──帝都宮廷、城門前。
髪を解き、ドレス姿のアウレリアと、礼服のエルフリーデ。
いつも通り不審者なミナカミに、普段着のアンナ。
対極的な二組が、門を境に立っていた。
ミナカミとアンナは、事件が起こった当日は、アウレリアの私室に招かれ数日を過ごし、(と言ってもミナカミは当然同じ寝室を与えられず、アンナに至っては緊張で良く寝付けなかったようだが)翌日、アゼ村に帰る手筈になっていた。
つまり、二組の別れの日、ということになる。
「今まで色々世話になったわね、先生」
「ツインテール、止めたのか。似合っていたのに」
「もう、無邪気な田舎村の生徒じゃいられないもの」
くすり、と上品に笑みを浮かべる。
どこか朗らかさが垣間見えたのは、村での生活の影響だろうか。
「アンナ殿、今思い返しても、あの時は見事であった。是非、将来は帝国騎士の道を目指して頂きたい!」
「あ、あはは……なんか知らないけど、エルフリーデさんと仲良くなれてよかった!」
「うむ! 貴殿のような勇敢な者と友誼を結べることは喜ばしい!」
「な、なんかなー?」
相変わらずエルフリーデのアンナを見る目は一変したままであった。
やる時はやるタイプだと、見直したということだろうか。
「派閥争いは鎮火したわ。疎開はこれでおしまい。お互いの生活に、戻らなくちゃ」
「ルチルちゃんは……これからどうするの?」
「馬鹿ね、もうルチルじゃないわよ」
「でも……、あたしの中じゃ、ルチルちゃんだよ」
「…………そう」
アウレリアは、その言葉に優しく微笑みを返した。
「ワタシね、一から帝王学をしっかり学び直そうと思うの」
「それって……」
「別に、ライナルトお兄様を蹴落とそうって訳じゃないわ。ただ、もし、いつ
「……うん、良いと思う」
「なれるかしら、国をより良くするような、そんな人間に」
「なれるんじゃない?」
「あはっ、いつか聞いた言葉ね。無責任な人」
「むっ、だから、あたしなりに……」
「分かってるわよ、もう」
どちらともなく、ゆっくりと右手を差し出す。
身分の差を湛えたそれは、確かに、しっかりと、力強く交わされた。
「それじゃあね、アンナ。楽しかったわ」
「うん、あたしも! また来てね! また一緒に授業受けよう!」
「ふふ、そうね。機会があったらね」
名残惜しむように手は解かれ、別れの時が訪れた。
二人の目に、涙はなかった。
ただ再会の約束をし、これからは互いに離れた道を歩むだけ。
アンナは歯を見せ、にっ、と笑うと、回れ右して帰り道を歩みだした。
「あ、ちょっと待った」
「はい?」
と思ったら、野暮な声に阻まれた。
思わずズッコけかけるアンナがいた。
「なんだい先生ぇー!!」
「いや、もう少しで着くと思うんだよ。宮廷内に帰るのはもうちょっと待ってくれない?」
「はぁ? 待つって、何をよ」
「何ってもちろん……、あ、来た」
「あ…………!!」
帝都を駆ける、無骨で小柄な影が二つ。
石畳を軽快に鳴らしながら走るそれらは、紛れもなく、皇女殿下の寵愛を受けた存在。
シルエットが徐々に鮮明になっていくに連れ、アウレリアはどんどん破顔していった。
「デンカー」
「デンカー」
「クォーツ一号! 二号! どうして!?」
アゼ村でアウレリアが可愛がっていた
ミナカミの指示が飛ばされたことにより、急いで村から帝都まで、休まず駆け抜けてきたようだった。
切らす息もないのに、肩で息をしているように見えるのは、凝ったプログラミングのおかげだろうか。
そういう所に彼女が気に入る“けなげさ”というものがあるのかもしれない。
「いや何、餞別の一つも無しは薄情だろう? 気に入っていたようだから、先生からのプレゼントだ」
「~~~~~~っ!! ありがとうっ、先生っ!!」
「大事にしてやってくれ」
「……なーんか、あたしの時より感情表現強くない?」
「まあまあアンナ殿、殿下の数少ないご趣味ですので……」
アウレリアは喜びのまま、無骨な
それはまるで、人形劇のような、絵本から飛び出たような。
愛らしくも、どこか非現実的な。
見るものを和ませる、独特の雰囲気があった。
◆
あれから数日後。
ルチルちゃんとお別れしたあたし達は、アゼ村に帰ってきて、いつもの日常へと戻っていた。
「なんだか、おとぎ話みたいな時間だったねえ」
「まあな。長いようで短い半年だった」
要するに今日も塾で授業なのです。
その前に、ふと思い立ったあたしは、先生と思い出話をしていた。
まだ思い出にするような時間は立ってないかも知れないけど、それだけ、ただの村娘であるあたしにとって、何度でも思い出したくなるような日々だったってことなのだ。
「帝国のお姫様がやってきて、一緒に授業して、一緒に化け物退治して、だもんなぁ」
「ねー。本にしたら売れるんじゃないかな?」
「駄目だ。陛下から極秘だと言われただろう?」
「ありゃ、そうだった」
きっとルチルちゃんは今もお勉強を頑張っているんだろう。
あたしよりも、もっと難しいお勉強を。
「あーあ、こうして結局また一人で勉強かぁ~」
「いいじゃないか別に。友達くらい村にも居るだろう」
「同い年の子、居ないんだもん。みんな年下ばっかでさ」
「ルチル君だって同い年ではないぞ」
「ルチルちゃんはべーつー」
だったら、あたしも頑張らなければ。
将来なにになるかとか、なにをするかとか、そんな事はまだ思いつかないけど。
ルチルちゃんが頑張ってるならあたしも頑張る。
それくらいはしなければ、と思ったのだ。
「それじゃあ、今日は算術の授業をするぞ。そろそろ、三桁の足し算は出来るようになってもらわないとな」
「ゔっ、はい……」
………………。
……頑張るったら、頑張るぞっ。
◆
「ふう……」
ソディア帝国皇帝、マルクス九世は私室で独り、ため息を付いていた。
強国の名君として名高い彼だが、流石に今回の一件は“堪えた”ようだ。
貴族諸侯たちの手前、常に威厳あるべし、と。
鋭い眼光を絶やさず、時に柔和な笑みを見せるその相貌は、ひどく濁り、げっそりと疲れ果てたものになっていた。
どかりと音を立てて豪奢なソファーに乱暴に腰掛けると、もう一度重苦しいため息を付く。
「…………」
額に手をやり、首を擡げる。
いかにも頭痛が酷い、といったような有様だ。
頭の中で、ああでもない、こうでもない、と、宛もないことを考えては消していく。
ひとしきり憂鬱な顔をして、それらを振り払うように頭を乱雑に掻くと、何処へでもない虚空へと言葉をかけた。
「居るのだろう、ケイ」
その言葉に呼応するように、調度品の影からひっそりと姿を表したのは、ミナカミであった。
マルクス九世はそれに驚くこともないどころか、目を見やる事もなく、当然のように対応していた。
「相変わらず
「幼少の砌はそれだけが楽しみだったものでな。知っているだろう?」
「まあね」
皇帝陛下の私室に、誰にも気づかれること無く現れた不審者一名。
しかも名前を気安く呼び、タメ口で声をかける。
それを何を咎めるでもなく、マルクス九世は視線も合わせず、背中に向けて会話を続ける。
「懐かしいな。こうして直接、遠慮なく言葉を交わすのは幾年ぶりだ?」
「お前が皇帝に即位する前だから、もう25年は経つだろう」
「そんなにか。時が経つのは早いものだ。息子たちも、大きくなっていたものだと言うのに」
「……今回のことは、残念だった」
「そう言ってくれるか。であれば、奴らの無念も多少は報われよう」
「多少か」
「多少だよ、貴様の言葉なんざ」
「そうだな、私の言葉程度、多少で十分だ」
「そうとも」
二人は旧来の友人のように、身分の差を感じさせない言葉を交わす。
方や、虚空を見て。
方や、背中を見て。
「で、どうだ今は。塾なんぞ、似合わんものを開きおって。貴様が先生など、大きく出たな」
「あぁ、自分でも似合わないと思っているよ。それでも、慕ってくれる生徒が出来たのは幸いだった」
「アンアンナ? といったか。勇敢な娘子であった。将来は我が軍の兵に欲しいくらいだな」
「アンナね。それは噛んだだけ」
「なんだ、そうだったか。道理で変わった名前だと思っていた」
「将来は帝国兵ね。あの子が将来をそう望むのならば、まぁ、な」
「ほう、止めんのか。死に親しい職業だぞ」
「自主性を重んじる教育をしているものでね」
「ふん、つまらん」
「教育なんて、される側はいつもつまらないものだろう」
「それもそうだ。余のアウレリアはどうだった? つまらなそうにしていたか?」
「優秀な生徒だったよ。手放すのが惜しいくらいには」
「嘘をつけ。皇女など持て余す、と。内心思っているだろうが」
「バレたか」
「バレバレのおべっかなど使うからだ、阿呆め」
「それでも、優秀なのは事実だよ。彼女は聡明だ」
「……そうか。あの子が、か」
マルクス九世は少し俯くと、またため息を付く。
「そういうお前はどうなんだ、ルチル君とは」
「ルチル……。あぁ、アウレリアが使っていた偽名か。なんだ、どうなんだ、とは」
「そのままの意味だよ。上手くやれているのか」
「小姑か、貴様」
「似たようなものだろう」
「チッ、目の上のたんこぶめ」
「舌打ちなどするものではありませぬぞ、陛下」
「やかましい、こういう時は少しくらいさせろ」
普段の威厳ある姿ではなく、子供のように破顔するマルクス九世。
しかし、すぐにそれは一転して、表情を引き締め、親の顔に戻る。
「上手くか……。どうだろうな、やれているのだろうか……」
「というと?」
「
「生まれついての身分というものがある」
「それを良く思わない子も居るだろう。生まれついての宿命など御免被る、と。嫌気が差すこともあるかも知れない」
「それを尊重するべきなのが、“良き親子”だと?」
「あくまで一般論だ。一人の親として聞きたい」
「今更育児の悩みか? 六人も産ませておきながら?」
「今更だからだよ」
今度はミナカミが俯く番だった。
マルクス九世は、短期で二人の子を亡くしている。
それも、次期後継として目を掛けていた、愛子を。
まだ、その傷も癒える時間は、経っていないはずである。
なんと声をかけるべきか。
少し悩んでから、静かに口にした。
「……なら、私も、一人の
「聞こうか」
「どんな関係であろうと、親子が互いに存命で、互いを想っているのなら、それは幸せだ。と、思う」
「ふむ、根拠は?」
「経験則さ」
「経験則、か。そうか。……そうか」
無言の時が流れる。
だが、悪い空気ではなかった。
やがて、やはり視線は合わせないまま、マルクス九世が呟く。
「
「王の器ではないと?」
「ハッキリ言うな。だが、正直に言えば事実だ。
「だからお前は、可愛がっていないとでも?」
「馬鹿を言うな、どれだけ凡庸だろうと我が子だ。愛しくない訳がない」
「そうか、それは失敬」
「おう、打ち首獄門市中引き回し首吊りの刑に処す」
「なんだそのミックス処刑は」
互いに、ははは、と小さく笑い合うと、どちらともなく、また、ため息が流れた。
「処刑……か。……ダミアン公もなぁ、未だに思うよ、何が正解だったのか」
「ルチル君に手を掛けさせたことを、悔やんでいるのか?」
「それもある。が、まぁ、それはあれの成長に繋がったろうから、それは良い。愛国心の話だよ」
「あぁ……」
「奴は奴なりに、国を思って事を起こしたのだろう。それが我々には害意に映ってしまっただけで」
「害意を感じたなら、敵でいいんじゃないか?」
「そう簡単に割り切れるか。相手は親の代から続く重鎮だぞ」
「そうか……、なら今のは迂闊な言葉だったな、すまん」
「おぉ、もっと謝れ」
「すまーん」
「はは、誰が許すか阿呆め」
「酷いな、お前本当に皇帝か?」
「皇帝陛下様じゃ阿呆。……これでも、曲がりなりにもな……」
「………………」
「……此度の事件、何が悪かったのであろうな」
「…………私には、それを計る権利はないよ」
「知っている。知っているうえで、意見を求めているのだ」
「……そうさなぁ」
“いや……、違う、それも違う”などと、独り言をいくつかぼやいた後に、ミナカミは結論付けるように口にした。
「機運だろう」
「結局は、そこか……」
「帝国を思う気持ち、天運の巡り合わせ、長いものに巻かれたい欲求、誰も悪くないそれらが、悪いタイミングで絡み合った。それだけの話なんじゃないか」
「それだけ、か。それだけの事で、
「……運が悪ければ、誰だって命を落としえるさ」
「そういうものか?」
「戦場だって同じ事が言えるだろう?」
「……それも、そうだな。……はぁ、全く」
「どうした」
「……つくづく思うが、
溜まったものを全て吐き出すように、天を仰いでそう吐き捨てた。
その吐息には、様々な複雑な感情が混ざり合っていたが、それらは誰に当たるでもなく、霧散して消えた。
「こんな化け物を、ちっぽけな一人の人間に背負えと命じるとは。祖霊も酷なことを仰る……」
「それを承知の上で、即位したんだろう?」
「わかっている。わかっているが、弱音を吐きたくなっただけだ」
「珍しい」
「余とて弱い人間なのだ。弱音もあれば嫌気も差す」
「……もうすぐ、次に託せたのにな」
「全くだ……。天運に意思というものがあるのならば、よほど余の事が嫌いらしい……」
とうとう、マルクス九世はがっくりと俯き、両手で顔を覆った。
双肩からは力が抜け、肘で顔を支えるような姿勢になる。
「……ったく…………」
「…………」
「
「マルクス……」
「クソッ…………」
「……何したって、そりゃ、多数の兵の命を預かったにも関わらず失わせたり、戦争したり、他国の領土をもいだり、色々したんだろう」
「そういうことじゃないわい!! 傷に塩を塗り込むような真似をするな!! 外道か、貴様!!」
悲痛な空気を振り払うように、ぐわっと顔を上げて吠えるマルクス九世。
苛烈なツッコミが出来る辺り、幾ばくかは元気が戻ったようだ。
「ハァー、全く全く。貴様に真面目な話をするほうが馬鹿らしくなってきたわ」
「馬鹿らしい話のほうが好きだろう、お前」
「そうだがなぁ。立場や威厳というモンがあるだろう。今となっては、貴様のような阿呆としか、馬鹿らしい話なぞできんわ」
「いいじゃないか、他にもしてやれば」
「何?」
「愛する娘と息子にも、してやれよ。馬鹿らしい話」
「────…………」
呆気にとられたように、ぽかんと口を開ける。
思わず口角から漏れるように、ふ、と微笑が出た。
微かな含み笑いは、やがて大笑へと変わっていった。
「は────、はは、はっはっはっはっは!! そうか、そんなもんか! そんなもんでよかったか、親子関係なんぞは!」
「少なくとも、私なら嬉しいね。親と馬鹿らしい話で笑えたら」
「そうかそうか! わっはっはっはっは!! いや、盲点であった! ははははは!!」
「…………」
「はははは! 馬鹿らしい話か! いや、本当に、してやればよかったのにな! あの子ら、二人にも……!」
「……………………」
「はは、ははは…………!」
マルクス九世は、笑いながら泣いていた。
その背中を、何も言わず、ミナカミはただじっと見つめていた。
しばらく、二人だけの部屋に、泣き笑いが響く。
いつまでそうしていただろうか。
ともすれば、交わした言葉の数よりも多く、笑って泣いていたマルクス九世の元に、控えめなドアをノックする音が届いた。
は、と気を取り直したマルクス九世は、乱雑に目元を袖で拭うと、威厳ある声で入室を促した。
「入れ」
「お楽しみの最中、失礼致します、陛下」
「なんだ、
「……おや? 使用人とでも談笑していたのでは?」
「なに、ただの思い出し笑いだ。気をやった訳ではない。許せ」
「い、いえ、何もそこまでは言っておりませぬが……」
「で? 何の用だ」
「は。此度の一件について、今後の進退を元老院と────」
大臣の入室と同時に、ミナカミの姿は、綺麗さっぱり消えていた。
姿が消える最後まで、二人の視線は合わないままであった。