今の帝政が始まり、二百余年の月日が流れた。
それはまさに帝国の黄金期とも言える時代で、文化、技術、軍事、そのどれを挙げても著しい発展を遂げていた。
そして、平和がもたらしたもう一つの大きな「もの」があった。
それが「富」だ。
平和で安定した帝国には、人が集まり、物が集まり、金が集まった。
その集まった富により、帝国はさらに発展していった。
しかし、そのなかで鈍ったものがある。
それが「武」だ。
軍事力は日々発展を遂げており、技術力も増していった。
蛮族や隣国との小規模な争いでは、圧倒的を続けている。
では、どんな「武」が鈍ったのか。
それは、貴族の持つ「武」であった。
単純な軍事力であれば、彼らは今なお強い力を持っていた。
日々の訓練も怠らず、強い貴族の矜持を抱き続けている。
しかし、強大で平和となった世では、かつての先祖のように強い力を示す場に恵まれなかった。
帝国貴族とは、その身に宿す強い力によって皇帝に忠誠を尽くす一族である。
どの貴族もまた、その武勲によって皇帝に取り立てられた過去を持っていた。
「皇帝のために強い武威を示す」
それこそが、帝国貴族にとって最も根幹にある「矜持」そのものなのだ。
「武の鈍り」
それに深い憂慮を持つ者たちがいた。
深く重い歴史の積み重ねを感じさせる応接室。
重厚なテーブルを囲み、ソファに座る男たちがいた。
「まったく、昨今の子らの気の緩みは目に余るものがある」
深く腰掛けた老貴族が憂鬱そうに言った。
「ええ」
「まったくです」
テーブルにつく他の貴族からも、肯定の声が続く。
帝国の歴史とは英雄の歴史。
歴代の皇帝たちは、輝かしい武の歴史を積み重ねてきた。
だが、今の帝国では三代にわたり、戦場に立たない皇帝が続いている。
もっとも、皆が善政を敷き、帝国はかつてない繁栄に沸いていた。
当代の皇帝は、心優しい青年であった。
武を最も尊ぶ帝国において、武を持たない皇帝。
だが、それは決して皇帝の資質を否定するものではない。
優しき皇帝は民を愛し、また民も皇帝を愛した。
当代の皇帝に武の素質がなくとも、いつか武に優れた皇帝は現れる。
武に優れないならば臣下が支え、次の時代を待てばよい。
長い歴史を紡いできた帝国にとって、当代の資質などというものは些細なことなのだ。
冬がきて、春が来る、それを疑う者がいないように。
「我らが皇帝陛下の武を支えなければならぬというのに……」
老貴族の憂慮はさらに深まる。
近年、帝国東部地方では「連邦」と呼ばれる勢力が力をつけてきていた。
かつては蛮族と呼んでいた者たちの足音が、ふたたび聞こえてきたのだ。
帝国の果て、蛮族の住処と呼ばれる中央回廊付近では緊張が高まってきており、帝国は東部地方に武威を示そうと考えていた。
「上級貴族の子弟はまだ良い方でしょう、下位貴族は平和のぬるま湯が心地よいと感じている有様です」
「まったく、この状況を察することができないとは……」
「嘆かわしい」
老貴族の前に座ったバレンシュタイン侯爵は言った。
「皇帝陛下の善政により帝国は豊かになり、我々も力をつけ豊かになった」
だが、
「平民たちもまた、力をつけた」
そう言うと、老貴族は表情を硬くする。
長い平和によりもたらされた莫大な富は、平民にも染み渡っていた。
大きな富、「金」により、大きく力をつけた平民。
貴族が衰えたわけではない。
平民が「金」の力によって貴族に迫ってきたのだ。
今はまだ良い。だが、平和な世で武を示せない以上、いつか金の力で追いつかれるのではないか。
この場にいる貴族は、みなそう考えていた。
「今こそ武の力が必要だというのに……」
老貴族は遠くを見つめる。
それは、過去の英雄たちを見つめているのだろうか。
「我々の武を、力を、平民たちにも示す必要がありましょう」
バレンシュタイン侯爵が静かに言った。
「何か策が?」
老貴族が尋ねる。
「我が家には娘がおります、娘たちを使って発破をかけましょう」
バレンシュタイン侯爵は端的に告げた。
「征伐皇帝の故事に倣います」
老貴族は頷き、無言で続きを促した。
「貴族令嬢を集めて、軍人の真似事をさせてみるのです」
「たとえば、お揃いの衣装を着せ、銃を持たせて帝都を歩かせる」
「貴族に生まれた身ならば、女であろうと戦場に立つ戦士なのだ、と」
「己の血に宿るものが何なのか、貴族の矜持の在り方を示すのです」
「社交界の華が、戦場の格好をすれば、腑抜けどもも理解しましょう」
バレンシュタイン侯爵は言った。
テーブルを囲んだ貴族たちに笑いが起こる。
それは何か、面白い余興が始まるような、そんな笑いだった。
「なるほどの……」
「蛮族の襲来におびえた青年の前に、鎧をまとった幼馴染が現れる」
「その姿を見て奮い立った青年は剣を取り、蛮族を追い返した」
「征伐皇帝か……」
その中で、一人考え込む者がいた。
「平民には貴族の矜持を示す」
「怠けた子息たちには発破をかける」
「戦うからこそ我らは貴族なのだと。それは女であっても変わらない」
「ふむ」
老貴族は顎に手を当て、虚空を見つめる。
そして、
「……面白いのではないか?」
「失敗したとして……さして問題はなかろう」
老貴族は侯爵の意見に賛同した。
「下位貴族を少し教育してやらねばな」
少しおどけたような老貴族の発言に、再び笑いが起こった。
「ところで、銃を持たせると言ったが、戦車はいかがかな?」
テーブルを囲む一人の貴族が発言した。
「戦車ですか? 騎兵の」
バレンシュタイン侯爵が尋ねる。
「ええ、戦車、騎兵の鉄の馬です」
「あれの扱いは平民には難しいらしいと、家中の者に聞いたことがあります」
「貴族の教育を受けた士官ならば、それほど難しいとは聞きません」
「貴族と平民、その差を見せつけるには好都合では?」
その貴族は考えを述べた。
「ほお……」
「ただ銃を持たせるよりは見栄えもするだろう」
老貴族は肯定した。
「私もそれで良いかと思います」
バレンシュタイン侯爵も了承した。
「よかろう、ではそのように進めるとしよう」
老貴族が締めくくった。
家に敷かれたレールを歩んできた少女たち。その行き先が今、変わった。