「視界が悪いわね…」
エレーナは雨の中、戦車のハッチを開け双眼鏡であたりを見回す。
白百合中隊はなだらかな丘陵地帯を通過中だった。
今日の任務は前線後方の哨戒だ。
主力部隊が前線を押上げつつある今、前線の穴を突いてくる敵を発見する、それが任務だった。
「灌木と稜線に注意」
「射界が広い、先に見つけないとやられるわよ」
エレーナの無線が飛ぶ
「白百合……現在の……では……」
司令部から雑音交じりの無線が入る、がほとんど聞き取れない。
「司令部へ、こちら白百合、雑音がひどい、再送せよ」
「……戦線……丘陵……」
エレーナが司令部へ問うが不明瞭な返事が返ってくるだけだった。
天気は荒れ、上空には雷が走っていた。
「1号車から、2号車へ、クラリス、聞こえるか」
エレーナが2号車のクラリスへ無線を送る
「2号車から1号車へ、こちら感度明瞭」
「司令部応答なし」
2号車から返事が返ってくる
「2号車へ、中継できる車両がないか確認して」
「了解」
雨が音を吸い、静まりかえる戦場
「1号車へ、中継できる車両ありません」
「雑音だらけです」
「1号車、了解、天気が悪すぎる、一度通信が届くところまで後退する」
「2号車、了解」
「白百合中隊より司令部へ」
「天候不良により一時後退する」
返事はなく、無線機はガリガリと雑音を流すだけだった。
一度後退して指示を受ける、そう決めた次の瞬間だった。
突然の轟音が鳴り響き泥を浴びる。
すぐ前を走行していた6号車が白煙に包まれ停止した。
エレーナは身にかかった泥など気にせず指示を飛ばす
「待ち伏せよ!後退しつつ周囲を警戒!」
「負傷者は!」
損傷した戦車からよろよろと乗員が這い出して来る。
そして、丘の陰から敵戦車の砲撃が始まった。
「撃ち返せ!」
「低め!低めに狙いなさい!」
エレーナの檄が飛ぶ
「足を止めるな!」
「交互に射撃して後退しなさい」
「打ち合ったら死ぬわよ!」
エレーナの指示は止まらない。
戦車教本、先生からの教え、それを思い出しながら自分にも言い聞かせているのだ。
ただ、生き残るために。
「負傷者を回収するわ!」
「轍を踏んで6号車の後ろに!援護しなさい!」
エレーナが損傷した戦車に近づく
「負傷者は!動ける!?」
「操縦手のヘレンが動きません!」
「血が!」
車長が大声で叫ぶ、目には涙がにじんでる。
戦車の陰に横たわるヘレンの顔面は血に濡れている。
雨が血を洗い流すたびに傷があらわになっていく。
「戦車の上に乗せなさい!撤退するわ!」
「車両は破棄!爆破しなさい!」
帝都から持ってきた彼女たちの数少ない盾である戦車を自らの手で破壊した。
負傷者を救助し白百合中隊は撤退した。
「白百合中隊より司令部へ」
「……司令部……白百合……どうぞ」
「敵の待伏せにあった、1両やられた、後退中」
「損害1両……敵の……座標……」
「敵の座標は---」
エレーナは途切れ途切れの無線で損害と敵の座標を伝えた。
基地へ帰投するとヘレンが担架で医務室へ運ばれていく。
他の乗員はその場で応急処置を受けた。
「私は報告に行ってくるわ、補給をして待機」
クラリス任せたわ、そう言うとエレーナは指揮所へ向かった。
報告を終え、整備所に帰ってくると、1号車の前に6号車の乗員が待っていた。
「エレーナ様、ヘレンは助かりませんでした。」
「即死です」
戦車長の、彼女の声に生気はなかった。
大破1
軽傷3名
死亡1名
それが中隊の損害だった。
白百合中隊5人目の死者だ。
敵の砲火による損害はなかった。
被害は一発の地雷だった。
第三世代戦車には大きな弱点が2つあった。
ひとつ目は後方の装甲が貧弱で、エンジン火災を起こしやすく、隔壁の不備で車内火災が発生しやすいこと。
ふたつ目が今回の原因、履帯周りの装甲が貧弱なことだ。
普段は転輪である程度防御しているが、地雷の爆風で抜かれてしまうことがあった。
白百合中隊でも隙間に砂袋を詰め込んだりと現場で出来る対策をしたが防げなかった。
5人目の死者に士気の低下を懸念したが、それは杞憂だった。
みな今まで通りに動けている。
しかし、それは、何か。
何かが変わってしまったのではないか、エレーナは不安を覚える。
ヘレンの葬儀はすぐに終わった。
中隊の手の空いたものがヘレンの体を白く輝く布に包み、雨が降る前線墓地の土の中へ埋めた。
墓標は一抱えほどの白い石。
供え物も花もない。
あたりには同じような墓が並んでいた。
次に使われる墓穴もすでに掘られている。
帝都の花畑のような場所で生まれ、絹の肌着に包まれ育った少女は、荒涼とした中央回廊に人造の絹に包まれて眠った。
この場所では死んだ誰もが絹に包まれ土の下に眠る。
造絹糸布
近年になって帝国で作られるようになった人造の絹糸、それを使って作られた布だ。
まるで絹のような手触りと光沢を持ち、絹よりは安価だが庶民からすればそれなりに高価な布と言える。
それがこの戦場にはありふれていた。
電気を帯びない、汚れに強い、摩擦が少ない、そんな特性から砲弾や火薬の梱包運搬に用いられていた。
帝国から送られてくる弾薬は貴人のように絹に包まれている。
そしてこの絹のような布は戦地で亡骸を包み埋葬されるために用いられていた。
だれが最初に始めたのかはわからない。
だが、この彩のない場所で、せめて最後の時だけでも美しいものに包んであげたい。
そんな想いがあったことに違いはないだろう。
泥のなかで戦った兵士は身分にかかわらず柔らかな絹に包まれて一生を終える。
絹の肌着に包まれた貴族の少女も、庶民も一緒に。
その夜
薄暗いオイルランプの明かりで手紙を書くエレーナの姿があった。
ダウニー男爵殿
ヘレン・ダウニー嬢は我が中隊のかけがえの無い仲間でありました。
そして先の戦いでその身をもって、貴族の矜持を体現なさりました。
私は中隊長としてヘレン嬢の意思を引き継ぎ、貴族の矜持を果たし、帝国の武威を示すものであります。
中央回廊にて
戦時につき略式にて失礼いたします。
白百合中隊中隊長
白百合の家 エレーナ中尉
エレーナは手紙を書き終え封をする。
これからあと何通書くのだろうか。
憂鬱な気持ちを持ったがそれを振り払った。
自分の分を書く者に失礼である、そう思ったからだ。