんな顔だよ」

 

「四角い」

 

「雑だな」

 

「じゃあ、角が立ってる」

 

ハルは反論しかけて、やめた。

 

ソウマの軽口は、いつも通りだった。

それが少しだけありがたい時もある。

 

ソウマは画面を覗き込むほど近づかず、申請書案の表題だけを見た。

 

「それ、昨日の続きか」

 

「うん」

 

「現地確認ってやつ?」

 

ハルは少しだけ間を置いた。

 

「限定的現地確認申請」

 

「長いな」

 

「短くすると、意味が変わる」

 

「そういうところが、もう書類の顔なんだよ」

 

ソウマは肩をすくめた。

だが、笑いだけで流すような調子ではなかった。

 

「で、通りそうなのか」

 

「分からない」

 

「分からないって出てるもんな」

 

「顔で判断するな」

 

「いや、俺が中身見ても、たぶん『漢字多いな』くらいしか言えない」

 

ソウマはあっさりそう言った。

 

「細かい判断は無理。現地確認の申請なんて、俺が見て通るかどうか分かるわけない」

 

その言い方は軽かった。

けれど、自分の分からない範囲を分かっている声だった。

 

「でも、お前がそこまで削ってるなら、レオン先輩に見てもらえよ」

 

ハルは画面へ視線を戻した。

 

「まだ、整えてる途中だ」

 

「途中で見せた方がいい時もあるだろ」

 

ソウマはレオンの席の方を顎で示した。

レオンは少し離れた席で、別件の照会文を確認していた。

朝からすでに、誰かの下書きへ赤い注記を入れているようだった。

 

「一人で完成させようとするな。そういう空気出てる」

 

「だから見た目で」

 

「じゃあ、空気」

 

「余計に雑だ」

 

「でも当たってるだろ」

 

ハルは返事をしなかった。

 

当たっている気がしたからだ。

 

レオンに見せる前に、少しでも整えておきたい。

マカベに出す前に、余計なところを削っておきたい。

通らない言葉を、できるだけ自分で消しておきたい。

 

そう思っていた。

 

けれど、それを一人でやればやるほど、どこまで削ればいいのか分からなくなっていく。

 

「書類で走れよ」

 

ソウマが言った。

 

「足で走る前に」

 

ハルは思わずソウマを見た。

 

「何それ」

 

「今思いついた」

 

「だろうな」

 

「でも、だいたい合ってるだろ」

 

合っているかどうかは分からなかった。

ただ、足で走る前に書類で走る、という言葉は、少しだけ今の状況に近かった。

 

現地へ行く前に、まず書類が行かなければならない。

 

その書類が、途中で止まれば、ハルの足もそこまでだった。

 

「見せて」

 

反対側から、リア・セレスの声がした。

 

ハルは少しだけ画面から目を離した。

リアは自席から立ち、ハルの端末の横に来ていた。

ソウマのように軽口を挟まず、画面の文面だけを静かに見ていた。

 

「まだ下書きだけど」

 

「だから見る」

 

短い答えだった。

 

ハルは端末の表示範囲を申請書案の目的欄と確認範囲だけに絞った。

余計な内部履歴は開かない。

リアも、それ以上の表示を求めなかった。

 

しばらく、リアは黙って読んでいた。

 

「目的欄、少し広い」

 

やがて、そう言った。

 

ハルは椅子に座ったまま、少し背筋を伸ばす。

 

「広い?」

 

「現地応答履歴」

 

リアの指先が、画面の一行を示した。

 

「これだけだと、機械応答も人的応答も同じに見える」

 

ハルは言葉を失った。

 

申請書案の中で、現地応答履歴という言葉は便利だった。

短く、通りやすく、説明しやすい。

 

だが、その便利さの中で、一番気にしていた差が薄くなっていた。

 

応答あり。

それだけなら、機械が返した信号でも成立する。

環境維持端末が返した定型の状態表示でも、応答は応答になる。

 

けれど、ハルが引っかかっていたのは、その奥に人の声が残っていたかどうかだった。

 

誰かが返していたのか。

返せなくなったのか。

機械だけが、まだ生きているように応答していたのか。

 

その差は、現地応答履歴という一語だけでは埋もれる。

 

リアは画面から目を離さずに続けた。

 

「人的応答履歴と、機械応答履歴。分けた方がいい」

 

「……その差を確認したい、って書くべきか」

 

「理由までは書かない方がいい」

 

リアの声は淡々としていた。

 

「でも、差があることは確認項目にした方がいい」

 

ソウマが横から言った。

 

「つまり、漢字が増える」

 

「必要な漢字」

 

リアが即答した。

 

ソウマは両手を軽く上げた。

 

「はい、俺の負け」

 

ハルは少しだけ笑いかけたが、すぐに画面へ戻った。

 

目的欄に感情は入れない。

理由の断定も入れない。

だが、確認したい差分は、確認項目として残す必要がある。

 

記録の中に残っていた信号。

薄くなっていた人の声。

応答あり、という一語の下で同じものに見えてしまう二つ。

 

それを、申請書の中では分ける。

 

ハルは確認範囲の欄へ入力した。

 

人的応答履歴および機械応答履歴の差異確認。

 

打ち込んだあとで、少しだけ読み返す。

 

長い。

硬い。

そして、遠い。

 

けれど、今の文面よりは、見たいものに近い。

 

「それなら、何を確認したいかは少し分かる」

 

リアが言った。

 

「理由を聞きに行くんじゃなくて、応答の種類を確認する」

 

「うん」

 

「なら、目的欄も少し直せる」

 

ハルは目的欄へ戻った。

 

支援受領実績、現地応答履歴、外部支援申請処理履歴の照合確認。

 

そこに少し手を入れた。

 

支援受領実績、人的応答履歴および機械応答履歴、外部支援申請処理履歴の照合確認。

 

さらに硬くなった。

 

だが、曖昧さは減った。

 

「通りやすくなったのか、通りにくくなったのか分からないな」

 

ソウマが言った。

 

「そこはレオン先輩に聞く」

 

ハルは保存前の表示を見つめた。

 

「正解」

 

ソウマは頷いた。

 

「俺が見ると、やっぱり漢字が多いで終わる」

 

「自分で言うな」

 

「だから役割分担だろ。俺は漢字が多いと言う係」

 

「いらない係だ」

 

リアは二人のやり取りには乗らず、画面をもう一度見た。

 

「除外範囲は、このままでいいと思う」

 

「厳しすぎないか」

 

ハルが言うと、リアは首を少しだけ横に振った。

 

「厳しいから、通るかもしれない」

 

その言葉に、ハルは返事を止めた。

 

現地へ行くための申請なのに、行って何をしないかを書かなければならない。

見たいものを増やすために、見ないものを先に並べる。

 

厳しいから、通るかもしれない。

 

それは、とてもFABらしい言葉だった。

 

ハルは申請書案を保存した。

 

 

――――――――――――――――――――――

状態:

下書き保存。

――――――――――――――――――――――

 

正式提出ではない。

上席確認でもない。

まだ、ただの案だった。

 

けれど、昨日の終業間際に作り始めた時よりは、少しだけ形になっていた。

 

行きたい、ではない。

見たい、でもない。

確認したい、だけでもまだ広い。

 

支援受領実績。

人的応答履歴。

機械応答履歴。

外部支援申請処理履歴。

支援停滞理由照会履歴。

 

通る形にするために、言葉は削られ、分けられ、硬くなっていった。

 

それでも、削った中に残せるものがある。

 

ハルは端末をロックせず、申請書案だけを閉じた。

レオンに見せるための共有確認欄を開いた。

 

「行くのか」

 

ソウマが聞いた。

 

「まだ行けるかどうかも分からない」

 

「いや、レオン先輩のとこ」

 

ハルは少しだけ息を吐いた。

 

「行く」

 

リアは自席へ戻りながら言った。

 

「先に見てもらった方がいい」

 

「うん」

 

ハルは立ち上がった。

 

遠くの席で、レオンが別件の確認を終えたらしく、端末から視線を上げる。

その目が、ハルの持っている申請書案の表示に一度だけ向いた。

 

まだ、通るかどうかは分からない。

 

けれど、見たいものは少しだけ、書ける言葉に近づいていた。

 

ハルは申請書案を持って、レオンの席へ向かった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

Scene 2 レオン確認/マカベ確認

 

レオン・クラークの席へ向かうまでの距離は、普段ならたいしたものではなかった。

 

端末席の列を二つ抜ける。

共用プリンタの脇を通る。

朝の低い会話と、認証音と、端末の起動音が混ざる中を歩く。

 

それだけだった。

 

けれど、申請書案を開いた端末を持っていると、同じ距離が少しだけ長く感じた。

 

ハル・イルマは、レオンの席の横で足を止めた。

 

レオンは、別件の照会文を閉じるところだった。

画面の隅に確認済みの表示が出る。

それを見届けてから、レオンは椅子を少し回した。

 

「来たな」

 

「はい」

 

「朝から書類で走ってきた顔してる」

 

ハルは返事を止めた。

 

「それ、ソウマにも似たようなことを言われました」

 

「じゃあ、だいたい当たってる」

 

「見た目で判断しないでください」

 

「見た目で分かる時はある」

 

軽い言い方だった。

 

だが、レオンの視線はすぐに端末の文面へ移った。

 

「見せてみろ」

 

ハルは申請書案を共有表示に切り替えた。

 

旧式居住区支援関連記録に係る限定的現地確認申請。

 

表題を見た瞬間、レオンの表情から軽さが少し引いた。

 

「……朝から重いもん持ってきたな」

 

「まだ下書きです」

 

「下書きの時点で重い」

 

レオンはそう言いながら、目的欄へ視線を落とした。

 

――――――――――――――――――――――

目的:

支援受領実績、人的応答履歴および機械応答履歴、

外部支援申請処理履歴の照合確認。

――――――――――――――――――――――

 

レオンはすぐには何も言わなかった。

 

一行を読み、確認範囲へ進み、除外範囲で少し止まる。

 

「人的応答と機械応答を分けたのはいい」

 

「リアの指摘です」

 

「だろうな」

 

レオンは短く言った。

 

「お前一人だと、たぶん応答履歴でまとめてた」

 

否定できなかった。

 

「現地応答履歴では広い、と言われました」

 

「その通りだ。応答あり、だけだと、機械が返したのか、人が返したのかが埋もれる」

 

レオンは画面を軽く指で示した。

 

「ここは残せる。むしろ残した方がいい」

 

ハルは小さく頷いた。

 

残せる、という言葉に少しだけ息ができた。

 

ただ、すぐにレオンの指は別の欄へ移った。

 

「でも、こっちは広い」

 

「目的欄ですか」

 

「全体だ」

 

レオンは椅子の背にもたれず、少し前に出た。

 

「現地確認、って言葉は便利だけど広い。広い言葉は、上に行くほど危ない」

 

「危ない」

 

「何を見に行くつもりなのか、読む側が勝手に広げられる」

 

ハルは画面を見た。

 

限定的現地確認申請。

 

限定的、と付けている。

それでも、現地確認という語そのものは広い。

 

「お前が見たいものと、申請に書けるものは同じじゃない」

 

レオンは言った。

 

その言葉は、すでに何度も形を変えて聞いてきたものだった。

けれど、申請書案の上で聞くと、また別の重さがあった。

 

「書けるのは、照会回答の整合確認だ」

 

「照会回答の整合確認」

 

「現地へ行きたい理由じゃなくて、現地で確認する項目を書く」

 

レオンは確認範囲の一部を示した。

 

「関連現地連絡者表記の確認。ここは名前を出しすぎるな」

 

ハルは息を止めた。

 

「マレク・トーラスは」

 

言いかけて、レオンが少しだけ首を横に振った。

 

「人物として書くな」

 

その言い方は、予想していたより早かった。

 

「マレク・トーラスを確認しに行く申請に見えたら、通らない」

 

「でも、記録上は」

 

「だから、表記確認だ」

 

レオンは端末上の文面を指した。

 

「M. Taurus、Marek Taurus、マレク・トーラス。記録上の表記が複数ある。そこまでなら確認対象にできる」

 

ハルはゆっくり頷いた。

 

「関連現地連絡者表記」

 

「そう。人物じゃなく、表記」

 

言葉が、人から離れていく。

 

名前。

応答者。

関連現地代表。

 

それらが、申請書の上では、関連現地連絡者表記になる。

 

苦いと思った。

 

けれど、その形にしなければ残せない。

 

「外部支援申請処理履歴も同じだ」

 

レオンは続けた。

 

「ERSAおよび先行支援班の活動実態を書くな。残せるのは、外部支援申請処理状況との対応関係確認まで」

 

「……はい」

 

「直接触りに行くんじゃない。照会回答で出てきた不一致を、現地側記録と照合する」

 

レオンは一度、画面全体を見た。

 

「この形なら、主任には出せる」

 

「通りますか」

 

「通るかは別だぞ」

 

即答だった。

 

ハルは少しだけ肩を落としそうになって、止めた。

 

レオンはそれを見て、軽く息を吐いた。

 

「そこで落ち込むな。主任に出せる形になるだけでも、今は前進だ」

 

「前進、ですか」

 

「少なくとも、机の中で腐らせるよりはいい」

 

その言葉は軽かった。

だが、申請書案の文字よりは温度があった。

 

レオンは確認欄を開いた。

 

――――――――――――――――――――――

確認者:

レオン・クラーク

 

状態:

一次確認済み

――――――――――――――――――――――

 

「俺の確認は入れる。ただし、主任のところでまた削られる」

 

「分かっています」

 

「分かってる反応じゃないな」

 

「また顔ですか」

 

「じゃあ、分かってる雰囲気じゃない」

 

「余計に曖昧です」

 

「でも当たってるだろ」

 

ハルは返事をしなかった。

 

当たっている気がしたからだ。

 

レオンは確認処理を入れたあと、端末をハルへ戻した。

 

「持っていけ」

 

「はい」

 

「言っておくけど、主任はたぶんもっと削る」

 

「はい」

 

「削られたからって、全部消されたと思うな」

 

ハルは端末を受け取る手を少し止めた。

 

レオンは画面ではなく、ハルを見た。

 

「通る形に押し込めるだけだ」

 

その言葉だけは、軽口ではなかった。

 

ハルは頷いた。

 

「行ってきます」

 

「行ってこい」

 

レオンはそう言い、最後に付け足した。

 

「謝る準備はするなよ。申請書を出しに行くんだろ」

 

ハルは少しだけ息を吐いた。

 

「はい」

 

マカベ主任の席は、フロアの奥にある。

 

そこへ向かうまでの間に、ハルは申請書案をもう一度だけ確認した。

 

一次確認済み。

レオンの確認処理が入っている。

 

それだけで、下書きだったものが少しだけ別のものに見えた。

 

だが、正式提出ではない。

承認でもない。

まだ、上へ行くための途中だった。

 

マカベ・コウイチは、別件の監査記録を読んでいた。

ハルが近づくと、視線だけを上げる。

 

「限定的現地確認申請書案です。レオン先輩の一次確認済みです」

 

マカベは短く頷いた。

 

「表示しろ」

 

ハルは端末を共有表示にした。

 

マカベは、表題から目的欄へ視線を動かした。

レオンよりも読む速度が速い。

速いのに、読み飛ばしている感じはない。

 

目的欄で止まり、確認範囲へ進み、除外範囲で視線が少しだけ鋭くなった。

 

「目的がまだ広い」

 

最初の言葉は、それだった。

 

ハルは背筋を伸ばした。

 

「はい」

 

「現地確認という表題は残す。だが、目的欄はさらに狭めろ」

 

マカベは画面を示した。

 

「支援受領実績および現地応答状況の補足確認」

 

ハルは、その文を見た。

 

レオンとリアが残した人的応答、機械応答の差異確認よりも、さらに上の目的欄は短くなった。

 

「人的応答履歴と機械応答履歴は、確認範囲へ下げる」

 

マカベは続けた。

 

「目的欄に全部並べるな。目的は補足確認。確認範囲で分けろ」

 

ハルは入力欄を開き、目的欄を修正した。

 

――――――――――――――――――――――

目的:

支援受領実績および現地応答状況の補足確認。

――――――――――――――――――――――

 

短くなった。

 

短くなった分だけ、見たいものは奥へ下がる。

 

「案件本体ではない」

 

マカベは言った。

 

「照会回答の整合確認だ」

 

その一文で、申請書の輪郭が決まった気がした。

 

ハルは頷いた。

 

「はい」

 

「C-17本体記録には触れない」

 

「はい」

 

「上位管理案件資料の閲覧も除外しろ」

 

「除外範囲に入れています」

 

「さらに明確に書け。閲覧、複写、照会要求、いずれも行わない」

 

ハルは除外範囲の欄を修正した。

 

上位管理案件資料の閲覧、複写、照会要求。

 

文字が増える。

できることではなく、しないことの文字が増える。

 

「責任判断はしない。支援停滞理由の断定もしない。住民証言の聴取とも書くな」

 

「はい」

 

「現地支援実施判断もしない」

 

「はい」

 

マカベの声は冷たく聞こえた。

 

だが、そこに否定だけがあるわけではないことを、ハルは少しずつ分かってきていた。

 

削られている。

けれど、止められているわけではない。

 

通る形に削られている。

 

「関連現地代表、では」

 

ハルが言いかけると、マカベはすぐに遮った。

 

「代表と書くな」

 

ハルは口を閉じた。

 

「お前が確認しているのは、記録上の表記だ」

 

「関連現地連絡者表記、ですか」

 

「それなら確認対象として残せる」

 

ハルは修正した。

 

関連現地連絡者表記の確認。

 

マレク・トーラスという名前は、申請書案の画面から遠ざかった。

 

けれど、消えたわけではない。

 

記録上の表記として、かろうじて残った。

 

「外部支援申請処理履歴」

 

マカベは次の欄へ移った。

 

「ERSAおよび先行支援班の活動実態には触れるな」

 

「外部支援申請処理状況との対応関係確認、までですね」

 

「そうだ」

 

「ERSAへの接触要請は」

 

「除外しろ」

 

返答は即座だった。

 

ハルは除外範囲に追記した。

 

ERSAおよび先行支援班への接触要請。

 

そこまで書くと、申請書はさらに狭くなった。

 

現地へ行くための書類なのに、そこには行ってはいけない場所、会ってはいけない相手、触れてはいけない記録が増えていく。

 

「現地に行けることと、現地を自由に見られることは違う」

 

マカベが言った。

 

ハルは入力を止めた。

 

「はい」

 

「それを分けられない申請は通らない」

 

「分かりました」

 

分かった、と言いながら、全部を飲み込めているわけではなかった。

 

それでも、画面上の文字は整っていく。

 

――――――――――――――――――――――

確認範囲:

支援受領記録の有無確認。

現地応答履歴の補足確認。

人的応答履歴と機械応答履歴の差異確認。

関連現地連絡者表記の確認。

外部支援申請処理状況との対応関係確認。

現地管理端末および受領記録端末の補足確認。

 

除外範囲:

C-17本体記録の閲覧。

上位管理案件資料の閲覧、複写、照会要求。

責任判断。

支援停滞理由の断定。

住民証言の聴取。

現地支援実施判断。

ERSAおよび先行支援班への接触要請。

――――――――――――――――――――――

 

残った言葉は、どれも硬い。

 

けれど、それが申請書だった。

 

「同行者欄が空欄だ」

 

マカベが言った。

 

ハルは顔を上げかけて、すぐに画面へ戻した。

 

「現地確認が認められるか分からなかったので」

 

「認められるかどうかと、申請に必要な条件は別だ」

 

マカベは視線をレオンの席へ向けた。

 

「レオン」

 

少し離れた席で別件に戻っていたレオンが、顔を上げた。

 

「はい」

 

「お前が同行しろ」

 

レオンは一瞬だけ眉を上げた。

 

「俺ですか」

 

「新人監査官補を単独で現地確認に出す申請では通らない」

 

「でしょうね」

 

レオンは軽く息を吐いた。

 

その軽さはいつものものだった。

だが、目は笑っていなかった。

 

ハルは反射的に口を開きかけた。

 

「すみま・・」

 

「謝るな」

 

レオンが先に言った。

 

ハルは言葉を飲み込む。

 

「行くなら、誰かが付く。それだけだ」

 

「……はい」

 

「それに、俺の一次確認入ってるしな。逃げにくい」

 

「逃げるつもりだったんですか」

 

「ないとは言ってない」

 

マカベが横から短く言った。

 

「余計な軽口は申請欄に残らない」

 

「了解です」

 

レオンは肩をすくめた。

 

マカベは同行者欄を開いた。

 

――――――――――――――――――――――

同行予定者:

レオン・クラーク

 

役割:

現地確認補助および監査手続き上の同席確認。

――――――――――――――――――――――

 

そこに名前が入ると、申請書はまた少し形を変えた。

 

ハル一人の申請ではなくなった。

 

それは心強いというより、責任の範囲が広がったように見えた。

 

レオンはハルの横に立ち、画面を見た。

 

「守ってやるとか、そういう話じゃないからな」

 

小さな声だった。

 

「分かっています」

 

「手続き上、俺がいた方が通りやすい。あと、お前が変な方向に走ったら止める」

 

「走りません」

 

「書類で走ってるやつは信用できない」

 

「まだ引っ張りますか、それ」

 

レオンは少しだけ笑った。

 

その笑いで、張っていた空気がわずかに緩む。

 

だが、マカベの声がすぐに戻した。

 

「最終確認する」

 

ハルとレオンは同時に画面へ向き直った。

 

マカベは修正後の申請書案を上から下まで確認した。

 

目的。

確認範囲。

除外範囲。

同行予定者。

添付照会回答一覧。

関連記録番号。

決裁欄。

 

一つずつ、余計な広さが削られていく。

 

「これで上げる」

 

マカベは言った。

 

「上位決裁へ回す」

 

ハルは息を止めた。

 

承認されたわけではない。

現地へ行けると決まったわけでもない。

 

ただ、ハルの机の上にあった申請書案が、マカベの確認を通って、次の場所へ送られる。

 

それだけだった。

 

けれど、それは止められたということでもなかった。

 

マカベは端末へ確認済みの処理を入れた。

 

――――――――――――――――――――――

状態:

上位決裁送付準備中。

――――――――――――――――――――――

 

決裁欄は、まだ空欄だった。

 

そこに誰の名前が入るのか、ハルはまだ知らない。

 

マカベは画面から目を離さずに言った。

 

「通るかどうかは別だ」

 

「はい」

 

「だが、この形でなければ回らない」

 

ハルは頷いた。

 

削られた言葉の方に、本当は見たいものが残っている気がした。

 

それでも、残った言葉だけが次へ進むための形を持っていた。

 

申請書案は、ハルの手元から離れた。

 

まだ、承認されたわけではない。

 

ただ、止められもしなかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

Scene 3 条件付き承認

 

上位決裁へ回された申請書案は、ハル・イルマの端末から離れた。

 

それは、現地へ行けることを意味しない。

承認されたことも意味しない。

 

ただ、机の上で削られた言葉が、次の場所へ送られたというだけだった。

 

FAB局の上層区画にある監査統制官室は、執務フロアよりもさらに音が少なかった。

 

白い壁。

余計な私物のない机。

決裁用端末。

透明な仕切りの向こうに並ぶ、処理待ちの申請一覧。

 

豪華さはない。

重々しい装飾もない。

ただ、何を残し、何を通し、何を止めるかを判断するための空間だった。

 

空調音だけが低く続いていた。

 

マカベ・コウイチは、決裁端末の前に立っていた。

 

画面には、さきほど確認した申請書案が要約表示されていた。

 

――――――――――――――――――――――

申請名:

旧式居住区支援関連記録に係る限定的現地確認申請

 

申請目的:

支援受領実績および現地応答状況の補足確認

 

確認範囲:

支援受領記録の有無確認。

現地応答履歴の補足確認。

人的応答履歴と機械応答履歴の差異確認。

関連現地連絡者表記の確認。

外部支援申請処理状況との対応関係確認。

現地管理端末および受領記録端末の補足確認。

 

除外範囲:

C-17本体記録の閲覧。

上位管理案件資料の閲覧、複写、照会要求。

責任判断。

支援停滞理由の断定。

住民証言の聴取。

現地支援実施判断。

ERSAおよび先行支援班への接触要請。

 

同行予定者:

レオン・クラーク

 

決裁状態:

監査統制官確認待ち。

――――――――――――――――――――――

 

文面は、かなり削られていた。

 

行きたい、という言葉はない。

見たい、という言葉もない。

誰かに会いたい、という言葉もない。

 

残っているのは、補足確認。

照合。

確認範囲。

除外範囲。

 

それでも、ここまで来た申請だった。

 

扉が開く音はしなかった。

 

奥の席に座っていた男が、端末から視線を上げただけだった。

 

セオドア・リンツ。

 

FAB監査統制官。

 

名前は、決裁欄や監査統制文書の中で何度か見たことがある。

だが、マカベにとっても、雑談を交わす相手ではない。

 

セオドアは、申請書案の要約画面を見ていた。

 

「限定的現地確認申請」

 

短く、表題を読む。

 

感情の乗らない声だった。

 

「はい」

 

マカベは答えた。

 

「申請目的は、照会回答の現地照合に絞っています」

 

セオドアは画面をスクロールした。

 

「案件本体ではないな」

 

「はい。案件本体の閲覧は除外しています」

 

「上位管理案件資料」

 

「閲覧、複写、照会要求のいずれも除外済みです」

 

セオドアは頷かなかった。

ただ、表示欄を一つ下へ送った。

 

「責任判断」

 

「除外済みです」

 

「支援停滞理由の断定」

 

「除外済みです」

 

「現地支援判断」

 

「行いません」

 

「住民証言の聴取」

 

「申請範囲外です」

 

セオドアは、その返答を一つずつ聞いていた。

 

確認しているのは、ハルが何を思っているかではない。

マカベが何を考えて申請を上げたかでもない。

 

書類上、何が開かれ、何が除外され、何が残っているか。

 

それだけだった。

 

「同行者は」

 

「レオン・クラークを付けています」

 

「新人監査官補の単独確認ではない」

 

「はい」

 

「同行者の役割は」

 

「現地確認補助および監査手続き上の同席確認です」

 

セオドアは少しだけ画面を止めた。

 

「保護者ではないな」

 

「違います」

 

「現地での自由行動を認めるものでもない」

 

「その認識です」

 

セオドアは、そこで初めてマカベを見た。

 

鋭い、というより、温度の低い視線だった。

疑っているというほどではない。

信じているというわけでもない。

 

ただ、記録に残す前の線を確認している目だった。

 

「申請者は、その違いを理解しているか」

 

マカベは少しだけ間を置いた。

 

「理解させます」

 

「今の段階では」

 

「理解しようとしている段階です」

 

セオドアは何も言わなかった。

 

嘘ではない。

だが、十分でもない。

 

そう判断しているような沈黙だった。

 

「申請目的は狭い」

 

セオドアは画面へ視線を戻した。

 

「確認範囲も、申請目的内に収めてある」

 

「はい」

 

「除外範囲は明記されている」

 

「その形に削りました」

 

「よく削ったな」

 

褒め言葉には聞こえなかった。

 

マカベも、それを褒め言葉としては受け取らなかった。

 

「通すためです」

 

「通すためなら、さらに条件を付ける」

 

セオドアは決裁端末の条件欄を開いた。

 

画面の下部に、空欄が表示される。

 

条件欄。

 

そこに入る言葉は、申請を自由にするためのものではない。

自由を狭めるための言葉だった。

 

セオドアは淡々と入力を始めた。

 

――――――――――――――――――――――

条件:

確認範囲は申請目的内に限定。

案件本体記録の閲覧不可。

上位管理案件資料の閲覧、複写、照会要求不可。

責任判断不可。

現地支援判断不可。

単独行動不可。

レオン・クラーク同行必須。

現地管理側同行者の指定を受けること。

記録端末の使用範囲を限定。

共有記録は同行者確認を受けること。

住民代表等への接触は現地管理側調整後とする。

――――――――――――――――――――――

 

マカベは、その一行ずつを黙って見ていた。

 

条件が増えるたびに、現地でできることは狭くなる。

 

だが、条件がなければ申請そのものが回らない。

 

それが、この書類の現実だった。

 

「危険を消す条件ではない」

 

セオドアは入力を終え、ようやく言った。

 

「はい」

 

マカベは短く答えた。

 

「責任の範囲を決める条件だ」

 

セオドアはマカベを見た。

 

「申請者に、その違いを理解させろ」

 

「伝えます」

 

「伝えるだけでは足りない。通知時に確認を取れ」

 

「承知しました」

 

セオドアは、もう一度申請書案へ視線を戻した。

 

「現地に行けることと、現地を自由に見られることは違う」

 

「はい」

 

「現地へ行けることと、現地で判断できることも違う」

 

「その範囲で通知します」

 

「ならば、記録上、止める理由は薄い」

 

その言葉は、許可のようには聞こえなかった。

 

歓迎でもない。

後押しでもない。

理解でもない。

 

ただ、止める理由が薄い。

 

それだけだった。

 

「ただし」

 

セオドアは続けた。

 

「無条件では通さない」

 

「承知しています」

 

「無条件承認ではなく、条件付き承認だ」

 

マカベは一度だけ頷いた。

 

「その形で処理をお願いします」

 

セオドアは決裁欄を開いた。

 

決裁区分の選択欄が表示される。

 

差戻し。

保留。

却下。

条件付き承認。

承認。

 

セオドアの指は、迷わず一つの項目を選んだ。

 

条件付き承認。

 

次に、監査統制官欄が開いた。

 

――――――――――――――――――――――

監査統制官:

セオドア・リンツ

――――――――――――――――――――――

 

確認時刻。

決裁ログ番号。

条件欄参照。

 

淡々と、端末に記録が残っていく。

 

マカベは、その表示を見ていた。

 

現地確認が安全になったわけではない。

申請者が自由に動けるようになったわけでもない。

対象区域の何かが明らかになったわけでもない。

 

ただ、止められなかった。

 

条件を付けるなら、記録上、止める理由が薄い。

 

それだけが決裁欄に残った。

 

セオドアは端末から手を離した。

 

「通知はそちらで行え」

 

「はい」

 

「申請者本人をここへ呼ぶ必要はない」

 

「そのつもりです」

 

「直接説明すれば、余計な意味を持つ」

 

マカベは少しだけ目を伏せた。

 

「承知しています」

 

「監査統制官は背中を押す役ではない」

 

セオドアの声は平らだった。

 

「条件を付ける役だ」

 

「はい」

 

「なら、それでいい」

 

そこで会話は終わった。

 

セオドアはすでに次の決裁一覧へ視線を移していた。

 

マカベは申請書の処理結果を確認した。

 

――――――――――――――――――――――

決裁区分:

条件付き承認

 

監査統制官:

セオドア・リンツ

 

条件欄:

別紙条件一覧参照

 

状態:

通知準備中

――――――――――――――――――――――

 

その表示は、簡潔だった。

 

簡潔であるほど、冷たく見えた。

 

だが、その冷たさの中で、申請は止まっていなかった。

 

マカベは端末を閉じる前に、条件欄をもう一度だけ確認した。

 

確認範囲。

同行者。

現地管理側同行者。

単独行動不可。

記録端末の使用範囲。

住民代表等への接触制限。

 

道は開いたのではない。

 

線が引かれた。

 

その線の内側だけ、進むことが許された。

 

マカベは処理結果を保存し、通知先を設定した。

 

――――――――――――――――――――――

申請者:

ハル・イルマ

 

同行予定者:

レオン・クラーク

 

通知区分:

条件付き承認通知

――――――――――――――――――――――

 

送信は、まだ押さない。

 

まず、直接伝える必要があった。

 

マカベは端末から視線を外した。

 

決裁室の空調音だけが、短い沈黙を埋めていた。

 

条件は危険を消さない。

責任の範囲を決めるだけだ。

 

その言葉が、決裁ログの外に残っていた。

 

マカベは申請書を閉じた。

 

次は、ハルとレオンに通知する番だった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

Scene 4 条件付き承認の通知

 

通知は、端末の小さな表示から始まった。

 

―――――――――――――

状態:

通知準備中

―――――――――――――

 

その表示が、マカベ・コウイチの確認処理によって更新された。

 

ハル・イルマは、まだ自席にいた。

午前の通常案件に戻っているつもりだったが、視界の端では、申請書案の行がずっと残っていた。

 

上位決裁へ回された申請。

 

その先で何が起きているのか、ハルの端末からは見えない。

見えないものを待つ時間は、短くても長く感じる。

 

「イルマ、レオン」

 

フロアの奥から、マカベの声がした。

 

ハルは顔を上げかけて、すぐに視線を戻した。

 

また顔か、と自分で思い、少しだけ息を吐く。

 

レオンは先に反応していた。

椅子を回し、端末の画面を閉じる。

 

「はい」

 

ハルも立ち上がる。

 

「はい」

 

二人がマカベの席へ向かうと、マカベはすでに共有表示を開いていた。

 

画面には、申請書案ではなく、通知結果が表示されていた。

 

限定的現地確認申請/承認通知。

 

その文字を見た瞬間、ハルの足が少しだけ止まった。

 

承認。

 

その二文字だけが、一瞬強く見えた。

 

だが、すぐにその上にある区分が目に入る。

 

――――――――――――――――

承認区分:

条件付き承認

――――――――――――――――

 

ハルは、そこで息を止めた。

 

無条件ではない。

 

レオンは、ハルより先に条件欄を見ていた。

喜ぶより早く、読む。

その動きだけで、これはただの朗報ではないのだと分かる。

 

マカベは二人を見ずに言った。

 

「条件付きで承認が下りた」

 

ハルはすぐには返事ができなかった。

 

「承認は……下りたんですね」

 

「無条件に通ったわけではない」

 

マカベの返答は短かった。

 

「条件付きで、止まらなかっただけだ」

 

その言葉で、ハルの胸の奥に浮かびかけた安堵が、少し硬くなった。

 

止まらなかっただけ。

 

許されたのではない。

歓迎されたのでもない。

自由に見られるようになったのでもない。

 

ただ、条件を付ければ止める理由が薄い。

その程度の前進だった。

 

レオンが小さく息を吐いた。

 

「主任、相変わらず祝う気はないですね」

 

「祝う内容ではない」

 

「でしょうね」

 

軽口の形をしていたが、レオンの声はあまり軽くなかった。

 

マカベは通知画面を示した。

 

「確認しろ」

 

ハルは画面へ視線を戻した。

 

――――――――――――――――――――――

承認者:

監査統制官 セオドア・リンツ

――――――――――――――――――――――

 

決裁ログ番号。

確認時刻。

条件欄参照。

 

その名前は、短く、硬く、決裁欄の中に収まっていた。

 

本人の顔はない。

声もない。

ただ、条件付き承認という区分と、監査統制官の名前だけが残っていた。

 

――――――――――――――――――――――

確認目的:

支援受領実績および現地応答状況の補足確認

 

確認範囲:

支援受領記録の有無確認。

現地応答履歴の補足確認。

人的応答履歴と機械応答履歴の差異確認。

関連現地連絡者表記の確認。

外部支援申請処理状況との対応関係確認。

現地管理端末および受領記録端末の補足確認。

――――――――――――――――――――――

 

見覚えのある文言が並んでいた。

 

削って、分けて、硬くした言葉。

ハルが見たいと思ったものから、何度も遠ざけた言葉。

 

それでも、残った言葉だった。

 

続いて、除外範囲が表示される。

 

――――――――――――――――――――――

除外範囲:

C-17本体記録の閲覧不可。

上位管理案件資料の閲覧、複写、照会要求不可。

責任判断不可。

支援停滞理由の断定不可。

住民証言の聴取不可。

現地支援実施判断不可。

ERSAおよび先行支援班への接触要請不可。

――――――――――――――――――――――

 

読めば読むほど、できることより、できないことの方が強く見える。

 

現地へ行くための承認なのに、画面は先に、現地でしてはいけないことを並べている。

 

レオンが低く言った。

 

「ここまで明記されると、現地確認というより範囲指定ですね」

 

「その通りだ」

 

マカベは答えた。

 

「この承認は、許可証ではない。範囲指定だ」

 

ハルは除外範囲の中で、住民証言の聴取不可、という一行に目を止めた。

 

証言。

その言葉は、申請書案から消されていた。

だが、除外範囲には残っている。

 

できないこととして。

 

「住民証言の聴取は、不可」

 

ハルは小さく言った。

 

「申請目的は、証言聴取ではない」

 

マカベが言った。

 

「記録の補足確認だ」

 

「住民代表との接触は」

 

言いかけて、ハルは条件欄を探した。

 

――――――――――――――――――――――

追加条件:

住民代表等への接触は、現地安全確認後に調整。

通信端末および記録端末は、現地管理システムへ一時登録。

共有記録は同行者確認を受けること。

確認範囲外の記録取得は禁止。

――――――――――――――――――――――

 

調整。

 

その言葉は、許可にも拒否にも見えなかった。

 

ハルは画面から目を離せなかった。

 

「住民代表との接触は、調整……ですか」

 

「現地安全確認後に、現地管理側が調整する」

 

マカベは淡々と返した。

 

「こちらが自由に接触先を選ぶわけではない」

 

「証言聴取ではない、ということですね」

 

「そうだ」

 

マカベの声は揺れなかった。

 

「記録の補足確認だ。そこを外すな」

 

ハルは頷いた。

 

頷いたが、すぐに飲み込めたわけではない。

 

記録の向こうには人がいる。

けれど、会いに行くための申請ではない。

話を聞くための申請でもない。

 

記録を確認するための申請だった。

 

そこを越えれば、申請そのものが崩れる。

 

レオンは、別の欄を見ていた。

 

――――――――――――――――――――――

同行条件:

レオン・クラーク同行。

監査官補単独行動不可。

現地管理調整官の案内を受けること。

記録端末および通信端末の使用範囲を現地管理側に登録すること。

――――――――――――――――――――――

 

「俺はお目付け役、というより同行確認ですね」

 

「そうだ」

 

マカベは短く答えた。

 

「レオン、お前は同行者だ。監査官補を一人にするな」

 

「了解しました」

 

レオンの返事は早かった。

 

だが、その視線は次の欄で止まっていた。

 

――――――――――――――――――――――

現地管理調整官:

ユリウス・カーン

 

所属:

サイド2外縁居住区 現地管理調整局

 

備考:

連邦内務省治安局 出向

――――――――――――――――――――――

 

レオンの表情から、わずかに軽さが消えた。

 

「治安局、ですか」

 

ハルはその一言で、同じ欄を見た。

 

治安局。

 

現地管理調整局の所属欄よりも、備考欄の文字の方が強く見える。

 

ユリウス・カーン。

 

現地管理調整官。

 

案内役。

安全確認担当。

現地管理側の調整者。

 

そう読めば、書類としてはおかしくない。

 

だが、治安局出向という文字は、ただの案内役よりも硬かった。

 

「安全確認の名目なら、不自然ではない」

 

マカベは言った。

 

否定ではなかった。

 

肯定でもなかった。

 

レオンは画面から目を離さない。

 

「端末の一時登録まで入っていますね」

 

「現地管理システムへ登録する」

 

「記録端末も、ですか」

 

「条件欄にある通りだ」

 

「共有記録は同行者確認」

 

「お前の確認も必要になる」

 

レオンは短く頷いた。

 

「分かりました。同行者として確認します」

 

その言葉に軽さはなかった。

 

ハルは、ユリウス・カーンの名前をもう一度読んだ。

 

カーン調整官。

 

この人が現地を案内する。

この人が安全確認をする。

この人が、ハルとレオンの確認範囲を現地側で見る。

 

そういうことになる。

 

「現地管理側の案内、ですか」

 

ハルが言うと、マカベはすぐには答えなかった。

 

少しだけ間を置いてから言った。

 

「案内は確認ではない」

 

ハルは視線を上げた。

 

「現地管理側の説明と記録が食い違うなら、記録を残せ」

 

マカベは続けた。

 

「ただし、範囲外に出るな」

 

その言葉は、釘のように短かった。

 

「現地に行けることと、現地を自由に見られることは違う」

 

マカベは言った。

 

「行けることと、判断できることも違う」

 

ハルはその言葉を、ゆっくり受け取った。

 

条件付き承認。

 

その文字は、最初に見た時よりも重くなっていた。

 

行ける。

けれど、自由ではない。

 

確認できる。

けれど、範囲内だけ。

 

見られる。

けれど、見たいものをそのまま見られるわけではない。

 

「確認範囲内で、見るしかない」

 

ハルは小さく言った。

 

マカベは頷かなかった。

否定もしなかった。

 

「確認範囲内で、残せ」

 

短く、そう返した。

 

レオンが横から言った。

 

「イルマ、喜ぶのは条件欄を全部読んでからだ」

 

「もう読んでます」

 

「なら、喜ぶ量も調整しろ」

 

「そんな調整ありますか」

 

「あるだろ。条件付きなんだから」

 

ほんの少しだけ、場の空気が緩んだ。

 

だが、すぐにマカベの声が戻す。

 

「実務手順はアヤに確認しろ」

 

ハルは画面から目を離した。

 

「アヤさんに、ですか」

 

「持ち出し端末、通信端末、承認通知控え、確認範囲一覧、緊急連絡先、帰還予定確認票。確認するものは多い」

 

マカベは通知欄を閉じずに続けた。

 

「条件を読んだだけで、準備が終わったと思うな」

 

「はい」

 

「レオン、お前も同席しろ」

 

「了解です」

 

「現地管理側との連絡手順も確認しておけ」

 

レオンは一度だけカーン調整官の欄を見た。

 

「カーン調整官との接続手順ですね」

 

「そうだ」

 

マカベは短く答えた。

 

「本人の評価は現地でしろ。書類だけで決めるな」

 

その言葉に、レオンはわずかに眉を動かした。

 

「了解しました」

 

ハルは条件欄をもう一度見た。

 

住民代表等への接触は、現地安全確認後に調整。

現地管理調整官、ユリウス・カーン。

連邦内務省治安局、出向。

 

調整。

案内。

安全確認。

 

どれも、止めるための言葉には見えない。

 

けれど、自由に進むための言葉でもなかった。

 

マカベは最後に、通知画面の下部を示した。

 

――――――――――――――――――――――

状態:

条件付き承認通知済み

――――――――――――――――――――――

 

ハルは、その表示を見た。

 

現地確認は、止まらなかった。

 

だが、無条件に通ったわけではない。

 

条件の中でしか、進めない。

 

そのことだけが、画面の白い文字の中に残っていた。

 

「行けるかどうか、ではなく」

 

マカベが言った。

 

「どういう条件で行くかを確認しろ」

 

ハルは頷いた。

 

「はい」

 

レオンも短く答えた。

 

「確認します」

 

マカベは共有表示を閉じた。

 

「アヤのところへ行け」

 

ハルは端末を抱え直した。

 

条件付き承認。

 

止まらなかった申請。

 

そして、自由ではない現地確認。

 

その三つを持ったまま、ハルはレオンと並んで、アヤの席へ向かった。

 




後編に続きます。
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