機動戦士ガンダム Beyond the Axis 作:Hisa/Coco
Scene 5 外側の記録
表示は、ほとんど変わっていなかった。
ハルが今どこにいるのか、レオンには見えていなかった。
同行者確認端末は、なおもイルマ監査官補を認証者位置固定の対象として表示し続けていた。
白い画面の中では、ハルはまだ管理導線内にいることになっていた。
レオンは現地管理端末の横に立ち、同行者確認用の表示をもう一度見た。警告色は出ていなかった。強制中断の表示もなかった。だが、外部同期の欄だけが、何度確認しても戻らなかった。
――――――――――――――――――――――
【同行者確認状態】
対象:イルマ監査官補
外部同期:保留継続
位置照合:現地管理側確認中
安全ロック:固定継続
現地管理側説明:旧端末再認証処理中
――――――――――――――――――――――
表示は変わらなかった。
変わったのは、経過時間だけだった。
「現在、旧端末再認証処理の安全確認中です」
カーンの声は、一定だった。
急いでいる様子もなかった。
焦りを隠しているようにも見えなかった。
丁寧で、穏やかで、制度上必要な説明を、必要な形で続けていた。
だからこそ、レオンはその滑らかさを聞き流せなかった。
「イルマ監査官補は、管理導線内にいます。外部同期の遅延は、旧式系統では珍しくありません」
「その説明、時刻付きで記録します」
レオンは端末の記録欄を開いた。
カーンはわずかに頷いた。
「もちろんです。必要な記録は残してください」
止めなかった。
説明もした。
記録も認めた。
それでも、手順は戻らなかった。
レオンは時刻欄を押さえ、入力した。
――――――――――――――――――――――
【外側記録】
対象:イルマ監査官補
状態:外部同期保留継続
現地管理側説明:旧端末再認証処理中
安全ロック:保護処理との説明
位置照合:現地管理側確認中との説明
補足:同行者側から直接確認不能
――――――――――――――――――――――
入力後、レオンはカーンの説明をもう一度確認した。
「管理導線内という説明ですね」
「はい。申請範囲から外れるものではありません」
「イルマが自分で導線を外れた、という扱いにはしません」
カーンの声は変わらなかった。
「現地管理側としても、そのような説明はしておりません。現在は旧端末の保護処理中です」
「安全ロックは、隔離ではなく保護処理」
「その通りです」
「そう記録します」
レオンは言葉を削った。
隔離、とは書かなかった。
妨害、とも書かなかった。
カーンの説明を、カーンの説明として残した。
こちらの判断には変えなかった。
そうしなければ、後でいくらでも形を変えられる。
記録欄に、もう一行を足した。
――――――――――――――――――――――
【外側記録】
現地管理側説明:安全ロックは隔離ではなく保護処理。
同行者側見解:未記入。
直接確認:不能。
――――――――――――――――――――――
通信端末が短く震えた。
マカベからだった。
レオンは少しだけ場所をずらし、声量を落として応答した。
「レオンです。外部同期、保留継続。安全ロック固定継続。現地管理側は旧端末再認証処理中との説明を維持しています」
マカベの声は短かった。
「説明を時刻付きで残せ」
「残しています」
「現地管理側の言い分も、そのまま残せ。こちらの判断に変えるな」
「了解です」
「イルマの単独行動にはするな」
その言葉だけ、少し硬かった。
レオンは記録端末を握る指に力を入れた。
「そこは押さえます」
「強制解除の判断は現地権限の問題になる。こちらの判断を記録に混ぜるな。ログで押さえろ」
「……分かっています」
返事が、一拍だけ遅れた。
マカベはそれを咎めなかった。
「記録を切らすな」
通信はそこで切れた。
短い音が残り、すぐに消えた。
レオンは端末を下ろした。
今すぐ扉の前へ行き、手動解除できる場所を探したい。
ハルの名前を呼びたい。
カーンの説明を遮り、同じ言葉を繰り返すなと言いたい。
だが、それをやれば、現地管理側の手順逸脱として片づけられる可能性があった。レオンが感情的に動いたことだけが残り、ハルがどの手順の中で切り離されたのかが薄くなる。
それでは、守れなかった。
レオンは息を吸い直した。
「外部同期遅延の発生時刻を、もう一度確認させてください」
カーンは管理端末を操作した。
「最初の同期遅延検出は、旧端末再認証開始後です。以降、安全確認が継続しています」
「“もう少し”という説明は、何分前からですか」
カーンの指が一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬だった。
「旧式系統の処理時間には、一定の幅があります」
「幅があることは記録します。こちらが確認したいのは、説明開始時刻です」
レオンの声は、思っていたより低かった。
カーンは穏やかに答えた。
「承知しました。現地管理側の説明履歴を提示します」
端末に履歴が表示された。
同じような文言が、時間を挟んで並んでいた。
安全確認中。
旧端末再認証処理中。
保護処理継続。
もう少しお待ちください。
レオンはそれを見た。
説明は変わっていなかった。
だが、時間だけが積み上がっていた。
レオンは記録欄を開いた。
――――――――――――――――――――――
【外側記録】
現地管理側説明履歴を確認。
同種説明の継続あり。
「安全確認中」
「旧端末再認証処理中」
「保護処理継続」
「もう少しお待ちください」
説明開始時刻、現地管理側履歴にて確認中。
対象者との直接通信、未回復。
――――――――――――――――――――――
「こちらも上席へ報告を継続します」
レオンが言うと、カーンは丁寧に頷いた。
「当然です。現地管理側も確認を継続しています」
その言葉にも、乱れはなかった。
レオンは再び表示を見た。
外部同期、保留継続。
安全ロック、固定継続。
位置照合、現地管理側確認中。
表示は、また同じだった。
変わったのは、経過時間だけだった。
レオンは記録欄の最後に、もう一行を足した。
――――――――――――――――――――――
【外側記録】
現地管理側説明、継続。
同行者側から対象者への直接確認、不能。
対象者の単独行動としては扱わない。
――――――――――――――――――――――
入力してから、レオンは一度だけ息を吐いた。
ハルの声は、まだ戻らなかった。
だが、消えたことにはさせない。
そのための記録だけは、外側で途切れさせなかった。
◇ ◇ ◇
Scene 6 作業灯の先
「こっちだよ」
レナの声が、短く前へ落ちた。
ハルは記録端末を胸側に寄せたまま、その後を追った。足元の仮設ケーブルは、さっきよりも数が増えていた。床の金属板に沿ってまとめられているものもあれば、壁際から通路の反対側へ浅く渡されているものもあった。レナはその上を踏まないように、少しだけ進む角度を変えた。
ハルも同じように足を置いた。
通路の奥で、音が増えていた。
工具音。
通信ノイズ。
誰かが短く返す声。
端末の警告音のような、細い電子音。
白い管理導線側にあった静けさとは違っていた。ここでは音が重なり、途切れ、また戻ってくる。整ってはいない。安全とも言えない。それでも、止まってはいなかった。
「足元、左」
レナが手だけで示した。
ハルは一歩ずれた。床の端に、小さな補修材のパックが置かれていた。誰かが急いで置いたままなのか、封は開いていた。中身の一部が袋の口から覗き、作業灯の黄色い光を受けて鈍く反射していた。
その先で、通路が少し広がった。
広いと言っても、二人が並んで立てる程度だった。壁際に小型の作業灯が二つ置かれ、片方は床を、もう片方は壁面の配管を照らしていた。照らされた配管には、手書きの記号が入った簡易タグが巻かれていた。床には仮設ケーブルが束ねられ、開いた工具箱が壁にもたれていた。
工具箱の中には、使いかけの工具が入っていた。
誰かの手袋が、その脇に置かれていた。表面に白い粉のようなものが付いていた。補修材の粉なのか、断熱材の削れたものなのか、ハルには分からなかった。
「一人通す」
レナが前方へ声をかけた。
その声に、膝をついて配線を見ていた人物が手を止めた。
白系の作業外装。
肩元の識別章。
ERSA。
ハルがそう読めたのは、作業灯が一瞬だけその識別章を照らしたからだった。
「レナ、そっちは?」
作業していた人物の声は低かった。
レナは足を止めずに答えた。
「一人。FAB。記録端末あり」
その言葉を聞いた人物が、ハルの手元を一度だけ見た。
長くは見なかった。
驚いたようにも、歓迎したようにも見えなかった。というより、そういう反応をする余裕がなさそうだった。手袋をはめ直し、床のケーブルを片側へ寄せる。
「通せるが、長くは無理だぞ」
「分かってるよ」
レナは短く返した。
ハルは、そのやり取りの意味を完全には理解できなかった。
通せる。
長くは無理。
何を通すのか。どこをどれくらい開けているのか。ハルには分からない。分からないまま、足元だけを確認して進んだ。
別の人物が、通路の奥から小型端末を持って現れた。
走ってはいなかった。
けれど、急いでいた。肩の識別章が作業灯に照らされ、すぐに影へ沈む。端末を持つ手は止まらず、もう片方の手で壁の配管を避けながら、レナの横をすり抜けた。
「第三区画、圧が安定しない」
その声だけが、ハルにも聞こえた。
圧。
第三区画。
また、意味だけが足りなかった。
「工具、こっち」
奥から別の声が返る。
誰かが工具を置いた。金属が床に当たり、短い音が響いた。すぐに、別の手がそれを取るような動きが見えた。ハルには顔も人数もはっきりとは分からない。作業灯の光に、手と肩と識別章だけが断片のように浮かんだ。
「ここは……」
ハルは思わず声を漏らした。
レナは振り返らなかった。
「ここで立ち止まらないでね」
「ERSAの方が、他にも」
「見えた分だけでいいよ」
レナの返事は短かった。
「記録できる?」
「できます」
ハルは端末を見た。
――――――――――――――――――――――
【記録端末状態】
外部同期:保留継続
ローカル記録:継続
位置情報:補助取得中
詳細位置:確認不能
音声記録:断続
――――――――――――――――――――――
詳細位置は、まだ出なかった。
だが、音だけは増えていた。
記録に残る音が、明らかに増えていた。
レオン先輩の声は、まだ届かなかった。
その代わりに、ハルの周囲には別の声が増えていた。
外側から届かない声と、内側で聞こえる声。
その差だけが、妙に大きかった。
ハルは入力欄を開いた。
――――――――――――――――――――――
【ローカル観察記録】
白い管理導線ではない狭い通路内、作業灯・工具箱・補修材のある通路拡幅部を通過。
作業灯、複数。
仮設ケーブル、工具箱、補修材あり。
壁面配管に簡易タグあり。
ERSA識別装備の人物、複数確認。
通路奥より人声、工具音。
端末音または警告音らしき電子音あり。
通信断続。
外部同期:保留継続。
詳細位置:確認不能。
――――――――――――――――――――――
そこまで打って、ハルは指を止めた。
作業中継点。
一瞬、その言葉が浮かんだ。
だが、ここが正式な中継点なのか、一時的に使われているだけの通路なのか、ハルには判断できなかった。
だから、その言葉は記録欄に入れなかった。
書き切ってしまえば、後でそれは断定になる。
ハルは記録欄を見直し、推測が強くなりすぎていないか確認した。
救助活動とは書かなかった。
支援活動とも書かなかった。
住民がいる、とも書かなかった。
見えたのは、作業灯、工具、補修材、識別章、人声、足音だった。
それだけだった。
ハルは、聞こえた言葉だけを追記した。
――――――――――――――――――――――
【追記】
聞取範囲:
「第三区画、圧が安定しない」
「工具、こっち」
発話者:不明。
詳細意味:確認不能。
――――――――――――――――――――――
原因は書かなかった。
それはまだ、ハルの記録に入れていいものではなかった。
記録を保存しようとした時、膝をついて作業していた人物が、ハルの手元をもう一度見た。
「記録端末か?」
「はい」
ハルが答えると、その人物はケーブルを押さえたまま言った。
「落とすなよ、それ」
それだけだった。
名前も名乗らない。
状況も説明しない。
すぐに視線を配線へ戻し、作業を続けた。ハルは、その短さにかえって息を呑んだ。ここでは、誰もハルに長く構っていられない。レナも、作業している人物たちも、説明している余裕がない。
だが、無視されているわけではなかった。
通れるようにケーブルは寄せられた。
足元の危ない場所は示された。
端末を落とすなと言われた。
それだけで十分だと、ここでは判断されていたようだった。
「少しだけ待って」
レナが言った。
前方で、誰かが通路を横切った。補修材のパックを抱え、壁に肩が触れないように身体を斜めにして進んでいく。作業灯の光が、その背中の識別章を一瞬だけ照らした。
ERSA。
その文字はすぐに影へ消えた。
「奥はまだ作業中」
誰かが言った。
「分かってる。通るだけ」
レナが返した。
ハルはそのやり取りを聞きながら、記録端末を胸側に寄せた。
ハルが案内されていたのは、管理導線内の確認手順だったはずだった。
けれど、ハルの目の前には、作業灯があった。
仮設ケーブルがあった。
工具箱があった。
ERSA識別装備の人物がいた。
管理導線という言葉だけでは、この場所を説明しきれなかった。
そう感じた。
だが、そうは記録しなかった。
記録には、見えたものだけを残す。
判断にはまだ届かない。
ハルは保存を押した。
――――――――――――――――――――――
【ローカル記録】
保存済み
――――――――――――――――――――――
詳細位置は、まだ確認不能だった。
けれど、記録される音は増えていた。
工具音。
通信ノイズ。
誰かがケーブルを引く音。
短い指示。
レナに返る、名前のない声。
ハルは、それらをひとつずつ、判断に変えずに残した。
外部同期は戻らなかった。
レオン先輩の声も、まだ届かなかった。
それでも、ここには声があった。
作業灯があった。
誰かの手が、止まらずに動いていた。
書類の中で空白だった場所に、音があった。
ハルは記録端末を胸側に寄せ、レナの後を追った。
◇ ◇ ◇
Scene 7 空白ではなかった
「もう少し」
レナの声は、作業音の間を縫うように届いた。
ハルは記録端末を胸側に寄せたまま、彼女の後を追った。通路はさらに奥へ続いていた。白い管理導線のように、まっすぐで、明るく、整っているわけではなかった。作業灯の光は低く、ところどころ壁や配管に遮られ、足元に細かい影を落としていた。
その影の中を、仮設ケーブルが何本も這っていた。
誰かが、壁際で工具を置いた。
金属音が短く響いた。
別の誰かが、通路の奥で何かを引くような音を立てた。ケーブルなのか、補修材なのか、ハルには分からなかった。すぐに短い声が続いた。
「そっち、通せる?」
返事は少し遠かった。
「まだ閉めるな」
声は、壁と配管に当たって輪郭を失っていた。誰が言ったのか、ハルには分からなかった。ERSA装備の人物なのか、別の作業者なのかも判断できなかった。ただ、人の声だった。
レナは足を止めず、肩だけでハルに先を示した。
「足元、気をつけて」
ハルは頷き、低い配管を避けて進んだ。
通路の奥には、作業灯がさらに二つ見えた。片方は床に置かれ、もう片方は壁面の古い支持具に固定されていた。光は安定していなかった。細かく揺れ、工具箱の影や、積まれた補修材の輪郭を長く伸ばしていた。
床の隅に、養生テープでまとめられた仮設ケーブルがあった。
その隣に、使いかけの補修材が積まれていた。包装の端が折れ、表面には誰かの手袋の跡が薄く残っていた。小型端末が一つ、壁際の金属ケースの上で短い警告音を鳴らしていた。誰かが近づき、音を止めた。表示内容はハルの位置からは読めなかった。
「ここで止まらないで」
レナが言った。
「はい」
「ここから先は、勝手に動かないでね」
ハルはもう一度頷いた。
「記録、残ってる?」
「残っています」
ハルは端末の表示を確認した。
外部同期は戻っていなかった。
レオン先輩の声も、まだ届かなかった。
けれど、ローカル記録は続いていた。端末の中だけで、途切れずに保存されていた。外へ届いているかは分からなかった。だが、消えてはいなかった。
「見えた範囲だけ、残します」
ハルがそう言うと、レナは短く返した。
「それでいいよ」
作業灯の光が、端末画面に揺れた。
ハルは入力欄を開いた。
――――――――――――――――――――――
【ローカル観察記録】
外部同期:保留継続。
ローカル記録:継続。
詳細位置:確認不能。
白い管理導線ではない通路内、作業灯複数。
仮設ケーブル、工具箱、補修材確認。
ERSA識別装備の人物、複数確認。
通路奥より人声、工具音。
端末音らしき電子音あり。
通信音声:断続。
観察記録:継続。
――――――――――――――――――――――
そこまで入力して、ハルは指を止めた。
人がいる。
そう書きかけて、やめた。
聞こえたのは人の声だった。
見えたのは、作業灯の下で動く手と、識別章と、工具を持つ腕だった。
だが、誰が何をしているのか、どの立場の人間なのか、ハルにはまだ分からなかった。住民なのか、ERSAの作業者なのか、支援側の誰かなのか。それを今の記録欄で決めることはできなかった。
だから、記録には人声と書いた。
工具音と書いた。
複数確認、と書いた。
それ以上は、書かなかった。
ハルは追記欄を開いた。
――――――――――――――――――――――
【追記】
聞取範囲:
「そっち、通せる?」
「まだ閉めるな」
発話者:不明。
詳細意味:確認不能。
――――――――――――――――――――――
聞こえた言葉だけを残す。
誰が言ったのかは、分からないままにした。
保存を押す前に、通路の奥で誰かが小さく舌打ちをしたような音がした。
続いて、ケーブルを引く音が響いた。引きずるような音ではなかった。誰かが力を入れ、引っかかりを避けながら、慎重に動かしている音だった。別の場所で工具が床に置かれる。端末の警告音が一瞬止まり、通信機のノイズだけが残った。
静かではなかった。
ハルは、そのことを初めてはっきりと思った。
書類の中では、C-17は静かだった。
搬入実績の空白。
応答記録の減少。
確認不能。
更新待機。
保留。
そこに並んでいたのは、音のしない言葉ばかりだった。
けれど、ここには音があった。
工具を置く音。
ケーブルを引く音。
短い指示。
返ってくる声。
端末の警告音。
作業灯の低い唸り。
それらは整っていなかった。安心できる音でもなかった。むしろ、危険が近いことを示していたのかもしれなかった。
それでも、音があった。
止まっていなかった。
「端末、持っててね」
レナが言った。
「外に戻すのは後。今はこっちだよ」
外に戻すのは後。
その言葉に、ハルは一瞬だけ反応した。
外。
白い管理導線の向こう。
レオン先輩のいるはずの場所。
現地管理側の説明が続いているはずの場所。
そこへ戻れるのかどうか、今のハルには分からなかった。戻ったとして、この端末の記録がどう扱われるのかも分からない。
それでも、レナは端末を持っていろと言った。
後で必要になる、と言った。
ハルは端末を握り直した。
「詳細位置は、まだ取れていません」
「今はそれでいいよ」
「外部同期も、戻りません」
「記録は?」
「続いています」
レナは短く頷いた。
「なら、大丈夫」
それだけだった。
安心させる言葉ではなかった。
十分だと言い切る言葉でもなかった。
ただ、今ここで必要なものがまだ残っているという確認だった。
ハルは保存を押した。
――――――――――――――――――――――
【記録保存】
保存先:端末内一時領域
外部同期:保留
ローカル記録:継続
未送信記録:保存済
――――――――――――――――――――――
外には、まだ届かなかった。
レオン先輩の声も戻らなかった。
管理導線側の説明も、ここまでは届かなかった。
それでも、端末の中には残った。
作業灯。
仮設ケーブル。
工具箱。
補修材。
ERSA識別装備の人物。
通路奥の人声。
工具音。
断続する通信。
ハルは、それ以上を書かなかった。
聞こえなかったものは、聞こえなかったままにした。
分からないことは、分からないまま残した。
けれど、ひとつだけ、記録には書けない形で胸に残った。
ここは、空白ではなかった。
書類の中で静かに止まっていた場所に、声があった。
手があった。
誰かが、まだ動いていた。
「行くよ」
レナの声が、短く響いた。
ハルは記録端末を胸側に寄せた。
外にはまだ届かなかった。
それでも、消えてはいなかった。
ハルはその重さを確かめるように握り直し、作業灯の奥へ一歩踏み出した。
次話に続きます。