Scene 4 レオンの迂回路
その経路では、もう先へ進めない。
アヤの言葉は、端末を閉じたあともハルの中に残っていた。
照会申請は、入口で止まった。画面に出た表示は短かった。
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【端末表示】
通常監査対象外。
照会権限なし。
現在の業務範囲に存在しない案件。
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どれも正しい表示だった。そして、正しいほど先へ進めなかった。
ハルは自席に戻り、業務一覧を見ていた。旧式居住区支援実績監査、関連予算資料、環境維持装置更新記録、周辺区画保守状況。その名前は、どこにもない。
「正面玄関、閉まってただろ」
背後から声がした。レオン・クラークだった。資料パッドを片手に持ち、軽い笑みを浮かべている。ただ、その目はハルの画面を見ていた。
「見てたんですか」
「見える場所で詰まってたら、そりゃ見える」
レオンは隣の席には腰を下ろさず、机の端に軽く手を置いた。
「アヤに止められたか」
「止められた、というか。その区分では先に進めない、と」
「だろうな」
特に驚かなかった。
「通常監査対象外を、通常の照会で見ようとしたらそうなる」
「でも、それならどう確認すればいいんですか」
ハルの声は、思ったより硬くなった。レオンは少しだけ肩をすくめる。
「案件を追うな」
「え?」
「C-17を追うな。今のお前がそこを正面から叩いても、また同じ表示が出るだけだ」
「じゃあ、何もしないんですか」
「そうは言ってない」
レオンの声から、軽さが少しだけ引いた。
「周辺を見ろ。C-17が見えないなら、C-17の隣を見る。C-16、C-18。第七環境維持区画全体。関連予算。委託業者。搬入記録。同時期の支援実績」
指を折るように、淡々と挙げていく。
「消えたものの形は、周りに残る」
ハルはその言葉を、何度か頭の中で繰り返した。
「その本体には触れない。だが、C-17の周りで何が動いたかは見られる場合がある。予算が動いたか。業者報告が出ているか。隣の区画で同じ処理がないか。所管変更が同じ時期に重なってないか」
「それは、迂回しているだけじゃないですか」
「監査なんて、だいたい迂回だ」
レオンは笑った。今度の笑みには、少しだけ疲れが混じっていた。
「正面から見えるものだけ見てたら、見えるように整えられたものしか拾えない」
ハルは端末へ目を戻した。C-17はない。けれど、C-17の周囲にあるものは、まだいくつか見える。
「でも、それで何がわかるんですか」
「さあな」
レオンはあっさり言った。
「わからないことがわかるかもしれない」
「それ、答えになってますか」
「監査の入口としては、わりと立派な答えだ」
ハルは返事に困った。
「いいか、ハル。結論を書くな。疑義とも書くな。不正とも書くな。並べろ。区画を並べる。日付を並べる。予算項目を並べる。完了報告と受領ログを並べる」
そこで、レオンは声を少し落とした。
「ひとつだけなら、ただの例外で終わる。並べれば、別の見え方をすることがある」
アヤは、正面からの照会を止めた。マカベは、手順と権限の線を引いた。レオンは、線の向こう側を直接叩くなと言いながら、線の周りを見る方法を示している。誰も、C-17を追えとは言わない。けれど、誰も完全に忘れろとも言わなかった。
「それで、もし何か見えたら」
「見えたものだけ残せ。見えないものを見えたことにするな。見えたものを見なかったことにもするな」
軽口ではなかった。
「やってみます」
「ほどほどにな」
レオンはいつもの調子を戻すように笑った。
「新人が朝から全部背負うと、腰をやる」
「そういう話ですか」
「そういう話にしておけ」
レオンは自分の席へ戻っていった。
ハルは端末に向き直る。検索欄に、C-17とは入力しなかった。代わりに、次の項目を入力した。
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【検索入力】
第七環境維持区画
周辺支援記録
関連予算
同時期搬入実績
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同じ入口を叩いても、同じ表示が返ってくるだけだった。なら、周辺を見るしかない。そう思った時、端末の白い画面が、少しだけ違う形に見えた。
Scene 5 周辺案件の違和感
ハルは、C-17という文字を検索欄に入れなかった。
代わりに、隣接する区画の資料を開いた。C-15、C-16、C-18、C-21。端末の画面に、支援関連資料が並んでいく。
最初に見た限りでは、どれも普通の資料だった。区画名、支援分類、予算項目、委託業者報告、環境維持装置更新状況、生活物資搬入記録、現地応答確認。書類としては整っている。崩れてはいない。
ひとつずつ開いた。
C-15は、生活物資搬入が遅延扱いで、現地受領ログが一部未確認。C-16は、現地応答が確認中で、関連予算は執行済み。C-18は所管変更が入っており、業者報告上は受領済みだが現地側受領ログが未確認。C-21は段階的支援で、生活物資搬入費は支出済みだが現地確認が調整中。
ひとつずつ見れば、説明はついた。遅延、確認中、所管変更、段階的支援。支援の現場では予定通りにいかないこともある。通信が遅れることもある。そう考えれば、それぞれは処理できる。
だが、並べると違って見えた。
言葉は少しずつ違う。担当部署も違う。けれど、最後に残るものは似ていた。予算は動いている。委託業者の報告もある。環境維持装置の更新は完了になっている。生活物資の搬入費も支出済みになっている。
足りないのは、現地が受け取ったという記録だった。
受領ログ、現地応答、現地確認。その部分だけが、どの区画でも薄い。完全にないわけではない。一部未確認、確認中、調整中、現地応答待ち。そういう言葉で穴は塞がれている。
「……これ、全部別件ってことになってんのか」
横から声がした。ソウマだった。
「表示上は」
「便利な言葉だな、表示上って」
「アヤさんみたいな言い方だ」
「いや、俺までああなったら終わりだろ」
軽口だった。だが、いつものようには軽くならなかった。ソウマはハルの画面を直接覗き込みすぎない位置で止まり、並んだ資料を横目で見た。
「C-17だけじゃないってことか」
「まだ、そうとは言えない」
その言い方も、ずいぶんFABに慣れた言葉だと思った。そうとは言えない、断定できない、表示上は、確認中。いつの間にか、使う言葉が変わっている。それに気づいて、少しだけ嫌な気持ちになった。
「でも、似てる」
ソウマが言った。ハルは頷いた。
「似てる」
リア・セレスが、少し離れた席から短く言った。
「受領ログが弱い」
「弱い?」
「搬入した側の記録はある。でも、受け取った側の記録が薄い。業者報告、予算執行、完了印、そこは残っている。でも、現地の応答や受領確認は、確認中か未確認に寄っている」
「届いたかどうかわからないってことか」
「書類上は、届いたことにできる。少なくとも、届いていないとは書かれていない」
誰も見捨てたとは言わない。でも、届かない。
ハルは委託先の番号に目を向けた。区画ごとの委託報告欄を並べる。環境維持装置更新、搬入補助業務、共用設備保守、緊急支援物資輸送。項目名は違う。だが、委託先の管理番号が似ている。完全に同じではない。関連会社か、同一系列か、番号体系が近いだけかもしれない。それだけで何かを言えるわけではない。けれど、複数の区画で似たような業務が似たような時期に処理済みになっていて、どれも現地側の確認が弱い。
表示を日付順に並べ替えた。三か月前あたりから、複数の区画で表現が変わっている。搬入済み、完了、確認中、安全確認中、所管変更、現地応答待ち。支援が止まったとは書かれていない。だが、届いたと確かめる記録も薄くなっている。
「偶然かもしれない」
ハルは言った。自分に言い聞かせるような声だった。ソウマは返事をしなかった。リアも断定しなかった。誰も、不正とは言わない。まだ、そこまでの材料はない。
「ひとつずつなら、例外に見える。並べると、傾向になる」
リアが短く言った。
傾向。不正ではない。証拠でもない。告発でもない。それなら、今のハルにも扱えるかもしれない。
ハルは業務用の作業表を作った。正式な報告書ではない。資料を並べるための一時的な整理表だった。区画、支援分類、予算処理、委託報告、搬入記録、現地受領、定期応答。淡々と項目を並べる。そこに、結論は書かない。疑義とも書かない。ただ、並べる。
レオンの言葉の意味が、少しだけわかった気がした。
保存名を入力した。
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【保存名】
第七環境維持区画 周辺支援記録比較
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表の中央には、空いた一列だけがあった。C-15、C-16、空欄、C-18、C-21。
その空欄を、ハルはしばらく見ていた。見えないはずの区画が、周囲の記録を並べるほど、かえって輪郭を持ち始めていた。
Scene 6 処理済みの空白
比較表は静かに画面の中に収まっていた。
ハルは、その作業表を提出するつもりはなかった。誰かに送るためのものでもない。ただ、周辺区画の支援記録を並べた、業務上の整理に過ぎない。
それでも、空欄の一列だけが、他のどの区画よりも重く見えた。
予算は動いている。委託報告もある。完了の印もある。足りないのは、現地が受け取ったという記録だけだった。
ハルは個人用覚書を開いた。昨日から書き足してきた断片が並んでいる。
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【個人用覚書】
C-17
サイド2外縁
第七環境維持区画
搬入実績三か月空白
環境維持装置更新済み扱い
定期応答三か月前から減少
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その横に、今日の比較表を並べる。
別々に見れば弱い。どちらも決定的なものではない。だが、並べると同じ方向を向いているように見えた。C-17だけが異常なのではない。
その考えをすぐに文字にはしなかった。書けば記録になる。記録になれば手続きが動く。マカベの言葉が残っている。疑問は残せ、だが通す場所を間違えるな。
ハルは作業表の備考欄に短く入力した。
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【備考欄】
現地受領記録、複数区画で未確認または確認中。
予算処理および委託報告との照合継続。
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それだけだった。感情は入れない。推測も入れない。結論も書かない。ただ、並べた結果として残せる事実だけを置く。
保存ボタンを押した。警告も出ない。誰かが席を立つこともない。フロアの空気も変わらない。
だが、ハルの中では、その空白が少しだけ違うものになっていた。
処理済みの空白。
書類上の処理は、どれも進んでいるように見えた。ただ、現地が受け取ったという記録だけが、最後まで薄かった。支援は止まっているとは書かれていない。だが、届いたとも書かれていない。
それは、見捨てたとは書かずに、少しずつ遠ざけていくような書き方に見えた。
「まだ、証明できないだけだ」
自分の声が、小さく漏れた。
隣の席で、ソウマがわずかに端末から目を上げた。
「何か言ったか」
「いや」
ハルは首を横に振った。
「まだ、何も」
ソウマは少しだけ眉を寄せたが、それ以上は聞かなかった。聞かないでいてくれることが、今はありがたかった。
端末の白い画面を、ハルは見つめ続けた。
次話に続きます。