Beyond the Axis   作:Hisa/Coco

8 / 8
続きです。


第7話 届かない支援(後編)

Scene 4 照会文

 

先ほどまでの申請一覧は、もう閉じている。画面に残っているのは、通常監査補助照会の作成欄だけだった。

 

 

――――――――――――――――――――――

照会種別:通常監査補助照会

照会区分:関連記録確認

対象区域:第七環境維持区画外縁居住ブロック

関連項目:外部支援申請状況

承認区分:上席確認後送付

注意:照会対象が複数所管にまたがる場合、回答に時間を要することがあります。

――――――――――――――――――――――

 

その一文だけで、すでに少し息苦しかった。

 

先ほど打った仮の件名を正式な作成画面へ移した。

 

――――――――――――――――――――――

対象区域に係る外部支援申請の処理継続理由について

――――――――――――――――――――――

 

読み返して、すぐに足りないと思った。理由だけでは、最終更新日から先の空白を問えない。処理が続いていると言われれば、それで終わってしまう。

件名の後ろに言葉を足した。

 

――――――――――――――――――――――

対象区域に係る外部支援申請の処理継続理由および最終更新日以降の対応履歴について

――――――――――――――――――――――

 

長い。硬い。息が詰まるほど事務的だった。それでも、さっきよりは届く気がした。支援が止まっているとも、誰かが止めたとも書いていない。ただ、処理が続いている理由を問う。そして、最終更新日以降に何が行われたのかを問う。通常監査補助照会の範囲に収まる可能性がある。

 

「まだやってんのか」

 

ソウマの声がした。軽く言おうとしているのはわかった。けれど、声の底には少しだけ硬さが残っていた。

 

「照会文を整えてる」

 

「問題は、さっきから文面がどんどん役所っぽくなってることだ」

 

「役所の中で通す文だからな」

 

「もっとはっきり書けばいいんじゃないのか。支援が止まってるなら、そう聞けばいい」

 

「そう書くには、まだ足りない。届いていないとは言えるかもしれない。でも、止められているとは言えない。不正とも書けない。妨害とも書けない」

 

「面倒くさいな」

 

「監査って、たぶんそういう仕事なんだと思う」

 

「もっと明るい仕事だと思ってた」

 

「俺も」

 

リアが向かい側から言った。

 

「弱すぎても、返ってこない。確認をお願いします、だけなら、確認中と返ってくる」

 

説明ではない。助言というほど親切でもない。けれど、十分だった。

 

本文欄に移った。確認希望項目を順番に置いていく。

 

――――――――――――――――――――――

支援船接近許可申請に係る管制判断待ちの現在状況

最終更新日以降の処理履歴

現地応答確認の実施状況

受領確認記録および搬入完了記録の有無

搬入経路再調整の根拠資料

安全確認報告の更新有無

――――――――――――――――――――――

 

項目を並べるほど、文章は硬くなった。それでよかった。柔らかい言葉は、きれいに流される。強すぎる言葉は、入口で止まる。今必要なのは残っている事実を順番に置くことだった。

 

照会対象欄には、外部支援申請状況、支援船接近許可、申請元としてERSAの名前を残した。

 

――――――――――――――――――――――

外部支援申請状況

支援船接近許可

申請元:ERSA

――――――――――――――――――――――

 

ERSAという名前に視線が一度だけ止まる。外から手を伸ばした者のひとつ。今のハルに言えるのは、それだけだった。それ以上は書かない。組織の性質も、意図も、現場の事情も、まだわからない。

「ERSAってやつ、入れるのか?」

 

「申請元としては残す。この申請がどこで止まっているかを確認する」

 

「お前、だんだんそっち側の言葉になってきたな」

 

「褒めてるのか」

 

「いや、心配してる」

 

少しだけ、空気が緩んだ。だが、画面の白さは変わらない。

 

照会理由欄が一番難しかった。理由が弱ければ確認照会として処理される。理由が強すぎれば、疑義照会として扱われるかもしれない。新人監査官補が出すには、踏み込みすぎている。

 

ゆっくり入力した。

 

 

――――――――――――――――――――――

対象区域に係る外部支援申請について、処理状況が複数項目で確認中または判断待ちとなっているため、最終更新日以降の対応履歴および現地到達確認に関する記録の有無を照会する。

――――――――――――――――――――――

 

書き終えてから、読み返す。支援が届いていないとは書いていない。待たされている人がいるとも書けていない。だが、現地到達確認に関する記録の有無だけは残した。届いたかどうか。この照会文の芯は、そこだった。

 

リアが一度だけ画面を見た。

 

「通るかは、わからない」

 

「わかってる」

 

「でも、流されるだけの文ではない」

 

ハルは、小さく頷いた。それで十分だった。

 

送付状態は上席確認待ちのまま保存した。端末が短く反応する。

 

――――――――――――――――――――――

保存しました。

――――――――――――――――――――――

 

それだけだった。

まだ、どこにも届いていない。支援でもない、救助でもない、ただの照会文だ。けれど、黙って閉じるための文書ではなかった。

 

長すぎるほど事務的な件名を、ハルはもう一度見た。それでも、その言葉でしか今は扉を叩けなかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

Scene 5 上席確認

 

送付状態は上席確認待ちのまま、昼を過ぎても変わらなかった。

 

ハルは通常業務の資料を開いたまま、画面の端に残る小さな通知欄を何度か見た。照会文そのものを開き直すことはしない。文面はもう整えた。あとは待つしかない。

 

その言葉を思った瞬間、ハルは少しだけ嫌な気分になった。確認中、判断待ち、上席確認待ち。どれも違う言葉のはずなのに、似た形をしている。

 

「まだ通ってないのか」

 

「上席確認待ち」

 

「それは、通ってないってことか?」

 

「通ってない。でも、差し戻されたわけでもない」

 

「便利だな、その中間」

 

ソウマは軽く言ったつもりだったのだろう。だが、声はあまり軽くなかった。

 

フロアはいつも通りだった。端末の音も、短い業務連絡も、何ひとつ変わっていない。ただ、ハルが照会文を上げてから、周囲の空気がほんの少しだけずれている気がした。隣の席の職員がハルの画面に一瞬だけ目を向けてすぐに戻す。少し離れた席で交わされていた雑談が短く途切れる。露骨ではない。誰も何も言わない。だからこそ、気のせいだと言われれば、それまでだった。

 

通知欄が短く光った。

 

――――――――――――――――――――――

確認者:コウイチ・マカベ

状態:確認中

備考:照会範囲が複数所管にまたがるため内容確認中

――――――――――――――――――――――

 

確認中。また、その言葉だった。

 

ほどなくして、マカベから短い呼び出しが入った。

 

コウイチ・マカベ主任監査官の席は、フロアの奥にある。仕切られた個室ではない。だが、そこだけ少し音が落ちる。近づくと、マカベは端末から目を上げた。

 

「照会文は読んだ。内容は分かる」

 

その言葉に、ハルは少しだけ息を止めた。否定ではなかった。差し戻しでもなかった。

 

「ただ、範囲が広い。外部支援申請、管制判断、現地応答、受領確認、搬入経路、安全確認。所管が複数にまたがる」

 

「はい」

 

「通常監査補助照会としては、慎重に扱う必要がある。対象を絞った方がいい。支援船接近許可だけにするか、現地応答確認だけにするか。少なくとも、最初の照会としては」

 

「でも、分けると、つながりが見えなくなります」

 

言ってから、踏み込みすぎたと思った。マカベの表情は変わらない。

 

「つながりがあると判断する段階ではない。今出せるのは確認だ。判断ではない」

 

「……はい」

 

「疑問を持つなとは言っていない。ただし、通常監査補助照会として出すなら、確認できる範囲に絞れ」

 

反論できなかった。マカベの言っていることは正しい。照会範囲は広い。所管もまたがっている。新人監査官補が出す照会としては、慎重に扱うべき内容だった。だからこそ、苦しかった。誰も間違ったことを言っていない。だから、押し返す言葉がない。

 

「急ぎで出す必要はあるか」

 

ハルは一瞬、答えに詰まった。現地では時間が進んでいる。待っている人がいるかもしれない。空気も、薬も、食料も、待ってくれない。けれど、それは照会文の中ではまだ証明されていない。

 

「最終更新日から、時間が経っています」

 

「それは分かる。だが、緊急照会の根拠には足りない」

 

やはり、間違っていない。

 

「一度こちらで確認する。急ぎでは出さない。内容を分けられるか確認してから戻す」

 

「差し戻し、ですか」

 

「まだ差し戻しではない。確認中だ」

 

その言葉が、今度はマカベの口から出た。ハルは小さく息を吸った。

 

「……分かりました」

 

「通常業務に戻れ」

 

席に戻ると、ソウマが顔だけこちらへ向けた。

 

「止められたのか?」

 

「止められてはいない」

 

画面には、まだ同じ表示が残っている。

 

――――――――――――――――――――――

送付状態:上席確認待ち

――――――――――――――――――――――

 

「でも、通ったわけでもないな」

 

その通りだった。照会文は、また中間に置かれていた。リアは何も言わなかった。ただ一度だけハルの画面を見て、すぐに自分の端末へ視線を戻した。その沈黙が、妙に重かった。

 

ハルは通常業務の資料を開いた。別の自治体、別の予算照合、別の支出確認。今日中に処理すべき仕事が並んでいる。それらを進めなければならない。監査官補としての仕事は、あの照会文だけではない。

 

分かっている。別件の資料へカーソルを移した。

 

だが、通知欄の小さな文字が、視界の端に残り続ける。上席確認待ち。拒否ではない。だから、まだ待つしかない。その構造が、今度はハルの机の上に置かれていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

Scene 6 持ち帰った問い

 

帰りのシャトルは、いつもと同じ速度で行政区を離れていった。

 

窓の外では、白く整えられた庁舎群が少しずつ遠ざかる。無駄のない街灯、均等に並んだ歩道、ガラスに映る疲れた自分の顔。

 

ハルは、膝の上で手を組んでいた。鞄の中には何も特別なものは入っていない。持ち出せる資料などない。照会文も、内部記録も、職場の端末の中に残してきた。それでも、言葉だけは残っていた。

 

上席確認待ち。確認中。管制判断待ち。拒否ではないという形。進んでいないという事実。その形を、ハルは職場から持ち帰ってしまっていた。

 

住宅地に入る頃には、行政区の白い光は遠くなっていた。窓の外に見える家々の明かりは、どれも少しずつ違っている。古い屋根、小さな庭、誰かが干し忘れた洗濯物、道の端に停められた古い作業車。整いすぎていない景色だった。そのせいで、少しだけ息がしやすかった。

 

「おかえり」

 

奥から、ベルトーチカの声がした。

 

「ただいま」

 

靴を脱ぎながら答える。いつもの声を出したつもりだった。けれど、自分でも少し平たく聞こえた。

 

台所から、湯気の匂いが流れてくる。古い鍋のふたが、小さく鳴った。卓上端末からは、低い音量で夜のニュースが流れている。今日の行政発表、復興支援の進捗、支援計画の継続、安全確認。

 

ハルは、そこで一瞬だけ足を止めた。ベルトーチカがそれに気づく。

 

「消す?」

 

「いや、大丈夫」

 

大丈夫という言葉も便利だと思った。何も説明していないのに、話を進められる。

 

ベルトーチカはニュースの音量を少し下げた。完全には消さない。ただ、部屋の中で邪魔にならない程度にする。

 

「顔に出てるわよ」

 

皿を置きながら言った。

 

「そんなに?」

 

「帰ってきてから、靴を脱ぐまでに三回考え事をしてた」

 

「数えてたのか」

 

「見れば分かるわ」

 

問い詰める声ではない。心配を押しつける声でもない。ただ、そこに座っている声だった。

 

「仕事が、進まなかった」

 

「止められたの?」

 

「止められたわけじゃない。でも、進んでもいない」

 

ベルトーチカは、小さく頷いた。

 

「そういうのが、一番疲れるのよ」

 

「分かるの?」

 

「止まったなら、止まった理由を探せる。拒否されたなら、別の言葉を探せる。でも、止まっていないことにされている時は、動きようがなくなる」

 

まるで、職場で見ていた表示をそのまま読まれたようだった。ベルトーチカは何も知らない。案件名も、照会文の内容も、外部支援申請の記録も、ハルは話していない。それでも、彼女は構造だけを見ている。

 

「母さんも、そういうの見たことある?」

 

ベルトーチカはすぐには答えなかった。湯気の立つ皿を見て、それからハルを見る。

 

「見たことはあるわ。でも、あなたの仕事の話を、私が勝手に知ったように話すつもりはない」

 

「……うん」

 

「ただ」

 

ベルトーチカは、少しだけ声を落とした。

 

「言葉を選ばなきゃいけない時ほど、何を消さないかが大事よ」

 

ハルは、その言葉を受け止めるまで少し時間がかかった。

 

何を言うか、どこまで書くか、どの区分で出すか、どうすれば通るか。今日はずっとそればかり考えていた。けれど、ベルトーチカの言葉は少し違った。何を消さないか。

 

昼間の照会文が戻ってくる。処理継続理由、最終更新日以降の対応履歴、現地到達確認に関する記録の有無。硬く、長く、息が詰まるような言葉。そこには待たされている人のことは書けなかった。支援が届いていないとも、はっきりは書けなかった。それでも、現地到達確認に関する記録の有無だけは残した。

 

消さなかったのは、そこだった。

 

「俺、たぶん」

 

ハルは、ゆっくり言った。

 

「答えが欲しいんじゃなくて、消えない形にしたいんだと思う」

 

ベルトーチカは何も言わなかった。ただ、続きを待っている。

 

「見たものを、そのまま強い言葉にはできない。でも、弱すぎる言葉にすると、なかったことになる。だから、ぎりぎり残る形にしようとしてる」

 

「それでいいんじゃない」

 

あまりにもあっさり言われて、ハルは少しだけ戸惑った。

 

「いいのかな」

 

「正しいかどうかは、まだ分からないわ。でも、あなたが気にしているなら、そこには何かあるんでしょう」

 

答えではない。許可でもない。励ましとも少し違う。ただ、ハルが抱えているものを、そこに置いていいと言われた気がした。

 

食卓の上には、いつもの夕食が並んでいる。温かい汁物、少し焦げた焼き魚、漬物、ベルトーチカが好きな古い器。何ひとつ特別ではない。だからこそ、昼間見た言葉が余計に遠く感じられた。

 

「止められてないなら、まだ終わってないんでしょう」

 

ベルトーチカはそう言って、カップを置いた。

 

「終わってない、か」

 

職場で見た中間の表示は、まだ消えていなかった。けれど、待つだけで終わらせるつもりもなかった。

 

明日、もう一度確認する。そう考えかけて、ハルは箸を持つ手を止めた。

 

いや、明日は休みだった。卓の端で私用端末が短く震えた。ソウマたちとの約束もあった。

 

ハルは通知を開かず、仕事用端末の方だけを一度見る。

 

仕事の続きは、休みが明けてからでいい。そう決めて、ハルはようやく箸を取った。




次話へ続きます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。